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夫人は愛人を所望する
しおりを挟むとある日の夜半過ぎの事、アドルナフ伯爵家に動きがあった。
外套を羽織り姿を隠した人物がコソリと門を越えて出て行く。カルラーナである。彼女は影者を連れて屋敷を後にした。
伯爵家は全体の警備が緩いのか門兵がいても気が付かない、うつらうつらと船を漕いでいる。
「まぁ、呆れたことね。警備兵すら碌に働いていないなんて」
ゆるゆるな所は主に似たのだろうと彼女は肩を竦めて街へ消えて行く、その後を追う影は足音すら立てない。
暫く行くと目深に隠していた顔を出して悠々と歩き始めた、瞳と髪色を変え、服装も平民風を装っている、それなりに変装をしているので堂々としたものだ。
「いざとなれば影に頼れば良いわ、彼らは優秀だもの」
彼女は昼間の街を歩くようにまったく動じずゆったりと歩く、影はそんな彼女を見て”なんて豪胆な方だろう”と感心した。
「侍女が言っていたのはここね、えーと……宵闇の猫鳥亭、フクロウのことかしら」
彼女は観音開きの戸を押した、店内は意外と広く酒気と煙草の臭いでむせ返るようだった。チラリと幾人かの客達がカルラーナを値踏みするように見たが、直ぐに興味が失せたのか談笑へと戻る。
「ふぅ……さてどうしようかしら」
カウンターのバーテンに蜂蜜酒を頼むとそれを受け取って所在無げにウロウロした。完全にお上りさん状態だ。付いてきた影は見兼ねて誘導しようと試みるが、その前に一人の酔っ払いが絡みだした。
「よぉ、こんばんは。こんな所に御嬢さんが来るとは……ヒック、場違いじゃないのか?」
「……そうね、とても後悔しているわ」
カルラーナは素直にそう呟く、すると酔っ払いは愉快そうに笑うと「さっさと帰りな」と言って奥へ消えて行く。彼女はホッとして蜂蜜酒をチビチビとやりだす。
煙のせいで視界は良好とは言えない、若い青年を探してキョロキョロやっていると再び声がかかった。
「お嬢さん一人かい、どうだろう世間話でも」
「え、ああそうね」
着崩れた服を纏いほろ酔いらしい青年がこちらを見ていた、顔立ちは悪くはない。黒髪に金色の瞳を持つ彼は黒猫のようだと印象付ける。左手の指をそれとなく見る、独身のようだ。
「良い夜ね、乾杯しない?一杯驕るわ」
「そりゃ良いな、ではバーボンを貰おうか」
手慣れた様子でバーテンに声をかけ、丸くした氷に琥珀色の酒を注文するとチェリーをひと掴みして笑う。乾杯だといってカチリとグラスを当てる。
「それで、不似合いな御嬢さんは何用でここにきた?あまり感心しないよ、破落戸だっているんだ」
「ふふ、そうね。実は愛人に良さそうな人材の確保に来たの、貴方どう?」
「ぶっ!な、なんだって!?愛人探しとは……はぁ正気かよ」
いくら平民を装っていても隠した気品さは丸見えだ、彼女の姿勢は居住まいから違っていた。遊び相手を探すにしても場所が悪すぎると彼は渋面になった。
「あら、ありがとう。見ず知らずの私を気遣うのね」
「そりゃあ、まぁ……鴨がネギ背負ってこんな所に来るんだもんな。心配しないほうが可笑しいぜ」
「うふふ、鴨ね。その通りだわ」
それから世間話を少し話してから彼女は再度「愛人にならないか」と問う。
「悪い話じゃないと思うの、ちゃんと給金だって払うわよ。あぁ、夜の営みのほうは任せるわ、気が乗らないならしなくても良いわ」
「なんてこった、こんな若いのに何故身売りする真似を?良く分からないな」
青年はお手上げだと言ってバーボンを一気飲みした。
「まぁ良い面白いから乗ったよ。俺はデニィてんだ、よろしく」
「カルラーナよ、こちらこそよろしく」
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