これが一生に一度きりの恋ならば

風音

文字の大きさ
上 下
30 / 33

29.私の気持ち

しおりを挟む
 

 ――それからウィンドウショッピングをしてから暗い時間にマンションへ戻ると、エントランス前にいる中学生くらいの女の子に声をかけられた。

「あの……。美坂あやかさんですか?」
「あ、はい……。失礼ですが、どちらさまですか?」
「あぁ、良かったぁ。ご無沙汰してます。……私のことを覚えてますか?」

 彼女は肩までの黒髪ストレートヘアでどこか見覚えのある顔をしている。
 でも、残念ながらそれがいつかは思い出せない。

「いいえ、ごめんなさい……」
「そうですよね。昔のことだから覚えてないですよね。実は石垣藍の妹の稟と言います」
「ってことは……。小学生の頃に私が赤白帽子をあげた……」
「当時はありがとうございました。あやかさんのお陰で最後まで運動会を楽しめました」

 彼女は当時と比べるとぐっと大人びていたから、すぐに気づかなかった。

「それはよかった」
「もっと丁寧にお礼をしたいところですが、今日はあやかさんに大事な話を伝えに来ました」
「……大事な話? 私に?」

 藍の妹が私になんの用だと思って首をかしげる。

「はい。あやかさんのところへ会いに来たのは、兄のことを知ってもらう為です」
「その話ならもういい……」
「兄は、私に赤白帽子をくれたあやかさんに一目惚れをしました。そして4年後のいま、気持ちを伝えるために日本留学したんです」

 昼間みすずから7月下旬に引っ越しをするとは聞いていたけど、新情報に思わず気が引き止められる。

「日本留学……? 一体なんのこと?」
「私と兄は小学生の頃からオーストラリアの全寮制の学校に通っています。そこは、富裕層の中でも貴族と呼ばれている一部の人間が通う場所。その中で、小学校から高校の間に好きな時期を選んで4ヶ月間の日本留学をしなければなりません。寮のルールとして外出は勿論、外部とのコンタクトが禁止されています。だから、兄は寮のことを”牢獄”と呼んでいて。でも、日本留学では側近なしで自由に過ごせる機会ということもあって、進学の切り替えである高校入学時を選びました。もちろんあやかさんに会うために」
「うそ…………。藍は留学生だったの?」

 驚く私に、彼女はうんと頷く。

「兄は事前準備のために、2年前から特別講師を雇ってコミュニケーション能力を身につけました。喋りが苦手だった昔からは考えられないくらい別人になったと思います」
「信じられない……。私と会うためにどうしてそこまで」
「赤白帽子の一件で、あやかさんの勇敢な姿勢を見て衝撃を受けたそうです。この人と恋が出来たら素敵なんだろうなって。話を聞いてる私ですら羨ましく感じていました」
「……」
「留学してから友達の協力もあってあやかさんと付き合えることになったと嬉しそうに報告してきました。……でも、昨日連絡があって別れたと。留学期間も終わったし、兄には婚約者がいるから区切りをつけてきたんだと思いました」
「藍は最初から別れることが前提で私と付き合ってたんだよね。人の気持ちを散々かきまわしておいて、時期が来たら勝手に離れていくなんて自分勝手すぎるよ……」

 藍は私の気持ちなんて考えてない。
 付き合い始めてから3週間で沢山の思い出を植え付けてきたくせに、最初から別れることを視野に入れていたなんて……。

「後悔したまま別の人と結婚するのは嫌だって。せめて気持ちが伝えられたらなと言っていました。だから、思い残しのないように頑張っていたんだと思います」
「……」
「兄は今晩22時の便で日本を発ちます。留学期間を終えたのでオーストラリアに戻らなければなりません」
「そんな……」
「それだけじゃない。大学卒業後に婚約者と結婚します」
「もしかして、ひまりちゃんと……」
「そうです。あやかさんは、ひまりさんのことをご存知だったんですね」

 私は表情を落としたままコクンとうなずく。

「あやかさん、本当にこのままでいいんですか? 今日を逃したら兄に一生会えなくなります」
「……」
「兄の運命を変えるのはあやかさんしかいません。もし兄のことをなんとも思ってないなら私の言葉は無視してください。でも、少しでも気があるなら気持ちを伝えてあげてくれませんか?」

 ――後悔か。
 しない自信……、いまの自分にはあるのかな。

 藍はいつも自分勝手だった。
 私が他の人に宛てたラブレターを間違えて受け取ったことも知らずにバカみたいに喜んで。
 オルゴールが好きだと言ったら、UFOキャッチャーでゲットするまでお金を注ぎ込んで。
 ラブレターは別の人に渡すはずのものだと伝えたら、私が好きだから別れないと言ってて。
 私がアイドルを推してると言って気がない素振りをみせたら、自分の推しはあやかだからと言って全身私のグッズで固めてきた。

 それだけじゃない。
 すぐにお弁当の唐揚げを取り上げるし、バスケでシュートを入れただけで見てたかどうか確認してくるし、私がピンチを迎えたら助けに来てくれるし、私が梶くんから呼び出された時は引き離しに来ちゃうし。

 ……。
 …………。

 振り返れば、この3週間は心に刻まれるような思い出ばかり。
 それが仕組まれたものであったとしても、日々の記憶に彩りを与えていた。

「飛行機の出発時刻まであまり時間がありません。いますぐ決断を」
「……っ」
「あやかさんっ!! 本当に後悔しませんか? 兄ともう二度と会えなくなってしまいますよ」
「……」

 今日まで答えが出なかったのに、いま決断しなきゃいけないと言われても……。
 藍の元へ行くべきか、それとも諦めるべきか。
 この選択一つで私も彼も運命が変わってしまう。
 だから、もっと慎重に考えたかったのに……。

「…………そうですか、わかりました。少し余計なことをしてしまいましたね……。私、そろそろ戻ります」

 無反応を貫いていたせいか、彼女は諦めをつけたように背中を向けて歩き出した。
 ……だが、次の瞬間。
 私は自分でも驚くべき行動に。

「待って」
「えっ」
「……私、藍にまだなにも伝えてないの」

 気付いたときには彼女の洋服の裾をつまんで引き止めていた。
 心の中は答えを彷徨っていたけど、体が先に反応してしまうなんて。

「あやかさん……」
「後悔してないかどうかと聞かれたら、多分してる。だって、藍はいっぱい大切にしてくれたのに、私は『ありがとう』すら伝えてないから。藍のいいところを少しずつ見るようになっていくうちに隣にいるのが当たり前のようになっていた。その安心感から関係は崩れないんじゃないかと過信していたんだと思う」
「……」
「でも、昨日今日と豹変した姿を見て辛かった。それまで甘えていた自分にバチが当たったのかもしれない。冷たくされた時は苦しかった。もう二度と会えないと思ったら悲しくなる。まだまともに話し合えていないのに、お別れなんて出来ないよ……」

 藍という人は、私に何度も何度も恋の矢を打ち続けた。
 思うように飛ばなかったり、的に届かなかったり、外れてしまったとしても、自分を信じてまっすぐに打ち続けた。
 それなのに、私という的は霞んで見えないまま。
 矢が飛んでくるのを待つだけだった。

「あやかさん……。それが”恋”というものなんじゃないですか」
「恋……?」
「兄も”会いたい”というところから始まりました。会えてからは、会えば会う分だけ好きが積み重なっていったって。最初は小さな感情だったとしても、会いたいが積み重なっていけば好きに生まれ変わるんだと思います」
「会いたいが積み重なって……好きに?」
「はい。兄のことをなんとも思ってないならそんな風には思わないはず。いまあやかさんの心に少しでも変化があるのなら、会いに行ってやってくれませんか?」

 正直なところ、昨日藍に別れを告げられてからそれ以外のことが考えられなくなっている。
 ひまりちゃんが藍の婚約者ということや、みすずがラブレターを差し替えた件など、度重なるカミングアウトに驚かされた。
 でも、いまそれ以上に辛いのは、これから彼が一生私の名前を呼んでくれなくなってしまうこと。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

パパのお嫁さん

詩織
恋愛
幼い時に両親は離婚し、新しいお父さんは私の13歳上。 決して嫌いではないが、父として思えなくって。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

処理中です...