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第6章
ふくごの郷⑥再会
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「…なんか寝覚が悪い」
村田がゲンナリと布団を畳む。麻田村にようやく到達した昨晩は早寝して、しっかり休んだはずなのに。
「運動不足じゃないか?烈生が表で素振りするとか張り切ってたから、一緒に薪でも振ったらどうだ」
月衛がシレッと進言する。
「いや、どんだけ朝起き鳥だよ…」
朝型の烈生は、夜明けとともに元気に村を走り込み、村長宅の庭で木刀を振っている。毎朝の日課だ。
「おはよう!村田!!どうした!?元気がないぞ!!」
逞しい上半身を手拭いで拭きながら烈生が客間に戻ってきた。
「なんか、よく眠れなくて」
「運動不足じゃないか!?そんな顔色では、妹御に心配をかけてしまうぞ!!」
そう、今日は、妹・お菊に会うことになっているのだ。電報の真意も確かめなくてはならない。村田はパシパシと自分の顔を叩いて気合を入れた。
村長が案内したのは、納屋のような一室だった。閂が掛かっている。
「お会いして、びっくりなさるかもしれんが」
一言言って、閂を外す。戸を開けると、部屋の隅にうずくまっていた娘が、とろりと顔を上げた。
「はァ、なんというか…いつまァでも幼い娘で。1人で外には出せんのですよ」
村田の顔を見ると、娘の夢うつつのような瞳に光が入った。
「にいに!」
ぱあっと笑って、飛び出してくる。人目も憚らず、村田に抱きついた。
「お菊!お菊か!にいにだぞ。お前の兄ちゃんだ!」
村田も涙を流して、お菊を抱きしめる。
「なんとまァ…人見知りのお菊が…。これが切っても切れぬ血の繋がりなんでしょうかねェ」
村長は、あっけに取られている。
――しかし、これは…
月衛と烈生が顔を見合わせた。
「うん、少し精神遅滞があるんだ」
月衛の問いに、村の小道を歩きながら、村田が苦笑いする。目を離さないからと村長を説き伏せて、お菊を散歩に連れ出したのだ。お菊は嬉しそうに花を摘んだり、虫を追ったりしている。
「お菊は言葉が出るのが遅くて。精神遅滞だって診断を受けたもんだから、そんな子供は家の血筋には要らないって祖父母が逆上してさ。母も、それで離縁させられたんだ」
祖父母と父は、跡継ぎの村田だけを手元に残し、お菊とフキを追い出した。
「でも、ま…面倒はちゃんと見てもらえてるみたいだし、良かったよ」
ちゃんと清潔な着物を着て、飢えている様子もない。納屋に閉じ込められていることは気になるが、監護のためとあっては仕方がないかもしれない。
トンテン、カンテンと釘を打つ音が聞こえてきた。目をやれば、鳥居が見える。覗いてみると、壮年の男が何やら指示しながら、金太郎のような前掛け一枚の者達に材木を運ばせたり、組み上げたりしていた。どうやら、夏祭の支度をしているようだ。
「ほう!祭があるのか」
烈生が顔を輝かせた。
「あれも、ふくごかね?」
前掛けの者達を指して、月衛がお菊を振り返る。
お菊が、村田の後ろにモジモジと隠れながら、頷いた。
「…まえかけは、ふくごなの」
「そうか、合点がいったよ。ありがとう」
月衛が柔らかく微笑みかける。お菊も、はにかみながら微笑み返した。どうやら嫌われてはいないようだ。
村内を散歩していると、実にいろいろなところでふくごを見かけた。畑仕事や荷運びなどをさせられているモノは、大柄で雄。だが、庭掃除を手伝ったり、台所を手伝ったりしているモノは大抵、小柄で、身長は1m前後といったところ。絶えず頭を振っていたり、ゆらゆらと左右に揺れながら歩くなど、それぞれに癖があるようだ。監督する村人の方は、腰から鞭を提げていて、ぼんやりしたり、作業を放り出して虫を追ったりする“ふくご”がいると、鞭を鳴らして聞かせたり、叩いたりする。その代わり、うまく作業ができれば、角砂糖の欠片をやるのだ。
「ふむ…妖怪を使役する村…か」
月衛が興味深げに呟いて、帳面に観察記録を書きつけた。
「喉が渇いたな!水でも貰おう」
烈生の発案で近くの民家に入った。縁側から声を掛けると、老婆がニコニコと快諾し、ラムネを出してくれた。月衛、烈生、村田、お菊の一同が、縁側に座って、ほうと一息つく。
よく晴れた日で、蝉の声がシャンシャンと降ってくる。白い夏日の中を、蜻蛉が、つい、と通り過ぎた。
「…こういうところで、ゆったり暮らすのがお菊には合ってるかもなァ」
村田が呟いた。来てみるまでは心配でたまらなかったが、実際に見てみれば、村は豊かで人々は親切だ。
「お客さん方、東京の学生さんだってねェ。お祭のこと、調べに来たのかェ」
老婆が興味深げに話しかけてくる。
「そうだな…。ふくごについて、いくつか聞きたい」
月衛が帳面を開いた。ミステリー研究会の名目は「遠征取材」である。後で報告書を提出しなくてはならない。
「へェへェ、よろしいですよ」
老婆が身を乗り出す。
「まず、ふくごはどうやって連れてくるのか?山で捕まえたり?」
ホッホッと老婆が笑う。
「ふくごはねェ、“ふく姫”様がお産みになるのさ」
「ふく姫…とは?」
「鎮守の森の、ずっと奥にいらっしゃってねェ、村に福をお産みくださるんだよ」
「夏祭は、そのふく姫様の祭か!?」
烈生が尋ねる。
「そうそう。今年は、ふく姫様の代替わりの年でねェ。特に大きい祭だよォ」
老婆がニコニコと付け加えた。
「代替わり…ということは、ふく姫様は想像上の女神じゃないんだな?巫女のようなものか?」
月衛が確認する。
「ええ、ええ。20年に1ぺんくらいかねェ。代替わりなさるのさ。そら、新しいふく姫様は、お菊なんだよ」
「え…」
3人の視線がお菊の顔に集まった。お菊は、ぎこちなく微笑んだ。
遅い午後の陽が赤みを増してきた。畑を引き揚げる村の人々とも、何人かすれ違った。そろそろ村長宅に戻った方がいいだろう。
「お菊が巫女かぁ…」
村田が放心したように呟く。
「しかし…。お菊に精神遅滞があることは村人も分かっているだろうに。20年も森の奥で神事を司るなんて、できるんだろうか?」
烈生が、月衛に問いかける。
「“さにわ”が付くんじゃないのかね」
月衛が小石を蹴飛ばしながら応えた。
「“さにわ”?」
村田が聞き返す。
「ああ。“審神者”…依代に神を降ろして神託を受ける。その神託を解釈する係の者さ。ふく姫様はおそらく、依代なんだろう。何か障害がある者を“神の領域に近い”と解釈して依代にする事例はよくあることだよ」
「そっか…。まぁ、でも重要な役目だろ?よかったな、お菊。がんばるんだぞ」
村田がポンポンとお菊の肩を叩く。巫女ともなれば、気軽に会うことはできなくなるかもしれないが、村人に敬われて、お世話もしてもらえるなら幸運なことだ。
「…いや…なの」
お菊がぽつりと呟いた。
「ふくひめさま、いやなの。けむりをはいて、こわいの。にいにといっしょに、かえりたい!たすけて!にいに!!」
ぎゅう、と村田の手を握る。
「お菊…」
村田が困ったように、お菊の頭を撫でた。東京に連れ帰って何ができるだろう。村田が職について自立しているならともかく、今は学生の身だ。一緒に暮らす祖父母も父も継母も、お菊を受け容れるとは思えない。何も言えなくなった村田を見つめていたお菊の瞳から、涙が零れ落ちた。村田には、わんわんと泣きじゃくり始めたお菊を抱きかかえて、背中をさすってやることしかできなかった。
村田がゲンナリと布団を畳む。麻田村にようやく到達した昨晩は早寝して、しっかり休んだはずなのに。
「運動不足じゃないか?烈生が表で素振りするとか張り切ってたから、一緒に薪でも振ったらどうだ」
月衛がシレッと進言する。
「いや、どんだけ朝起き鳥だよ…」
朝型の烈生は、夜明けとともに元気に村を走り込み、村長宅の庭で木刀を振っている。毎朝の日課だ。
「おはよう!村田!!どうした!?元気がないぞ!!」
逞しい上半身を手拭いで拭きながら烈生が客間に戻ってきた。
「なんか、よく眠れなくて」
「運動不足じゃないか!?そんな顔色では、妹御に心配をかけてしまうぞ!!」
そう、今日は、妹・お菊に会うことになっているのだ。電報の真意も確かめなくてはならない。村田はパシパシと自分の顔を叩いて気合を入れた。
村長が案内したのは、納屋のような一室だった。閂が掛かっている。
「お会いして、びっくりなさるかもしれんが」
一言言って、閂を外す。戸を開けると、部屋の隅にうずくまっていた娘が、とろりと顔を上げた。
「はァ、なんというか…いつまァでも幼い娘で。1人で外には出せんのですよ」
村田の顔を見ると、娘の夢うつつのような瞳に光が入った。
「にいに!」
ぱあっと笑って、飛び出してくる。人目も憚らず、村田に抱きついた。
「お菊!お菊か!にいにだぞ。お前の兄ちゃんだ!」
村田も涙を流して、お菊を抱きしめる。
「なんとまァ…人見知りのお菊が…。これが切っても切れぬ血の繋がりなんでしょうかねェ」
村長は、あっけに取られている。
――しかし、これは…
月衛と烈生が顔を見合わせた。
「うん、少し精神遅滞があるんだ」
月衛の問いに、村の小道を歩きながら、村田が苦笑いする。目を離さないからと村長を説き伏せて、お菊を散歩に連れ出したのだ。お菊は嬉しそうに花を摘んだり、虫を追ったりしている。
「お菊は言葉が出るのが遅くて。精神遅滞だって診断を受けたもんだから、そんな子供は家の血筋には要らないって祖父母が逆上してさ。母も、それで離縁させられたんだ」
祖父母と父は、跡継ぎの村田だけを手元に残し、お菊とフキを追い出した。
「でも、ま…面倒はちゃんと見てもらえてるみたいだし、良かったよ」
ちゃんと清潔な着物を着て、飢えている様子もない。納屋に閉じ込められていることは気になるが、監護のためとあっては仕方がないかもしれない。
トンテン、カンテンと釘を打つ音が聞こえてきた。目をやれば、鳥居が見える。覗いてみると、壮年の男が何やら指示しながら、金太郎のような前掛け一枚の者達に材木を運ばせたり、組み上げたりしていた。どうやら、夏祭の支度をしているようだ。
「ほう!祭があるのか」
烈生が顔を輝かせた。
「あれも、ふくごかね?」
前掛けの者達を指して、月衛がお菊を振り返る。
お菊が、村田の後ろにモジモジと隠れながら、頷いた。
「…まえかけは、ふくごなの」
「そうか、合点がいったよ。ありがとう」
月衛が柔らかく微笑みかける。お菊も、はにかみながら微笑み返した。どうやら嫌われてはいないようだ。
村内を散歩していると、実にいろいろなところでふくごを見かけた。畑仕事や荷運びなどをさせられているモノは、大柄で雄。だが、庭掃除を手伝ったり、台所を手伝ったりしているモノは大抵、小柄で、身長は1m前後といったところ。絶えず頭を振っていたり、ゆらゆらと左右に揺れながら歩くなど、それぞれに癖があるようだ。監督する村人の方は、腰から鞭を提げていて、ぼんやりしたり、作業を放り出して虫を追ったりする“ふくご”がいると、鞭を鳴らして聞かせたり、叩いたりする。その代わり、うまく作業ができれば、角砂糖の欠片をやるのだ。
「ふむ…妖怪を使役する村…か」
月衛が興味深げに呟いて、帳面に観察記録を書きつけた。
「喉が渇いたな!水でも貰おう」
烈生の発案で近くの民家に入った。縁側から声を掛けると、老婆がニコニコと快諾し、ラムネを出してくれた。月衛、烈生、村田、お菊の一同が、縁側に座って、ほうと一息つく。
よく晴れた日で、蝉の声がシャンシャンと降ってくる。白い夏日の中を、蜻蛉が、つい、と通り過ぎた。
「…こういうところで、ゆったり暮らすのがお菊には合ってるかもなァ」
村田が呟いた。来てみるまでは心配でたまらなかったが、実際に見てみれば、村は豊かで人々は親切だ。
「お客さん方、東京の学生さんだってねェ。お祭のこと、調べに来たのかェ」
老婆が興味深げに話しかけてくる。
「そうだな…。ふくごについて、いくつか聞きたい」
月衛が帳面を開いた。ミステリー研究会の名目は「遠征取材」である。後で報告書を提出しなくてはならない。
「へェへェ、よろしいですよ」
老婆が身を乗り出す。
「まず、ふくごはどうやって連れてくるのか?山で捕まえたり?」
ホッホッと老婆が笑う。
「ふくごはねェ、“ふく姫”様がお産みになるのさ」
「ふく姫…とは?」
「鎮守の森の、ずっと奥にいらっしゃってねェ、村に福をお産みくださるんだよ」
「夏祭は、そのふく姫様の祭か!?」
烈生が尋ねる。
「そうそう。今年は、ふく姫様の代替わりの年でねェ。特に大きい祭だよォ」
老婆がニコニコと付け加えた。
「代替わり…ということは、ふく姫様は想像上の女神じゃないんだな?巫女のようなものか?」
月衛が確認する。
「ええ、ええ。20年に1ぺんくらいかねェ。代替わりなさるのさ。そら、新しいふく姫様は、お菊なんだよ」
「え…」
3人の視線がお菊の顔に集まった。お菊は、ぎこちなく微笑んだ。
遅い午後の陽が赤みを増してきた。畑を引き揚げる村の人々とも、何人かすれ違った。そろそろ村長宅に戻った方がいいだろう。
「お菊が巫女かぁ…」
村田が放心したように呟く。
「しかし…。お菊に精神遅滞があることは村人も分かっているだろうに。20年も森の奥で神事を司るなんて、できるんだろうか?」
烈生が、月衛に問いかける。
「“さにわ”が付くんじゃないのかね」
月衛が小石を蹴飛ばしながら応えた。
「“さにわ”?」
村田が聞き返す。
「ああ。“審神者”…依代に神を降ろして神託を受ける。その神託を解釈する係の者さ。ふく姫様はおそらく、依代なんだろう。何か障害がある者を“神の領域に近い”と解釈して依代にする事例はよくあることだよ」
「そっか…。まぁ、でも重要な役目だろ?よかったな、お菊。がんばるんだぞ」
村田がポンポンとお菊の肩を叩く。巫女ともなれば、気軽に会うことはできなくなるかもしれないが、村人に敬われて、お世話もしてもらえるなら幸運なことだ。
「…いや…なの」
お菊がぽつりと呟いた。
「ふくひめさま、いやなの。けむりをはいて、こわいの。にいにといっしょに、かえりたい!たすけて!にいに!!」
ぎゅう、と村田の手を握る。
「お菊…」
村田が困ったように、お菊の頭を撫でた。東京に連れ帰って何ができるだろう。村田が職について自立しているならともかく、今は学生の身だ。一緒に暮らす祖父母も父も継母も、お菊を受け容れるとは思えない。何も言えなくなった村田を見つめていたお菊の瞳から、涙が零れ落ちた。村田には、わんわんと泣きじゃくり始めたお菊を抱きかかえて、背中をさすってやることしかできなかった。
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