上 下
6 / 24

約束

しおりを挟む
アレクと街道を歩くこと一時間。アレクはまだまだ余裕そうだったが、インドア派なおれは足が疲れてきてしまった。
それに目ざとく気がついたアレクに休憩を提案された、その時だった。アレクがふっと、顔を街道の先に見据えて前方を睨むように見据えたのだった。

「アレク? どうかしたか」
「……人の声が聞こえた。悲鳴っぽい感じの声と、あと、犬の吠え声みたいなのも」
「えっ!?」

おれは慌ててアレクが見据える前方を見る。確かに耳をそばだててみると、人の声のようなものが聞こえてきた。

「人がいるのかも! 行ってみよう、アレク」
「あっ、ご主人ちゃん!」

駆け出したおれを引き留めるような声をアレクが上げるも、おれの足は止まらなかった。
とは言え、インドア系のオタクの体力なんてたかが知れている。おれは走り始めてすぐに息が切れ、後からやってきたアレクにあっさりと追いつかれることになった。

「もう、ご主人ちゃん。眷属を置いていこうとしないでよ、護衛の意味がないじゃん」
「ご、ごめん……」

ぜぇぜぇと息をしつつ足を止めたおれの背中を、アレクが優しく掌でさすってくれる。
……見た目はアレだけど、本当にいいヤツだよなぁコイツ……。

どうにか呼吸を整えて顔を上げると、アレクが苦笑いしながら「ゆっくり行こうね。大丈夫だよ、すぐにはあちらさんも逃げられないだろうから」と告げてきた。
子供を宥めるような口調に、恥ずかしさで顔が赤くなる。
赤くなった頬を隠すように俯いて頷きつつ、おれはふと、アレクの言葉に疑問を抱いた。

逃げられないって……いや、確かにおれが焦って走り出した理由は、「声の人たちがどこかに行ってしまうかも!」と思ったからだけれど。でも、逃げるってのは変な表現じゃないか?

だが――おれとアレクが揃って声のした方向へ歩き出すと、その言葉の意味が分かった。

「なっ……!」

おれとアレクが見たのは、木々の隙間から見える街道。数メートルほど離れた場所に停車している馬車だった。
しかし、ただ停車しているわけではない。
馬車の回りには5、6匹の狼に取り囲まれていた。狼の体躯はかなり大きく、一番大きい個体でゆうに2メートルほどはあるだろう。
その狼たちは馬車に繋がれている二頭の馬を狙っているようだった。頭を低くして見上げるようにし、地響きのような唸り声を上げている。
そんな狼達と対峙するのは、革や鉄の鎧を身にまとい、手に鉄剣を携える5人の若者たちだった。しかし、状況は人間の方がかなり分が悪いようで、二名の若者が腕や背中からだらだらと血を零している。馬車の中に乗っている商人風の男性は、その様子を顔を青くして見つめていた。

「どっ、どうしようアレク!? あの馬車の人たち、苦戦してるみたいだ……!」

思いも寄らない光景に、涙目でおれは隣のアレクの袖を握った。
日本で暮らしていたおれは、狼どころか野犬すら見たことがない。そんな平和慣れしたおれにとって、野生動物に人間が襲われている光景は衝撃的だった。しかも、状況はかなり悪いようで、このままではあの馬車の人達は、狼達によって『突撃、お前を晩ごはん!』にされることは明確だ。

「あー、そうだね」

――が、アレクから返ってきたのは、思いもよらない声音だった。

平然としている……というより、むしろ興味がないといった風の声。
思わずアレクの顔を見上げる。水色の双眸は、心底どうでもいいといった様子で眼前の光景を眺めていた。
そこには何の感情も浮かんでいない。強がりとか、おれを心配させないためじゃなくて……本当に、あの人たちのことはどうでもいいらしい。

「ア、アレク?」
「うん? どうかした、ご主人ちゃん?」
「い、いや……その、馬車の人たち、このままだと」

アレクの態度に、自分の方がおかしいのかと自信がなくなる。
もごもごと口ごもるおれに、アレクは優しい笑顔を向けてきた。

「ああ、大丈夫だよ。ここなら風上だからあの狼達も臭いで俺らに気づくことはないから」

安心させるような、力強い声。
けれど、おれが聞きたいのはそういうことじゃない。

「いや、あの……このままだと、あの人達、殺されちゃうように見えるんだけど」
「そりゃそうだね」
「そりゃそうだね!?」

肩をすくめて言い放ったアレクのあっけらかんとした様子に、思わず突っ込みをいれてしまう。

「せっかくこの世界の人間と初コンタクトがとれるかなーって期待したんだけど。こんな結果になったのは残念だったねぇ」
「ざ、残念って……そんなあっさり」
「でも見た感じ、馬車の積荷はけっこうイイもんがあるみたいだし。オレらの軍資金が手に入ると考えればオッケーじゃん? 異世界人との遭遇はまた次の機会のお楽しみってことで!」
「ぐ、軍資金!?」

『次行こ次、気持ち切り替えてこー!』と言わんばかりの体育会系のノリであっさりと放たれた言葉に、おれは信じられない気持ちでアレクを見つめる。
な、なんでそんな風に言うんだ?
だって、アレクはさっきはあんなにおれに優しくしてくれて、めちゃくちゃイイ奴だと思ったのに……!

「そ、それって火事場泥棒じゃないのか?」
「うん、そうだよ?」

否定して欲しかった言葉は、アレクの満面の笑顔であっさりと肯定された。
思いがけない言葉に硬直したおれの頭を、アレクがにこにこと微笑みながら優しく撫でる。

「よかったー、街についても先立つものがないからどうしよっかなと思ってたんだけど。これでご主人ちゃんにひもじい思いをさせなくて済むね!」

アレクの笑顔は本物で、目の前の残酷な光景に対して強がりで言っているわけではなかった。罪悪感だって一欠片も浮かんでない。
それどころか、「運が良いね、さすがご主人ちゃん」と微笑む彼は、鼻歌を歌いだしそうなほどの上機嫌だった。
おれはアレクの笑顔を、信じられない気持ちで唖然と見上げる。

い……いや、そのさ。確かにさ、おれへの忠義や労りは伝わってくるよ?
おれの今後を真剣に思ってくれているっていうのも分かる。

で、でもさ。あの馬車の人達は……放っておけば、これから死んでしまうかもしれない。
だというのに、なんでそんなに明るい笑顔になれるんだ?

アレクにとって、あの人達の生き死にってどうでもいいことなのか? ここが異世界だから?
それとも、おれに気を使ってこんな言動を? いや、でも見た感じ、どうにも演技ではなく本気で言ってるよな……。

それとも、おれがおかしいのか?
ここは元いた世界、平和な日本じゃない。日本での尺度で物事を考えているおれの方が変なのか?

「……そうだよな。おれ達があの人達に出来ることもないもんな……おれらがあのオオカミと戦って、あの人達を助けることは出来ないし……。いや、それでも注意を引くとか、火で脅すとか出来ないのかな……」
「うん?」

混乱のあまり、気がつけば自分の考えが口に出てしまっていた。
そんなおれの言葉が聞こえたのか、アレクが不思議そうに水色の瞳でおれを見下ろしてくる。

「ご主人ちゃんはもしかして、あれを助けたいの?」
「え?」

アレクの言葉の意味が、一瞬よく分からなかった。
少しの間を置いて、おれはおずおずと頷く。

「う、うん……まぁ、出来ることなら助けたいよ」
「そうなんだ! じゃあオレ、行ってくるね」
「え!?」

一転。くるりと背を向けて、襲われている馬車の方向に駆け出そうとするアレク。
反射的にその背中にしがみつき、おれはアレクをなんとか止めた。

「アレク!? い、行くってどこに?」
「あれ、助けてくるよ。ご主人ちゃんはあの人らを助けたいんでしょ?」
「そ、それはそうだけど……どうやって助けるつもりなんだ? あの人達を助けるためにアレクが傷ついたり、死んだりするのは駄目だぞ!? 自分の身を犠牲にしてあの人たちを助けたいっていうんなら反対だからな!?」

先程の発言にはビックリしたものの、でも、それを差し引いてもアレクはいい奴だ。
おれのために果物を探してきてくれて、歩いてる時だっておれのペースに合わせてくれて。こんなおれに気を遣って、優しくしてくれる。
あの人達を助けたいという気持ちはあるが、そのためにアレクが怪我をしたり、死んでしまうのは嫌だった。
まぁ、外見がすっごいチャラい感じのイケメンだから、まだ苦手意識はちょびっとあるんだけど。

アレクは背中にしがみついたおれを首だけで振り返って見下ろす。
きょとんとしていた彼は、しかし、見る見るうちに破顔した。

「大丈夫だよ、ご主人ちゃん! あんなオオカミぐらいなら、神様から戦闘能力で何とかなりそうだしさ」
「戦闘能力……?」
「うん!」

そういえば神様が、おれの眷属におれを護衛させるための力を与えておく、って言ってたっけ。
でも、アレクは武器だって持っていないし、素手でオオカミ共がどうにか出来るわけがない。

「安心して、ご主人ちゃん」

身体を反転させたアレクは、おれの手を包み込むようにぎゅっと握った。

「ご主人ちゃんを庇うとかならともかく、あんなヤツらを助けるために怪我なんかするつもりはないから安心して。オレがご主人ちゃんを置いて死んだりとか、それもマジないし」
「で、でも……」
「大丈夫! オレ、ご主人ちゃん以外の人とかマジでどうでもいいから! ちょっとでも危なくなったら見殺しにしてくるよ!」

おれを安心させるためなのか、満面の笑顔でそう告げたアレク。
……いや。あの、そんなことをめちゃくちゃイイ笑顔で言い切るのはどうなんだろう?

「じゃ、いってきまーす!」

おれの手をやんわりと解くと、アレクは再び馬車に向かって駆け出していった。
かと思えば、途中でぴたりと足を止めて、くるりと振り返って片手を上げる。

「あっ。ちゃんと助けられたら、俺にご褒美ちょうだいね」
「はっ!? ご、ご褒美……?」
「うん、約束ね!」

しかし、戸惑うおれの返事を待たずに、アレクは再び馬車に向かって駆け出していったのだった。

……ご褒美って、何を上げればいいんだろう。
お小遣いとか? おれ、無一文なんだけどな……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る

黒木  鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

処理中です...