宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第5章

ふくごの郷⑤想い出

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 虫の声が微かに聞こえる。お菊はもう休んでいるとのことだったので、村田との面会は翌日になった。母・フキの墓参りもしなくてはならない。忙しくなることを見込んで、夕食と風呂をもらった後、3人は早々に布団にもぐった。

 「…月衛」

 電灯も何もない、鼻を摘ままれても分からぬような暗闇の中、烈生が囁くように呼び掛ける。

 「あれは…何だ?妖怪など、実在するのか?」

 まるで牛馬のような扱いだが、二本脚で歩き、シヅの言葉も解しているようだった。

 「…わからん。妖怪にしても未知の生物にしても、人の見聞きできるものなど、森羅万象のごく一部だ」

 月衛が呟く。博覧強記の月衛にしても、“ふくご”など初耳だ。
 烈生の手が、月衛の布団にもぐり込んで、細い手を握る。こんな摩訶不思議な話を聞かされると、神島で聞いた話を思い出す。月衛が今にも黄泉国に引きずられていくような気がした。

 「烈生、村田が」

 「わかっている…」

 ひんやりとした手の甲に、熱い唇を這わせる。

 「接吻だけだ」

 まるで生者の印をつけるように、月衛の手から手首、腕へと唇で辿っていく。にじり寄ってくる、烈生の気配。手探りで月衛の肩を辿り、襟を見つけると、合わせから浴衣の中に侵入した。月衛の肌をまさぐる掌の温み。弾力のある唇が、首筋を這う。

 「…ッ…」

 思わず零れそうになった喘ぎを、浴衣の袖で押さえた。烈生の溶け込んだ暗闇は、月衛の全身を包み、肌を貪る。

 ――よくよく、接吻の好きな奴だ。

 あの夜を思い出す。甘い闇に陶然と溶け堕ちながら、月衛が微笑んだ。



 机上の灯りが揺れる。穂村邸の書斎では、弱冠17歳の当主代理と書生が揃って夜なべしていた。酒浸りでアテにならない父に代わって、穂村家の資産状況を確認しているのだ。

 「月衛!こっちの株式の損益計算を…」

 烈生が振り向くと、月衛は椅子に沈み込み、うたた寝していた。そういえば、さっき、後ろで「少し休む」と言っていたのだ。作業に夢中になって、生返事を返したまま忘れていた。

 ――すまないな。君にまで、こんな苦労を。

 十二で穂村家の書生となった親友。1年遅らせて烈生と同じ中学に入学して以来、片時も離れたことはない。中学を卒業する頃、烈生の母が他界した。傷心から立ち直れない父に代わって、葬儀を取り仕切り様々な手続きをこなしたときも、月衛は快く手伝ってくれた。今では、家の整理に専念するため、高等学校への進学を遅らせた烈生に付き合って一緒に進学を遅らせ、膨大な事務作業を夜なべしてまで手伝ってくれている。
 烈生が、立ち上がって月衛の側に寄る。白い頬にかかる、艶やかな黒髪。白皙の顔立ちに長い睫毛が影を落としている。薄く、可憐な唇。
 震える指が月衛の唇に触れた。

 ――少しだけ。一度だけなら。

 親友の、白いうなじや細い腰に目を奪われるようになったのは、いつ頃だっただろうか。月衛はもともと食が細くて小柄な少年だったが、東京に出てきた後もそれほど身体は大きくならず、ほっそりと優婉な青年に育っていた。父に似た烈生が、精悍に育ち上がったこともあって、今や、月衛の身体は烈生の腕の中にすっぽり収まるようになった。じゃれあって抱きかかえると、その華奢さにクラリとする。一緒に風呂に入れば、滑らかな肌に釘付けになる。
 月衛が目を覚ます様子もないので、もう一度、唇に触れた。微かな吐息が漏れるのを指先に感じて、ぞくりと烈生の胸が震える。

 「月衛…」

 思わず名を呼んだ声は、熱っぽく掠れていた。親友は、こんな悪戯を多目に見てくれるだろうか。艶めく唇に、そっと己の唇を重ねる。
 もう、一度では済まなかった。月衛の唇を味わい尽くすように、角度を変え、何度も唇を押し付けた。

 ――月衛…嗚呼!

 こんなこと。気位の高い月衛は、きっと怒るだろう。潔癖な君は、俺を軽蔑するに違いない。しかし、出口を見つけた情熱は、止まることなく迸る。

 初めは、何をしているのだろうと思っていた。夢うつつの中で、烈生の指の温もりを感じた。指はすぐに唇に変わった。何度も熱い唇が押し付けられる。烈生の食らいつくような吐息を感じて、身体の芯が甘く震えた。躊躇いがちな手が月衛の襟を広げ、首筋に吸い付いた。裾を割り、肌をまさぐられて、ようやく烈生がしようとしていることが飲み込めた。

 するりと、白い腕が烈生の首に巻きつく。

 「もう…焦らすのは大概にしてくれ、烈生」

 「君…起きて…!?」

 顔面蒼白になって顔を上げた烈生の視界の中で、藍色の瞳が微笑んでいた。愕然と開いた半開きの唇に、月衛の唇が重なる。薄い舌が、烈生の舌を誘い出すようにつつく。ハッとした烈生が、情熱のままに月衛の身体を掻き抱いた。

 「好きだ、月衛!君のことが…好きだ!」

 むしゃぶりつくように、月衛の唇を割り舌を侵入させる。なすがままに受け容れる舌を、口蓋を愛撫し、涎を吸った。首筋に唇を這わせると、月衛が甘い声で喉を鳴らす。薄紅色に上気した肌が、大きく上下して喘ぐ胸が、烈生を狂わせた。身体に溜まっていく熱が、出口を求めている。はち切れんばかりに膨らんだそこに、月衛がしなやかな手を這わせた。

 「辛いだろう…」

 手は、しばらく躊躇うように烈生を撫でていた。月衛は、烈生の情欲に以前から気付いていた。鳶色の強い眼差しは、質量さえ伴うかのように月衛の肌を焦らす。いつしか、烈生から求められたら応じようと心を決めていた。
 月衛の手が乱れた着物を脱ぎ、褌を解いた。烈生を促して椅子から立ち上がる。白く滑らかな肌が電灯の灯りに揺れる。

 「君が良ければ、俺の身体を使ってくれ」

 椅子の背に掴まって、白い尻が差し出された。

 「いや…しかし…」

 戸惑う烈生に、振り返った薄い唇が微笑んだ。

 「大丈夫だ。まだ誰にも触れさせていない」

 藍の瞳が、羞じらうように伏せられる。

 「君だけのものだ…烈生」



 あの夜、破瓜の歓びに身体を震わせ、何度も大事な男の名を呼んだ。やがて、金色の波に洗われるような陶酔がやってくる。滲む赤い標に慌てふためく烈生が、愛おしくて堪らなかった。

 「君!怪我を…すまない!!」

 ハンカチーフを!と思ったが、しまった、机の上である。

 「気にするな。葡萄酒の封を切ったようなものだ。清潔にして膏薬でも塗っていれば治る」

 月衛が懐紙を出して、軽く拭った。まだおろおろと落ち着かない様子の烈生を、たおやかな腕がふわりと抱きしめる。

 「君の手によって封切りされたこと…とても嬉しく思う」

 はにかむような微笑みに、感極まった烈生が何度も口づける。想いが通じた、と思った。
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