宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第15章

ふくごの郷15夏祭の夜

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 「電報でーす!猿飛さーん?」

 銀螺がそろそろ寝ようかというときに、戸が叩かれた。開けてみれば郵便局の制服が立っている。

 「おゥ、遅くからご苦労さん」

 ――ハタケ カクニンス カミノヤ

 開いてみれば、ごく短い文面。ふ…と銀螺の瞳が輝く。これで、準備は整った。振り仰げば、月は丸々と満ちている。

 「――お前らにくっついてると、ホント面白ぇことばっかり起こるよな」

 作戦発動まで、あと一日足らず。



 麻田村では、ついに夏祭の日を迎え、村中がソワソワしている。娘達は、いつもよりさらに華やかな着物に身を包み、午後のうちに意中の男に名札をつけた金色の造花を届けに行った。村長宅では、お菊に美しい振り袖を着せ、白粉をはたき、紅を差した。

 「にいに…みて」

 隣の間に座っていた村田が顔を上げる。十七の娘盛り。着飾ったお菊は楚々として愛らしく、まるで嫁ぐ日の花嫁のようだ。村田がふらふらと立ち上がる。

 「お菊…」

 後は、言葉にもならなかった。ただ、ただ、涙を流すばかり。

 「さぁさ、お菊は今日の主役ですからねェ。もう輿に乗らないと」

 シヅがさっさと道具を片付ける。村長に手を引かれ、しずしずと玄関へ向かうお菊の後ろ姿。

 「村田…いいのか?これで」

 柱に背を預けた月衛が呟いた。いくら主役だなどと言って美しく飾っても、その実態は贄のようなものだ。お菊には、これから20年、阿片漬けにされて村の男達に犯され続ける日々が待っている。

 「だってよゥ…どうすんだよ…どうしようもないだろ…」

 涙と鼻水にまみれて、村田が言葉を絞り出す。村に来て1週間。生き別れの妹と再会して、1日中付き添って、話もした。散歩もした。美しい雑誌を見せながら詩を読み聞かせた。花畑でお弁当を広げ、花冠を作った。どれも、お菊は弾けるような笑顔で楽しんでくれた。余所者の兄が、素敵な想い出を作ってやること以上の何ができるだろう。
 チッと月衛が舌打ちして、黒髪を掻き回した。この腰抜けが、と口から出さなかっただけでも、よく我慢した方だ。

 「ならば、見届けよう。村田。俺達も神社へ」

 正座していた烈生が静かに促し、立ち上がった。



 篝火がいくつも焚かれた境内は昼のように明るい。華やかなお囃子、砂糖をたっぷり使った菓子や酒がふんだんに振る舞われる。村の人々は、皆、笑顔でいっぱいだ。
 真ん中に組まれた櫓の前で、村田と月衛、烈生だけが渋面で櫓を見上げている。

 「新旧ゥゥ改めのォォ儀をォ始めん」

 独特の節回しで、宮の扉の前に立った村長が軍配を振る。輿に乗って引き出されてきたのは、白装束の痩せ細った女。長い髪に隠れて顔は見えないが、ほとんど意識も無いのではないか。輿の動きにつれて首がゆらゆらと揺れている。
 白装束の女は、輿から降ろされると櫓の上に立つ柱に縛りつけられた。お囃子の拍子が速くなり、銅鑼が打ち鳴らされる。村の人々は固唾を呑んで櫓を見守っている。それは、やたらに長い間だった。ついに村長が震える声を張り上げる。

 「御霊ァァァ抜き」

 「ギャァッ!!」

 女の腹に木杭が打ち込まれた。村人からは悲鳴やどよめきが上がる。

 「な…っ…」

 あまりにも当たり前に目の前で繰り広げられた惨劇に、村田が絶句する。

 「…旧ふく姫は贄か!!」

 月衛が、ギリ…と唇を噛んだ。なんとなく、御役放免のあとは静かに寿命を迎えるものだと思い込んでいた。否、そう思いたかった。
 月衛の視界の中で、旧ふく姫が血と共に力の渦を吐き出した。その渦は竜巻のようにうねり、巨大化していく。それにつれて、村人の発する光が一斉に揺らぎ、震え始めた。旧ふく姫の竜巻に共振し、震えはいっそう激しくなっていく。旧ふく姫が柱から外され、櫓の外に突き落とされると熱狂しきった声が上がった。
 代わって、輿に乗せられたお菊が引き出される。寝台に、脚を広げて縛りつけられた。

 「御霊ァァァ込め」

 村長が軍配を振ると、村の男達が雄叫びを上げながら櫓に取り付き、登りだした。お互いに殴り合い、他の男を蹴落とす。異様な興奮状態に怯えたのだろう。お菊の泣き叫ぶ声が聞こえる。村人の振動は、その泣き声に呼応するように激しさを増していく。

 「やめろ…やめてくれーッ!!」

 村田が、櫓に飛びついた。登りながら、手当たり次第、男達を引き剥がし、殴りつけて、蹴落としていく。櫓の上によじ登り、お菊に飛びかかろうとしていた男達を突き飛ばした。

 「触るなッ!!誰もお菊に触るな!!」

 寝台の前に立ちはだかる。

 「お菊は、俺が東京に連れて帰るッ!!触るなーッ!!」

 村田の涙声が響いた。熱狂していた村人達が静まりかえる。やがて、その静けさの下から、地鳴りのような声が上がってきた。

 「穢された!祭を穢された!」

 「邪魔するな!」

 「殺せ!殺せ!」

 ワァァァと雄叫びを上げて、男達が櫓によじ登ってくる。

 「村田!よくぞ言った!!」

 烈生が、木刀を携えて、木の枝から櫓の上に飛び乗った。

 「助太刀するぞ!」

 櫓をよじ登り、向かってくる男達を次々に打ち据える。しかし、男達は構わず飛びかかってくる。腕や脚を折られても、手脚を引きずってむしゃぶりついてくる。打っても打ってもキリがない。

 「烈生」

 月衛が、すいと烈生の側に寄る。

 「村人は、旧ふく姫の衝撃に共振して、興奮しきっている。力を注ぎ込まれていて、打たれる痛みを感じていない。力を誘導しているのは、村長の軍配だ」

 「わかった!人間は俺に任せろ!君は君の思うところへ行け!!」

 烈生が応じた。

 「ん、任せた」

 月衛が、ひらりと櫓の近くの枝に飛び移る。

 「1人逃げたぞ!」

 「追え!追え!」

 月衛の後を追う男達の前に、烈生が立ちはだかる。

 「貴様らの相手は、俺だ!!」

 烈生の木刀が唸りを上げる。遠慮なく急所を狙っていくが、男達は怯む様子もない。

 ――くっ…殺すわけにもいかん!

 木刀とて、当たり方が悪かったり、打つ回数を重ねれば殺してしまう。横目で月衛の動きを追う。充分に離れたところで、烈生は、踵を返した。

 「村田!お菊に覆いかぶさって、庇え!」

 言うなり、櫓から飛び降りる。狙うは村長だ。神社の宮を目指して走る。村長は軍配を振るのに夢中で、烈生に気づく様子もない。

 「村長!!」

 烈生の大音声が響き渡る。

 「村娘を2人も、犠牲にせしめんとしたこと!長として、恥ずかしく思え!!」

 木刀を振りかざし、飛びかかる。村長がひらりと軍配を振った。凄まじい圧が、烈生を襲う。

 ――これが、力の束か!!

 烈生は視ることこそできないが、日々の鍛錬で力は練り上げられている。脚を踏ん張り、圧に耐える。問題は、どこまで保つかだ。



 月衛は枝を伝って、投げ捨てられた旧ふく姫ヘ向かう。

 ――これは酷い…もはや村人の念の容器に過ぎん。

 20年間、虐待と阿片投与に曝された女には20年分の村人の念が渦巻いている。もはや本人の人格は残っていないだろう。邪気と化した念を散らしてしまえば、肉体的な死に到る。
 口から力の渦を吐き出し続ける旧ふく姫に、黒いもやがかかり始めた。

 ――もともと霊力のある女だ、怨霊化しかけているぞ!!妾を降ろせ!!

 月衛の耳に、ミノの声が響いた。

 「応!!」

 月衛の口角から両頬へ赤痣が浮かび上がる。左腕には蛇のようにうねる赤痣。左手から伸びる刀身。その手は刀と融け合うように爛れている。
 月衛が枝を飛び降り、旧ふく姫に飛びかかった。刀を振りかざした瞬間。

 「お…し…まい?」

 女が微かに呟いた。

 「ああ、皆、お終いだ。…よく頑張ったな」

 ――もう、眠れ。

 刀を振り下ろす。力の渦が断ち切られ、解けていく。倒れ込む女は、わずかに微笑んだように見えた。
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