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第2章

2-11 ナビゲーターは結構大変

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 7月25日木曜日。
 午前中しか晴れない予報だったので、今日も5時起きで、5時半出発だ。
 明日から蒼山さんがいなくなる準備として、俺が助手席で、蒼山さんが後部座席。基本はナビの指示に従うわけだけど、わかりにくい交差点とか分岐路とかで地図を拡大したりして、どっちに行くとかを明確にする。
 まずは行き先のセットからだ。「高原音楽堂」と「高原美術館」が今日の目的地。かーちゃんの助手席でフィットのナビを設定させられたりするから、メーカーは違うけど要領はだいたいわかる。
 朝方の天気はぱっとしない。雲が空を覆っている。
 諏訪ICから中央自動車道に乗って、一度山梨県に入り、長坂ICで降りる。清里・大泉方面へ左折。北杜市というところを県道28号で北上する。
 6時を過ぎても雲が多い。
 長い橋を渡ると一気に緑が増え、のぼり勾配に変わる。
 標高1150mの看板がある。マツダの2・2リットル、スカイアクティブ―Dエンジンは力強く車体を押し上げていく。
 清里を通り抜け、国道141号線を小諸・佐久方面に入る。この辺りの道路の作りは細い高速道路みたいだ。
 橋を2、3本渡ると、「これより長野県」の看板。戻ってきたぜ、長野県! それと南牧村・標高1374mとの表示板もある。「野辺山宇宙電波観測所」や「JR鉄道最高地点・100m先」なんて案内板も立っている。旅気分、満載だな。
 やがて、ナビは、国道を外れて、左の道に入ってすぐ左折の指示。
 左に入るところに来ると、馬の牧場の案内板が出ている。前の車も牧場の方面に入っていく。先行車に付いて左に入り、有里子さんはそのままその車についていこうとする。
「有里子さん、左に入ってすぐ左折ってナビは言ってた」
 けど、左に道なんてあったか? そういえば、なんとか学園とか看板が出てた気がする。
「リユくん、ナビを拡大表示にして、道が間違っていないか、一応確認して?」
 有里子さんはすぐに車を寄せて停める。
「拡大? ズームアップ?」
「えーと、表示エリアの拡大って意味。いま進んでいる道が目的地につながっているかを確認して」
「了解です」
 エリアを広げると、ん? 方向が違うっぽい。
 今度はズームアップ。青いラインに乗っていない。違う道だ!
「有里子さん、曲がってすぐの脇道に左みたい」
「うわー、やっぱり……なんかそれっぽい狭い道があったよね。やだなー」
 適当な場所を見つけて、方向転換をする。
 そして、入り口に「八ケ岳高原学園」の看板のある、センターラインのない木立に囲まれた車ギリギリ2台分くらいの細い道に入る。
 ナビのルート案内の線では、この道は「高原音楽堂」に続いている。
「有里子さん、OKです」
「わかった。ありがと」
「ここ、わかりにくいよね」と、後部座席の蒼山さん。
 蒼山さんはわかっていたのだ。道の間違いを指摘しなかったのは、明日からのふたりの道中を心配して見守っていたのだろう。
 くたびれたテニス用ハードコートの横を過ぎると、「高原学園」の看板がある。
「こんなひとけのないところに学校があるのかぁ」と、俺がつぶやくと、後ろから、「ここは東京のどこかの区の教育宿泊施設だよ」と、蒼山さんが教えてくれる。
 林を抜け、視界が広がると、センターラインのある比較的新しい舗装に変わる。
 そして突然のT字路。ナビによると左折。行き先を示す道路案内板はない。
 とりあえず有里子さんは左折して、すぐに車を路肩に寄せる。
 曲がったところに「八ヶ岳高原」の案内板はある。
 道を確認するのは俺の役割。まだ慣れていないダイヤル式のコマンダースイッチを操作して、道を確認する。大丈夫そうだ、と有里子さんに伝える。
「じゃあ、このまま行くわよ」
「はい」
 しばらく行くとまた分岐路。ナビの半分に拡大画面が出る。
 現実の道路自体は右にカーブしていくのがっぽいけど、ナビはまっすぐ進む指示。そっちは手前が短い石畳になっていて、普通の道路とは違う。
 有里子さんはナビに従って、まっすぐ入って、車を停める。またナビを操作して、道を確認だ。
「直進でOKです」
「了解」
 路面が石畳になっていたのは、リゾート施設の敷地の入り口であることをさりげなく知らせるためだったらしい。ほぼ道なりに上がっていくと、音楽堂に行き着いた。
 施設の人と合流して、7時過ぎから撮影を行う。雲間からときどき太陽が顔をのぞかせる。なかなかいい感じだ。
 撮影は40分ほどで終了。
 リゾート施設内の道路を引き返して、石畳を越え敷地を出たところをすぐに左に曲がる。
 道はぐんぐん登っていき、白樺の木立も出現する。
 右のカーブを曲がると今度は延々と下っていく。下りきったところでT字路を左に曲がる。再び国道141号だ。
 小諸・小海方面へ。単線の踏切を渡り、南牧村役場を過ぎる。
 右手に横たわる青々とした低い山並みと道路との間に流れるは、またまた会いました千曲川!
 雲がどんどん散っていき、晴れ間が広がってくる。
 ナビの地図はこの先、左に曲がることになっている。地図上ではちゃんと「高原美術館」につながっている。
 ところが左に入ると、車がすれ違うのも難しそうな細くて急な坂道。しかも対向車がやってくる。仕方なく左のちょっとしたスペースに逃げ込む。
「このままこの道を行くのはちょっとしんどいわね。細い道はルートに含まれないように設定したけど、ぎりぎりだったのかな?」と、有里子さん。
 スマホでマップアプリを開いて、レイヤーを航空写真に切り替える。
「有里子さん、この先しばらくはこんな道が続くみたいです。さっきの国道を進んで、ひとつ先の駅の辺りで左に曲がると、遠回りになるけど2車線の道路で行けそう」
「どのくらい遠回りになるのかな……」
「そこまでは……ちょっと待ってください」
 俺はマップアプリでルートを検索。距離的には2キロちょっとしか変わらない。
「距離では2キロ程度の違いだから、時間的にもそれほど変わらなそうです」
「じゃあ、そっちで行ってみる。ここでなんとか切り返すか……」
 どうにか方向転換をして、国道141号に戻る。ナビが新しく想定した道に案内を切り替える。大丈夫っぽい。道は、小海町に入る。
「蒼山さんだったら、どうしました?」と、俺が訊く。
「リユくんが選んだ道を最初から勧めたよ」
 明日からは蒼山さんがいない以上、事前のルートチェックを慎重にやっておく必要がありそうだ。
 しばらく進むと「高原美術館↓(左)」の案内が出てくる。ナビのちょっとしたバグ(※)だったのかもしれない。
 次の交差点の手前に「松原湖」と「高原美術館」は左との案内が出ている。
 左折した県道480号は狭めの2車線道路だけど普通に走れる。
 ところが次に出てきた道路案内には美術館の名前がない……。ナビでは麦草峠・松原湖高原方面に右折する指示だ。
「リユくん、右折でいいのね?」
 俺はアセアセしながらナビを操作。少なくとも道は美術館に向かっている。
「方向的には右折でOKです」
「了解」
 交差点直前の案内にも美術館は表示されていない。むむ。
 曲がってすぐに道幅が狭くなり、センターラインも消える。ただすれ違えないほどではない。やがてまたセンターラインのある道になる。
 うーん。有里子さんは細い道が苦手そうだし、ちょっと緊張するな。
 道は登っていき、視界が開ける。森に覆われた山並みを見下ろし、向こうには高い山がそびえる。
 晴れるのは昼前までの予報で、有里子さんは少々焦っている。だから俺も道を間違えないよう注意しないといけないし、景色を楽しんでいる余裕はない。
 蒼山さんが、「もうすぐ着きます」と、電話をしている。
 右側にそれらしい建物が見え、美術館の表示が!
 駐車場から見る美術館は、横長のわりと素っ気ない建物だ。今は、写真家の個展が開かれているらしい。
 まだ8時半で、開館前の時間。
 職員に挨拶をしてから、来館者が来る前に、まず中庭に面した日差しの入る館内の撮影を終え、内部の写真も撮らせてもらう。
 それから外からの撮影を進める。
 正面玄関の反対側にある広い庭からの眺めが、この美術館の本当の姿らしい。
 打ちっ放しのコンクリートとガラスで構成されている。そういう建物はほかにもあるけど、この建物が特徴的なのは、まるで大地から生えてきたような感じをいだかせること。
 メインの建物は地上2階で屋上は展望台になっている。それとは別に庭の奥に3階建の展望台があって、そこから美術館の全体像を俯瞰ふかんできるようになっている。建物もアートのひとつとして扱っているのだろう。そしてふたつの展望台からは、八ヶ岳の連山も見渡せる。
 11時を過ぎると、急に雲が出てきて、日差しが弱くなる。ただ、撮影はほぼ終わっていて、有里子さんも満足そうな顔をしているから、いい写真が撮れたに違いない。
 到着時に対応してくれた職員にお礼を言ってから、機材を車に戻し、入館料を払って、入場する。
 カフェに入って、早めのランチだ。それから蒼山さんを交えて、明日以降の打ち合わせを行う。
 打ち合わせというより、蒼山さんからのアドバイスだ。
「今日は、突然ナビゲーターを任されたわりにはよくやったと思うよ」と、まずは蒼山さんからお褒めの言葉をいただく。有里子さんもうなずいている。
「明日からは主なルートと目印を頭に入れておいた方がいい。たとえばここなら、松原湖を目印にする。地図でぱっとわかるだろ? 美術館のサイトを見ればわかりやすいアクセス図もあるしね。それと、ルートは基本的に、国道、県道の順に選択すること。もちろん選択肢がない場合もあるけど、その場合はアプリの道路風景写真を使って、道路状況を把握しておいた方がいい。さっきのリユくんがスマホですぐに調べた対応はよかった。それになんと言っても、僕をまったく頼らなかったことが素晴らしかったね! おかげで後ろでゆっくりできたよ」
 蒼山さんの表情を見る限りでは、おだててるのでもなく、皮肉を言っているのでもなく、本当に褒めてくれているみたいだ。ちょっと嬉しいぜ。
「ここで最低限の撮影は終えられたから、あとはまあ気楽に行きましょ」
 と、有里子さんが笑う。
「うん。よかったよ。思いの外、太陽にも恵まれたしね」
「ほんとね。ほとんど曇りか雨と思ってたのに、7、8割は晴れたもんね」
 午後からは3人で館内を回る。有里子さんは写真展もお目当てだったらしい。
 写真展の展示は、人物を入れたモノクロのアート系スナップ写真とでもいうのだろうか。こんな写真の撮り方もあるんだなぁーという感じだ。そしてわりと嫌いじゃない。たしかGRにもモノクロモードがあったな。今度、美那を撮ってみようか。
 3時ごろに美術館を出た。
 午後の初め頃は曇っていたけど、また陽が差している。
 1時間半ほどで長谷部家の別荘に到着。
「じゃあ、時間があったら店に遊びにきてよ」
 蒼山さんはそれだけ言って、すぐにミニに乗って、帰ってしまった。
 夕飯は、お米を炊いて、月曜日に買った残りの材料でカレーとサラダ。
 明日は、新潟県に近い飯山市に行って、志賀高原と小布施町に寄って、長野駅の周辺で宿泊する予定だ。有里子さんとルートを検討したけど、今日のような問題はなさそうだ。
 有里子さんがレズビアンとはいえ、やっぱり大人の女性とふたりだけでひとつ屋根の下にいる状況は緊張する。ま、有里子さんの方はまったく気にしてないみたいけど。それより、余計な気をまわしそうだから、美那にはこのことは言わないでおこう。
 夕飯の片付けと風呂掃除をして、お湯をためている間にハンドリング練習だ。
 有里子さんは写真の整理があるとのことで、今日は俺が先に風呂に入らせてもらう。
 寝る前に美那にメッセージを送信。
<――今日は助手席でナビゲーターをさせられた。午後に行った高原美術館の建物は地面から生えてるような感じでけっこうおもしろかったぜ。またバイクで行ってみたいな。
――>出世したじゃん。わたしも行ってみたいな。
 いつか一緒に行こうぜ、とは言えないし、家族で行けばいいじゃん、とも言えないし、どう返したらいいんだ? そうだ、オツさんを使おう。
<――大会が終わったら、Z―Fourのメンバーでどっかに行くってのもありかもな。オツさんに車を出してもらって。
――>それいいね。ナオさんに吹き込んどこう、っと! じゃ、おやすみ。
<――おやすみ。
 なんか美那は今日は気分が落ち着いてるみたいだな。昨日、俺ん家に泊まったのがよかったのかもな。


※著者注:ナビの案内はあくまでも小説の想定で、マツダ車のナビゲーションシステムで実際にどのように案内されるかを確認したわけではありません。

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