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資産価値のない古い屋敷を得たフィンチ子爵は、愛娘の我儘も大概だと渋い顔をしたが安い買い物だったので少々の小言以外は口にしなかった。大店を運営する彼にとってそんなことなど些末なことなのだ。
「少しばかり大きな犬小屋を買った」その程度のことで済ませていた。

その我が娘ことローナ・フィンチは足げく空の屋敷に通い、その姿が市井の者達によく見かけられていた。代々継がれてきた屋敷だが、古色蒼然となりつつあるその佇まいは手入れも碌に入らず幽霊屋敷のようになりつつある。

「お父様は意地悪ね、お屋敷は手に入れてくれたけど家はお世話をしないと壊れちゃうのに修繕費をまわしてくれないんだもの!これじゃレイフが戻っても意味がないじゃない!」

お付きの侍女に屋敷の一部を掃除はさせたが、持ち込んだ折り畳みテーブルと小さな椅子が二脚しかない広すぎるサロンは寂しいものだった。

「あぁレイフ……貴方が私を裏切るわけがないわ。きっとここへ戻って来るでしょう?だってそうしないと……ふふふ……うふふふふ」
小さなテーブルに突っ伏して不気味に嗤う令嬢の様子を、怪訝な顔で壁際で見守る侍女は聞こえぬように溜息をついた。



ローナはお世辞にも美人とも可愛いとも言えぬ残念な容姿の持ち主である。
将来は父の伝手で適当な取引先の嫡男の家へ嫁ぐ予定である、愛の無い政略結婚は当然のように受け入れていた。しかし、見目に恵まれなかった彼女でも燃えるような恋に憧れる普通の女の子だ。

たとえ相手が財産目当てで集って来た害虫だろうと、口が回る美丈夫だったら落とされるのは容易なことだ。
その相手こそがレイフ・ウォール伯爵令息だった。

見た目ばかり素晴らしい質の悪いレイフは、夜会の度に壁の花を決め込むローナに目を付けた。レイフ11歳、ローナ10歳の頃の事である。

すでに男の魅力を醸し出していた美少年レイフは注目を集め始めていた。ミラベル・エイジャーとの婚約話が持ち上がったのは同時期であり、婚約が正式に結ばれたのは半年後のこと。

「やぁ、こんばんは。綺麗な月夜だね」
「え……あの。わ、私にい、いっているのかしら?」

異性に声を掛けられるのは初めてだったローナはドギマギしてドモリ気味になって答える。レイフは己の容姿に絶対の自信があり、この子も自分に見惚れて当然だとほくそ笑む。事実、ローナは彼に見つめられてすぐに恋に落ちた。
淡い金髪に青い瞳、絵に描いたような美少年は絵本に出てくる王子様そのものだった。

一方、ローナは地味な茶色の髪に同じく茶色の瞳は小さく鼻が低い。そしてやや広すぎるオデコがコンプレックスだった。

「ほら見て、綺麗な月が出てる」
「……あの、ただの朧月夜だわ。夜空も曇っていて不気味だと思うの……オバケが出そうよ」

「そうかな?でも想像してみて、あの空に蝙蝠がたくさん飛んでいて麗しい吸血鬼男爵が優雅に飛んでいたら面白いだろう?」
「う、美しい男爵……そうねそんな絵本もあった気がする。でもやっぱり怖いわ」
夜会会場の窓を縮こまって見上げるローナの腕をレイフは強引に掴んだ。強張った彼女だったがレイフは満面の笑みで魅了すると顔を真っ赤にして蕩けてしまう。

「ねぇ、庭園へ出て夜空を楽しもうよ。二人きりでね?」
「ふたりきり?……で、でも」
躊躇うローナを無視してレイフはぐいぐい引っ張り外気の元へ連れ出した。少し肌寒い初春の夜だったが、薄曇りだった空はすぐに満天の星空へ変貌する。

「ま、魔法みたい……素敵。貴方が雲を散らしたの?」

「さぁ、どうかな。キミが晴らしたんじゃないの?キミの瞳はとても円らで可愛いもの」
「ま、まぁ!?そんなこと言われたの初めてよ」
なにもかもが初めての事だったローナは舞い上がった、顔を熟れたトマトのようにしてレイフを見つめた。

「ボクはレイフ。ウォール伯爵の長男だよ、キミは?」
「ローナ、ローナ・フィンチよ。御父様は子爵だけどたくさんお店を持ってるの!」

「へぇ、お金持ちなんだ?スゴイな羨ましいなボクの家は身分も財産も中途半端なのさ」
「え、お金持ちがなにかわからないけど……これも凄いのかな?」
彼女はそう言って誕生石の大粒エメラルドのペンダントを胸元から取り出した、縁取りはキラキラ眩しいダイヤが無数に付けられていた。

「あまり人前で見せるなと言われてるけど、レイフには特別よ」
「……そうか、見せてくれてありがとう。ローナがボクの特別になってくれると嬉しいな」

「どういう意味?……あ」

冷たい強風が吹いて流された雲が再び月の光を閉ざし、彼らの重なった姿を隠した。
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