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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く

樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾壱

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「……なんの御用ですか」
つるは声が震えそうになるのを必死で抑えながら言った。見えないように握り締めた手を、夏がそっと掴んでくる。

「柳やの旦那、喜兵寿殿はどこかと聞いておる!」

村岡の後ろで、でっぷりと太った男が大声で叫んだ。わざとらしく咳ばらいをすると、「どうした!おらんのか」と畳みかけるように声を張る。

小さな町だ。お兄ちゃんとなおが樽廻船に乗っていったことは、下の町の大半の人々は知っている。だとすれば……彼らは「いない」ことを知っていながら、それを確かめに来たのだ。

「兄はいません」

キッと前を向きながらつるは言った。視線をそらせば、何かがボロボロと崩れ落ちてしまいそうだった。腹に力を入れ、睨みつけるように相手の目を見る。

「ほう。柳やの旦那はいない、と。まさかとは思うが、約束を守れないことがわかり、逃げ出したのではなかろうな?」

にやにやと狡猾そうに村岡が言うと、周りの男たちはどっと笑った。店中に響き渡る気持ちの悪い声に、全身の毛が逆立つのがわかる。

「お言葉ですが。兄は逃げ出すような人間ではありません。今はびいるに必要な材料を求めに、西に向かっているところでございます」

「ほー!たかが酒のために、わざわざ海を渡ると!それで?一体なにを探しにいっておるのだ?」

「……さあ?わたしにはびいるのことはよくわかりませんので」

つるはギリっと奥歯を噛みしめた。

(こいつ今、「たかが酒」と言いやがった)

3か月以内にびいるを醸造しなければ、この男に殺されるかもしれない。だからこそお兄ちゃんたちは必死でびいるを醸造しようとしているのに、こいつにとってびいるは「たかが酒」なのか。

身体の底からふつふつと怒りが沸き上がってくるのを感じる。もうこれ以上村岡たちになんの情報も与えたくはなかった。

「なんと知らんのか!はて……そうか、わかったぞ!これは柳やの娘の頭が悪すぎるのか、それとも旦那が嘘をついて逃げ出したかのどちらかだな」

村岡の言葉に、取りまき達が再び笑い声を立てる。

「だっておかしいではないか。天下の下の町になくて、西のど田舎にあるものとは一体なんなのだ?」

村岡はつるに近づいてくると、蔑むような目で見てきた。威圧するように腰にさした刀を右手で撫でているのを見て、つるは身がすくんだ。

「しかしまあ、「たかが酒問屋の娘」。女ごときが酒造りについて知らなくて当たり前か」

「……」

つるは痛いぐらいに自分の両の手を握り締めた。爪がぎりぎりと甲に突き刺さる。悔しいが村岡の言っていることを否定できるほどのものを、つるは何も持ち合わせてはいなかった。

所詮わたしは「たかが酒問屋の娘」だ。「女ごとき」だから、大好きだった夢を諦めざるを得なかった。

「あのっ……ちょっとひどくないですか?!」

俯くつるの後ろから、夏の声がした。つるの手に添えられている彼女の手は、氷のように冷たい。

「つるちゃんは造ることを許されて来なかっただけで、酒造りの方法は誰よりも知ってます。それに今だってびいる造りの一部を任されて……」

夏の言葉に、村岡はひゅうっと目を細めた。唇が意地悪そうに歪むのを見て、つるは慌てて「わたしなら大丈夫だから!」と夏の言葉を遮る。
しかし時すでに遅しだった。

「なんだ、先ほどの言葉は嘘か?この町で岡っ引きに嘘をつくということは、重罪だということはもちろんわかってのことだろうな?

村岡は男たちを引き連れ、ずんずんと厨房の奥へと入っていく。

「おい、びいる造りをしている形跡があるものを探せ」

男たちは竈や鍋、食材を入れている籠などをひっくり返すようにして中身を確認していく。

村岡たちは、おにいちゃんが「いない」ことを確かめにきたわけじゃないんだ。いない隙にびいる造りを邪魔しようとしてやってきたのだ……

茫然とその様子を見つめていたつるだったが、そう気づいた瞬間、裏口に向かって走り出していた。
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