宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第2章

ふくごの郷②富士ヶ嶺高等学校ミステリー研究会

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 「月衛!ここにいたのか!」

 下から呼び掛ける闊達な声に、ちろりと藍の瞳が開く。聞いているとの返事代わりに、顔にかけた英字新聞を持ち上げた。大正7年の夏。神之屋月衛、21歳。富士ヶ嶺高等学校高等科の3年生である。

 「降りてこい!ミステリ研に客が来たぞ!!」

 穂村烈生、20歳。虚弱につき、1年遅らせて13歳で中学に入った月衛と同学年だ。学校では、月衛と「ミステリー研究会」を立ち上げ、部長を務めている。

 「…客?」

 校舎裏の木の上から、月衛の声が降ってくる。お気に入りの昼寝場所だ。

 「ああ!久しぶりに、面白い話が聞けそうだ」

 満面の笑みを見て、英字新聞を畳んだ月衛がストンと枝を降りた。学生服に包まれた身体はほっそりと小柄で、その分、身が軽いのだ。

 「どうだかね…」

 白い頬に、ぶつ切りの黒髪が揺れる。偏屈な親友の物言いをまるで気にしない様子で、烈生が頷いた。



 「ミステリー研究会」の部室は、校舎の北の端にある。夏の間は、窓を開ければ快適そのものだ。その快適な部屋の快適な長椅子に、靴も脱がずにドーンと寝そべる男に、月衛の眉根が寄った。

 「どけ、“寝候”。これは俺の長椅子だ」

 丸めた新聞でひっぱたかれた男が、瞳を開いた。猿飛さるとび銀螺ぎんら・23歳。諸般の事情で3年留年して、富士ヶ嶺高等学校高等科に居座る3年生である。

 「へえへえ、脚が長くて、すいませんね」

 2m近くにも及ぼうかという筋肉質な長身は、たしかに長椅子を丸々占拠していた。

 「お前のなんかじゃ、あるまいて。学校の備品だろうが」

 銀螺は、ひょいと身軽に身体を起こし、頭を掻いて大あくびをかました。

 「俺が虚弱だということで、特別に認められた備品だ。したがって俺のものだ」

 月衛が無茶苦茶をさらりと主張して、新聞でパタパタと座面の埃を払う。

 「…お前、虚弱だったの?」

 態度はデカいわ、小さいくせに上から目線で偉そうだわ、とても弱そうには見えないが。

 「昔な」

 使える方便は使わせていただく。実家に問い合わせてもらったって構わない。

 「2人とも寝起きで、すまないな!村田!珈琲のおかわりはどうだ!?」

 長椅子の向かいに腰掛けていた青年に、烈生が声を掛けた。寝ぼすけ共のために、どっちにしても淹れるのだが。

 「あ…じゃあ、いただこうかな…」

 村田の前に、おこしの入った菓子盆が突き出される。村田はそっと一包み取って、口に放り込み、目の前の長椅子で小突き合っている2人に目をやった。何か社交的な会話の1つもしなくてはと思うのだが、月衛の偏屈は、校内でも有名だ。
 艶やかな黒髪に、色白で秀麗な目鼻立ち。ほっそりとしなやかな体つき。全体に成績優秀だが、外国語科目は特に秀でている。それだけならば良いのだが、疑り深く気難しい毒舌家、何か気に入らないことがあるとネチネチと執拗に説教をたれる。
 爽やかな好青年の烈生が部長じゃなかったら、ミステリ研の部室になど近寄っていない。その上、ミステリ研って2名じゃなかった?なんで超絶有名3留アニキの銀螺さんがいるの?

 「あ、の~…銀螺さんもミステリ研…なんですか?」

 ようやく会話の糸口が見つかったとばかりに、村田が口を開く。

 「昼寝にしか来ない、“寝候”だ。居候というほど身を起こしているのは、見たことがない」

 月衛が、バッサリと切り捨てた。

 「いや~、ミステリ研、夏は涼しいし、冬はストーブ入ってポカポカ…あ、もしかしてストーブも“虚弱につき”入れさせた備品か?」

 銀螺が、烈生から珈琲を受け取って、カフェテーブルに並べる。

 「ああ。3年間も昼寝させてやっているのは俺の厚意だ。感謝しろ」

 月衛が、ふんと鼻を鳴らした。

 「人を“三年寝太郎”みたいに言うんじゃねぇや。たまにゃお前らの話し相手もしてるだろうが」

 ミステリー研究会の普段の活動内容は、国内外のミステリー小説や新聞の事件報道を読み、推理し合ってダベることである。男女両刀遣いの発展家で、遊び好き、世情に通じた銀螺は、育ちの良い烈生や、潔癖な質の月衛が知らないことを色々知っていて、時々、思わぬヒントをくれるのだ。

 「さて!珈琲も行き渡ったところで、本日の主題と行こうか。村田、事情を説明してくれたまえ」

 烈生の闊達な声が響く。

 「あの、実は…」

 村田が、膝に乗せていた風呂敷包みをそっと開く。中には、古ぼけた日本人形が入っていた。肌は煤け、髪はざんばらに乱れていて、いかにもおどろおどろしい。

 「近頃から、このお菊人形の髪が、伸び出したんだ…」

 村田の説明によると、村田の両親は離縁しており、母と一緒に里に帰された、生き別れの妹・お菊がいるという。別れの朝、仲の良かった兄妹は別れを惜しんで、互いの宝物を交換した。以来、村田は、人形をお菊と名付けて部屋に大切に飾っていたのだ。

 「なんと!髪が伸びるお菊人形とは、怪奇なことだな!!」

 烈生が鳶色の瞳を輝かせる。これは我等がミステリ研が取り組むに相応しい…

 「馬鹿らしい」

 ぶった切るように、月衛の冷ややかな声が重なる。

 「その古さからいくと、髪の毛は人毛だろう。人毛は湿度によって伸び縮みするものだ」

 「違うんだ!元々は肩につく程度のおかっぱだったんだよ。明らかに伸びているだろう!?」

 たしかに、目の前の人形の髪の毛は背を覆うほどで、数ミリ伸びたの縮んだのでは説明できない。

 「なら、髪をくっつけている膠が劣化して、部分的にずれ落ちているのさ」

 月衛がつまらなそうに説明する。こんなことなら木の上から降りるんじゃなかった。

 「心配なんだ…お菊の身に何かあったんじゃないか…」

 村田は、月衛の説明も聞こえない様子で拳を震わせる。

 「兄として…俺は、俺はどうしたらいいんだ!?」

 村田は、瞳を涙ぐませてテーブルを叩いた。妹を思うその心根は、しっかりと烈生の胸に突き刺さった。何とか…級友として助けてやりたいッ!!

 「どうするって、おめェ…伸びた髪は切り揃えてやりゃァいいんじゃねェか?人形だって、女のコだろ」

 銀螺が、のんびりと声をあげた。村田が目からウロコが落ちたみたいな顔をしている。「人形の髪が伸びたら散髪する」なんて未来志向な発想、思いつきもしなかった。

 「…解決だな。切り揃えて、リボンでも飾ってやれ。明日の朝、妹の枕元にリボンが届くかもしれんぞ」

 月衛が、ふんと鼻を鳴らして英字新聞を開いた。もうこれ以上、村田の話を聞く気はない。



 ミステリー研究会に「お菊人形の怪」が持ち込まれた翌日。

 「うおおおおおおお!!!穂村ァ~!!!」

 ミステリ研部室のドアが、叩きつけるように開けられる。村田が涙と鼻水を振り飛ばして飛び込んできた。

 「…①部屋に入るときはノックしろ。②中の人間の許可を得てから入れ。③…」

 「ああああああ!!!神之屋!?なんでお前なんだよ!?穂村は!?!」

 なんで、はこっちのセリフだ。こてんぱんに言い返してやろうと月衛が口を開いた時。

 「やぁ!昨日の今日でどうしたんだ、村田?」

 ドアの外から明るい声がかかる。救いの神・穂村烈生の登場だ。

 「穂村!妹の、お菊の身が危ない!!」

 またか、と月衛が顔をしかめる。

 「今度は何だ、人形が禿げ散らかしたか?」

 「電報だよ!電報が来たんだよ!!」

 村田が、握りしめていた紙を開いて見せた。

 ――タスケテ キク

 ごく短い、通信。

 「これだけではよくわからないから、明日、母の郷里の麻田村に行く。謎の事件だ!一緒に来てくれ。ミステリ研!」

 「…なんで?呼ぶなら村の駐在でも呼べ。俺達が行く理由は…」

 優美な眉を厭わしげに寄せて、月衛がネチりかけたとき。

 「俺はッッッ!!今ッッッ、モーレツに感動しているッッッ!!」

 鼓膜が割れるかと思った。烈生が拳を握りしめ、ただでさえデカい声を全身全霊で張り上げる。

 「村田!!幼時に、ただ1人の妹と生き別れ、形見の人形を10年以上も大切に可愛がってきた君の真心!この、穂村烈生がしかと受け止めた!!かくなる上は、妹御の危機にミステリ研総出で取り組もう!!月衛の推理能力があれば、どんな事件も快刀乱麻を断つがごとく解決だ!!」

 滂沱の涙を流して、村田とガッチリ握手する。

 「おい、俺はまだ何も」

 眉をひそめる月衛を、烈生が闊達な笑顔で振り返る。

 「月衛!麻田村の所在するA県は有名な米所だ!米の美味いところは酒も美味いぞ!」

 ――美味い酒!!

 月衛が瞳を瞬かせた。若干、藍色の宝玉に明るい光が射し込んだような。

 「…わかった。どうせなら、顧問のホームズ先生に申請してもらって、遠征取材といこう」

 月衛が申請用紙を取り出し、サラサラと書きつけ始める。こうすれば、部の予算から多少旅費が出るし、運動部の遠征試合と同じような扱いで大っぴらに講義を休めるのだ。

 「うおおおおおおお!!!神之屋!!お前、イイ奴だったんだな!!てっきり粘着質の神経質で毒舌の根暗、穂村しか友達いない奴だと思っていたよ!!!ありがとう!ありがとう!!」

 涙と鼻水でぐしょぐしょの村田が、月衛の両手を握りしめて振り回す。

 ――月衛はイイ奴だ。誤解している皆に知ってほしい。

 烈生が、満面の笑顔で頷いた。
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