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第七章 |老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する
老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ拾参
しおりを挟むビールの製造工程は、まず麦汁(ばくじゅう)つくりからはじまる。
砕いた麦芽にお湯に加え、温度を保ちながら粥状にする。これは糖化と呼ばれるもので、この麦のお粥をろ過したものが麦汁だ。
直は喜兵寿と共に必要なものを集め、幸民の家へと戻った。本当は柳やで作業をするのが一番なのだろうが(なにせ幸民は自炊をしないため、家に調理器具がほぼないのだ)、つるが外に出るのは極力避けたほうがいいため、幸民の家で作業をすることになったのだ。
大きな鍋と濾過布、木べらに大量の薪をもって扉を開けると、中では幸民が小西に怒鳴っているところだった。
「お前のそういうところが気に食わないんだ!昔からずっとな!いや、生まれる前からずっと気に食わない!」
ぎゃんぎゃん吠える幸民に対し、しかし小西は薄く笑みを浮かべたまま静かに黙っている。
「何を揉めてるんだ?」
一部始終を見ていたであろうつるに聞くも、「よくわかんない。小西さんがよくほっぷのことを知ってたな、みたいなことを言ったらいきなり怒り出した」とため息をついた。
「ま、放っておこう。犬猿の仲ってやつだろ」
直は粉砕した麦芽と鍋を持って、ほくほくと台所へと向かう。
「喧嘩するほど仲がいいっていうだろ。師匠も久々の再開で嬉しいんじゃないか?そんなことより早くはじめようぜ~」
「まったくお前はお気楽な……」
そう言いつつも、喜兵寿も我関せずで、わくわくと竈の準備を始めた。
ほぼ使われた形跡のない竈は、煤ひとつなく、見るからに綺麗だ。そこに細く割った薪を積み重ねていく。
ゆっくりと燃え始める炎を見ながら、直は麦芽造りについて思い出していた。ブルワリーで流れるようにこなしていた作業も、場所や使う道具が異なれば勝手は全く違う。
麦汁を造るためにまず行うのは糖化(とうか)だ。ビールに必要なアルコールと炭酸は、酵母が糖を食べることで生まれる。しかし麦芽には酵母が食べられる糖は少なく、あるのはでんぷん(糖が鎖状になった状態)。そこででんぷんを酵母が食べられる糖へ変えてやる必要があるのだ。
そのために必要なのは、一定の温度(50℃~70℃)で攪拌し続けること。そうすることで、麦芽の中の酵素である「アミラーゼ」がでんぷんを糖に変化していくのだ。
麦汁の出来は、ビールの味わいは大きく影響を与える。繊細で神経を使う作業だが、直はこの工程が好きだった。
糖化したものをろ過して麦汁にする。それを口にするたび新鮮な発見があったからだ。目には見えないものたちによって、生み出されるその味わいは、毎回ほんの少しずつ異なる。それは麦芽の種類だったり、出来だったり、その日の気候だったりによって影響されていて、その奥を辿れば辿るほど様々なものを感じ取れる気がした。
麦汁はシンプルな味がする。あまくて、力強い。一口飲めば腹の中がびりびりと震えるような味わいだ。そこには麦が生きていく中で蓄えていた力や記憶が溶け込んでいて、だからこそ直は麦汁をつくるのが好きだった。
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