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第2章

2-19 戦術と美那の家

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 有里子さんは夕飯を食べて、7時半ごろに帰った。
 俺としては全然イヤじゃないけど、想定外の長居でちょっと驚き。それにかーちゃんは、美那と話している時とはちょっと違う感じで楽しそうだった。

 俺んは、1階が、キッチンとダイニング、リビング、そしてキッチン奥のかーちゃんの書斎だ。それぞれの部屋は引き戸で仕切れるようになっているけど、書斎以外は普段は開け放たれている。2階には個室が3つ。あと洗面所と風呂場は1階で、トイレは両方にある。
 2階の個室3室は、1番広い南西の角部屋の7・5畳がかーちゃんの寝室で、東南の角部屋の6畳が俺の部屋。バルコニーでつながっているのはイヤだけど、まあ日当たりを考えるとそこは我慢だ。
 階段を上がってすぐの北西の角部屋は半分納戸状態。まれに誰かが泊まりに来た時のためにベッドがある。美那が泊まるときはその部屋を使うことになる。
「部屋はどのくらい片付けたんだ?」と、2階に上がりながら、美那に聞く。
「こんな感じ」と、美那が部屋のドアを開ける。
 床に雑然と置いてあった季節ものの家電とかアイロン台とかそんなものがなくなり、プラスチックのコンテナや段ボール箱は壁際にきちんと積み重ねられている。
「家電とかは加奈江さんの寝室に置かせてもらってる」
「そうか。とりあえず寝るだけならなんとかなるって感じだな」
「うん。あ、クローゼットに下着の替えとか入っているから、開けないでね」
「ああ、おお」
 やべー、うっかり開けてたら、とんでもないことなってた。
「じゃあ、そろそろ帰る」
「送ってこうか?」
「あ、うん」
 荷物は、スポーツバッグと、バスケットボールの3つ入るいつものバッグだ。
「あ、ボールの空気。玄関で入れちゃう?」
 ボールを部屋に取りに行って、美那と下に降りる。
 かーちゃんは疲れたのか、ソファに座ってボーとしてる。
「かーちゃん、美那が帰るって」
「ああ、そう。美那ちゃん、気をつけてね」
 普段なら玄関まで見送るのに、今日はだるそうに振り返るだけ。完全に話疲はなしづかれだな。
 玄関でボールに空気を入れて、外で跳ね具合をチェック。だいたいOKだ。
 美那がボールバッグを背負って、スポーツバッグは俺が肩にかけて、短い道のりを並んで歩く。
「明日は何時から練習する?」と、俺が聞く。
「次の練習試合までもう一週間ないもんね。どうしようか。その前に一度くらいチーム練習をしたいよね」
「そうだよな。そういやさ、松本で女子バスケ部と3x3したじゃん?」
「あ、その話、もっと聞きたい。たまにはウチに来る?」
 スマホを見ると、8時過ぎだ。幼馴染とはいえ、この数年は中に入っていないから、この時間はちょっとハードルが高い。
「いまから?」
「うん……ちょっと遅いか。リユんならこの時間でも平気で行けちゃうけど」
 俺が行ったら、少しでも風が通るのかな?
「今は、園子さん、ひとりなのか?」
「たぶん。伯父さんたちは昨日の夜に帰ったし、お父さんはどっかのホテルに泊まってる。離婚の話が進行中だし、さすがに相手の部屋ではないみたい」
「俺が突然行って、どんな感じだろ」
「最近、わたしがリユのこと自慢してるし、試験も良かったから、意外とウエルカムかもしれない。なんかしてた方が、考えなくてすむみたいし。それに最近、開き直りつつある」
「じゃあ、ちょっとだけ寄らせてもらおうかな。一応、園子さんに聞いてみてくれるか?」
 なんか俺も最近、会話の中では美那の母親を名前で言うようになっている。
「うん」
 歩きながら美那が家に電話をする。
 そういや、さっき、関東甲信越梅雨明け、ってニュースの通知が来てたな。
 空を見上げると、月はなくて、星がよく見える。
「いい、って。なんか声もちょっと明るかった」
「そうか」
 俺は一応、かーちゃんに、美那の家に寄る、とだけメッセージを送っとく。
 美那の家に足を踏み入れるのは、やっぱ中学2年の時以来だな。
 入り口の鉄の門扉は相変わらずきしんだままだ。
「お母さん、ただいま」
 美那が声をかけると、すぐに園子さんがドアから顔を出した。
「いらっしゃい、リユくん」
 美那が開き直りつつあると言っていたとおり、思いの外、表情は明るい。
 各部屋が独立した作りになっている俺ん家と比べて、美那の家はわりと開放的な作りだ。ひと続きになったLDKと玄関がほぼ直結している。2階に上がる階段もリビングから直接という感じ。そしていろんなものが俺ん家よりもひと回り大きくて、グレードも高い感じだ。
「あらー、ずいぶん背が高くなったのねー。いつだったかしら、前に来た時は、美那よりも低かったのに」
「こんばんわ。ごぶさたしてます。最後にお邪魔したのは、たぶん中2の時だと思います」
「あら、そう。さ、どうぞ、上がって。お茶でも淹れるわね」
「じゃあ、お邪魔します」
「お母さん、わたしの部屋でバスケットボールの相談をするから」
「はい、わかりました。じゃあ、お部屋に持って行くわね」
「うん。お願い」
 そのまま、美那の部屋に直行だ。階段を上がってすぐの部屋。右側は両親の寝室で、左側は父親の書斎だったはず。
 ドアを開けると、いきなりカイリーのポスターが目に飛び込んでくる。
「うわー、でかいカイリー」
「へへ」と、美那がちょっと照れる。
 驚いたことに壁には、例の、名前入りZ―Fourの特製ユニフォームが! しかも、15番と16番が並べて掛けてある。
 そして、美那のなんともいい匂いが……。
「はい、すわって」
 美那は、端に重ねてあった床に直座りする水色とピンクのクッションを、ベッドと机の間に引っ張り出す。
 それから美那は、バッグからハムスターのおみやげを取り出して、机の上にそっと置いた。
「で、松本総合のバスケ部の子たちはどんな感じだったの?」
 俺は、4人の身長やポジション、動きの特徴を、Z―Fourや練習試合をしたサニーサイドのメンバーを引き合いに出したりして、説明した。
「で、綾ちゃんがわたしに似ていて、春子ちゃんがナオさん、京香ちゃんがサニーサイドの軟テ女子、リサちゃんは陸男7年か」
「ま、そんなところだな。で、綾ちゃんと美容師のナカノさんと俺が組んだ。ナカノさんは178くらいでロングが得意。蒼山さんの命名でチーム名は〝おでん〟。女子バスケ部3人は〝JKsジェイケーズ〟」
「おでんとJKs……」
「いろんが具があるから〝おでん〟なんだって。さっき俺が言いかけたのは、ハーフタイムで綾ちゃんが、コンビのいいJKsに対抗するためのフォーメンションっていうのかな、3人ともアークの外に出て、動きの中でディフェンスを撹乱して、高身長の春子ちゃんのマークを緩くして、ナカノさんの2ポイントシュートの成功率を高める、って作戦を取ったこと。つまり俺たちもそういうのをある程度使った方がいいんじゃないかな」
「それって、これかなぁー」
 美那は立ち上がって、机の本立てから一冊の本を取り出す。
「あ、俺もそれ図書室で読んだ!」
「そうなんだ。確かオツさんも買ったって言ってたな。あ、それで、これじゃない? チェックボールからのオフェンスのフラットトライアングルっていうやつ」
「あ、そうそう。こんな感じ」
「わたしたちだと、わたしとリユで動いて、ナオさんへのマークを緩くして2ポイントを生かす感じか。5人制ではこういうのは当たり前にあるけど、こういうのを決めておけば、相手を崩しにくいときとか、急に動きを変えられるね」
「だろ? 練習ができなくても、戦術の共通認識を持っておいた方がいいんじゃないの?」
「フリー・アンド・フラットを基本にして、場合によって使う感じかな」
「うん。そればっかやってたら、JKsに読まれてきたもんな。でも逆にそのあとのフリーな動きが生きてきたっていうか」
 ドアをノックする音と、「美那ちゃん、入るわよ」という園子さんの明るい声。
 美那が立ち上がって、ドアを開ける。
「はい、紅茶とお菓子。リユくん、ゆっくりしていってね」
「あ、はい。ありがとうございます」
 園子さんが行ってしまうと、美那がつぶやく。
「なんか急に愛想が良くなって、逆にこわいくらい。まー、リユが成績も良くなって、背も高くなったし、バスケもうまいし、建築家を目指すことになったから、評価爆上がりだもんね」
「おい、まだ建築家を目指すとか言ってねえし。興味を持ったから、そっちの方向を目指してみようかなぁー、って程度だぞ」
「いいじゃん。全然ウソってわけじゃないし、その方がお母さんもリユへの当たりが良くなるし」
「まあ、いいけどよぉ。でも園子さん、気持ち的にはちょっと落ち着いたんだな」
「離婚は決意できたみたいからね。あとはどう別れて、そのあとをどうするか、って感じ?」
「それはそれで相手のあることだし、また大変だよな」
「やっぱ、そうだよね……お母さんはここには、たくはないみたいし」
「学校はどうなんだろうな。男子生徒の家に女子生徒が下宿するとか」
「絶対、前例ないよね」
「まあ、ないだろうな」
「でも校則で禁止とかもないよね」
「ないな」
「じゃあ、可能ってこと?」
「だな。でも、絶対なんかダメな理由をつけてくるだろうな」
「だよね」
「いざとなったら既成事実を作っちゃって、それで交渉だな」
「お、リユ、意外と大胆だね」
「おまえのためだしな。それに俺のためでもある」
「え? リユのためでも?」
「俺だって、美那と離れたくないもん」
「……そうなの?」
「うん。ぜったいイヤだ。せめて高校の間だけでも一緒にいたい」
 美那は黙り込んでしまう。
「やっぱ、無理そうなのか?」
「違う……ありがとう。リユがそう言ってくれたら、わたしも強い覚悟でのぞめる」
「それでこそ、俺の美那だ」
「オレの?」
 なんか矛盾しているけど、柔らかい怪訝な目で美那が俺を見る。
「そ、それは言葉の綾ってやつで……つまり、俺の中の美那のイメージというか」
「わかってるよ、そんなこと。あ、前から気になってたんだけど、学校といえば、有里子さんのバイトの届け、提出したの? なんか一回も聞いたことないけど」
「え? ええ? あー、ヤベー、完全に忘れてたぁ」
「だよね。どうするの? バレなきゃいい方針? さすがにあんな特殊なバイトを届けないと、バレた時、ヤバイよね」
「まあ、幸い、なにもなかったしな。このままスルーしちゃおうかな」
「バイトのこと、わたし以外に誰かに言った?」
「え?」
 誰かに言ったか? あ、香田さんに夏休みにバイトするとは言ったな。でも長野に行くとまでは言ってないしな。
「いや、言ってないと思うけど」
「なら、いいけど。一応、事後届けを出すって手もあるんじゃない? 加奈江さんの了解は得てるんだし、谷先生ならあんまりうるさいこと言わないと思うけど」
「そうだよな……そうすっか」
「なんならわたしも付き合ってあげるよ。わたしの家のごたごたで忙しくさせちゃったとかなんとか」
「おまえ、先生に、家のこと、言ったの?」
「まだ……だって本決まりじゃないし。ただそろそろ、それとなく伝えるのもありかな、とは思ってる」
「谷先生、明日とか学校来てるのかな? 休み中も交代で来るんだろ?」
「うん。じゃあ、部活あるから、ちょっと職員室を覗いてみようか? いたら連絡するよ。いなかったら、いつ出勤か、聞いといてあげる」
「ああ、頼むわ」
 それからオツさんと連絡を取って、チーム練習の相談。オツさんも戦術を取り入れることに賛成だ。先に4人で頭に入れてから、コートで練習をして、次の練習試合に臨むということで意見が一致した。
 オツさんはナオさんのスケジュールをしっかり把握していて、明日は用事があるけど、明後日の水曜日なら時間があるということで、水曜日に4人で使えそうな戦術をピックアップしてから、オツさんの車で自由に使えるコートを回って、空いてるコートで練習することになった。
「リユはこの本、買ってないんでしょ?」
「ああ、図書室で見て、一回借りただけ」
「じゃあさ、明日は10時半くらいで部活が終わるから、谷先生がいて、学校に来ることがあったら、そのままこの本を買いに行こうよ。そしてそのあとサスケコートっていうのはどう?」
「ま、ネットでも買えるけど、俺は本屋で買う派だし、いいぜ。先生がいなかったら、本屋だけ一緒に行ってもいいし、午前中に俺ひとりで行っといてもいいし」
「せっかくだから、一緒に行こうよ」
「ああ」

 それから下に降りて、園子さんを交えて談笑。
 美那の事前のPRが効いているのか、とっても好意的。試験結果とか、バスケとか、将来の志望とか、「すごいわね」の大バーゲンだ。バイクの話題は出ないから、美那の方で避けているのだろう。
 でも、ふと、どれも褒められてしかるべきものだと思い始めた。
 前期末試験の、文系で学年16位というのも客観的に見れば大したもんだし――もし例えば普段200位前後のヤナギが20位になったら俺もすごいと思う――、バスケだって一緒にプレーしたみんなから驚かれる。将来の志望はまだすっごく曖昧あいまいなものだけど、それでもなんらかの目標はできたわけだし、文系コースのクセに理系学部に、外部受験も含めて挑戦しようかと考え始めているのだ。
「ほんと、最近のリユって、チョーかっこいいよね。学内でもトップを争う女子から言い寄られてるし」
 おい、美那、それは盛り過ぎだろ。
「あら、そうなの。すごいわねー」
 えい、この際だ、ついでにもっと盛っちゃえ!
「この間、有名な建築家にその人の設計した建物で会ったんですけど、一緒にいた人の話だと、僕はセンスあるって思われたらしいです」
「へぇー、美那ちゃんよかったじゃない」
「え、なんで、わたしが……」
「だって、将来の有望株よ。ただでさえ仲がいいんだから、しっかり押さえておかなくちゃ」
「お母さん、本人を前にしてやめてよ」
 母親の露骨な言い方が恥ずかしいのか、美那は頬を赤く染めている。それにしては、なんか愛らしい表情。
「園子さん、あ、おばさんにそんな風に思っていただけると、僕も誇らしいです」
 完全に調子に乗ってるな、俺。
「いま、リユくん、ソノコさんって言った?」
 園子さんが大きな目をさらに見開いて俺を見た。
 しまった、調子に乗りすぎたか?
 怒っている割には、明るい表情に見えるけど……。
「すみません。美那と話す時、どっちの母親かわかりにくくて、ついお名前で言ってしまうもので……」
「なんか、いいわね、名前で呼ばれるの。おばさんとか他人行儀だし、誰かの妻とか、もうそんなもの、脱ぎ捨てちゃいたいもの。これからも、名前で呼んでちょうだい」
 思わず、美那と顔を見合わせる。美那はちょっと呆れたような笑顔だけど、まあいいんじゃない、って感じだ。ま、だしな。
「わかりました。これからは園子さんと呼ばせていただきます!」
 そんな感じで、久しぶりの山下家訪問は思いの外、穏やかなものだった。

 10時を回ったところで、帰ることにした。
 道路まで美那が送ってくれる。
「園子さんが元気そうでよかった」
「うん、ありがと。でもまだこれからだよね」
 美那の表情は重い。園子さんが空元気からげんきということがわかっているんだろう。
「そうかもしれないけど、できるだけ力になるから」
「うん」
「じゃあ、また明日な」
「うん。おやすみ、リユ」
「おやすみ」
 なんか、美那が泣き出しそうな弱々しい瞳で俺を見つめている。
 別れ難いのは俺も一緒なのに……。
 気がつくと、俺は、美那を抱き寄せていた。美那は体の力を抜いて、身をゆだねてくる。
「大丈夫。俺が守るから」
 美那がうなずくのを感じる。ぬくもりが愛おしい。
 そっと美那をはなす。
「さ、早く家に戻れ。ここで見てるから」
 美那は顔を上げて微笑むと、右の腕を伸ばして、俺の左手の甲にそっと触れる。
 そしてようやく俺に背を向ける。
 門扉から玄関の扉に入るまで、美那は何度も振り返って、手を振った。
 俺はその度に手を上げて応え、扉が閉まるまで見送った。

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