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第三章 | 酒問屋の看板娘、異端児になる

酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ壱

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真上にあった太陽が、少しだけゆるんだ頃。

喜兵寿が満面の笑顔で店に戻ってきた。
手には大きな包みを抱えている。

「いやあ、いい鰹が入った!久兵衛さんはやっぱり目利きだな。一番鮮度のいいやつを残してくれていたよ。なお、見てくれ」

そういってなおを呼ぶと、ほくほくと鰹を取り出す。

まな板の上に乗った鰹は確かに立派だった。目は青々と澄んでおり、お腹はパンっと弾けんばかりだ。

「おお。こりゃあうまそうだな!」

なおが身を乗り出すと、喜兵寿はうんうんと何度もうなずいた。

「そうだろ、そうだろ。今が旬の初鰹だ。たっぷりの大根おろしとからし、あとは醤油をちょろっと。うまいぞ~!初物を食うと寿命が75日延びると言われていてな……」

喜兵寿は嬉しそうに話していたが、ハッと気づいたようになおの方に向き直った。

「そうだ!大麦はどうなった?!」

「ああ、そっちは問題なし」

なおは喜兵寿と連れて店の裏口から外へと出る。大麦は水の中で、気持ちよさそうにきらきらゆらゆらと揺れていた。

「このまま大体2日くらいかな。1日3回水を変えながら様子を見る感じ」

なおが説明すると、喜兵寿は「おお」と小さく感嘆の声をあげ、食い入るようにたらいの中を覗き込んだ。

「びいる造りの最初が麦を発芽させることとは、なんとまあおもしろい。
日本酒でいう米麹を造りに通ずるものがあるな。酒とは、どれも『生』の力を借りて生まれるものか……それで?この後はどのようにするんだ?」

「水にしばらく漬けた後、暗い場所に置いておくと発芽する。発芽したら乾燥させて、根っこをとってできあがり、って感じかな」

なおの説明からイメージを膨らませようとしているのだろう。喜兵寿は目をつぶって聞いていたが、「ふむ」と頷くといった。

「どんな出来上がりになるのか全く想像もできんが……心得た!できることがあればなんでもやるから言ってくれ」

びいる造りが楽しみで仕方がないのだろう。喜兵寿は切れ長の目を子どものように輝かせている。ビールが出来なきゃ殺される、なんてすっかり忘れてしまっているようだ。

「おれも手探りでやっているからな。最初からうまくいくかはわかんないけど、まあ一緒にがんばろうぜ」

なおが笑うと、喜兵寿も「うまいびいるを造ろう」とにやりと笑った。

まずは第一歩。
まだまだ解決しなければならない問題は山積みだが、ビール造りが始まるのだ。

喜兵寿のわくわくにつられ、なおも心躍るのを感じていた。

「それでな」

ひとしきり盛り上がった後、喜兵寿が袂から煙管を取り出しながらいった。

「びいる造りの件なんだが幸民先生に話を聞こうと思っていてな。なおは腕利きのびいる職人かもしれんが、この国のことはよく知らないだろう?だから明日にでも幸民先生の家のはどうだろうか」

「幸民先生?誰だそれ」

なおは眉をひそめると、喜兵寿は言った。

「名は川本幸民。蘭学者であり発明家の先生だよ。異国のことにも詳しいから、何かしらの助言はくれるはずだ」

川本幸民、川本幸民……どこかで聞いたことがある名前だ。ということはつまり歴史上の人物か?

なおはつたない記憶を辿ろうとしてみたが、なにぶん歴史はからっきしだった(体育以外、すべて苦手だったわけだけれども)。

そういえば隣のクラスの女子から借りた教科書に、盛大に落書きをして怒られたっけな……そんなどうでもいいことを思い出したところで考えるのをやめる。

「偉い先生だからって、ビールのこと知ってるかねえ」

自分の得意分野に関し、どこの誰だかわからない「先生」から助言をもらうのはなんだか癪だ。

そもそもなおは「先生」と呼ばれる人があまり好きではないのだ。
大体彼らは傲慢で、自分の自慢話ばかりする。 

なおは吐き捨てるように言うと、喜兵寿は肩をすくめて苦笑した。

「さあな。でも幸民先生が西洋の酒の話をしていたのは事実だ。それがびいるのことを指しているかはわからないが、話を聞いてみる価値はあると俺は思う」

「ふうん……まあ別にいいけどさ。んで?その幸民先生ってのはどんな奴なわけ?」

なおが聞くと、喜兵寿は「そうだなあ」としばらく考えると言った。

「医師だったんだが、上司を斬りつけ怪我をさせて最近まで追放されてたな。でもその間に猛勉強して蘭学者になって戻ってきたらしい」

「ん?!」

予想もしなかった言葉に、なおは思わず変な声がでる。

「あとは火事で何回か焼け出されて、住居を転々としてる」

「んん?!」

「あとは、とにかく大酒飲みで、酒癖はだいぶ悪いな。よく川のほとりで草むらに頭を突っ込んで寝てる」

「いや、だいぶやばいな?!」

どうやらかなり変わった人物のようだ。

なおが「どんな先生だよ!」と突っ込むと、「お前も似たようなもんだろう!」と喜兵寿は豪快に笑った。

「なんにせよ、うちの大事な常連客だ。今日もこれから鰹食べに来るってよ。喧嘩っぱやい先生だからよ、飲みすぎて喧嘩にならないようにしろよ」

そういって煙管の火をつけに、店の中へと戻っていった。

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