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6 アリーとナリー
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とある教室でいつも空いている席を訝しむ声があがった。
主不在のその席、グランのものである。
一度も開かれた事のない教科書が、堅い四角のまま放置されていた。
「入学式から来ていないということか?」
「病欠なんだろ、どうでもいいさ」
教室は壇上に向かってすり鉢状になっていて、黒板を見下ろすように長机が並んでいる。
教壇から見上げて3段目の左端がグランの席である。
誰かがそこを座ったことはもちろんない。
夏季休暇もすぐだというのに流石に変だと思い始めた者がいたのだ。
けれども、見た事のない級友のことなどすぐに忘れる。
「そんなことよりさ、夏の親睦パーティのパートナー探しはどうよ?」
「ぜーんぜん、食堂や合同教習で声をかけたけど相手にされない」
「やっぱな~下位貴族の次男以下は辛いぜぇ」
「あー……せめて長男に生まれたい人生だった」
婚約者のいない貴族令息たちは自分の売り込みに余念がない。
在学中に開かれる年四回の親睦会が将来に関わるので必死なのだ。
貴族令嬢と縁が無ければ卒業後は市井に下ることになる。
貴族籍は残っても平民と同等に落ちるのは辛いことだった。
***
焦るそんな令息たちを余所に、学食の一角でハートを撒き散らす二人がいた。
ナリレットとアリスターだ。
「きょうも可愛いねナリー、親睦会のドレスは贈らせてくれるかな?」
「もう、アリーはお世辞ばかり言って、でもドレスは嬉しいわ。私からはカフスボタンとタイピンを贈るわね」
「それはもちろん?」
「う、私の瞳の色……タンザナイトを贈るわ」
ナリレットは顔を真っ赤に染めてそう告げた。
熟れたトマトのようだとアリスターは思ったが、己自信も同じになっていると気が付いて噤む。
それから、互いをウットリと眺めるバカップル。当てられた周囲は「辛いものまで甘くなる」と冷やかしと愚痴を飛ばすのだった。
もちろん二人以外にも婚約者カップルはいたが、それほどという感じで同席している。
家同士の結びに仕方なくというのが大半なのだ。
中には姿絵しか知らないまま結婚する者もいるくらいだ。
「幸せのお裾分けしてくれる、おふたりさん」
ナリレットの級友が声をかけてきてウィンクする。
「カレン!私の横へきて」
「ふふ、ありがとう」
「はぁー羨ましい、私も身を焦がすような恋がしたいわ」
アツアツドロドロのドリアをグニグニと混ぜて「私にはご飯しか熱いのがないわ」と言う。
「カレンには素敵な婚約者がいるじゃない」
「ちーがーうー!そういうんじゃないの!まったくもぅ愛称まで似たベッタリさんは嫌だわ」
カレンはそう不満を漏らし、フゥフゥとスプーンに向かって息を吹く。
「もぐもぐ、例えばナリーは夜寝静まる瞬間に誰の顔を浮かべる?」
「え、そうね……?――」
再び顔を赤くしたナリレットは小さい声で”アリーの顔”とボソリと言った。
それを聞いたアリスターは嬉しそうに破顔する。
「嬉しいよナリー、私も同じさ!」
「ま、まぁアリーったら!恥ずかしいわ」
またもハートを撒き散らし出したバカップルに「胸焼けが酷いわ」と言ってカレンは水をがぶ飲みする。
幸せのお裾分けは失敗したようだ。
「友人が幸せで良かった!でも気を付けなさい、アンタ達は目立ってるから」
「え?どういう意味?」
食べかけのサラダを置いてナリレットが怪訝な顔をした。
「人の僻みは怖いわよ、特に貴族社会わね。知ってるでしょ?」
「え、えぇ」
急に青褪めたナリレットにアリスターが肩を抱いて言う。
「私がキミを護る、護ってみせるさ!」
「ありがとう、アリー」
目の前でイチャつくふたりに苦笑いしつつ、カレンは咳払いして進言した。
「アリスター様、エント伯爵嬢には気を付けて」
「エント伯?……あぁ金物類を生業にしている家か」
何かを思い出しふと周囲を見まわしたアリスターは、一瞬目が合った人物に気が付いた。
緑がかった黒髪が怪しく揺れた。
「エント伯爵家、ブリトニー嬢」
主不在のその席、グランのものである。
一度も開かれた事のない教科書が、堅い四角のまま放置されていた。
「入学式から来ていないということか?」
「病欠なんだろ、どうでもいいさ」
教室は壇上に向かってすり鉢状になっていて、黒板を見下ろすように長机が並んでいる。
教壇から見上げて3段目の左端がグランの席である。
誰かがそこを座ったことはもちろんない。
夏季休暇もすぐだというのに流石に変だと思い始めた者がいたのだ。
けれども、見た事のない級友のことなどすぐに忘れる。
「そんなことよりさ、夏の親睦パーティのパートナー探しはどうよ?」
「ぜーんぜん、食堂や合同教習で声をかけたけど相手にされない」
「やっぱな~下位貴族の次男以下は辛いぜぇ」
「あー……せめて長男に生まれたい人生だった」
婚約者のいない貴族令息たちは自分の売り込みに余念がない。
在学中に開かれる年四回の親睦会が将来に関わるので必死なのだ。
貴族令嬢と縁が無ければ卒業後は市井に下ることになる。
貴族籍は残っても平民と同等に落ちるのは辛いことだった。
***
焦るそんな令息たちを余所に、学食の一角でハートを撒き散らす二人がいた。
ナリレットとアリスターだ。
「きょうも可愛いねナリー、親睦会のドレスは贈らせてくれるかな?」
「もう、アリーはお世辞ばかり言って、でもドレスは嬉しいわ。私からはカフスボタンとタイピンを贈るわね」
「それはもちろん?」
「う、私の瞳の色……タンザナイトを贈るわ」
ナリレットは顔を真っ赤に染めてそう告げた。
熟れたトマトのようだとアリスターは思ったが、己自信も同じになっていると気が付いて噤む。
それから、互いをウットリと眺めるバカップル。当てられた周囲は「辛いものまで甘くなる」と冷やかしと愚痴を飛ばすのだった。
もちろん二人以外にも婚約者カップルはいたが、それほどという感じで同席している。
家同士の結びに仕方なくというのが大半なのだ。
中には姿絵しか知らないまま結婚する者もいるくらいだ。
「幸せのお裾分けしてくれる、おふたりさん」
ナリレットの級友が声をかけてきてウィンクする。
「カレン!私の横へきて」
「ふふ、ありがとう」
「はぁー羨ましい、私も身を焦がすような恋がしたいわ」
アツアツドロドロのドリアをグニグニと混ぜて「私にはご飯しか熱いのがないわ」と言う。
「カレンには素敵な婚約者がいるじゃない」
「ちーがーうー!そういうんじゃないの!まったくもぅ愛称まで似たベッタリさんは嫌だわ」
カレンはそう不満を漏らし、フゥフゥとスプーンに向かって息を吹く。
「もぐもぐ、例えばナリーは夜寝静まる瞬間に誰の顔を浮かべる?」
「え、そうね……?――」
再び顔を赤くしたナリレットは小さい声で”アリーの顔”とボソリと言った。
それを聞いたアリスターは嬉しそうに破顔する。
「嬉しいよナリー、私も同じさ!」
「ま、まぁアリーったら!恥ずかしいわ」
またもハートを撒き散らし出したバカップルに「胸焼けが酷いわ」と言ってカレンは水をがぶ飲みする。
幸せのお裾分けは失敗したようだ。
「友人が幸せで良かった!でも気を付けなさい、アンタ達は目立ってるから」
「え?どういう意味?」
食べかけのサラダを置いてナリレットが怪訝な顔をした。
「人の僻みは怖いわよ、特に貴族社会わね。知ってるでしょ?」
「え、えぇ」
急に青褪めたナリレットにアリスターが肩を抱いて言う。
「私がキミを護る、護ってみせるさ!」
「ありがとう、アリー」
目の前でイチャつくふたりに苦笑いしつつ、カレンは咳払いして進言した。
「アリスター様、エント伯爵嬢には気を付けて」
「エント伯?……あぁ金物類を生業にしている家か」
何かを思い出しふと周囲を見まわしたアリスターは、一瞬目が合った人物に気が付いた。
緑がかった黒髪が怪しく揺れた。
「エント伯爵家、ブリトニー嬢」
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