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第1章
1-26 離れがたい夜
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サニーサイドのメンバーは50人くらいは入れそうな食堂のような部屋で懇親会を開いていた。飲料や軽食の自動販売機がいくつもあるからこちらが本当の休憩室なのだろう。
俺たちが入っていくと、みんなが一斉に振り向く。
「Zさん!」と、田中さんが嬉しそうに声を上げ、使い捨てコップをテーブルに置いて、歩いてきた。
ただ、2人しかいないことで状況は察してくれたようだ。田中さんはちょっと残念そうな表情を浮かべる。
「今日はありがとうございました」と、美那が挨拶する。「激戦にもうみんなへばってて、それに明朝早いメンバーもいるので、失礼させていただきます。ほんとはみなさんと交流したかったんですけど」
「ああ、そうですよね。みんなも話したかったみたいですけど、しかたないです。また、いずれ……」
そこまで田中さんは言って、何かをちょっと考え込んだ。
「森本さんがライディングスクールで言ってたと思うけど、大会に出るんだったよね?」
なんか〝さん〟付けで呼ばれると照れ臭い。
「ああ、はい。9月の3x3の大会にエントリーしてます。な?」
俺は話を美那に振る。
「はい。スポーツ用品メーカーのアセンディング・スポーツ社が主催する大会で、男女混合に出る予定です」
「実は3試合目のバスケ部のメンバーとか鈴木とかが、またZさんとやりたいなとか話してて、Zさんは結成直後だけどどこかの大会に出るらしいと話したら、初心者たちも入れて自分たちも参加しようとかいう話になって。まだエントリーは受け付けてるのかな? うちは他社の3x3同好会との対抗戦がメインで、そういうオープンな大会にはあまり参加してなくてね。バスケ部の連中が出る大会は経験者ばりばりの世界だし」
16番最長男子とはプレーしてなかったけど、15番鈴木さんを含むトップ5人の中からチームを組まれていたら、とても太刀打ちできなかっただろう。
「どうでしょう? 見てみましょうか」
美那がスマホで調べる。
「まだ受け付けてるみたいですね」
田中さんも自分のスマホで検索して、「これかな」と言って、画面を美那に見せる。
「そうです」
「ありがとう。急いでメンバーを決めて、エントリーしてみます」
誰かが小走りに俺たち3人のところにやってきた。
6番ラグビーだった。
「おお、高田くん」と、田中さん。
「あの僕、2試合目と3試合目に出ました高田と申します」
俺と美那がお辞儀をする。
「さっき田中さんに確認したんですけど、森本さんは高校生でしかもバスケ歴1カ月なんですよね。試合中はバスケ部でバリバリやってる人と思ってました。自分と同じ初心者とは聞いていたんですけど、勘違いかなと……」
「ほんとに1カ月です。それまでは体育の授業とかでやったくらいで。ただ高校生で時間が有り余っているので、このバスケ女子にしごかれて、自分でもびっくりするほど上達しちゃって、本人も戸惑っています。もちろん、まだまだではあるんですけど」
「自分もあのくらいプレーできたらなと思って」
「いえいえ、とんでもございません」
うまく大人の受け答えができん。我ながらめちゃぎこちない。
「なんか、大会に出るんですよね。サニーサイドでも参加するなら自分もメンバーに加えてもらおうと鈴木さんにお願いしてたんです。出場できたらまたそのときはお願いします。自分も練習して上達しておきますんで」
「はあ。こちらこそ」
高田さんから握手を求められてしまった。握り返したら、試合後は気がつかなかったけど、すごいゴツい手だ。
「高田さんはラグビー出身なんですよね? どのポジションだったんですか?」
ようやく話題を見つけたぞ。
「僕はスクラムハーフでした。スクラムからボールを出して、パスを出すポジションです」
「動きからなんとなくその辺りのポジションかなって思ってました。へー、スクラムハーフか」
高田さんがにこりとする。
「お疲れ様でした。また一緒にプレーできることを楽しみにしてますから」
そう言い残して高田さんは仲間の輪に戻っていった。
「というわけでして、サニーサイドも刺激を受けて、みんなすごくやる気になって、Zさんとお手合わせすることができてとても良かったです。森本さん、いい機会をくれてありがとう」
「いえ、どういたしまして」
「こちらこそありがとうございました。たくさんのメンバーを揃えていただいて、おかげで自分たちの長所や短所をだいぶ把握できました」
やっぱ、美那は俺より大人だ……。
「そう言っていただけるとわたしも準備した甲斐があります。帰りはわかりますか? 守衛所にゲストパスを返却していただければ、守衛さんが記入したリストに退出時間を記入してくれますから、それでOKです。もしわからないようでしたご一緒しましょうか?」
「大丈夫だと思います」と、美那。
「では何かあれば、花村さんがわたしの番号をご存知なので連絡ください」
部屋を出るとき一礼すると、サニーサイドのメンバーが手を振って見送ってくれた。
「なんか今日1日でだいぶ大人になった気分。大人から森本さんとか呼ばれて違和感たっぷりだったなぁ」
休憩室に戻る廊下で並んで歩きながら、俺は独り言のように言った。
「リユのプレーは相当インパクトあったみたいだね。すごいじゃん。6番ラグビーの高田さんて人もなんか燃えてたよ」
「だな。でもあのメンバーで大会に来られたら、ヤバイよな。あっちだって即席のチームだもんな」
「だからZももっと上がっとかないと。それにもっと強いチームも出てくる」
「ああ」
たぶんあの男のチームのことを言ってるんだろうな。
「なあ、美那。俺はもっと思い通りのドリブルがしたい。体は動いても、手とボールが付いて来ないんだ」
「練習しかないよ。でもこの1カ月の努力を続けていけば大丈夫。できればバイト中も練習しといてね」
「もちろんボールは持っていく。どのくらいできるかはわかんないけどな。少なくとも部屋でハンドリングの練習と筋トレくらいはできる」
「うん」
前を向いた美那が微笑む。
なんか今日は美那がやけに可愛く感じられる……。
帰りの車の中で、サニーサイドも同じ3x3大会にエントリーするらしいと美那がオツに話したら、「今日の雪辱を果たす」と、力強い発言。どうやら、また闘志に火が着いたらしい。わりと単純なオツさんであった。でも立ち直ってくれてなによりだ。
あの2ポイント2本の約束はどうなったんだろう。美那は追求しなかったな。
きっとナオさんとふたりでどうするか決めるんだろうな。
いつの間にか熟睡していて、横の美那に起こされた時は国道16号から俺たちの住む住宅地に入る交差点だった。外はもう完全に夜。エナジー石油を出たときはまだ明るかったのに。
先に美那の家に寄る。
俺もここで降りることにした。
「なんだよ、家まで乗っけてってやるのに」
「雨も止んでるし、もうほんとすぐそこなんで。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れさん。じゃあ、次の練習でな」
「美那ちゃん、リユくん、またね」
「先輩もナオさんも疲れていると思うんで、気をつけて帰ってくださいね」
ふたりで並んで車が見えなくなるまで見送った。
「リユは明日はバイクか。怪我しないようにね。じゃあ、また月曜ね」
「ああ。お疲れ」
「あ、リユ」
帰ろうとする俺に、美那が呼びかける。
「なに?」
「今日はすごく楽しかった。ありがとう」
「うん、俺も。悔しかったけど、楽しかった」
なんか、今日は美那と別れるのが妙に名残惜しい。
「じゃあな」と言ってしまうのが、なんかもったいなかった。
もう少し美那のことを見ていたかった。
「ん? なに?」
美那が素直な感じで訊いてくる。
微笑んではいないけど、穏やかで優しい表情。
好き同士だったら、こういうときキスとかしたりするんだろうな。
「いや、べつに」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「ああ」とだけ答え、俺はすぐに美那に背を向ける。
おやすみを言う代わりに左手を上げ、歩き出す。
家の入口の門扉が軋んだ音を立てる。
俺は足を止め、振り返る。
美那が玄関に向かってとぼとぼ歩いている。
足取りが重い。
玄関の扉の前で立ち止まる。けど、すぐにはドアノブに手をかけない。
俺の視線に気づいたのか、ふと振り返って俺の方を見る。
俺は右手を上に伸ばして大きく手を振る。そのまま、後ろ向きに歩き始める。
美那も大きく手を振った。
7月14日、日曜日。また朝から雨だ。泣くよ。
ライディングスクールの初中級コースの大まかなメニューは初級コースと同じなのだが、よりシビアな操作が求められる設定になっている。メインインストラクターは前回と同じ吉田さんだ。
ブレーキング練習も設定速度が高くなっているし、前輪だけ、後輪だけとか条件もついてくる。前輪を取られてコロン。後輪が滑ってバタン。何度も転倒する。
スラロームに至っては、なんじゃこりゃ、と叫びたくなるくらい、先に行けば行くほどパイロンの間隔が狭くなって、ぜんぜん曲がりきれないじゃん!
ただ午後になって雨がほぼ止んで、路面の濡れ具合がだいぶマシになったことで、少しは救われた。
前回以上に転けて、もうほんとヘトヘト。だけど、体の力を抜くことをだいぶ覚えたからなのか、転倒し慣れたからなのか、前回のような変な疲れは感じない。
インストの吉田さんからも、「だいぶリラックスして操作できるようになっていたし、ライディングフォームもきれいになった。低速での動きも安定してきた。スラロームもメリハリがついてきたし、アクセルとブレーキの連携がうまくなればもっと上達できるよ」と、言ってもらえた。
初中級コースが無事終了。
ということは、ついにZ250に乗れる!
7月15日月曜日(海の日)。
連日のハードな戦いで、朝、起きられず。
美那に電話をかけて、許しを乞う。
小雨も降っていたので、美那さまは許してくださった。
午後の早い時間は雨が一時的に止んだので、サスケコートでひとり練習。
ドリブルからシュートの練習をひたすら続ける。試合をしたおかげで、仮想の相手をイメージしながらの練習がしやすくなってきた。
帰りがけに、杉浦さんのご主人に、コートにバスケットのラインをテープなどで印をつけていいか訊いてみた。
「あそこは車を出し入れするからなぁ。それにあの表面だと、すぐにはがれちゃうんじゃないかな。ちょっと考えておくよ」と、渋い返事。貸してもらえるだけで相当ありがたいのだから、無理は言えない。
Z250に乗りたい気持ちはやまやまだけど、道路は濡れているし、我慢。
7月16日火曜日。
またまた朝からけっこう降ってる。
午後も弱い雨。
今年の梅雨はえらいしつこい。サスケコートでの練習はなし。
晴れ間が恋しい。美那は部活で練習できるからいいよな。
降水レーダーを見て、雨の隙間にロードワーク。まさか自主的に走るようになってしまうとは。完全に美那に調教されちまったな……。
今日もZ250はお預け。バイクカバーと強力なU字ロックが届いたので、それで我慢だ。
今日は、硬式野球部の県大会初戦。シード校で3回戦からだ。6―0で県立高校を撃破。学校は盛り上がっているけど、俺には関係ない。だけど、野球部には中等部の時のクラスメートもいるし、自分の学校が勝つのは悪い気はしない。
試験で一番悪かった数学。基礎が足りないのはわかっている。バスケと同じ。ハンドリングとドリブルから。少し遡ってみる。そしたらまたさらに遡りが必要と判明する。だろうな。
結局、中学の数学まで戻ることになった。
中学のときの数学教師の教え方と相性が悪くてつまづいて、試験のたびになんとか誤魔化してきた。こりゃ、時間がかかりそうだ。
しかしZ250に乗り続けるためには数学も疎かにはできん。
そうだ! オツさんが理系じゃんか。今度、勉強のコツを聞いてみよう。
俺たちが入っていくと、みんなが一斉に振り向く。
「Zさん!」と、田中さんが嬉しそうに声を上げ、使い捨てコップをテーブルに置いて、歩いてきた。
ただ、2人しかいないことで状況は察してくれたようだ。田中さんはちょっと残念そうな表情を浮かべる。
「今日はありがとうございました」と、美那が挨拶する。「激戦にもうみんなへばってて、それに明朝早いメンバーもいるので、失礼させていただきます。ほんとはみなさんと交流したかったんですけど」
「ああ、そうですよね。みんなも話したかったみたいですけど、しかたないです。また、いずれ……」
そこまで田中さんは言って、何かをちょっと考え込んだ。
「森本さんがライディングスクールで言ってたと思うけど、大会に出るんだったよね?」
なんか〝さん〟付けで呼ばれると照れ臭い。
「ああ、はい。9月の3x3の大会にエントリーしてます。な?」
俺は話を美那に振る。
「はい。スポーツ用品メーカーのアセンディング・スポーツ社が主催する大会で、男女混合に出る予定です」
「実は3試合目のバスケ部のメンバーとか鈴木とかが、またZさんとやりたいなとか話してて、Zさんは結成直後だけどどこかの大会に出るらしいと話したら、初心者たちも入れて自分たちも参加しようとかいう話になって。まだエントリーは受け付けてるのかな? うちは他社の3x3同好会との対抗戦がメインで、そういうオープンな大会にはあまり参加してなくてね。バスケ部の連中が出る大会は経験者ばりばりの世界だし」
16番最長男子とはプレーしてなかったけど、15番鈴木さんを含むトップ5人の中からチームを組まれていたら、とても太刀打ちできなかっただろう。
「どうでしょう? 見てみましょうか」
美那がスマホで調べる。
「まだ受け付けてるみたいですね」
田中さんも自分のスマホで検索して、「これかな」と言って、画面を美那に見せる。
「そうです」
「ありがとう。急いでメンバーを決めて、エントリーしてみます」
誰かが小走りに俺たち3人のところにやってきた。
6番ラグビーだった。
「おお、高田くん」と、田中さん。
「あの僕、2試合目と3試合目に出ました高田と申します」
俺と美那がお辞儀をする。
「さっき田中さんに確認したんですけど、森本さんは高校生でしかもバスケ歴1カ月なんですよね。試合中はバスケ部でバリバリやってる人と思ってました。自分と同じ初心者とは聞いていたんですけど、勘違いかなと……」
「ほんとに1カ月です。それまでは体育の授業とかでやったくらいで。ただ高校生で時間が有り余っているので、このバスケ女子にしごかれて、自分でもびっくりするほど上達しちゃって、本人も戸惑っています。もちろん、まだまだではあるんですけど」
「自分もあのくらいプレーできたらなと思って」
「いえいえ、とんでもございません」
うまく大人の受け答えができん。我ながらめちゃぎこちない。
「なんか、大会に出るんですよね。サニーサイドでも参加するなら自分もメンバーに加えてもらおうと鈴木さんにお願いしてたんです。出場できたらまたそのときはお願いします。自分も練習して上達しておきますんで」
「はあ。こちらこそ」
高田さんから握手を求められてしまった。握り返したら、試合後は気がつかなかったけど、すごいゴツい手だ。
「高田さんはラグビー出身なんですよね? どのポジションだったんですか?」
ようやく話題を見つけたぞ。
「僕はスクラムハーフでした。スクラムからボールを出して、パスを出すポジションです」
「動きからなんとなくその辺りのポジションかなって思ってました。へー、スクラムハーフか」
高田さんがにこりとする。
「お疲れ様でした。また一緒にプレーできることを楽しみにしてますから」
そう言い残して高田さんは仲間の輪に戻っていった。
「というわけでして、サニーサイドも刺激を受けて、みんなすごくやる気になって、Zさんとお手合わせすることができてとても良かったです。森本さん、いい機会をくれてありがとう」
「いえ、どういたしまして」
「こちらこそありがとうございました。たくさんのメンバーを揃えていただいて、おかげで自分たちの長所や短所をだいぶ把握できました」
やっぱ、美那は俺より大人だ……。
「そう言っていただけるとわたしも準備した甲斐があります。帰りはわかりますか? 守衛所にゲストパスを返却していただければ、守衛さんが記入したリストに退出時間を記入してくれますから、それでOKです。もしわからないようでしたご一緒しましょうか?」
「大丈夫だと思います」と、美那。
「では何かあれば、花村さんがわたしの番号をご存知なので連絡ください」
部屋を出るとき一礼すると、サニーサイドのメンバーが手を振って見送ってくれた。
「なんか今日1日でだいぶ大人になった気分。大人から森本さんとか呼ばれて違和感たっぷりだったなぁ」
休憩室に戻る廊下で並んで歩きながら、俺は独り言のように言った。
「リユのプレーは相当インパクトあったみたいだね。すごいじゃん。6番ラグビーの高田さんて人もなんか燃えてたよ」
「だな。でもあのメンバーで大会に来られたら、ヤバイよな。あっちだって即席のチームだもんな」
「だからZももっと上がっとかないと。それにもっと強いチームも出てくる」
「ああ」
たぶんあの男のチームのことを言ってるんだろうな。
「なあ、美那。俺はもっと思い通りのドリブルがしたい。体は動いても、手とボールが付いて来ないんだ」
「練習しかないよ。でもこの1カ月の努力を続けていけば大丈夫。できればバイト中も練習しといてね」
「もちろんボールは持っていく。どのくらいできるかはわかんないけどな。少なくとも部屋でハンドリングの練習と筋トレくらいはできる」
「うん」
前を向いた美那が微笑む。
なんか今日は美那がやけに可愛く感じられる……。
帰りの車の中で、サニーサイドも同じ3x3大会にエントリーするらしいと美那がオツに話したら、「今日の雪辱を果たす」と、力強い発言。どうやら、また闘志に火が着いたらしい。わりと単純なオツさんであった。でも立ち直ってくれてなによりだ。
あの2ポイント2本の約束はどうなったんだろう。美那は追求しなかったな。
きっとナオさんとふたりでどうするか決めるんだろうな。
いつの間にか熟睡していて、横の美那に起こされた時は国道16号から俺たちの住む住宅地に入る交差点だった。外はもう完全に夜。エナジー石油を出たときはまだ明るかったのに。
先に美那の家に寄る。
俺もここで降りることにした。
「なんだよ、家まで乗っけてってやるのに」
「雨も止んでるし、もうほんとすぐそこなんで。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れさん。じゃあ、次の練習でな」
「美那ちゃん、リユくん、またね」
「先輩もナオさんも疲れていると思うんで、気をつけて帰ってくださいね」
ふたりで並んで車が見えなくなるまで見送った。
「リユは明日はバイクか。怪我しないようにね。じゃあ、また月曜ね」
「ああ。お疲れ」
「あ、リユ」
帰ろうとする俺に、美那が呼びかける。
「なに?」
「今日はすごく楽しかった。ありがとう」
「うん、俺も。悔しかったけど、楽しかった」
なんか、今日は美那と別れるのが妙に名残惜しい。
「じゃあな」と言ってしまうのが、なんかもったいなかった。
もう少し美那のことを見ていたかった。
「ん? なに?」
美那が素直な感じで訊いてくる。
微笑んではいないけど、穏やかで優しい表情。
好き同士だったら、こういうときキスとかしたりするんだろうな。
「いや、べつに」
「うん。じゃあ、おやすみ」
「ああ」とだけ答え、俺はすぐに美那に背を向ける。
おやすみを言う代わりに左手を上げ、歩き出す。
家の入口の門扉が軋んだ音を立てる。
俺は足を止め、振り返る。
美那が玄関に向かってとぼとぼ歩いている。
足取りが重い。
玄関の扉の前で立ち止まる。けど、すぐにはドアノブに手をかけない。
俺の視線に気づいたのか、ふと振り返って俺の方を見る。
俺は右手を上に伸ばして大きく手を振る。そのまま、後ろ向きに歩き始める。
美那も大きく手を振った。
7月14日、日曜日。また朝から雨だ。泣くよ。
ライディングスクールの初中級コースの大まかなメニューは初級コースと同じなのだが、よりシビアな操作が求められる設定になっている。メインインストラクターは前回と同じ吉田さんだ。
ブレーキング練習も設定速度が高くなっているし、前輪だけ、後輪だけとか条件もついてくる。前輪を取られてコロン。後輪が滑ってバタン。何度も転倒する。
スラロームに至っては、なんじゃこりゃ、と叫びたくなるくらい、先に行けば行くほどパイロンの間隔が狭くなって、ぜんぜん曲がりきれないじゃん!
ただ午後になって雨がほぼ止んで、路面の濡れ具合がだいぶマシになったことで、少しは救われた。
前回以上に転けて、もうほんとヘトヘト。だけど、体の力を抜くことをだいぶ覚えたからなのか、転倒し慣れたからなのか、前回のような変な疲れは感じない。
インストの吉田さんからも、「だいぶリラックスして操作できるようになっていたし、ライディングフォームもきれいになった。低速での動きも安定してきた。スラロームもメリハリがついてきたし、アクセルとブレーキの連携がうまくなればもっと上達できるよ」と、言ってもらえた。
初中級コースが無事終了。
ということは、ついにZ250に乗れる!
7月15日月曜日(海の日)。
連日のハードな戦いで、朝、起きられず。
美那に電話をかけて、許しを乞う。
小雨も降っていたので、美那さまは許してくださった。
午後の早い時間は雨が一時的に止んだので、サスケコートでひとり練習。
ドリブルからシュートの練習をひたすら続ける。試合をしたおかげで、仮想の相手をイメージしながらの練習がしやすくなってきた。
帰りがけに、杉浦さんのご主人に、コートにバスケットのラインをテープなどで印をつけていいか訊いてみた。
「あそこは車を出し入れするからなぁ。それにあの表面だと、すぐにはがれちゃうんじゃないかな。ちょっと考えておくよ」と、渋い返事。貸してもらえるだけで相当ありがたいのだから、無理は言えない。
Z250に乗りたい気持ちはやまやまだけど、道路は濡れているし、我慢。
7月16日火曜日。
またまた朝からけっこう降ってる。
午後も弱い雨。
今年の梅雨はえらいしつこい。サスケコートでの練習はなし。
晴れ間が恋しい。美那は部活で練習できるからいいよな。
降水レーダーを見て、雨の隙間にロードワーク。まさか自主的に走るようになってしまうとは。完全に美那に調教されちまったな……。
今日もZ250はお預け。バイクカバーと強力なU字ロックが届いたので、それで我慢だ。
今日は、硬式野球部の県大会初戦。シード校で3回戦からだ。6―0で県立高校を撃破。学校は盛り上がっているけど、俺には関係ない。だけど、野球部には中等部の時のクラスメートもいるし、自分の学校が勝つのは悪い気はしない。
試験で一番悪かった数学。基礎が足りないのはわかっている。バスケと同じ。ハンドリングとドリブルから。少し遡ってみる。そしたらまたさらに遡りが必要と判明する。だろうな。
結局、中学の数学まで戻ることになった。
中学のときの数学教師の教え方と相性が悪くてつまづいて、試験のたびになんとか誤魔化してきた。こりゃ、時間がかかりそうだ。
しかしZ250に乗り続けるためには数学も疎かにはできん。
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