転生先は猫でした。

秋山龍央

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馬車

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おれとコリン君がそんな感じでおしゃべりを続けて、三十分が経っただろうか。今日はロディがカウンターで揉めているようで、なかなかこちらに帰ってこない。

どうしたのかなと思い、カウンターの方を見ると、女性のスタッフさんと何やら一生懸命話している最中だった。フォローしに行こうかと思ったものの、見れば、話をしている女性の受付嬢は、おれの従魔登録をした際に担当をしたあの無愛想な女性だった。

前回、彼女に甲高い声で怒鳴られた記憶が蘇る。うーむ、おれが行っても逆効果だろうか……?

コリン君も、ロディがなかなか戻ってこないことにそわそわし始めた。もしかすると約束の時間が迫ってきているのかな?

コリン君の相手をこのまましようか、それともロディの様子を見に行こうか悩むおれ。すると、そんなおれ達二人に、ある男が近づいてきた。

「失礼します。ロットワンダ商会のコリン様……でございますよね?」

ウェーブがかった紺色の髪を持つ、四十代ほどの男性だった。シャツの上には革製の鎧を着込み、腰には片手剣を佩いている。袖口からよく日に焼けた肌と筋肉が覗いているが、肌にはあまり張りがない。慇懃無礼な言葉とは裏腹に、コリン君を見つめる瞳からはどことなく荒んだ印象を覚えた。

「そうだけど、貴方は?」

「失礼しました。私はロットワンダ商会からの伝令で参りました。ただ、元々自分はロットワンダ商会の者ではなく、今回は火急の伝令ということで雇われたため、コリン様は私めには覚えがないかと存じます」

そこまで言うと、男はごそごそと懐から何かを取り出した。出してきたのは定期券くらいの大きさの、木製の札だった。

その木製の札には紋章のようなものが押印されている。

「うちの……ロットワンダ商会の商紋……」
「はい。それで、至急のお話というのがですね」

そこまで言って、男は床に膝をつく。そして、口元に手を当てるようにして、ひそやかな声でこう告げた。
とは言っても、おれはコリン君のお膝の上に乗ったままなので彼の声は丸聞こえであったが。

「ロットワンダ商会の末娘である、貴方様の妹君……リリお嬢様が倒れられたとのことでございます」
「リリが!?」

一気に顔から血の気をなくして、慌てて長椅子から立ち上がるコリン君。
軽いパニック状態になったのだろう、彼は膝の上にいるおれをそのまま抱き上げて立ち上がっていた。

「ど、どうしてリリが……?」

「庭先での散歩をされていた際に、車椅子で転倒されたそうで……その際に、頭をぶつけた際の打ちどころが悪く、意識が戻っておりません」
「そんな……!?」
「現在、母君と兄君がリリお嬢様を神殿に連れていき、治療魔法をかけております。早くコリン様も向かって下さい。外に馬車を手配しております」
「わ、分かった」

真っ青な顔のまま、小刻みに震えるコリン君。男はコリン君を安心させるように肩を叩いた後、颯爽と歩き始めた。コリン君も腕の中のおれをぎゅうっと抱きしめて、男の後に足早に続く。

……そう。おれを抱きしめたままである。

「にゃ、にゃあ……」

コリン君はどうもショックが大きすぎて、おれを解放することを忘れているようだ……!

試しに声を上げてみたのだが、コリン君の耳には届いていないらしい。今はもう真っ青を通り越し、白いぐらいの顔色になって、おれを抱えているのとは反対の親指の爪を、がりがりと噛んでいる。

えっ、ど、どうしよう?
リリちゃんとコリン君のことはすごく心配だし、付き添いたい気持ちもあるけれど、ロディに何も言わないで出て行きたくはないし……!

そうこうしている合間にも、男とコリン君は冒険者ギルドから外に出てしまった。
コリン君はなおも、おれが腕の中にいることに気がついてないようだ。

えーい、しょうがない!
許せ、コリン君っ!

「にゃーっ!」
「ぁ、うわっ!」

おれが一際大きく鳴くと、コリン君の腕にがぶりと噛み付いた。とは言え、本気で噛んだわけではないので、コリン君の腕に赤い痕がついたぐらいだ。
ひるんだコリン君の腕の力が弱まったので、おれはコリン君の腕から飛び出した。そして難なく地面に着地する。

「あ……ああ、ごめんね。慌ててクロ君を連れてきちゃったね」
「にゃお」

いいってことよ。早くリリちゃんの所にいってやりな。

「コリン様、お早く!」
「あ、ああ、うん。じゃあ、クロ君ごめんね」

こんな時でも申し訳なさそうに謝ってくれるコリン様はいい子だと思う。
願わくば、リリちゃんの怪我がそんなに大したものではないといいのだけど。

そんなことを思いながらコリン君の背中を見送っていると、おれはふと、今いる場所がいつもの冒険者ギルドの入り口ではないことに気がついた。

ここは裏口なのだろうか? 表の玄関はいつも冒険者で混み合っているのだが、こちらの裏口は一本外れた通りのようで、あまり人気がない。しかも、この裏口の前を車体で占領するようにして馬車が止まっているので、数少ない通行人もほとんどこちらから見えなくなっている状態だ。

コリン君は男の後に続いて、馬車まで小走りで走っていったが、ぴたりと足を止めた。

「コリン様? いかがなさいましたか」
「この馬車……うちの、ロットワンダ商会のものじゃない」

コリン君がそう言った瞬間、空気がざわりと変わった。
突如として、切っ先を喉元に突きつけられているような、緊張感を孕んだ空気へと一変したのだ。

え、なにこの空気?

「……緊急事態で、ロットワンダ商会の馬車はすべて出払っていて、市井のものしかなかったのですよ」
「嘘だ! こういう事態のために、父はリリのために馬車を必ず残しておくようにしているんだ。リリを溺愛している父が、今日に限ってそんなミスをするはずがない!」

あのシスコンのコリン君にそこまで言わせるお父さんって、一体どんな人なんだ……。

人間の身体であればツッコミを入れたい所であったが、ぷにぷにの肉球とこの空気感ではそうもいかない。
コリン君の言ったことをどう判断したのか、男の方はむっつりと押し黙るばかりだ。

しばらくの沈黙の後、コリン君はじり、と後ずさりをした。そして、ちらりと背後に目をやる。コリン君の後ろにあるのは冒険者ギルドの扉だ。
ここまでくれば、おれもさすがに只事ではないのが分かった。
できれば冒険者ギルドの誰かに助けを求めにいきたいが、いかんせん、裏口のドアは重すぎておれには開けることができない。

「……ちっ」

だが、そこで男の方が大きく動いた。片手を上げて振ると、なんと、馬車の中からもう一人、そして建物の影から二人、男たちが現れたのだ。

新たに現れた三人の男たちは、紺色のウェーブ髪の男よりもくたびれ、汚れた服を着ている。あまり風呂に入っていないのか、肌は垢汚れで浅黒い。その中で、目だけがギラギラとコリン君を見据えて離さない様子は異様の一言に尽きた。

四人の男に囲まれる形になったコリン君は、もうなりふり構わずくるりと踵を返し、自分が出てきた扉へと駆け出す。
おれもまたコリン君と共に冒険者ギルドの扉へと向かう。

が、相手の方が一足早かった。
一人の男が片手でコリン君の服の裾をつかみ、体勢が崩れたところで二人目がコリン君を羽交い締めにしてしまう。コリン君は抵抗をしようと彼らを押しのけたが、四人の男達相手では多勢に無勢だった。

「ファーっ!」
「いてっ! なんだこいつ?」

コリン君を羽交い締めにした男に飛びかかり、おれの爪で引っ掻いたものの、腕に切り傷をつけるだけで終わってしまった。

しかも、おれも首根っこを掴まれ、男たちの一人に捕らえられてしまう。

「そのチビ、ロットワンダ商会のこの坊やが連れてたんだよ。だからロットワンダ商会の従魔かもしれんな」
「じゃあ一緒に連れて行くか。もしかすると、こいつだって端金にはなるかもな」
「ンーっ、ンーっ!」

男たちの会話に大して首を横に振るコリン君だったが、ウェーブ髪の男にみぞおちを殴られると、ぐったりと動かなくなってしまった。どうやら気を失ったようだ。

コリン君の無事を確かめたかったが、おれはなおも男に捕らえている状態であり、せめて歯をむき出しにして唸るぐらいしかてきない。

ふと、人間体に変身しようかと思いつく。

人間体になって大声で助けを求めるーーいや、その前にこの四人に斬り殺されるだろう。
見た所、こいつらはコリン君をなにかの目的のために誘拐しにきたようだ。だが、おれには何の利用価値もない。助けを呼ぼうとする前にこいつらに殺されて終わるだろう。
目の前にいきなり全裸の男が現れたところで、こいつらが怯むとは思えない。
いや、まぁ、別の意味では怯むかもしれないけれど……。

「そのチビはこれに入れておけ、さっさとずらかるぞ」

「おう」

ウェーブ髪の男は馬車の中から持ってきたずだ袋の口を開く。
それをどうするのかと思った瞬間、首根っこを掴んでいた男が、おれをずだ袋の中に放り投げた。

「にゃっ……!?」

ずだ袋の中で暴れてみるも、袋にはキズ一つつかなかった。

そして男たちは、袋に入ったおれと、気を失ったコリン君を抱え歩き始めた。ぐらぐらと揺れる袋の中で吐き気を堪えていると、どすんと何かやわらかいものの上に投げるように置かれた。

おれ入りの袋が投げられたと同時に、そのやわらかいモノは身じろぎをして「ううん……」と呻き声を上げた。コリン君の声だった。どうも、おれは横たわったコリン君の真上放り投げられたらしい。

けれど、コリン君と離れ離れになっていないことには少しホッとする。

だが、その小さな安堵もつかの間だった。

おれとコリン君たちがいる地面が、大きくぐらりと傾ぎ、おれは慌ててバランスをとってコリン君の上から落ちないようにふんばる。

男たちはおれの奮闘には目もくれていないようで、何事かをベラベラと喋っているが、あまりよく聞き取れない。男たちのしゃべる声よりも、聞こえてくるガタガタと車輪が回る音と、ギシギシと軋む車体の音の方が大きかったからだ。

……おれの心は現在の状況から導き出される答えを否定したがっていたが、もはや疑いようはない。状況から判断するに、コリン君とおれは無理やり、先程の馬車に乗せられたようだ。しかも、馬車には先程の男たちが一緒に乗っており、コリン君が目を覚ましたところで用意には逃げられそうにない。

「…………にゃあ」  

……どうにも最悪なことに、コリン君は誘拐されたようだ。
そして、コリン君のおまけとして、おれもついでに誘拐されたらしい。
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