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第1章 終わりの雨

日常の中の非日常

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「そろそろ風呂入るか?」
夕食を終え三人でテレビを見ていたところ、エグズィットが問いかけた。
「そうだな。エリア、先入っていいぞ」
「うん。じゃあ入ってくるね」
とてとてとパジャマを持って脱衣所へ向かうエリアを見てふと、家族みたいだなと思い、すぐにかき消す。俺の親なんて…。



「きゃああああああぁ!!」



突如、エリアの悲鳴が響き渡った。
慌ててエグズィットと共に脱衣所へ駆けつける。
「エリア!どうした?!開けるぞ!」
エグズィットが大声でそう言い、戸を開けた。
そこには今から服を脱ごうとしていたのか少し着崩した状態のエリアが、何かに怯えたように涙目になって隅の方で震えていた。
「何があった?!」
エグズィットが駆け寄って尋ねると、エリアは向かいの壁を指差した。
「蜘蛛がいる…っ」
『は?』
てっきりまた発狂し出したのかと思い駆けつけた俺たちは、あまりに的外れな悲鳴の理由に、同時に間の抜けた声を出してしまった。
「…蜘蛛が怖いのか?」
それほど大きくもない1.5cmほどの蜘蛛だったが、エリアはエグズィットにしがみついて離れようとしない。
「ウェイ、すまないがその蜘蛛をどうにかしてくれないか。俺、見てのとおり動けないから」
「おう、わかった」
俺はそっと蜘蛛を片手で包むと、空いた方の手で窓を開け、外へ逃がした。
「逃がしたぞ」
俺がそう言って振り向くと、二人は唖然とした表情で俺を見ていた。
「え?!俺がどうかしたか?!」
「おま…蜘蛛を…素手で…」
「…逃がしたの?」
見事に二人の言葉が繋がった。
「え?いや、別に蜘蛛何もしないし…」
俺の言葉にエリアとエグズィットは顔を見合わせた。
「普通潰さないか?」
「かわいそうだろ。罪もないのに」
「……」
俺、そんなに変なことしたか?
「まあいい。エリア、もう大丈夫だ。安心しろ」
エグズィットは
そう言ってエリアの頭を撫でた。
「風邪ひく前に上がってこいよ」
「うん」
俺たちは脱衣所を出て戸を閉めた。
「ふう…」
エグズィットが安心したように息を吐く。
俺はエグズィットがエリアを連れてきてから思っていることがあった。
「お前、エリアのことだいぶ気にかけてるんだな」
「……俺が…俺がエリアにトラウマを作ってしまったかもしれないんだ」
「え…?」
意外な言葉に驚きを隠せず、つい口から声が漏れてしまう。
「…すまない。聞かなかったことにしてくれ」
俺は触れてはいけない部分に触れてしまったのかもしれない。エグズィットは背を向け、歩いて行こうとした。しかし、その瞬間の振り向きざまに放たれた一言は、とても力強いものだった。



「もうエリアに悲しい思いはさせない」



「…っ」
エグズィットの真剣な表情とその一言に圧倒され、俺は何も言えなくなってしまった。それと同時に、エリアとエグズィットに何があったのか気になって仕方なかった。でも聞いてはいけないことなのだろう。
そういえば、俺もエグズィットのこと全然知らないな。
どこに住んでいるのか。家族はいるのか。頭部と首の包帯は何なのか。そして一番気になるのが左手の甲についている非常口の印。俺たちの印と同じようなものに見えるが、エグズィットが拒否反応を起こしたところは見たことがない。いつも悠々としている。…と言っても、一緒に出かけたのは初めの買い物ぐらいだが。
そこで俺の頭の中に、今まで考えたことのなかった最も不可解な疑問が浮かび上がった。


俺、エグズィットとどうやって知り合った?



思い出せなかった。どれだけ思い出そうとしても、記憶の欠片すら出てこなかった。
この平凡な日々に埋もれてしまったのだろうか。それほどまでに質素な出会いだったのだろうか。
俺が一人で考え込んでいるうちに、エグズィットは布団を敷き始めていた。
「お、悪い。手伝うぜ」
寝る場所は俺の机がある部屋だ。俺はベッドがあるが、二人は布団を敷かなければならない。
…布団敷くの丁寧だな、あいつ。
布団敷きに感想を持つのもおかしい話だが、エグズィットは埃が立たないように、かつ等間隔に素早く布団を敷いていく。
執事の素質でもあるんじゃないか?
そう思ったほどだった。



その後俺たちも順に入浴を済ませ、少しテレビを見たのち布団へ入った。
「おやすみな」
「おやすみね。ウェイ」
俺のおやすみに答えたのは少女のみだった。エグズィット、挨拶ぐらい返せよ…。
無性にイラっとしたので、ベッドから身を起こし、無視したやつを見た。
「え…」
エグズィットはすでに眠っていた。あまりの早さに拍子抜けする。まあ寝ているなら挨拶も返ってこないわけだ。しょうがない。多めに見てやろう。
再びベッドに横になり、俺も目を閉じた。
明日までゆっくり寝られる…はずだった。



「うあああああぁぁ!!!」
脳内に痛いほど響く悲鳴で俺は目を覚ました。部屋はまだ暗い。目覚ましではないことは容易に理解できた。
「え、エリア!どうした?!落ち着け!」
悲鳴の主がエリアであることがわかると、状況もすぐに理解でき…るわけがない!
今は一人きりでもない。叫び出す理由がわからない。
「エグズィ…」
俺はとっさにエグズィットに頼ろうと、目線を移すと…こんなに大声でエリアが発狂しているというのに眠っていた。
何が「もうエリアに悲しい思いはさせない」だ!肝心な時にこれかよ!この役立たずめ!
とりあえずエリアを落ち着かせようと近づくと、エリアが何かを右手に持っていることに気づいた。



それは俺の机に置いてあった一本のカッターナイフだった。



「エリア!それ!危ないだろ!手放せ!」
「ああああ!お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
「エリア!」
目があった。
次の瞬間、エリアは俺に向かってカッターナイフを振り上げた。降り下ろされれば確実に刺される距離だ。
「エリア…嘘だろ…」
「お姉ちゃんを…返して!」
高々と振り上げられたカッターナイフは勢いよく俺へ降り下ろされた。
「!!」
声すら出せぬまま、ただ呆然と俺に向かってくる刃を見つめていた。
体に痛みが走る…その直前、刃を握っていたエリアの手を何者かか叩いた。それにより、カッターナイフは俺に突き刺さることはなく、部屋の壁に当たり落下した。
闇の中でも映える白の包帯が目の前で揺れた。
「え、エグズィット…」
「怪我はないか?」
「ない…って、お前なんでエリアがこんなになってるのに起きないんだよ!危なかっただろうが!」
「…すまない。気がつかなかった」
「お前な…」
エリアを気にかけているのかいないのか全くわからない。
そんなことを思いながら静かになったエリアを見た。涙を流しながら目を見開き、かすかに痙攣を起こしていた。小さくお姉ちゃんとつぶやいているのが聞こえて来る。
少しでも落ち着くようにとエリアに声をかけようとした時、エグズィットの口からとんでもない言葉が飛び出した。
「エリア、あなた様のお姉さんはお亡くなりになられたのですよ」
「…?!」
寒気がした。何か裏のありそうな笑みと、唐突な敬語。そしてエリアへの禁句。
エリアはその言葉を聞くと一度大きく痙攣した後、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
何かが異常だと感じた。
普通、目を背けたい事実をえぐり返されるとそれこそ叫びたくなるものではないだろうか。しかしエリアは逆に落ち着いている。エグズィットはそんなエリアをいつも通り撫でている。その表情に先ほどの悪魔じみた雰囲気はない。
夜中の暗さも混じって、見てはいけないものを見てしまったような恐怖に襲われた。まるで自分だけが世界から取り残されてしまったかのようだ。
「どうした?」
無意識に見つめてしまっていたのか、エグズィットが不思議そうに尋ねてきた。
あまり深入りしない方が適切だろうと「なんでもない」と言おうとした。しかし、思考に反して口は本音を告げる。
「エグズィット、お前さっきどうしてあんなことを…あんな言い方をしたんだ?」
すると、エグズィットは再び信じられない言葉を投げ返してきた。
「なんのこと?」
「え?!なんのことって、お前…さっきエリアに…」
エグズィットは本当にわからないという表情をしていた。
どういうことだ?
「寝ぼけているんじゃないか?まだ夜中だし」
「…そうかもしれないな。エリアも落ち着いたし、もう一度寝るか」
なぜかそう言われてみるとそんな気がして疑問はあっという間に収められてしまった。
ベッドに戻ると、俺の意識はすぐに眠りの世界へと落ちていった。
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