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第17話
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アシュリーはおれがこの町に残ることを驚きはしたものの、最終的にはすんなりと受け入れてくれた。
彼がおれの申し出を受け入れてくれたことに安堵しつつも、ちょっと寂しい気持ちだ。
……いや、本音を言えば、ちょっとどころではなくかなり寂しい。
こうしてアシュリーを目の前にしただけで、おれの胸の内にあるアシュリーへの恋心は、以前よりもますます強くなっているのを感じた。
本音を言えば、今すぐオッドブル商会に戻りたい。
アシュリーの隣で彼を支えて、彼の役に立ちたい。
だが、それはもう出来ない。
王都での日々はおれに途方もない喜びとやりがいを与えはするが、同時に、アシュリーの恋を新たに見届けるはめになるという危険性もはらんでいる。
今回のことで思い知った。
最初のうちは「キリとアシュリーの二人が結婚すれば、おれの失恋の傷もそのうち癒えるだろう」と考えていたが、それはまったくの逆だった。
アシュリーに邪見にされたことも辛かったが……それ以上に、やはり、アシュリーの隣が誰かに奪われるのがとても辛かったのだ。何度も自分に「二人が添い遂げた姿を見ていれば、そのうちアシュリーへの恋心も諦めがつく」と言い聞かせてきたものの、そんなことはまるでなかった。
現に、キリが退職になったと聞いて、おれはわずかに喜びを覚えてしまったのだ。
……こんな後ろ暗い気持ちを抱いているようでは、いつかアシュリーが本当の「運命の番」と出会った時……おれも今回のキリと同じようなことをしてしまうかもしれない。
そうなる前に、アシュリーの「親友」というきれいな思い出のまま、彼の前から去りたい。
いや、去らなければならないのだ。
……そういえば、今思い返してみるに、キリの行動はおれをアシュリーから遠ざけることに終始していた。
おれ個人を直接的に攻撃するような嫌がらせは一度だってなかった。
ならば、もしかすると、キリはおれがアシュリーに抱いている恋心に気づいていたのかもしれない。
そう考えると、今回のキリの一連の行動も理解できる。
そうなると、先ほどアシュリーが言葉を濁したのも、そこに原因があるのだろうか……?
……まぁ、なんにせよ、もう全て終わった話だ。
これ以上終わったことを考えても仕方がない。
おれはこの町に残り、アシュリーは王都に帰る。
しばらくしたら、おれも一度王都に行って、オッドブル商会のみんなに別れの挨拶をして……それが終わったら、完全にさよならだ。
「そろそろ帰るよ」
おれは席を立って、アシュリーに声をかけた。
窓の外を見れば、いつの間にかすっかりと夜が更けている。
真っ黒な空のてっぺんに、猫の爪のような細い三日月が浮かんでいた。
おれが椅子から立ち上がって窓に視線を向けていると、アシュリーも椅子を立って声をかけてきた。
「ユージ、もう夜も遅いし泊っていったらどうだ。どうせベッドは二つあるんだし」
「いや、でも……」
「宿の料金は明日の朝、私が払う。それに、自分じゃ気づいてないのか? 足がふらついてるぞ。今日はここに泊まっていった方がいい」
どうしようかと迷ったものの、結局、おれはアシュリーのすすめに従って部屋に泊まっていくことにした。
足元がおぼつかないのもそうだが、アシュリーとこんな風に一緒にいられるのもこれが最後だと思ったら、部屋を去るのが名残惜しかったのだ。
着替えはなかったので、おれは上着とシャツを脱いで上半身裸になった後、窓側のベッドに潜り込む。
アシュリーも簡素な服装に着替えた後、部屋の電気を消して、反対側のベッドに潜り込んだ。
「…………」
真っ暗になった部屋の中は、しんと静まり返っていた。
窓の外から「ほう、ほう」と鳴く梟の声が遠く響いてくる。時おり、風に揺られて樹々がこすれあう音がざわざわとかすかな音を立てた。
おれはアシュリーになにか、話をしようと思ったが、言葉が見つからずに口を閉じた。
子どもの頃の思い出話をするのは、この状況ではかなり苦すぎる。
オッドブル商会の話にしたって、これから退職同然のおれがなにを言うこともない。
結局、おれはベッドの上でまんじりともせず、目をつぶったままで時を過ごした。
とにかく早く眠ってしまおうと、隣のベッドにいるアシュリーの呼吸音に耳を傾けたりもしたのだが、それは完全に逆効果だった。興奮のあまり、ぎんぎんに目が冴えてしまう。
……どうせ眠れないなら、せっかくだし最後にアシュリーにキスでもしようかな。
最後の餞別に、キスぐらいいいだろ。
アシュリーだって、キリに会うまでは結構色んな奴と遊んでたんだし。
眠ってる間に唇の一つくらい、気づかれなければ……
「――ユージ、眠ったのか?」
突然、隣からかけられた声に心臓が跳ねあがった。
よこしまな考えを抱いていたところだったので、あいまって、返事をするタイミングを完全に逸する。
「…………」
おれが返事をしないでいると、隣のベッドがギシリと軋んだ音を立てた。
どうやらアシュリーがベッドから起き上がったらしい。
おれは目をつぶったまま、身じろぎせずに寝たふりを続ける。だが、心臓はばくばくと早くなり、背中はびっしょりと冷や汗をかいていた。
「ユージ……」
どうやらアシュリーは自分のベッドからこちらに来て、今はおれのベッドの縁に腰かけて、こちらを見下ろしているらしい。
かなり距離が近い。横向きに寝ているおれの背中に、アシュリーの体温を感じるほどだ。
薄目をあけて彼の様子を窺おうにも、こんなに距離が近くては、おれが眠ったふりをしていることに気づかれてしまいそうである。
「……ユージ」
アシュリーのおれの名前を呼ぶ声は、やけに熱っぽい響きを帯びていた。
その甘い響きに、おれの心臓はますます鼓動を早める。
「…………」
すると、おれの肩にそっとアシュリーの掌が触れてきた。
起きようかと思ったが、目を開ける勇気がなくて、結局おれは寝たふりを続ける。
アシュリーの手はおれの肩から、今度は首筋に指をすべらせた。
そして、彼に背中を向けて、横向きの体勢で眠っているおれの身体をわずかに傾ける。
なにをするのかと思ったが、今さら起きるわけにもいかない。
困惑するおれを尻目に、アシュリーは身体を屈めて、その顔をおれの後頭部に近づけた。
そして、うなじにかかる髪をわずかに指先でかきあげ――
「ッ!」
ずきりと鋭い痛みが奔った。
さすがに寝ているフリをしていることも出来ず、おれはガバリとベッドから跳ね起きる。
「いっ、てぇ……!」
ずきずきと痛みの続くうなじを右手で触れる。
掌を顔の前に持ってきてみると、そこには赤い血がついていた。
「ッおい、アシュリー……いったいこれは何の真似だ?」
「……やっぱり起きていたんだな、ユージ。いや、起きていようがいまいが、どっちにしろ大差はないか」
右手についた自分自身の血と、アシュリーの顔を見比べる。
アシュリーは乾いた笑みを浮かべながら、自身の唇についた赤い血を舌先でぺろりと拭った。
「ああ……やはり、ベータとは駄目なんだな。もしもお前がオメガだったなら……これで、お前を私に繋ぎとめることが出来たのにな……」
「アシュリー……?」
今、起きたことと、彼の言葉が理解できない。
思わず、まじまじとアシュリーの顔を見つめる。
今のは――アシュリーが、おれのうなじを噛んだってことだよな?
でも、どうしてだ?
そりゃ、アルファがオメガのうなじを噛むという行為は、おれだってよく知ってる。
アルファがオメガのうなじを噛んだ瞬間、彼らは「番」として認定される。
アルファにうなじを噛まれたオメガは、ヒート時のフェロモン量はかなり軽減されるし、抑制剤での完全なコントロールが可能になる。
なお、先ほど聞いた話では、アシュリーはまだキリのうなじを噛んだこともなかったようだし、そもそもキリに性的な行為をしたこともなかったそうだ。それほどキリのことを大事にしていたんだろう。
……けれど……どうして、アシュリーがおれのうなじを噛むんだ?
だって、アシュリーとおれは親友同士で、恋人ではない。
それに何より、アシュリーはアルファで、おれはベータだ。
こんなことをしたって、何の意味もないのに――
彼がおれの申し出を受け入れてくれたことに安堵しつつも、ちょっと寂しい気持ちだ。
……いや、本音を言えば、ちょっとどころではなくかなり寂しい。
こうしてアシュリーを目の前にしただけで、おれの胸の内にあるアシュリーへの恋心は、以前よりもますます強くなっているのを感じた。
本音を言えば、今すぐオッドブル商会に戻りたい。
アシュリーの隣で彼を支えて、彼の役に立ちたい。
だが、それはもう出来ない。
王都での日々はおれに途方もない喜びとやりがいを与えはするが、同時に、アシュリーの恋を新たに見届けるはめになるという危険性もはらんでいる。
今回のことで思い知った。
最初のうちは「キリとアシュリーの二人が結婚すれば、おれの失恋の傷もそのうち癒えるだろう」と考えていたが、それはまったくの逆だった。
アシュリーに邪見にされたことも辛かったが……それ以上に、やはり、アシュリーの隣が誰かに奪われるのがとても辛かったのだ。何度も自分に「二人が添い遂げた姿を見ていれば、そのうちアシュリーへの恋心も諦めがつく」と言い聞かせてきたものの、そんなことはまるでなかった。
現に、キリが退職になったと聞いて、おれはわずかに喜びを覚えてしまったのだ。
……こんな後ろ暗い気持ちを抱いているようでは、いつかアシュリーが本当の「運命の番」と出会った時……おれも今回のキリと同じようなことをしてしまうかもしれない。
そうなる前に、アシュリーの「親友」というきれいな思い出のまま、彼の前から去りたい。
いや、去らなければならないのだ。
……そういえば、今思い返してみるに、キリの行動はおれをアシュリーから遠ざけることに終始していた。
おれ個人を直接的に攻撃するような嫌がらせは一度だってなかった。
ならば、もしかすると、キリはおれがアシュリーに抱いている恋心に気づいていたのかもしれない。
そう考えると、今回のキリの一連の行動も理解できる。
そうなると、先ほどアシュリーが言葉を濁したのも、そこに原因があるのだろうか……?
……まぁ、なんにせよ、もう全て終わった話だ。
これ以上終わったことを考えても仕方がない。
おれはこの町に残り、アシュリーは王都に帰る。
しばらくしたら、おれも一度王都に行って、オッドブル商会のみんなに別れの挨拶をして……それが終わったら、完全にさよならだ。
「そろそろ帰るよ」
おれは席を立って、アシュリーに声をかけた。
窓の外を見れば、いつの間にかすっかりと夜が更けている。
真っ黒な空のてっぺんに、猫の爪のような細い三日月が浮かんでいた。
おれが椅子から立ち上がって窓に視線を向けていると、アシュリーも椅子を立って声をかけてきた。
「ユージ、もう夜も遅いし泊っていったらどうだ。どうせベッドは二つあるんだし」
「いや、でも……」
「宿の料金は明日の朝、私が払う。それに、自分じゃ気づいてないのか? 足がふらついてるぞ。今日はここに泊まっていった方がいい」
どうしようかと迷ったものの、結局、おれはアシュリーのすすめに従って部屋に泊まっていくことにした。
足元がおぼつかないのもそうだが、アシュリーとこんな風に一緒にいられるのもこれが最後だと思ったら、部屋を去るのが名残惜しかったのだ。
着替えはなかったので、おれは上着とシャツを脱いで上半身裸になった後、窓側のベッドに潜り込む。
アシュリーも簡素な服装に着替えた後、部屋の電気を消して、反対側のベッドに潜り込んだ。
「…………」
真っ暗になった部屋の中は、しんと静まり返っていた。
窓の外から「ほう、ほう」と鳴く梟の声が遠く響いてくる。時おり、風に揺られて樹々がこすれあう音がざわざわとかすかな音を立てた。
おれはアシュリーになにか、話をしようと思ったが、言葉が見つからずに口を閉じた。
子どもの頃の思い出話をするのは、この状況ではかなり苦すぎる。
オッドブル商会の話にしたって、これから退職同然のおれがなにを言うこともない。
結局、おれはベッドの上でまんじりともせず、目をつぶったままで時を過ごした。
とにかく早く眠ってしまおうと、隣のベッドにいるアシュリーの呼吸音に耳を傾けたりもしたのだが、それは完全に逆効果だった。興奮のあまり、ぎんぎんに目が冴えてしまう。
……どうせ眠れないなら、せっかくだし最後にアシュリーにキスでもしようかな。
最後の餞別に、キスぐらいいいだろ。
アシュリーだって、キリに会うまでは結構色んな奴と遊んでたんだし。
眠ってる間に唇の一つくらい、気づかれなければ……
「――ユージ、眠ったのか?」
突然、隣からかけられた声に心臓が跳ねあがった。
よこしまな考えを抱いていたところだったので、あいまって、返事をするタイミングを完全に逸する。
「…………」
おれが返事をしないでいると、隣のベッドがギシリと軋んだ音を立てた。
どうやらアシュリーがベッドから起き上がったらしい。
おれは目をつぶったまま、身じろぎせずに寝たふりを続ける。だが、心臓はばくばくと早くなり、背中はびっしょりと冷や汗をかいていた。
「ユージ……」
どうやらアシュリーは自分のベッドからこちらに来て、今はおれのベッドの縁に腰かけて、こちらを見下ろしているらしい。
かなり距離が近い。横向きに寝ているおれの背中に、アシュリーの体温を感じるほどだ。
薄目をあけて彼の様子を窺おうにも、こんなに距離が近くては、おれが眠ったふりをしていることに気づかれてしまいそうである。
「……ユージ」
アシュリーのおれの名前を呼ぶ声は、やけに熱っぽい響きを帯びていた。
その甘い響きに、おれの心臓はますます鼓動を早める。
「…………」
すると、おれの肩にそっとアシュリーの掌が触れてきた。
起きようかと思ったが、目を開ける勇気がなくて、結局おれは寝たふりを続ける。
アシュリーの手はおれの肩から、今度は首筋に指をすべらせた。
そして、彼に背中を向けて、横向きの体勢で眠っているおれの身体をわずかに傾ける。
なにをするのかと思ったが、今さら起きるわけにもいかない。
困惑するおれを尻目に、アシュリーは身体を屈めて、その顔をおれの後頭部に近づけた。
そして、うなじにかかる髪をわずかに指先でかきあげ――
「ッ!」
ずきりと鋭い痛みが奔った。
さすがに寝ているフリをしていることも出来ず、おれはガバリとベッドから跳ね起きる。
「いっ、てぇ……!」
ずきずきと痛みの続くうなじを右手で触れる。
掌を顔の前に持ってきてみると、そこには赤い血がついていた。
「ッおい、アシュリー……いったいこれは何の真似だ?」
「……やっぱり起きていたんだな、ユージ。いや、起きていようがいまいが、どっちにしろ大差はないか」
右手についた自分自身の血と、アシュリーの顔を見比べる。
アシュリーは乾いた笑みを浮かべながら、自身の唇についた赤い血を舌先でぺろりと拭った。
「ああ……やはり、ベータとは駄目なんだな。もしもお前がオメガだったなら……これで、お前を私に繋ぎとめることが出来たのにな……」
「アシュリー……?」
今、起きたことと、彼の言葉が理解できない。
思わず、まじまじとアシュリーの顔を見つめる。
今のは――アシュリーが、おれのうなじを噛んだってことだよな?
でも、どうしてだ?
そりゃ、アルファがオメガのうなじを噛むという行為は、おれだってよく知ってる。
アルファがオメガのうなじを噛んだ瞬間、彼らは「番」として認定される。
アルファにうなじを噛まれたオメガは、ヒート時のフェロモン量はかなり軽減されるし、抑制剤での完全なコントロールが可能になる。
なお、先ほど聞いた話では、アシュリーはまだキリのうなじを噛んだこともなかったようだし、そもそもキリに性的な行為をしたこともなかったそうだ。それほどキリのことを大事にしていたんだろう。
……けれど……どうして、アシュリーがおれのうなじを噛むんだ?
だって、アシュリーとおれは親友同士で、恋人ではない。
それに何より、アシュリーはアルファで、おれはベータだ。
こんなことをしたって、何の意味もないのに――
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