転生者オメガは生意気な後輩アルファに懐かれている

秋山龍央

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第十九話

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 どうして気づかなかったんだろう。

 もしかすると、先日からずっと続いていた体調不良もヒートの前兆だったのかもしれない。
 以前読んだ文献では、ヒートを発症するのは二十代に入ってからが一番多いという記述があったし……寮の職員たちもおれの体調不良とヒート発症を結びつけることもなかったから、完全に油断していた。だが、もっと早くに気づくべきだった。

「先輩……大丈夫か?」

 レックスが心配そうに尋ねてくるのに、おれはなんとか頷いてみせた。
 上院議事堂を出たおれ達は、馬車に乗って、レックスの言っていた別宅へと移動していた。

 町中から離れたそこは、切妻壁が屋根よりも高く立ち上がったダッチ・ゲーブル様式の二階建ての家だった。家の敷地に比べて、庭の面積がかなり広くとられ、芝生も美しいグリーンに整えられている。家の周囲は、煉瓦積みの塀で覆われていた。

 玄関ポーチから中へと入ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。建物の中も、庭もきれいに整えられているが、使用人は今はいないようだ。

 けれど、むしろ火照った身体に、冷気は心地いいくらいだった。馬車を下りるまではなんとか身体が保ったのだが、今ではどんどんと身体の熱が上がっていくようだった。比例して、皮膚がやけに敏感になって、服が擦れるだけでぞわぞわとして、落ち着かない。

 熱でぼうっとしながら頭上のクリスタル製のシャンデリアを眺めていると、レックスが「先輩」と呼び、おれの手を引いてきた。

 彼に案内されたのは、階段を上がった二階のゲストルームであった。
 だが、ゲストルームにしてはおかしな造りの部屋だった。壁際に2つほど窓があるが、サイズはかなり小さい。今では窓は閉まっているものの、開けたとしても、これでは顔を出して外の景色を見ることもままならないだろう。くわえて、窓の外には鉄格子すら嵌っていた。ゲストルームというには厳重すぎる造りだ。

 だが、調度品は豪華だが品のいいものが揃えてあり、ベッドのシーツもきれいにアイロンがけされてシワ一つなない。なんだか、ひどくちぐはぐな部屋だった。

 おれの疑問に、レックスも思い至ったのだろう。

「あー……この別宅は、俺の曾祖父さんが……オメガがヒートに入った時用に作ったんだ。だから、この部屋もフェロモンが漏れないように対策してある。使用人は今日はいない。まぁ、来たとしてもベータしか雇ってないから、先輩は安心して」

「そう、なのか……」

 どこか気まずそうな、そして、言い訳がましい口調だった。

 だが、今のおれにはその言葉について深く考えることができなかった。身体がどんどんと熱くなり、息をするのもつらくなってきた。
 レックスに手を引かれるまま、部屋に置かれたベッドの縁に腰掛けたものの、正直、すぐにでも横になりたい気分だ。

 おれは隣に座るレックスを見つめた。

 そういえば、先ほど抱きしめられた時にも思ったのだけれど……少し距離を置いている間に、彼はほんの少し背が伸びたみたいだ。あるいは、距離を置いたからこそ気づいたのだろうか。
 いつも一緒にいると、こういった些細な違いには気づきにくい。距離をおいて、今まで自分がどれだけ彼の存在に救われていたか……彼のことを好きになっていたか、ようやく気づかされたように。

 彼の顔をじっと見つめていると、いつの間にか、その頬がすこし赤らんでいるのに気が付いた。

「先輩……」

 おれの頬に、そっと、分厚い掌が添えられた。そして、整った顔が間近に迫ってくる。
 どくん、と心臓が高鳴った。けれど、嫌な気持ちはしない。少なくとも、ルーカスにキスされた後に感じたような不快感はすこしも感じなかった。むしろ、このまま瞼を閉じて、レックスに身をゆだねてしまいたいという気持ちすら胸の中に広がっていく。

 けれど、おれはぐっと奥歯を噛みしめて、彼の胸を掌で押し返した。すると、釣り目気味の赤い瞳が驚きに見開かれた。

「レックス……すまない」

「先輩?」

「ここまで連れてきてくれたことは、感謝してる……でも、はやく離れてくれ。まだフェロモンは出てないんだろう? 今なら引き返せる、だから」

「俺、先輩が好きだ。先輩だって、もう分かってんだろ?」

 被せ気味に告げられた言葉の強さに、おれはびくりと肩を跳ねさせた。
 レックスはいまだにおれから離れようとせず、それどころか、おれの頬に添える手に力を込めて、無理やりに自分の方を向かせてきた。赤い瞳に射貫くように見つめられて、言葉を失う。

「レ、レックス……」

「俺、先輩のことがずっと前から好きだった。先輩に婚約者がいるって知った時は……すげぇショックだった。何度も諦めようと思ったけれど、結局できなかった」

 そこまで言って、レックスは自嘲めいた笑みを唇に浮かべた。

「先輩とケンカした時も……本当は、アルファと婚約したいって話なら俺でいいだろ、っていう意味で言いたかったんだけどさ。言い方をかなり間違えたよな」

「レックス、おれは、その」

 焦ってしまって、うまく口が回らない。

 というかレックス、お前――お、おれのことが好き?

 『先輩だって、もう分かってんだろ』とか言われたけれど……いや、普通に想定外なんだが!?

 え? ずっと前から好きだった、って……一体いつからだ?
 じゃあ、この前のキスもそういうことだったのか? 

 そもそもレックスに、婚約者がいるって話をしたのはいつだったっけ?
 でも、あの時のレックスは「……あ、へぇー。そうなんだ」って感じで、ショックを受けているようには見えなかったのに……

 ど……どうしよう。
 彼に好きだと言われて――心の隅の方で、喜んでいる自分が、確かに存在している。心なしか、身体の内側に燻る熱が、さらに温度を増したようにも感じた。

「レックス、おれは……んっ、ぅ」

 おれが答える前に、レックスが唇を重ねてきた。開いた唇の隙間から、彼の舌がぬるりと割り入ってくる。
 舌先で歯列をなぞられた瞬間、下腹部がずくんと疼いた。前世を含めて、初めて味わう感覚だった。

「ふっ、ぅ……んっ」

 いつの間にか、おれはベッドに仰向けに押し倒されていた。レックスがおれの上に覆いかぶさり、執拗に舌を絡ませてくる。体勢のせいで逃れることができず、おれは必死に鼻で呼吸をしながら、彼のシャツをぎゅうっと握りしめた。

 しかし、そんないっぱいいっぱいな状態のおれに構わず、レックスの舌は口内で好き勝手に暴れ回った。ルーカスとのキスとは、全然ちがう。強引で、蹂躙するようなキスだ。
 なのに――なぜか満たされるようなキスだった。身体も、心も。

 ヒートで昂ぶる身体は、レックスと口づけている時だけ、わずかに安定をもたらすようだった。思わず、このまま状況に流されたいという欲求が湧いてくる。

 けれど、そうするわけにはいかなかった。
 長い長いキスが終わった後、おれは肩で息をしながら、上に伸し掛かるレックスを涙目で見つめた。

「レックス……ごめん。やっぱりだめだ、こんなの。おれ、婚約者がいるのに……」

「――はぁ?」

 キスを終えた後、満足そうな表情を浮かべていたレックスだったが、おれがそう告げると目尻を釣り上げて、剣呑な声を上げた。

「先輩、まだあんな野郎のこと気にしてんの?」

「だ、だって……まだ正式に婚約破棄をしたわけじゃない。だから、こんなこと、よくないだろ……」

 おれはレックスから視線をそらして、首を横に降った。
 目を合わせてしまえば、決意が揺らぎそうだったからだ。ヒートで昂ぶる身体はますますつらくなり、できることなら、このまま彼に身を委ねてしまいたかった。

 でも、おれはルーカスと婚約破棄をしたわけじゃない。このままレックスと行為に至ってしまい、それがルーカスにバレてしまった場合……おれの不貞というだけで事が済めばいいが、両親やレックスに迷惑がかかってしまうことになるかもしれない。それはどうしても避けたかった。

 おれは黙ったまま、レックスと顔を合わせないように顔をそむけた。
 彼もおれを見下ろしたまま、唇を開かなかったが、しばらくして、こちらの決意が固いのが伝わったのだろう。はぁ……と、長く、大きなため息を吐いた。

「ったく……分かったよ、もういい」

 その言葉に、おれは反射的に顔を上げた。
 だが、レックスと目があった瞬間、ひゅっと息を呑んだ。彼の赤い瞳はぎらぎらとした、嵐の中の稲妻のような光を宿していた。あまりにも獰猛な表情に、身体がすくむ。

「レ、レックス?」

「先輩のこと、無理やり寝取るわ。あんたが抵抗しても、ぜってーやめねぇから」
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