カイリーユと山下美那、Z(究極)の夏〜高2のふたりが駆け抜けたアツイ季節の記録〜

百一 里優

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第2章

2-14 有里子さんの涙

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 7月27日土曜日。
 長野の空は晴れている。湿度も低くて快適だ。有里子さんの顔もこれまでになく晴れやかだ。だけど午後からは曇りときどき雨の予報。
 今日の行き先は、皮肉にも、蒼山さんと最後に回った野辺山と小海町の辺り。
 車に乗り込むと、にこやかだった有里子さんの顔が変わり、これまでになく引き締まった表情だ。
 上信越自動車道を使って、八ヶ岳連山の東側を回り込むようにして、一気に南に向かう。JCTジャンクションでは、まだちょっと戸惑うけど、とりあえず上田、小諸を目印にする。
 佐久小諸JCTでは佐久北方面の中部横断道を選ぶ。ナビのままといえば、そうなんだけど。
 でも道路標識のパターンも、かなりわかってきた。蒼山さんのアドバイスに従って、ルート中の主だった市の名前も頭に入れておいた。走行中はナビに頼れないバイク旅の練習にもなる。
 片道1車線の無料の高速道路を走る。長野の市街地を抜けてからは、ずっと山に囲まれたところを走っている。

 雲はどんどん重くなり、雨が落ち始める。
 有里子さんはやたらと無口で、長野を出てからほとんど話していない。
「すぐ見つかると、いいですね」と、俺が声をかけても、「うん」としか返事をしてくれない。
 本当に見つけたいのか、実は見つけたくないのか、俺には有里子さんの気持ちがわからなくなってきた。
 八千穂高原ICが中部横断道の終点だ。無料だから料金所もなく、なんとなく国道とのT字路にぶつかるちょっと変な感じ。そこで、国道141号方面に右折だ。
 さらに次のT字路を清里方面に右折。小海町に入る。
 時折、雨がぱらつく。
 ここまで来るのに千曲川を2回渡り、今は千曲川沿いを走っている。今回の旅はやたら千曲川と縁があるみたいだ。
 山中山荘の立地の候補としては、一昨日撮影した美術館と音楽堂のそれぞれ近くにある別荘地だ。有里子さんは音楽堂の方が可能性は高いと踏んでいて、そっちの方が遠いけど、まずは音楽堂の方から行くことにした。
 有里子さんはホテルを出てから2時間近く連続して運転している。
 目的地は目前だけど、昼近くになっていたので、街道沿いの、大手カー用品店のマークに似たロゴのレストランに入る。俺はがっつりハンバーグ定食を食べたけど、有里子さんは軽めにトマト味のパスタ。
 店を出ると、路面がしっかりと濡れている。雨は降っていない。休憩中に雨は抜けてくれたらしい。
 体感的には昨日とくらべてかなり涼しい。肌寒いと言ってもいいほどだ。有里子さんはカーディガンを羽織り、俺はスウェットパーカーを着込む。
 すぐ先の中学校のところを右に入る。あまり広くない2車線の道路をCX―5はぐいぐい登っていく。有里子さんの運転はいつになく慎重だ。
 やがて白樺の木立が見えてくる。
 そしてT字路に当たり、一時停止の標識。右側は石畳になっている。

 ここだ。

 石畳を越えて敷地内道路を上がっていく。
 木立に挟まれた道のずっと先には、八ヶ岳が険しくそそり立っている。
 有里子さんは、レストランの駐車場に車を入れる。
 ここに車を止めて歩くのかと思いきや、唐突に「食後のデザートにソフトクリームが食べたくない?」と訊かれた。
「食べたい」と答えると、「ティールームでテイクアウトのソフトクリームをふたつ買ってきて」と、お金を渡された。
 ま、ちと寒いけど、飯を食った後だし、冷たいアイスもオツなものだ。
 車の中でソフトクリームを食べ終えて、有里子さんがティシュで口を拭う。「いよいよか」とつぶやく。どうやら確信に近いものがあるらしい。
 一度深呼吸をしてからエンジンをかけ、車をスタートさせる。
 いざ、別荘地に突入だ。

 ここからはiPadで検索エンジンマップとにらめっこ。
 そしたら、500メートルほど進んだところで、目的の山中山荘にあっけなくたどり着いてしまった。
「ここだ」と、有里子さんが落ち着いた声で言う。
 車を路肩に停めて、有里子さんが車から降りる。俺も続く。
 木立の隙間から、かろうじて建物が見える。ほんとに真ん中あたりには壁がなくて、反対側が見える。
 ふと有里子さんを見ると、涙を流している。しかも微笑んでいる。
 確かにユニークな建物だとは思うけど、涙を流すほど感動するかというとそうでもない気がする。
「ついに、たどりつけた……」
 と、有里子さんが独り言のように言う。そして俺の方を向く。
「ありがとう。リユくん」
 俺はただ有里子さんを見て、うなずくだけ。たぶんきっと、人には言えない思いがあるのだろう。
 あれ? 中に人がいる気配。誰かが動いたような……。
 玄関と思われる方を見ると、丸っこい白くて小さな車が停まっている。
 すると、中から、初老の、眼鏡をかけた細身の男性が出てきた。
「なにかご用ですか?」
 ちょっと不機嫌そうな声。
「あ!」と、有里子さん。
「あれ?」と、初老の男性。
 有里子さんが手の甲で涙をぬぐう。そして、お辞儀をする。
「あー、とうとう見つかっちゃったか」
 有里子さんが、元山先生よ、と囁く。俺も慌ててお辞儀をする。
 近づいてきた元山さんは、不機嫌どころか嬉しそうに笑っている。
「長谷部さん、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「この場所は内緒にしておいてくれる?」
「ええ、もちろんです。わたしはただ個人的に見てみたかっただけなので」
「写真は撮りたくないの?」
「え? いいんですか?」
「僕だけ一方的にお願いするわけにはいかないからね。もっとも個人的な写真として非公開でお願いします。ただ、もし君が写真集でも出すときにはまた相談してください」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ、お茶でも淹れますから、中へどうぞ」
 元山先生が中に入ってしまうと、有里子さんは慌ててリアゲートを開けて、一番小さなカメラバッグを取り出した。
 入り口で靴を脱いで、用意されていたサンダルに履き替える。
 例の完全スルーのリビングに案内された。木製のテーブルとベンチシートが置いてある。
 うわー、風がスースーだ。まるでキャンプみたいだな。
「いまお湯を沸かしているから、そこに座っていてください。撮影は、一服してから、ゆっくり中を案内します」
 ぶっとい柱のような部屋の一つに元山先生が入ってしまうと、有里子さんが「夢みたい」と小さく言う。
 先生は緑茶と和菓子をテーブルに置くと、「遠慮せず、どうぞ」と言った。なんか想像していたよりもずっと穏やかな感じの人だ。
「どうやって、ここを見つけたの?」
「ほとんど彼……森本くんがネットや資料からこの別荘地を探してくれました。最後の建物を特定するところだけはわたしがしましたけど」
 俺は自己紹介していないことに気づき、名前を言って、あらためてお辞儀をした。
「モリモト・リユウくんか。ずいぶん若いみたいけど、長谷部さんの撮影アシスタントさんなの? それとも弟さんか何か?」
 うぇー、なんて答えればいいの、有里子さん!
「今回の取材旅行で撮影助手をしてくれてます。実はまだ高校生なんですけど、知り合いの息子さんで、いろいろと事情があってお願いしました」
 有里子さん、それちょっと嘘でしょ。ま、いいけど。噓も方便っていうからな。
「高校生か! 写真に興味があるの? それとも建築?」
 なんで俺に質問してくるんだ? できれば静かにしておきたいのに。バイクとバスケ、なんて言えそうな雰囲気じゃない。
「いや、まあ、元は写真に興味があったんですけど、今回、お手伝いしているうちに建築にも興味が湧いてきました」
 それは嘘ではない。
「今回はどこを回ったんですか?」と、先生が有里子さんに質問。
 有里子さんが記憶を辿りながら、ひとつずつ名前を挙げていく。
「ほう、けっこう回ったね。それでモリモトくんはどれが気に入ったの?」
 また俺にかよ。緊張するじゃんか。
「そうですね、この近くの高原美術館は大地から生えているような感じで面白かったですし、飯山市の文化会館だったかな、あれもコンクリートの建物なのに、中の構造に木材とか使っていたりとか、外部のデザインとか、興味深かったです。そういう意味では、自然保護育成者センターも。あとはそうだな、昨日行った志賀高原の美術館は、内部の視線を導くようなデザインがよかったです。あ、それから諏訪大社の近くの、えーと、神長官じんちょうかん資料館だったかな、あそこもインパクトがありました。あと、松本のサードミレニアムゲートも」
「へー、結構ちゃんと見てるんだね。なかなか頼もしいな」
 おー、なんとかクリアしたみたいだ。何をクリアしたんだか、よくわかんないけど。
「あ、それから、先生のお宅の写真を見たんですけど、この場所と同じような中庭みたいなところに、バスケットボールのリングがありましたね」
 元山先生は怪訝な顔……しまった、調子に乗って余計なことを口走ったか?
「あれね。よく気づいたな。バスケットするのかい?」
 いや、むしろヒットしたみたいだ。
「ええ。僕の場合は、3x3スリー・エックス・スリーという3人対3人でやるバスケットボールです」
「普通のバスケットボールとどう違うの? 普通は5人だったよね」
「はい。コートは普通のバスケの半分くらいで、一つのゴールをふたつのチームで攻守交代しながら使います。5人制のバスケはポジションの役割がわりと決まっているんですけど、3x3はポジションが固定していなくて、自由に動き回ります。5人制は組織的で、3x3はフラットな関係という感じでしょうか。もっとも僕は5人制は経験がなくて、その部分は友達の受け売りなんですけど」
「うちも娘が中学のときにやっていて、それでリングを付けたんだけど、いまはただのオブジェになってるよ」
 そう言って、元山先生は笑った。
「今後もっと建築に興味を持ったら、長谷部さんにうちの事務所に連れてきてもらうといいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「また伺ってもよろしいんですか?」
 淡々と答える俺に対して、有里子さんは腰を浮かして反応する。
「もちろん。僕はただ、この場所をやたらと知られたくなかっただけで、長谷部さんの写真は好きだから」
「ほんとですか!」
「はい。だからこうして中に通して、写真も撮ってもらおうと思っている」
 有里子さん、涙こそ流さないものの、完全に瞳が潤んでいる。
 それから1時間ほどかけて、建物の内部と外側を撮影させてもらった。追加の機材は俺が車から運んできた。
 有里子さんの撮影の構えにはいつも以上に熱が入っているのがわかる。そしてなんかすごくすっきりした顔をしている。
 元山先生はわざわざ車まで見送りに来てくれた。
「じゃあ、残りの取材も気をつけて行ってきてください」
「ありがとうございました」
 有里子さんが深々と頭を下げる。
 機材をしまっていた俺も振り返ってお辞儀をする。
 有里子さんは方向転換をすると、窓を下げて、もう一度お辞儀をする。俺も頭を下げる。
 走り出してしばらくして後ろを振り返ると、元山先生はまだ俺たちを見守ってくれていた。
 敷地の境界になる石畳を踏んで、国道に戻ったところで、「思ったより、柔らかい感じの人でしたね」と、何の気なしに俺が言うと、「ごめん。ちょっと黙ってて」と、有里子さんはきつい口調。
 これは間違いなく内容が悪かったんじゃなくて、今は話しかけるべきではなかったのだ。それにしても異常なほどセンシティブでエモーショナルになってるな……。

 山道が終わりに近づいた頃、有里子さんは道の脇にある駐車スペースに車を停めた。たぶん冬はチェーンの脱着所にでもなるのだろう。
 サイドブレーキがかけられた途端、有里子さんの嗚咽が聞こえてきた。
「ごめん、リユくん、ちょっとの間、ひとりにして……」
 俺は何も答えず、車の外に出た。山荘とは300メートルくらいの標高差があるから、寒さも若干弱まっている。とはいえ、かなり肌寒い。
 寒さしのぎに、草地になった路肩を少し進んでみた。そうすると視界がばっと開けた。そして遠くに山並みが見える。方向的には八ヶ岳と反対側だ。スマホでマップを開いてみると、そこはまさに秩父の山だった。山中山荘の場所を決定づけた、あの写真の!
 さらにもう少し歩いていくと、畑の向こうに、あの写真と全く同じような山並みが広がっていた。
 もちろん今は夏で写真は冬だから同じ光景とはいえないけど、スマホで写真を出してみると、山々の形状は完全に一致している……。あのブログの建築家も山中山荘に感銘して、ここで秩父の山を眺めたんだ。
 有里子さんから着信が入った。
「リユくん、ごめんなさい。どこにいるの?」
「もう大丈夫ですか?」
「うん。落ち着いた。ありがとう」
「有里子さん、車でそのまま道なりに来てください。たぶん1分もかからないと思います。すごいもの見つけちゃいました!」
「え? うん、わかった。行ってみる」
 すぐに曇り空の下で鈍く光る赤いCX―5が見えた。
 俺はすぐそこにあった空き地の入り口で大きく手を振る。CX―5が空き地に入ってきて、停まった。有里子さんが降りてくる。
「見つかったってなにが?」
「ほら、あっちを見てください」と、俺は指を差す。
「これってもしかして?」
「そうです。あの写真と同じ秩父の山並みです!」
「じゃあ、あの人もここであの写真を撮ったんだ」
「そうみたいです」
「すごい、リユくん! 天才かも‼︎」
「カイリーユですから、当然です」
 いかん、完全に流川ではなく桜木花道のキャラになってる。ま、いいか。俺が目指すのはカイリー様なんだから。
「それから、さっきはごめんね。恥ずかしいから、見られたくなかったの」
「いや、いいです、そんなこと」
「今晩、いろいろ説明するね」
「いえ、別にいいですよ。無理して話さなくても」
「できれば聞いてほしい」
「まあ有里子さんが聞いてほしいって言うなら……」
 なんか話、長そうだし、重そうだしなぁ……。
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