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魔帝の治世
第一話
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これは戦争ではない。戦争とはお互いの武力を誇示し、意地を貫徹させるための外交の最終手段、がしかし私の前で目に見える光景は、それに当てはまらない。
あぁ、まるで五百年前と同じ、まるで同じだ。だが一つだけ違うのは、隣に愛しき彼の者が居ないことだ。私にとっての全てだ、悲しいものだが彼女のためなら私はワガママは言わない。彼女の為にこの身を賭して、戦えるのならばそれで構わない。
──北方大陸、魔帝城外周──
包囲戦、本来なら包囲出来るほどの兵を有する、包囲側が有利であるはずなのだが──
まるでモップ掃除でもしている気分だ。一掃、その言葉が容易に思い付くほどにくだらない戦争だ。こちらはあいりす、マリアちゃん、ドラちゃん、オスカルと竜騎兵、私、たったこれだけの戦力だったが、あまりにも一方的過ぎる戦争だ。
五百年前の北方大陸の人間達はもう少し骨のある奴らだった。その子孫である彼等の実力はお世辞にもあるとは言えない。進めか退けかの二つの行動しかしない。兵士が哀れで仕方ない。
敵軍の魔法使いは、あいりすがどのような存在であるかすぐに理解出来るようで、前線の魔法使いの降参が迅速だ。そして、急速にこちらの戦力が増えていく。
最初こそ少人数の戦力だったものが、あいりすが「こちらに付くなら殺しはしない」と言うもんだから、続々と寝返り膨大な数となってきていた。
そうなればこの戦争はもはや目も当てられない。こちらは増える一方、あちらは減る一方なのだからな。
しかし、ここからあいりすが何とか見えるが相変わらず、素敵だ。あぁ、いつ見ても素敵だが戦っている時の彼女は、いつもの数倍もの魅力を振り撒いているのだ。今すぐ抱き着き頬擦りしたいものだ。あぁ考えるだけでヨダレが。
さて、一方的も飽き飽きしてきたな。この惨状を見て、そろそろ相手方も撤退の命令を出す頃だとは思うが──
「逃げろ! こんなの戦じゃない!」
「俺らの法使いの連中も裏切りやがった! 畜生!!」
あぁあぁ兵士が逃げてしまった。もはやどうにもならんな。
それを見ていたあいりすの叫び声が聞こえてきた。かなり怒っているようだ。
「っっふざけんな!! 覚悟してたんでしょ! 私の首を取ってやるって! 私の家族を殺してやるって意気込んでたんでしょ! なら逃げずに戦いなよ! 死ぬまでさぁ!」
あぁ、怒れるあいりすもまた違った美しさがあるな。そして家族という言葉、どうやら彼女は私達の事を家族と思っているようだ。ふっ、実に彼女らしいな。彼女の母、初代魔帝にも同じような事を言われた事があるな。母娘揃って私を興奮させるのが上手だ。全く大変だ。
「ミア! マリア! こいつらが逃げられないように防壁を張って!!」
魔法の防壁を本当にただの壁として用いるのは珍しい事じゃない。だがしかし、複数の国が合わさった軍隊の、全てを閉じ込められるほどの防壁等聞いた事もない、私自身やった事もない。だがそれをやれ、と言われたのだ。やるしかない。
マリアちゃんとは過去に色々とあったけども、今は仲良くやれている気がする。
私とマリアちゃんは戦場一帯を覆うように防壁を張った。壁を押し破ろうとする敵軍の恐怖に満ちた表情は、すぐに生気のない顔と変わることとなるだろう。あいりすを怒らせたのだ、楽に死ぬ事が出来るだけありがたいというものだ。
ふふ、楽しみだ。あいりすが心の底から怒ったのは五百年前でも二度くらいだ。一度目は私がアリスに半殺しにされた時、二度目はドラちゃんが封印された時だ。遥か頂きに君臨する魔の帝王、その真の姿を再び見られるとは──長生きするものだな。
青い肌に黒い巻き角、白目の部分が黒く変色し瞳が金色に輝くその姿は、人間とはかけ離れている。五百年前に初代から聞いたのは、魔力が関係しており負の感情、特に怒りの感情に敏感に反応し表皮に影響を及ぼすそうだ。それが青い皮膚だ。
黒い巻き角は魔力によって髪の毛が硬化し、角のような形が出来ているそうだ。いわば今のあいりすは怒髪天を衝く、という感じであり簡単に言えばガチギレだ。
そんなあいりすを見た敵兵は、皆こぞって似たような単語を口にする。「悪魔」「化け物」といった言葉だ。
全く都合のいいヤツらだ。人間共が彼女をそんな存在へと変容させてしまった、と言うのにな。
「私は家族を傷付ける奴を許さない。家族を傷付けようとする奴も許さない。消えろ、消えろ消えろ!! 私の前から、私達の前から消え去れ!!」
ここにいる魔法使い全ての魔力を一つに固めたかのような、膨大な魔力が地面に流れ始めると終焉の始まりを告げる合図だ。
私はすぐに魔帝城の中へと入るよう他の者へ伝え、私とマリアちゃんは防壁を維持したまま魔帝城へと入っていった。
私達が魔帝城へ入ったのを確認したあいりすは魔法を発動させると、魔帝城周辺以外の防壁内が黒い霧に覆われた。先の見えない真っ暗闇な霧、それが晴れる頃には正常な者は、あいりすを除いて誰もいなかった。
最初こそ静けさが辺りを包んでいたが、一人の敵兵が声を上げて笑い出したのを皮切りに、釣られるように他の者も笑い始めていく。中には泣き出す者や叫び始める者も現れた。
そして仲間同士で斬り合い始め、あいりすはそれをつまらなそうに、真っ直ぐ敵の本陣へと進んで行った。
「凄まじいの一言、ですな」
オスカルがバルコニーから下を眺めてそんな事を言った。人間にしては珍しく骨のある男だ。嫌いじゃない。
「この程度なら朝飯前だろう」
「……魔帝に対する恐怖から来る精神的不安定さ、そして魔法による幻覚、幻聴、壊れない方がどうかしてるってもんですよ」
人間にしては優秀だな。流石あいりすの部下と言ったところか? 信用には値しないが信頼は出来るようだ。背中を預けられるほどにはちゃんとした魔法使い、か。
「それにしても今回の戦闘で北方大陸はほぼ取ったも同然、魔法使いの部下も増えた、一石二鳥って感じですかね」
「……どうだかな、人間の魔法使いなぞ盾にもならんぞ? 弱く脆く、簡単に壊れてしまうからな」
「そりゃぁ人間辞めてるあんたらに比べたら、柔らかいに決まってるじゃないですか」
ふん、と肩を竦めつつ鼻で笑っていると、まだ居たのか不愉快な女がバルコニーへと出てきて、戦場を眺め始めた。
「まるで地獄絵図じゃない、戦争じゃないわ」
「……記憶は無くとも正義感はそのままか? 救世主気取りめ」
「……私は認めないわ。アイリスがこんな事……」
「あんたらの間にどんな仲があったのは知りませんがね、今はこれが現実なんすよ。信じられないでしょうが、信じてくださいや」
オスカルは格上の私が相手でも、ものをハッキリと言う。あいりすに対しても恐れず意見を出す、有能な兵士であり、常にあいりすの隣にいる。いいなぁ。交代して欲しい。
さて、数時間ほど経ったがあいりすはどこまで行ってるのだろうか? と思っていると何やら数十人ぐらいの人間を引き摺りながら、死体が散らばる地上を歩いて戻ってきていた。
目を凝らすとそれは身なり的に何処かの国王のような人間だった。それを玉座の間に連れてきたあいりすは、どすんと音を立てながら座り込み明らかに不機嫌さを出しながら、国王達に語りかけた。
「敗軍の将がどうなるか、国王陛下様なら分かるよね? 魔帝討伐に意気込むのはいいけどさぁ……やるならちゃんとしなよ」
私達は国王達の周囲を取り囲み、これからどうするかのかをあいりすに問いかけた。
「国民達を虐殺、なんてことはしないよ。私に従うならね? まぁ、そこは君達のプライド次第だけどね? 大事な大事な国民を、魔物達の餌にするのはぁ……忍びないでしょ?」
「化け物が……」
「言葉はしっかりと選んだ方がよろしいかと、魔帝に対するその言葉は……我々の逆鱗にも近いので」
息を飲み込む国王達の一人が、魔帝に従うと言い始めると他の者も同調するように、同じ言葉を口に出し始めたのだ。その言葉を欲しがっていたあいりすだったが、流れがいけなかった。
自らの意思で従うと決めたなら良かった。だが誰かが言ってから合わせるようにしたのが、あいりすからすればどうしようもなく我慢出来なかったのだろう。場が凍りつく、そんな言葉がぴったりなほどに部屋がピリつき始めた。私達でさえ冷や汗が頬を伝うほどだ。
「……この中で子供がいる人、手挙げて」
ふとそんな事を問いかけるあいりすに困惑しながらも、その問いかけに該当する者は手を挙げた。殆どの者がいるようだ。
深い溜息を吐きながらあいりすは、手を挙げていない者の胸を魔法で貫いた。
そして残った者に提案した。
「子供を人質にするから、明後日までに連れてきて」
「なんだと!? そのような事──」
それを拒否しようとした者ははっ、とした。ここは今自分達の権力など一切及ばず、自分達が魔帝からすればただの人間でしか無い事を。
頷くしかないのだ。初めから選択肢などなく、受け入れる事しかできないのだ。何故なら彼らは敗戦者なのだから。
あいりすの希望通り各国の王子や王女が二日後に、玉座の間であいりすを睨みつけていた。
まだ二十歳にも満たない幼き王族の血がプライドとして目付きに現れていた。なんの不自由もなく生きてきたのだろう。羨ましい限りだ。
「……ふぅん……若いのにいい目付きだね。自己紹介、してくれるかな?」
「……では私から」
ほう、この状況で中々肝が据わる小娘だ。これにはあいりすも驚いたようで、少し驚いた顔をした後に笑みを浮かべた。
「マティルダ・アーレンベルグ、アーレンベルグ第五十四代国王、エンゲルベルト・アーレンベルグの娘、次期国王よ」
「……へぇ、肝の据わった子は嫌いじゃないけど……何か武術をやっていたのかな?」
どっこいしょ、と玉座から立ち上がるあいりすはマティルダの元へと近付いていくと、腕を掴み掌や拳を眺め始めた。
「格闘術かな? それもかなりの使い手だね」
なるほど、肝の据わりようも理解出来るな。だがあいりすは簡単に言えば剣術と魔法は扱えても、格闘はほとんど出来ないはずだ。素人と言ってもいい。
「魔帝アイリス、私と一戦いかがかしら、私が勝ったら私達を解放しなさい」
「いいよ。じゃぁ私が勝ったら君達の命、私が貰うよ」
「私だけの命で充分よ」
「……まぁ、君の勇敢さに免じてそうしてあげるよ」
あいりすは機嫌が良さそうにマティルダから離れると、慣れていないのが丸わかりな素人のファイティングポーズを構えた。
「すぅ……っ行くわよ!!」
自身の着ているドレスを脱ぎ捨て軽装になると、呼吸を整えてからマティルダは力強い踏み込みにより、一気に距離を縮めあいりすの眼前まで迫った。
勿論あいりすは防戦一方だ。なんせあのマティルダという王女、中々にやる。空を切る鋭い音が少し離れている私にも聞こえてくるのだ。
「魔帝アイリス! その程度!?」
「実は格闘術ってやったことないんだよねぇ! わわ! あっぶな!」
何とか避けられている、そんな感じだ。マティルダにも余裕の表情が出てきている。一体何をしようと言うのだ? あいりすは。このままみすみす人質を逃がすつもりか。
そう思い少しだけ目を瞑ると鈍い音が響いた。遂に一発貰ったか、と目を開けるとブーツの底を顔に貰っているマティルダの姿があった。
「どうにも足癖が悪くてねぇ」
「っぁ……! 脚なんて卑怯よっ! 拳だけで戦いなさい!」
「マティルダちゃん、君は一つ勘違いをしてるよ? 誰が格闘家相手にステゴロを挑むの? 魔法を使ってないだけありがたいと思ってよねぇ」
魔法を使ってない? ふふ、あいりすは嘘が下手だ。私やマリアちゃんほどの魔法使いでなければ気が付かないだろうという、微々たる魔法だが身体強化の類だろう。この手のある種のバカには有効な手だ。
鼻血を出すマティルダは悔しそうな顔をしつつ、あいりすから距離を取り様子を伺っていた。
拳よりリーチが長く力もある蹴りを警戒するのは当然であり、容易に近付くことが出来なくなってしまったようだ。
「来ないの? ねぇねぇ、来ないの? ふふん、ならこっちから行こっかな」
挑発するように来ないの? と言う度に頭を左右に振るあいりすは、言葉通りに仕掛けた。瞬間移動でもしたかのような速度でマティルダの背後に回ると、首根っこを掴みそのまま持ち上げたのだ。
「降参する?」
「っっ誰がっ!!」
首を絞められながらも何とか離れようと自身の首を掴む腕を殴るマティルダだったが、あいりすがその手を緩めることはなく、そのまま地面に叩きつけた。
マティルダの髪を掴み上げて、息がしづらそうな彼女にあいりすは言葉をかけた。
「綺麗な顔してるんだから大事にしなくちゃダメだよ?」
「はぁ……はぁ……」
飽きたかのように手を離し再び玉座に座るあいりすは、マリアちゃんにマティルダを治療するようにお願いし、君達はどうする? と黙って見ていた者達に目をやった。
「悪いようにはしない。だから大人しくしていてくれたら嬉しいかな」
さてさて、あいりすは一体何を考えているのだろうか? 本来なら人質なんてものは取らなくていい代物だ。力で抑える事が出来るのだから、そうすればいいのだ。
何を考えているか、全く理解出来んな。そこがあいりすの魅力ではあるのだがな。
あぁ、まるで五百年前と同じ、まるで同じだ。だが一つだけ違うのは、隣に愛しき彼の者が居ないことだ。私にとっての全てだ、悲しいものだが彼女のためなら私はワガママは言わない。彼女の為にこの身を賭して、戦えるのならばそれで構わない。
──北方大陸、魔帝城外周──
包囲戦、本来なら包囲出来るほどの兵を有する、包囲側が有利であるはずなのだが──
まるでモップ掃除でもしている気分だ。一掃、その言葉が容易に思い付くほどにくだらない戦争だ。こちらはあいりす、マリアちゃん、ドラちゃん、オスカルと竜騎兵、私、たったこれだけの戦力だったが、あまりにも一方的過ぎる戦争だ。
五百年前の北方大陸の人間達はもう少し骨のある奴らだった。その子孫である彼等の実力はお世辞にもあるとは言えない。進めか退けかの二つの行動しかしない。兵士が哀れで仕方ない。
敵軍の魔法使いは、あいりすがどのような存在であるかすぐに理解出来るようで、前線の魔法使いの降参が迅速だ。そして、急速にこちらの戦力が増えていく。
最初こそ少人数の戦力だったものが、あいりすが「こちらに付くなら殺しはしない」と言うもんだから、続々と寝返り膨大な数となってきていた。
そうなればこの戦争はもはや目も当てられない。こちらは増える一方、あちらは減る一方なのだからな。
しかし、ここからあいりすが何とか見えるが相変わらず、素敵だ。あぁ、いつ見ても素敵だが戦っている時の彼女は、いつもの数倍もの魅力を振り撒いているのだ。今すぐ抱き着き頬擦りしたいものだ。あぁ考えるだけでヨダレが。
さて、一方的も飽き飽きしてきたな。この惨状を見て、そろそろ相手方も撤退の命令を出す頃だとは思うが──
「逃げろ! こんなの戦じゃない!」
「俺らの法使いの連中も裏切りやがった! 畜生!!」
あぁあぁ兵士が逃げてしまった。もはやどうにもならんな。
それを見ていたあいりすの叫び声が聞こえてきた。かなり怒っているようだ。
「っっふざけんな!! 覚悟してたんでしょ! 私の首を取ってやるって! 私の家族を殺してやるって意気込んでたんでしょ! なら逃げずに戦いなよ! 死ぬまでさぁ!」
あぁ、怒れるあいりすもまた違った美しさがあるな。そして家族という言葉、どうやら彼女は私達の事を家族と思っているようだ。ふっ、実に彼女らしいな。彼女の母、初代魔帝にも同じような事を言われた事があるな。母娘揃って私を興奮させるのが上手だ。全く大変だ。
「ミア! マリア! こいつらが逃げられないように防壁を張って!!」
魔法の防壁を本当にただの壁として用いるのは珍しい事じゃない。だがしかし、複数の国が合わさった軍隊の、全てを閉じ込められるほどの防壁等聞いた事もない、私自身やった事もない。だがそれをやれ、と言われたのだ。やるしかない。
マリアちゃんとは過去に色々とあったけども、今は仲良くやれている気がする。
私とマリアちゃんは戦場一帯を覆うように防壁を張った。壁を押し破ろうとする敵軍の恐怖に満ちた表情は、すぐに生気のない顔と変わることとなるだろう。あいりすを怒らせたのだ、楽に死ぬ事が出来るだけありがたいというものだ。
ふふ、楽しみだ。あいりすが心の底から怒ったのは五百年前でも二度くらいだ。一度目は私がアリスに半殺しにされた時、二度目はドラちゃんが封印された時だ。遥か頂きに君臨する魔の帝王、その真の姿を再び見られるとは──長生きするものだな。
青い肌に黒い巻き角、白目の部分が黒く変色し瞳が金色に輝くその姿は、人間とはかけ離れている。五百年前に初代から聞いたのは、魔力が関係しており負の感情、特に怒りの感情に敏感に反応し表皮に影響を及ぼすそうだ。それが青い皮膚だ。
黒い巻き角は魔力によって髪の毛が硬化し、角のような形が出来ているそうだ。いわば今のあいりすは怒髪天を衝く、という感じであり簡単に言えばガチギレだ。
そんなあいりすを見た敵兵は、皆こぞって似たような単語を口にする。「悪魔」「化け物」といった言葉だ。
全く都合のいいヤツらだ。人間共が彼女をそんな存在へと変容させてしまった、と言うのにな。
「私は家族を傷付ける奴を許さない。家族を傷付けようとする奴も許さない。消えろ、消えろ消えろ!! 私の前から、私達の前から消え去れ!!」
ここにいる魔法使い全ての魔力を一つに固めたかのような、膨大な魔力が地面に流れ始めると終焉の始まりを告げる合図だ。
私はすぐに魔帝城の中へと入るよう他の者へ伝え、私とマリアちゃんは防壁を維持したまま魔帝城へと入っていった。
私達が魔帝城へ入ったのを確認したあいりすは魔法を発動させると、魔帝城周辺以外の防壁内が黒い霧に覆われた。先の見えない真っ暗闇な霧、それが晴れる頃には正常な者は、あいりすを除いて誰もいなかった。
最初こそ静けさが辺りを包んでいたが、一人の敵兵が声を上げて笑い出したのを皮切りに、釣られるように他の者も笑い始めていく。中には泣き出す者や叫び始める者も現れた。
そして仲間同士で斬り合い始め、あいりすはそれをつまらなそうに、真っ直ぐ敵の本陣へと進んで行った。
「凄まじいの一言、ですな」
オスカルがバルコニーから下を眺めてそんな事を言った。人間にしては珍しく骨のある男だ。嫌いじゃない。
「この程度なら朝飯前だろう」
「……魔帝に対する恐怖から来る精神的不安定さ、そして魔法による幻覚、幻聴、壊れない方がどうかしてるってもんですよ」
人間にしては優秀だな。流石あいりすの部下と言ったところか? 信用には値しないが信頼は出来るようだ。背中を預けられるほどにはちゃんとした魔法使い、か。
「それにしても今回の戦闘で北方大陸はほぼ取ったも同然、魔法使いの部下も増えた、一石二鳥って感じですかね」
「……どうだかな、人間の魔法使いなぞ盾にもならんぞ? 弱く脆く、簡単に壊れてしまうからな」
「そりゃぁ人間辞めてるあんたらに比べたら、柔らかいに決まってるじゃないですか」
ふん、と肩を竦めつつ鼻で笑っていると、まだ居たのか不愉快な女がバルコニーへと出てきて、戦場を眺め始めた。
「まるで地獄絵図じゃない、戦争じゃないわ」
「……記憶は無くとも正義感はそのままか? 救世主気取りめ」
「……私は認めないわ。アイリスがこんな事……」
「あんたらの間にどんな仲があったのは知りませんがね、今はこれが現実なんすよ。信じられないでしょうが、信じてくださいや」
オスカルは格上の私が相手でも、ものをハッキリと言う。あいりすに対しても恐れず意見を出す、有能な兵士であり、常にあいりすの隣にいる。いいなぁ。交代して欲しい。
さて、数時間ほど経ったがあいりすはどこまで行ってるのだろうか? と思っていると何やら数十人ぐらいの人間を引き摺りながら、死体が散らばる地上を歩いて戻ってきていた。
目を凝らすとそれは身なり的に何処かの国王のような人間だった。それを玉座の間に連れてきたあいりすは、どすんと音を立てながら座り込み明らかに不機嫌さを出しながら、国王達に語りかけた。
「敗軍の将がどうなるか、国王陛下様なら分かるよね? 魔帝討伐に意気込むのはいいけどさぁ……やるならちゃんとしなよ」
私達は国王達の周囲を取り囲み、これからどうするかのかをあいりすに問いかけた。
「国民達を虐殺、なんてことはしないよ。私に従うならね? まぁ、そこは君達のプライド次第だけどね? 大事な大事な国民を、魔物達の餌にするのはぁ……忍びないでしょ?」
「化け物が……」
「言葉はしっかりと選んだ方がよろしいかと、魔帝に対するその言葉は……我々の逆鱗にも近いので」
息を飲み込む国王達の一人が、魔帝に従うと言い始めると他の者も同調するように、同じ言葉を口に出し始めたのだ。その言葉を欲しがっていたあいりすだったが、流れがいけなかった。
自らの意思で従うと決めたなら良かった。だが誰かが言ってから合わせるようにしたのが、あいりすからすればどうしようもなく我慢出来なかったのだろう。場が凍りつく、そんな言葉がぴったりなほどに部屋がピリつき始めた。私達でさえ冷や汗が頬を伝うほどだ。
「……この中で子供がいる人、手挙げて」
ふとそんな事を問いかけるあいりすに困惑しながらも、その問いかけに該当する者は手を挙げた。殆どの者がいるようだ。
深い溜息を吐きながらあいりすは、手を挙げていない者の胸を魔法で貫いた。
そして残った者に提案した。
「子供を人質にするから、明後日までに連れてきて」
「なんだと!? そのような事──」
それを拒否しようとした者ははっ、とした。ここは今自分達の権力など一切及ばず、自分達が魔帝からすればただの人間でしか無い事を。
頷くしかないのだ。初めから選択肢などなく、受け入れる事しかできないのだ。何故なら彼らは敗戦者なのだから。
あいりすの希望通り各国の王子や王女が二日後に、玉座の間であいりすを睨みつけていた。
まだ二十歳にも満たない幼き王族の血がプライドとして目付きに現れていた。なんの不自由もなく生きてきたのだろう。羨ましい限りだ。
「……ふぅん……若いのにいい目付きだね。自己紹介、してくれるかな?」
「……では私から」
ほう、この状況で中々肝が据わる小娘だ。これにはあいりすも驚いたようで、少し驚いた顔をした後に笑みを浮かべた。
「マティルダ・アーレンベルグ、アーレンベルグ第五十四代国王、エンゲルベルト・アーレンベルグの娘、次期国王よ」
「……へぇ、肝の据わった子は嫌いじゃないけど……何か武術をやっていたのかな?」
どっこいしょ、と玉座から立ち上がるあいりすはマティルダの元へと近付いていくと、腕を掴み掌や拳を眺め始めた。
「格闘術かな? それもかなりの使い手だね」
なるほど、肝の据わりようも理解出来るな。だがあいりすは簡単に言えば剣術と魔法は扱えても、格闘はほとんど出来ないはずだ。素人と言ってもいい。
「魔帝アイリス、私と一戦いかがかしら、私が勝ったら私達を解放しなさい」
「いいよ。じゃぁ私が勝ったら君達の命、私が貰うよ」
「私だけの命で充分よ」
「……まぁ、君の勇敢さに免じてそうしてあげるよ」
あいりすは機嫌が良さそうにマティルダから離れると、慣れていないのが丸わかりな素人のファイティングポーズを構えた。
「すぅ……っ行くわよ!!」
自身の着ているドレスを脱ぎ捨て軽装になると、呼吸を整えてからマティルダは力強い踏み込みにより、一気に距離を縮めあいりすの眼前まで迫った。
勿論あいりすは防戦一方だ。なんせあのマティルダという王女、中々にやる。空を切る鋭い音が少し離れている私にも聞こえてくるのだ。
「魔帝アイリス! その程度!?」
「実は格闘術ってやったことないんだよねぇ! わわ! あっぶな!」
何とか避けられている、そんな感じだ。マティルダにも余裕の表情が出てきている。一体何をしようと言うのだ? あいりすは。このままみすみす人質を逃がすつもりか。
そう思い少しだけ目を瞑ると鈍い音が響いた。遂に一発貰ったか、と目を開けるとブーツの底を顔に貰っているマティルダの姿があった。
「どうにも足癖が悪くてねぇ」
「っぁ……! 脚なんて卑怯よっ! 拳だけで戦いなさい!」
「マティルダちゃん、君は一つ勘違いをしてるよ? 誰が格闘家相手にステゴロを挑むの? 魔法を使ってないだけありがたいと思ってよねぇ」
魔法を使ってない? ふふ、あいりすは嘘が下手だ。私やマリアちゃんほどの魔法使いでなければ気が付かないだろうという、微々たる魔法だが身体強化の類だろう。この手のある種のバカには有効な手だ。
鼻血を出すマティルダは悔しそうな顔をしつつ、あいりすから距離を取り様子を伺っていた。
拳よりリーチが長く力もある蹴りを警戒するのは当然であり、容易に近付くことが出来なくなってしまったようだ。
「来ないの? ねぇねぇ、来ないの? ふふん、ならこっちから行こっかな」
挑発するように来ないの? と言う度に頭を左右に振るあいりすは、言葉通りに仕掛けた。瞬間移動でもしたかのような速度でマティルダの背後に回ると、首根っこを掴みそのまま持ち上げたのだ。
「降参する?」
「っっ誰がっ!!」
首を絞められながらも何とか離れようと自身の首を掴む腕を殴るマティルダだったが、あいりすがその手を緩めることはなく、そのまま地面に叩きつけた。
マティルダの髪を掴み上げて、息がしづらそうな彼女にあいりすは言葉をかけた。
「綺麗な顔してるんだから大事にしなくちゃダメだよ?」
「はぁ……はぁ……」
飽きたかのように手を離し再び玉座に座るあいりすは、マリアちゃんにマティルダを治療するようにお願いし、君達はどうする? と黙って見ていた者達に目をやった。
「悪いようにはしない。だから大人しくしていてくれたら嬉しいかな」
さてさて、あいりすは一体何を考えているのだろうか? 本来なら人質なんてものは取らなくていい代物だ。力で抑える事が出来るのだから、そうすればいいのだ。
何を考えているか、全く理解出来んな。そこがあいりすの魅力ではあるのだがな。
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