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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐拾肆
しおりを挟む鮑のおっちゃんは、赤ら顔の気の良さそうなおっちゃんだった。大きなざるを抱えているのを見て、喜兵寿は思わず走り出す。
「今日は活きのええ海の幸がようけ採れた。皆で食べてな」
差し出されたざるの中にはいくつもの鮑。その身は太陽の光に照らされ、動くたびにてらてらと輝いていた。
「まだ活きているのか……!」
喜兵寿はその神秘的な美しさに目を見張った。表面にそっと触れると、つるりぬるりとしたなんとも言えない柔らかさに包まれる。
「せやに。うちの女房は海女さんやでな、さっき海で採れたばかりの上物ばっかだ。あとな、」
鮑のおっちゃんは腰籠から、おもむろに大きな赤黒い生き物を取り出した。長い触覚と手足があっちこっちに動くそれを見て、喜兵寿は大きな声をあげた。
「伊勢海老じゃないか!」
伊勢海老、それは書物でしか見たことのない食材だった。「伊勢より多く来る故、伊勢海老と号す」そんな一文を見て、「『多く来る』って言ったって、下の町の朝市に降りてくることなんてないのにな」と思ったことを思い出す。
流通はしているらしかったが、平民の自分では見ることすらも叶わなかった伊勢海老。それが鮑と共に目の前にある。これらを今から自分が調理し、さらに口にすることができるのだ。心臓がバクバクして、鼻血が出そうだった。
ねねも横からざるを覗き込み、歓声をあげる。
「これは立派な!でもこんなに高価なものをいただいてしまってもいいのですか?」
「もちろんやに。この船は奇跡の船やろう?長寿の縁起物の鮑や伊勢海老をお供えしたら、ご利益がありそうやしな」
そういって鮑のおっちゃんはガハガハ豪快に笑う。
「ではありがたく。ではお礼といってはなんですが、よければ酒でも一杯いかがですか?」ねねの誘いに、鮑のおっちゃんは「ごめんな」と首を振る。
「まだ仕事中やで、かあちゃんに怒られちまう。うちのかあちゃん、むっちゃ怖いに」
そういって鮑のおっちゃんは鮑と伊勢海老の捌き方だけ口早に伝え、帰っていった。
6つの鮑と、2尾の大きな伊勢海老。船の皆はその珍しい食材を変わるがわりに眺めたり、つついてみたりしていたが、誰ともなく「こりゃあもう宴にしよう」という雰囲気になっていた。明日は堺に向けての再出向。船も直ったことだし、特にすることがあるわけでもない。
「じゃあ明日からの航海の安全を祈って、もう飲み始めるとしようか!喜兵寿、料理と酒を頼めるかい?」
ねねの言葉に船の上がわっと湧く。でも誰よりも興奮していたのは喜兵寿だった。任せておけ、の意味を込めて握りこぶしを上にあげる。その頭の中は宴のつまみのことでいっぱいだった。
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