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第七章 |老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する

老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ弐拾壱

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過去のことを思い出し、喜兵寿は苦い気持ちで煙管の煙を吐き出した。いつだってあの頃のことを思い出すと、肌が泡立つような、舌の根がざらつくような、なんともいえない気持ちになる。

「柳や」という看板を、そして家族、蔵人たちを背負わなくてはならなくなったのは、源蔵が15歳の時だった。まだ年端のいかない子どもに、それはさぞかし重かったであろうことは容易に想像がつく。

喜兵寿は川辺に座り、空に昇っていく煙をぼんやりと見つめた。

歯を食いしばり、必死に頑張る源蔵。しかし大人たちは無情にも、あの手この手を使って喜兵寿を杜氏にしようとしてきた。

『お前が柳やの後を継げ。あいつはだめだ』

『源蔵のままなら、俺たちは蔵を辞める』

『もう皆の意見は固まっている。あとは喜兵寿、お前が心を決めるだけだ』

そんな言葉をかけられるたびに、身体の中に申し訳なさがじりじりと焦げ付くように広がっていく。喜兵寿は父親の代わりに自分を育ててくれた、守ってくれた兄の夢を絶対に邪魔したくはなかった。

だから喜兵寿は酒造りをしないことに決め、造り酒屋の店主として下の町へと出てきたのだ。

「いまさら酒を造れっていわれたって、な」

大きなため息とともに煙管をくゆらせていると、背後から大きな声がした。

「あーーーー喜兵寿みっけ。突然いなくなったと思ったら、こんなところで黄昏てやんの」

直はどさりと喜兵寿の隣に座ると「なあ、なんで日本酒造らないんだよ」と不躾に聞いてきた。

「酒が大好きで、知識もある。本当は酒造りたいんだろ。なんでやらないんだよ。やろうぜ~」

「……しつこい」

喜兵寿は露骨に顔を歪める。

「お前には関係のない話だ」

「はあ?大ありなんですけど。誰かさんが手伝ってくれないとビールはできないし、そうしないと死ぬんですけど」

「……びいるを造るのに、日本酒を造らなければならない、など聞いてない」

「うまいビール造って、村岡をぎゃふんと言わせてやるんだろ」

「……」

「つるの仇を打つんだろ」

「……」

喜兵寿が黙りこくっていると、直は面倒くさそうに「ああ!」と叫んだ。

「なんだかわかんねえけど、暗いんだよ!じめじめじめじめ!じめじめじめじめ!酒が死ぬほど好きなくせに、ふてくされた顔しやがって!」

直はそのままの勢いで喜兵寿の胸ぐらを掴む。

「本当は酒、造りたいんだろ!見てりゃわかんだよ。何があったか知らねえけど、自分の心殺してまで何を守ってるんだよ」

「はあ?お前に俺の何がわかんだよ!」

ガッと頭に血が上り、喜兵寿も直の胸ぐらを掴み返した。

「わかんねえよ!知りたくもねえし、どうでもいい。俺はいまここでビールを造りてえ。だから日本酒を造れ」

「だから俺は造らないって言って……」

「俺はもっとビールが造りたい。まだ使ったことのないホップがたくさんあるし、バーレイワインだって造ったことがない。いろんなコンペティションで賞が取りたいし、自分のブルワリーだって持ちたい。それであわよくばモテたい」

直は鼻息荒く続ける。

「俺のやりたいことをやり続ける。だからまだ死ねない。ここでのビール造りには日本酒の技術が必要なんだ。でもお前以外、ビール造りに協力してくれる頭のおかしな杜氏なんていないだろ?」
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