転生先は猫でした。

秋山龍央

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困惑

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ロディがようやく泣き止んだ頃には、おれの体毛はしっとりと濡れていた。
でも、嫌な気分じゃない。それどころか、ロディの匂いが身体中からするので、気分がいいくらいだ。

「……すまない。人前で泣くことは恥だと分かっているのだが」

人間の姿に戻り、向かいの椅子の上に脱ぎ捨てられていた服を着直していると、ロディが鼻をずびりと啜りながら謝ってきた。
見れば、ロディの瞳は泣きはらしたせいで真っ赤に充血してしまっている。

「恥ずかしいことじゃないさ。泣いた方が心がすっきりするだろ」
「……そうだな。君に話を聞いてもらえたおかげで、ずいぶん気が楽になった。今までずっと誰にも打ち明けられなかったから……」
「そうそう、やっぱり辛い時はたくさん泣かないとな」

 それにしても……今までのロディの言葉尻とか態度で、過去になにか人間関係でもめたんだろうなぁとは薄々勘付いていたけれど、おれの予想をはるか斜め上で追い越してきたな。

 いやー、本当にすごい女だ。
というか、ロディと彼女の仲を秘密にさせたのも、平行して剣士の男と付き合うための名目だったんじゃないか? 剣士の男も、女との付き合いはパーティーメンバーに打ち明けないようにさせられてたんだろ? なら、初めから二股かける気満々だったんじゃないか。

……というか、この手練手管、絶対シロウトさんじゃないよねー……。

どう贔屓目に考えても、田舎から出てきた冒険者を狙った結婚詐欺師の手口だよね……。
二股がばれた際のしらじらしい被害者ぶった物言いといい、明らかに手慣れてるし。

 先程ロディ自身も「要塞都市ドンミルはここよりも遥かに大きい都市だから、農村で耕作地がもらえないような、あぶれた男たちが出稼ぎにたくさん来ている」って言っていた。
つまり、結婚詐欺を生業にしているような人種にとってみれば、要塞都市ドンミルという場所は、バイキングレストランに等しい街というわけだ。

 不幸中の幸いと言うべきか、ロディはそのことに一切気づいてないようだが。

……おれのこの考えが正しければ、そのヒーラーの女性はきっとその剣士の男性とも結婚はしてないだろうなぁ。恐らくはロディと仲間の諍いのほとぼりが冷めた頃に、お金だけ持ってとんずらしたに違いない。

まっ、こんな話はわざわざうちの可愛いご主人様に聞かせなくてもいいよな!

というか証拠も何もない話だし。もしかすると千分の一くらいの可能性で、今頃は剣士さんとその女が結婚式を上げて幸せに暮らしている可能性もあるわけだし?

「クロ?」
「ああ、ごめん。なんでもない」

 おれが難しい顔で考え込んでいたのを訝しげに思ったのか、ロディが不思議そうに声をかけてきた。おれは慌ててロディに向き直る。
 そう、おれが今、一番考えなければいけないのは、ロディのことなんだ。ロディは今もなお心に深い傷を抱えているし、このまま放っておけば現実逃避からアルコール中毒になりかねない。
ロディの元・お仲間さんたちは、その女に捨てられたって三人で傷の舐めあいでも何でもできるだろうが、ロディにはおれしかいないんだ。

「とりあえず、ロディがこの街に越してきた経緯はわかったよ」

けれど、もう一つだけ謎は残っている。ロディがこの街の冒険者ギルドで、仕事にありつけない理由だ。
口には出さなかったものの、ロディもおれの疑問を察したらしい。
重い溜息をついた後に、再び口を開いた。

「それでな、クロ。俺は今、仕事がないんだと話をしたろう?」
「うん。冒険者ギルドでパーティーを組めないと、冒険者の仕事はできないって」

ゲームやアニメなんかでは、ソロで冒険者になって単独で大活躍なんて展開はよく見るのだけれど、現実はそうはいかないんだな。孤高の英雄という響きが好きなおれとしては、残念至極だ。

「ああ、冒険者は最低三人以上の人員からなるパーティーを編成しないと討伐依頼が受けられない。だから、俺が冒険者として仕事をするには、冒険者ギルドでどこかのパーティーに入れてもらうか、新規でパーティーを作らないといけないんだが……」
「うん」
「だが、この街に来てから三ヶ月が経つが、冒険者ギルドでのパーティー編入申請や新規パーティーの申し込みが一度も通らないんだ」
「えっ!?」
「それどころか、掲示板への募集書の掲示もまったくされない」
「な、なんで……?」
「おそらくなんだが……俺の元のパーティーメンバーが冒険者ギルドに俺のことを、素行に問題のある危険人物で届けを出したんだろう。冒険者ギルドでは、街を隔てていてもギルド間ですべての情報が共有されている。危険思想を持つ人間や、仲間に危険を及ばせる行動をし得るみなされた者には、パーティー編入申請や申し込みが通らないようになっているんだ」

そ、そんな制度があるのか!
驚きだ。意外としっかりしてるんだな、冒険者ギルドって。
当たり前か。下手な人物を冒険者にしたら、逆にどんなトラブルを起こすか分かったものではない。仕事の内容によっては、逆に依頼人に害をなすようなことさえ起きるかもしれない。そういった事態を防ぐための措置制度なのだろう。
けれど、今回はロディと元・パーティー仲間とのトラブルは完全な冤罪だろ?

「その危険人物届は、取り下げてもらうことってできないのか?」
「本人が取り下げるのは無理だ。それだと意味がない」
「う……なるほど」

まったくその通りだった。
本人が申請して取り下げることができるなら意味がない。

「じゃあ、どうやれば取り下げてもらえるんだ? おれが取り下げてもらえるようにお願いってできるのか?」
「取り下げる方法は……冒険者ギルドに加盟している冒険者、複数人から署名をもらうことだな。他には、ギルドへの有力な出資者からの口利きで解除してもらえるそうだが……俺には伝手がない」
「……要塞都市ドンミルには、元お仲間さん以外に、ロディは知り合いや友人はいなかったのか?」

聞きにくいことであったが、聞かなかればいけないことだったので、おれは恐る恐るロディに尋ねる。ロディは頬を赤らめ、気まずそうに答えた。

「その……俺は元来、あまり人付き合いが上手い方じゃなくてな。要塞都市ドンミルでも、ほとんど仲間たちとしかつるんでこなかったから……」
「……そっか」

それこそロディにとっては、その三人の友人たちさえいれば充分だと思ってたんだろうな。
……本当、マジで腹が立ってきたな。目の前にいたら、そいつらの顔を引っ掻いてやるのに。

「それに、要塞都市ドンミルでは……その、彼女を無理やり襲ったという話がすっかり広まってしまって、味方をしてくれる者もいなかったんだ。だから俺は都市に居づらくなって、すぐにそこを出て……逃げるようにしてこの街に移った。冒険者ギルドに危険人物届けが出されてしまっているようだと気づいたのは、この街に移ってからだった」
「……まぁ、どの道その状況ならドンミルとやらに残っていてもしょうがなかっただろうな」

 しかし、まさかそういう理由でロディが冒険者のパーティーが組めないとは……。
まったく予想だにしていなかった理由だ。
 でも、普通そんな届けを出すか? そんな届けを出されたら、冒険者として活動できないロディが仕事にあぶれて、最悪、飢え死にしかねないのはちょっと考えれば分かるだろ?
ああ、でも、彼らにとってはロディは「リーダーの女に横恋慕して無理やり襲った男」であるわけだし……あー、でもやっぱり納得いかないぜ!
むしろこうなったらぜひとも、そのサークルクラッシャーガール兼結婚詐欺師の女は、彼らからふんだくるだけふんだくって欲しいものだ。

「……この都市にきてからもう三ヶ月だ」

ロディの落ち込んだ声にハッと彼を見ると、ロディは今までになく落ち込んだ様子で肩を落としていた。

「今まで冒険者一筋でやってきた俺は、金勘定や客商売なんかこの歳でいまさらできない。村に帰るのももう無理だ。まだ、どうにか蓄えはあるが……それでもこのまま冒険者としての仕事が見つからなければ、いずれ家賃だって払えなくなる。そうなれば、スラムにでも行って路上暮らしになるしかない」
「ロディ……」
「もう、そうしたら、ますます冒険者への復帰は絶望的だ」

ロディが再び泣き出しそうになっているのが分かり、おれは慌てて席を立った。
そして、ロディの傍に行くと、彼の頭を胸元に抱え込むようにして抱きしめる。

「そう暗い考えにばっかりいくなよ。きっと大丈夫だって。討伐依頼じゃなくても、冒険者の仕事って他にないのか? 一人でもできる安全な仕事もあるだろ?」

ロディはおれが抱きしめても嫌がらなかった。大人しく、されるがままになっている。
表情は見えないものの、ぐすりと鼻を啜る音が聞こえた。

「……初心者向けに薬草採取の依頼なんかがあるが……でも、俺はやったことがない。それに、さほど大した金にはならないぞ」
「なら明日、それに行ってみよう」
「クロは薬草採取をしたことがあるのか?」
「いや、まったく。でも、初心者向けの仕事なら、むしろロディは余裕で出来ちゃうだろ?」
「だが……」

なおも何か言い募ろうとするロディをなだめるように、おれは彼の頭をぽんぽんとやさしく叩いた。

「大した金にはならなくても、何も稼ぎがないよりは精神的に余裕が生まれるさ。余裕が出来たら、もっといい方法が思いつくよ」
「……でも、もしも駄目だったら」

うーん、やっぱりロディはだいぶナーバスだ。
でも無理もないか。ずっと信頼していた仲間と、手酷い形で別れることになったんだもんな……。
ここはおれが根気強く、ロディにやさしくし続けることが重要だろう。

「もしも駄目だったら、その時はまた別の方法を考えればいいさ。ロディが許してくれるなら、おれも何とかして外に働きに行くし」
「……クロは、何か働ける技能を持ってるのか?」
「農作業も冒険もやったことないけど。まぁ、計算とか調理ぐらいならなんとか出来るぜ」
「そ、そうなのか? ……すごいんだな、君は」
「だからさ、絶対に大丈夫だから、あんまりアレコレ考えるなよ。ロディは少し考えすぎだよなー。まぁ、そこがロディのいいところだと思うけど」
「……そんなこと、初めて言われたな」

おれの腕の中で、ロディが苦笑いをこぼしたのが身体の微妙な震えと声音で伝わった。

「いつも、思い悩み過ぎるのが悪いクセだとは、仲間たちにも言われてたんだが……いいところだと言ってくれたのは、君が初めてだ」
「そうか? ロディの周りの奴等はつくづく見る目がなかったんだなぁ」

掌で、わしゃわしゃとロディの金髪を撫で回す。
そういえば、猫の姿の時は抱っこされたりはしょっちゅうだけど、人間の姿でこんなに密着するのは初めてかもな。もちろん、初めての日の風呂場でロディに全裸でのしかかる事件を除いてのことである。
いつもはロディに抱っこされているおれが、今日はこうやってロディを抱っこしている。うん、たまにはこういう日も悪くないね。

「……今の俺に……そんなことを言ってくれるのは、クロだけだ」

 ぐっと、ぬくもりが近くなる。
ロディが自分の身体を預けるように、おれの胸に自分から顔を埋めてきたからだ。おれの胸なぞ、ロディの筋肉のついた厚い胸板ほど面白いものではないだろうが、それでもロディはおれの胸に頭を預けきっていた。

「仲間に見放された自分に、もう価値なんかないと思っていた」
「そんなことは絶対にない。なにせ、ロディはおれの大事なご主人様だしな」
「クロ……」
「おれができることなら何でも手伝うからさ、そんなに思いつめないでくれ。ロディはもっと好きなように生きてみてもいいと思うぞ」
「好きなように生きる……?」

胸元から顔を上げたロディが、おれを不思議そうに見つめ返す。
ターコイズブルーの瞳は、涙にうっすらと濡れて、まるで湖の一番きれいなところの水をすくい取ってきたばかりのように澄んでいた。
おれはロディの頭をやさしく撫でながら、その瞳を見つめ返して答える。

「さっき、ロディの元・パーティーの話の時に、ロディはずっとタンク役だったって言ってただろ? で、シールダーは花形の職種じゃないから人気じゃないんだって。それってもしかして、周りの友人に合わせて自分のジョブを決めたんじゃないのか?」
「……どうして分かったんだ?」

カマかけのようなものだったけれど、案の定、そうだったらしい。
仲間と別れてロディがこんなに落ち込んでいるのは、彼らと仲間割れしたからと同時に、自分に何の価値もないと感じてしまっているからだろう。
 けれど、もしもシールダーという職種が、自分の意志で選んだジョブだったのなら、そういう思考にはならないだろうと思ったのだ。

「ロディが、自分に何も残ってないって思うのは、自分の意志でまだ行動してないからだよ」
「自分の?」
「おれはロディに、冒険者とかタンク役とかじゃなくてさ。なんていうか、もっと自分自身を生きてほしいんだよ」
「そんなの、いきなり言われても想像がつかないな……」

ロディが困ったように眉を八の字に下げる。
まぁ、いきなりそんなこと言われても難しいよな。でも、ともかく今のロディに一番大切なことは、気分転換をすることだと思う。
本来なら、仕事に没頭できていれば嫌なことを思い出したり、考えたりしなくて済んだに違いない。だが、今のロディは状況的に仕事ができない。とくれば、友人や恋人と話をしたり、美味しいものを食べたりとか、そういうことが必要だ。

「たとえば新しい恋をするとか、どうなんだ? それとも、今は女性と付き合う気にはまだなれないかな?」

ロディは今、ちょっとやつれが目立つ顔ではあるが、それでも充分に男前だ。
というか、多分ロディが気がついていないだけで、冒険者ギルドに行く道すがらでもけっこう若い女の子からちらちらと注目されていた。

 そんなロディ以上に、おれの方が女の子からの視線をはるかに頂いてちゃったけどね!
いやー、モテる男はつらいなぁ! おれのふわふわ真っ黒ボディに、すれ違う女の子は皆、もう目が離せない状態だったぜ!
……まぁ、女の子だけじゃなく、男性陣からも大注目だったけど。
というかむしろ、男性陣の方が遠慮なく「触っていいか?」「パン食べるか?」「お手々、ぎゅってしていいか?」って感じで遠慮なくおれに触ってくるんだけど。

しかし、おれの提案にロディはますます苦い顔になってしまった。

「……無理だ」
「え? あ、やっぱり今は女と付き合うのとかごめんって感じ?」
「いや……その……」

なんだろう。いきなりロディの歯切れが悪くなった。
ロディは頬をほんのりと赤らめつつ、もごもごと口ごもりながら言葉を続ける。

「……この都市に来て少し経った頃、やっぱり俺も気分転換というか……彼女とのことを払拭したくて、その、娼館に行ったこともあるんだ」
「なんと」

びっくりだ。
ロディはそういうタイプだとは思わなかった。意外だなー。
でも、あんがい普通のことなのかもな。ロディの年齢は聞いてないが、二十四とか五くらいだろうし。要塞都市ドンミルってのは冒険者が集まるような大きな街だそうだから、もちろんそういう色街も栄えていたんだろう。

「いいじゃないか、娼館。どうだった?」
「……その…………」
「うん」
「………………勃たなかったんだ」
「………………」

え。

「情けない話だが、彼女に別れを切り出されて、パーティーを追い出されたあの日から……その、自分でやっても上手く勃たなくて。娼館にでも行って、女性を前にすればまた違うかと思ったんだが……」
「あー……」

そ、そういうアレでしたか……。

……マジで、その女とロディの元・お仲間たちにはなにか天罰が当たらないかな。
あの三途の川の受付で、もっとポイント交換できるスキル一覧に目を通しておけば良かった。「悪い奴らが軒並みタンスの角に小指をぶつけるようになる能力」とかあったら、今すぐ欲しい。
ただ、そんな奴らのために、地獄でのウキウキ強制労働刑に落ちるのはごめんだけど。ただ、「両足の小指をタンスの角にぶつけるようになる能力」とかなら、考えなくもない。

――あ。
そういや、この人間化のスキルのポイントの謎ってまだ解けてなかったな。
 最近はロディのことにすっかり夢中で忘れていたが、あの三途の川で聞いた説明に誤りがないのなら、おれの今生での善行ポイントが足りない場合、死後、地獄でのワクワク強制労働刑行きになる可能性があるのだった。
猫の寿命は、人間よりもはるかに短い。人間の感覚でうかうかしていたら、あっという間に老人になっている可能性もあるだろう。なら、今のうちにできるだけ善行を積んでおかねば。

「……よし。なら、おれがロディを見てやるよ!」
「は?」

うん、これしかないな。

「おれは可愛いご主人様のために出来ることならなんでもしたいし、個人的な理由で善行を積む必要があるんだ。それで、ロディは自分の息子が勃たなくて困ってるんだろ? なら、おれがロディのロディを手伝えば完璧じゃないか」

おれは自分の最高の思いつきに、これ以上ないほどの誇りと自信を持ってロディを見る。
しかし、なぜかこちらを見上げるロディの方は「何を言っているんだこいつは?」という困惑しきった表情であった。
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