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第六章 | クーデレ豪商の憂鬱と啤酒花

クーデレ豪商の憂鬱と啤酒花 其ノ肆

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「ああ、飲んだなあ」

気づけばあたりはすっかりと暗くなっていた。たっぷりと日本酒の染み込んだ頭で、なおと喜兵寿は店の外を見た。道は一日の仕事を終え、家路に向かう人、飲みに行く人々で賑わっている。

本来ならば、この時間の居酒屋は稼ぎ時のはずだった。しかし店内には変わらず自分たち二人と先の男性のみ。これだけうまい日本酒があるというのに、どういうわけかガラガラだった。

「なんで誰も入ってこないんだ?」

「さあ……立地も悪くはないしな。ひょっとして料理が激マズだからとかか?なあ、頼んでみようぜ」

なおがこそこそと喜兵寿に耳打ちをする。

「そうだな。このままじゃ繁盛していない理由が気になって、夜もおちおち眠れそうもないしな。親父!今日のオススメをおくれ!」

注文から十数分。店内に香ばしいにおいが広がったかと思うと、ぐつぐつと熱そうな煮つけが出てきた。

「おまち!ふぐのすっぽん煮や。熱々やさかい、火傷せんようにね」

深めの皿には厚く切られたふぐと、生姜やネギなどといった薬味が少々。出汁の香りが食欲をそそる。

「ふぐのすっぽん煮?!ふぐなのか?すっぽんなのかどっちだ!」

どちらにしても突如として現れた高級食材に、なおはが小躍りする。

「ふぐだよ。元々はすっぽんを煮たものだったらしいがな、今ではふぐを同じように煮たものを『すっぽん煮』というんだ」

なおは「ほうほう!」と相槌を打ちながら、ふぐの大きな切り身を口に放り込む。ぶりぶりとした食感と、それを噛みしめる度に口の中いっぱいに広がるうま味。ふぐ本来の味わいを昆布出汁が絶妙に引き立てていた。

「あっつ、うっま!」

熱々を頬張ったので、それを慌てて日本酒で流し込む。すると日本酒のまろやかさがすっぽん煮のうまさをさらに後追いで引き立て、なおは思わず身震いをした。

「こりゃあ最高のペアリングだ!」

「またお前はわけのわからない言葉を使って……」

眉根をひそめながらふぐと日本酒を口にした喜兵寿もまた、「なんと素晴らしい!」と、その旨さに目を白黒させる。

「聞けなお。下の町ではすっぽん煮は砂糖と醤油で甘辛く作るんだよ。それを辛口の日本酒ときゅっと合わせるんだ。でもこのすっぽん煮は出汁だろう?!これは西の料理の特徴なんだがな、まあそれは置いておいて、出汁の風味だからこそ、この酒が最高に引き立っているんだな。完璧な相性だ。まるでお互いがお互いのためにあるようだ」

饒舌にしゃべり続ける喜兵寿を見てなおは笑う。

「だからそういうのをペアリング、って俺らの世界ではいうんだよ。この場合はマリアージュっていってもいいかもだけどな」

なおは手元のお猪口を空にすると、厨房の中でにこにことこちらを見ている店主に向かって声を張り上げた。

「親父、これめちゃくちゃ美味いな!感動した!すっぽん煮をもう一皿と、熱燗2合追加で!」

すると、今まで黙って一人で酒を飲んでいた男が、ぼそりと口を開いた。

「すっぽん煮にはぬる燗のほうがいい」

それは蚊の鳴くような、あまりに小さな声で、喜兵寿もなおも「誰か何か言ったか?」と辺りをきょろきょろと見渡した。

「ぬる燗のほうがふぐの淡白な味わいが引き立つ」

男は前を見据えたまま独り言のようにいう。

「あ、えっと、じゃあぬる燗で2合で」

男の言う通り、すっぽん煮をぬる燗と合わせると、それぞれの旨さがさらに煌びやかに際立った。舌がびりびりと喜び、感覚が一気に開く。

「おっちゃん、教えてくれてありがとうな!さっきから話しかけても黙ってしかめっ面で酒飲んでるし、大丈夫かな?と思ってたけど、おっちゃんも酒のこと大好きなんだな!」

なおは男と肩を組み、あはははと笑う。

「なあ、一緒に飲もうぜ~!」

なおの言葉に、男がぴくりと眉を動かす。

「……ワシとか?」

「そうだよ!堺のこともいろいろ教えてくれよ!」

「……まあ、少しだけなら」

なおの勢いに押され、男は怪訝そうな顔で徳利片手になおたちの席へと移動した。それを見ていた店主がにっこりと笑う。

「よかったですね、小西様」
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