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新婚旅行は波乱万丈でした

新婚旅行は波乱万丈でした-3

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「ぁ、ぁあッ、ぁああッ!」

 目の前にチカチカと星が飛ぶ。ガクガクと身体全体が震える。
 すると、ガゼルはおれの胸をいじっていた指を離し、両腕でおれの身体をしっかりと抱きとめてくれた。

「おっと……なんだ、もうイったのか? いつもより早ェな。やっぱり、今の身体のほうが敏感なんだな」
「はっ……は、ぁ……」
「ほんっと、ずいぶんと可愛くなっちまったなァ。どこもかしこもやわらけェし、ぷにぷにしてるしよ。それに、こっちもかなり可愛いナリになっちまって」

 ガゼルの言葉に、自身の息子をちらりと見る。そこは勃起をして、緩く頭をもたげているものの、射精は迎えていない。
 ガゼルの愛撫によってたかぶらせられた身体は絶頂を迎えたが、射精をしているわけではないので、身体の熱はいまだに内側でくすぶったままだ。
 下半身にこもるもどかしい熱に、まだガゼルの膝の上にいるというのに、思わず内腿を擦り合わせてしまう。
 すると、そんなおれの様子に気付いたガゼルが、そっと耳に唇を寄せてきた。

「どうした、タクミ? なんだか物足りなさそうじゃねェか。ん?」
「っ! べ、別に、そういうわけじゃない」
「そうか?」

 お見通し、といった声音でおかしそうに笑う。
 ガゼルが笑うことで、彼の熱い吐息が耳にかかってくすぐったい。
 けれど、なんとなく、後ろを振り向いてガゼルと顔を合わせるのが躊躇ためらわれた。
 おれはうつむくと、小さくなった自分の身体を見つめる。

「ガゼルは、その……今のおれの姿のほうがいいか?」
「うん?」
「いや、その、別にたいしたことじゃないんだが。……でも、今の姿のほうが、伯爵夫人も可愛いって言ってくれたし。今だって、ガゼルも、この身体のほうが敏感だとか、可愛いって言うから……その……」

 もしかして、皆、『今のおれ』の姿のほうがいいのかなぁ、とか。
 まぁ、そりゃ元のおれなんて、黒髪黒目がちょっと珍しいだけの平凡な男でしかないわけだし。だから、どっちかと言えば、まだこの姿のほうが可愛げがあるのかな、と思いまして。
 でも、この姿は期間限定なんだよね。研究所のお偉いさんいわく、十日間で魔法薬の効果が切れて自然に元の姿に戻ってしまうわけで……
 そんな風に考えてうつむいていたら、おれの身体を抱く手の力が強くなった。

「ガゼル?」
「馬鹿言ってんじゃねェ、そんなことあるかよ。叶うなら、すぐにでも元の姿のお前に戻ってほしいと思ってるんだぜ」

 思ってもみなかったガゼルの言葉に、おれは目を見開いた。
 ガゼルはおれをぎゅうと抱きしめたまま続ける。

「さっきも言ったが……今のお前は確かにちっこくて可愛いけどよ。でもその分、気を付けて触らねェと、うっかり壊しちまいそうで怖え」
「……その割には、さっき、だいぶ無体なことをされたような気が……」
「なに言ってんだよ、さっきはかなり手加減しただろ? 正直に言えば、あと二度くらいはお前をイかせて泣かせたあとで、俺のもんを突っ込んでさらによがらせたいと思ってんだよ。でも、今のお前がそんなちっこいナリだから、自重してるんじゃねェか」
「元の姿の時でも、同じように自重してくれると嬉しいんだが?」

 ま、まぁ、確かによく考えれば、いつものガゼルと比べると、さっきのは大分我慢してくれてるな。
 いつもなら、ああやって一度イかされただけじゃ済まないもんな。その後は二度三度にわたっておれだけ先にイかされて……いや、今はこの話はよそう! おれの精神衛生上よくない!

「まぁ、自重の話はさておきだ。それになにより、俺は……」

 そこでガゼルが言葉を切った。
 おれはちょっと顔を上げると、恐る恐る後ろを振り返る。
 すると、思った以上にガゼルの顔が間近にあった。ガゼルは金色の瞳を細め、唇に笑みを浮かべると、チュッと音を立てておれの頬にキスをした。

「んっ……ガゼル?」
「俺が惚れこんだタクミは、お人よしなのにどっか無鉄砲で、りんとしているくせにどっか抜けてる……そんな男なんだ。今のお前は愛らしいがな、それでも、一番〝可愛い〟と思うのは、元の姿のタクミだぜ」

 そう言って、ガゼルは今度は優しく、おれの唇に自分の唇を重ねた。
 自然と、おれも目をつぶって彼の優しいキスを受け入れる。
 ……そ、そっか。
 ちょっと気恥ずかしいけど、ガゼルの気持ちがたまらなく嬉しい。
 今日、アルファレッタ伯爵夫人から「可愛い可愛い」って言われて、ガゼルからも「可愛い」って言われたから、こっちの身体でいたほうがいいのかなって思ったりしたんだよね。
 でも、ガゼルがこう言ってくれて、とても安心した。
 やっぱり、ガゼルの言葉はおれを勇気づけてくれるし、安心させてくれるなぁ……
 こんなに魂までイケメンな男性が、よくおれなんかの恋人になってくれたものだとつくづく思う。
 ガゼルがおれを大切にしてくれるように……おれも彼のことを大切にしていこう。うん。


   ◆


「ふぅ……」

 風呂から上がったあと、脱衣所で、ガゼルはしゃがみこんでおれに目線を合わせ、バスタオルでゆっくりと丁寧におれの身体と髪の毛を拭いてくれる。
 なんか、こんなに甲斐甲斐しくお世話をされてると、見かけと同じように精神年齢まで下がってしまいそうでちょっと怖い。
 こんなことじゃあいけないとは分かってるんだけど……ガゼルが髪を拭いてくれる手つきはとても優しくて。
 あまりに心地よくて、そのままこてんと頭を預けてしまう。

「おっ? なんだよ、タクミ。ずいぶんと素直じゃねェか」
「……やっぱり、今の外見のせいかな。この身体だと、ガゼルに甘えるのも、そんなに照れ臭くないというか」
「あー……お前、俺たちと正式に結婚してずいぶん経つのに、まだ恥ずかしがるもんなァ」

 おれの頭からタオルを取り去り、指で髪に触れて、拭き具合を確かめるガゼル。
 彼の骨ばったごつい指が、湿り気をおびた髪をゆっくりといていく。その感触が気持ちいい。

「でも、俺はさっきも言った通りよ……元のお前に惚れ込んだんだぜ。今の姿のお前も愛らしいが……俺としちゃあ、元の姿のお前が、同じように甘えてきてくれたら一番嬉しい。それを覚えておいてくれよ?」

 そう言って、ガゼルは顔を寄せると、おれの唇を舌先でペロリと舐めた。
 金色の瞳は優しげな光をたたえ、真っ直ぐにおれを見つめている。
 その言葉と表情に、おれの顔はかっと熱くなった。

「ぜ、善処する……」
「そりゃよかった。期待してるぜ?」

 面白がるように笑ったガゼルは、身体を起こし、おれに下着と寝間着を手渡してくれた。
 受け取ったおれは慌ててガゼルから距離を取って、それらを身に着ける。
 とはいえ、今更距離を取っても、真っ赤になった顔はバッチリとガゼルに見られてしまっているのだが。

「そうだ。着替え終わったら、フェリクスの部屋に行けよ。さっき、約束しちまったからな」
「分かった。……でも、なんであんな約束をしたんだ?」
「そりゃ、俺だけが小さいタクミを独占したらフェリクスに悪いだろ? タクミも『せっかくの機会なんだから、今のおれを心ゆくまで堪能してほしい』って言ったじゃねェか」
「そんな言い方は絶対にしてないぞ!?」

 抗議、もといツッコミをすると、ガゼルは楽しそうに笑って、おれの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「ま、今のは冗談だが、半分は本音だぜ? フェリクスの奴だって、今回のことは俺と同様に気に病んでるからな」
「……そうなのか?」
「ああ。だから、タクミがよけりゃ、フェリクスのことも安心させてやってくれねェか。さっきみたいに言えば、アイツも安心して明日からの旅行を楽しめるからよ」

 そう言われてしまうと、おれも嫌だとは言えない。
 そもそも、フェリクスが心の奥で、今回の件について自分のせいだと思い悩んでいるのなら、その気持ちを取り除いてあげたい。
 繰り返すけど、今回の件はガゼルとフェリクスが悪いわけじゃない。それに、ガゼルの言う通り、明日からはせっかくの楽しい旅行だしね! その前に、フェリクスの気持ちを楽にしてあげたい。

「分かった。そういうことなら、フェリクスと話をしてくるよ」
「おう、任せたぜ」

 ガゼルは最後に再び床に膝をつくと、おれの頬にキスをした。
 おやすみのキスである。
 ガゼルとフェリクスと正式に籍を入れて、この屋敷で三人で暮らすようになってからというもの、こういったスキンシップが増えた。
 ここらへん、なんとも外国ナイズというか、なかなか日本人にはない感覚だよなー。
 気恥ずかしいけれど、おれも同様に、彼の頬にキスをお返しする。

「じゃあ、フェリクスのこと頼んだぜ」
「ああ。おやすみ、ガゼル」

 おれは脱衣所を出て、廊下を真っ直ぐ歩き、階段を上ってフェリクスの部屋に向かった。
 ガゼルは反対側、応接室のほうへと向かった。まだ明日の準備などがあるのかもしれない。それとも寝酒でも楽しむのだろうか。
 さて。フェリクスの部屋は、二階にある六つの部屋のうち、東側の真ん中の部屋だ。おれの隣の部屋である。なお、おれの向かいの部屋がガゼルの部屋になっている。

「フェリクス、入ってもいいか?」

 フェリクスの部屋のドアをノックして、声をかける。
 すると、かんはつをいれず、目の前の扉がガチャリと開いた。
 おれは開けていないし、このドアが自動ドアというわけでもない。部屋の中にいる人物が、ドアを開けたのである。

「タクミ、お待ちしておりました」

 にっこりと微笑むフェリクスの表情は、薔薇の蕾が一斉にほころんだように華やかだ。
 彼が着ているのは、濃い色合いのナイトガウン一枚なのに、それでも白馬の王子様然とした雰囲気は損なわれていない。
 うーん、これがイケメンパワーか。マジパネェ。

「どうぞ、こちらに」

 彼はおれの手をそっと取ると、部屋の中央に置かれたソファに導いた。
 フェリクスの個室はダークブラウンを基調としており、ソファやカーテン、壁際に置かれた執務机などの主だった家具は、すべて同じ色で統一されている。
 壁紙は白で、これだけだとなんとも味気ない部屋になりそうなところだが、室内に敷かれたじゅうたんや、ソファに置かれたクッションが、濃緑色の花柄アラベスク模様のものに揃えられているため、落ち着いた雰囲気ながらも、ちょっとした遊び心を感じさせる。
 なんともフェリクスのセンスのよさが発揮されている部屋なのだ。
 中央のソファに腰かけると、おれのすぐ隣にフェリクスが腰を下ろした。
 だが、いまだに手は握られたままだ。

「……ずいぶんと、タクミの手は小さくなってしまいましたね」

 おれの手をにぎにぎしながら、フェリクスがぽつりと呟く。
 どこか悲しげな様子の彼に、おれはガゼルに言われたことをハッと思い出し、慌てて唇を開いた。

「フェリクス。昼間にも言ったが、もう一度言っておく。今回のことは、ガゼルやフェリクスのせいじゃないんだから、二人が責任や罪悪感を感じる必要はまったくないからな」
「タクミ……」
「おれは今回のことは全然気にしてないんだ。もしもフェリクスが今回の件を気に病んでるなら、おれは大丈夫だから、安心してほしい。誰しも、人生に一度くらいはこんなこともあるさ」
「……大抵の人間は、こんな事態は一度も経験しないまま人生を終えると思いますが……いえ、ありがとうございます。タクミは、私を元気づけてくれているのですね」

 くすりと笑ったフェリクスが、再びおれの手をぎゅっと握った。

「そうですね。明日からはせっかくの新婚旅行なのですし、ずっと暗い気持ちでいてはもったいないですね。タクミに心配をさせてしまうのは、私の本意ではありませんし……気持ちを切り替えようと思います」
「ああ。まぁ、この姿も悪くはないさ。旅行先ではしゃいでいても、子どもの姿ならそこまで注目されないだろうし……アルファレッタ伯爵夫人にも、喜んでもらえたしな」

 すると、ふと、フェリクスの手の力が緩んだ。
 見れば、彼の頬はちょっとピンク色に染まっている。

「その節は……母が大変ご迷惑をおかけしました……」
「い、いや、大丈夫だ。むしろ、あんなに服を貸してもらえて助かったよ」

 服だってタダじゃないんだから、新しく買うのはもったいない。
 魔法薬の効果が切れたら、もう着れなくなっちゃうんだもんなぁ。
 二日や三日だったら買ってもいいけれど、さすがに十日間分ともなると……あ、でも下着は新しいものを買ったけどね!
 だから、今回、アルファレッタ伯爵夫人からあんなにたくさん洋服を貸していただけて、すっごく助かった。
 というか、むしろ貸していただいた洋服が大量すぎて、「これ、十日分の量じゃなくない?」と思ったけれどね!

「……その、身内の恥ついでに、叶うならば、私もタクミにお願いをしたいことがあるのですが……」
「フェリクスが、おれに?」

 フェリクスはコホンと咳ばらいをしたあと、じっとおれの顔を見つめてきた。
 いつになく真剣な彼の表情に、おれも自然と背筋を伸ばして居住まいを正す。
 ここにきて、フェリクスがおれに頼み事とは……いったいなんだろう?
 ドキドキしながらフェリクスの顔を見つめ返す。
 しばらく二人の間に沈黙が流れたあと、フェリクスはゆっくりと唇を開いた。

「……タクミ」

 真剣な表情で名前を呼ばれ、思わずごくりと唾を呑み込む。
 い、いったいどんな深刻な話が始まるんだ……!?

「旅行が終わって、リッツハイム市に戻ったら……肖像画家を呼んで、今のタクミの姿を描いてもらおうと思っているのですが、よろしいでしょうか?」
「…………はい?」

 え、今のおれの聞き間違い?
 肖像画って……アレだよな? 
 小学校の音楽室に飾ってある、ベートーヴェンとかモーツァルトの顔を描いてある絵とか。おれ的には、そんなイメージなんだけど。

「しょ、肖像画というと……絵のことだよな? おれの、絵ということか?」
「はい、そうです」
「えーっと……な、何故、そんなものを……?」

 予想外の、そしてやぶから棒な申し出に、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
 対して、フェリクスは真っ直ぐにおれを見つめ返してきた。
 その表情は先ほどと変わらず、いたって真剣そのものだ。どうやら、ジョークで言っているわけではないらしい。

「無論、今の可愛らしいタクミの姿を残しておきたいからです。偶発的に起きた事態ではありますが……このようなタクミの姿が見られたのは、私の人生にとってまたとない幸運な出来事。ですので、魔法薬の効果が切れる前に、今のタクミの肖像画を残しておきたいのです」
「……そんなもの、描いてどうするんだ? どっかに置いておくのか?」
「安心してください。この家にはまだ空き部屋がありますから、その中の一室を肖像画を飾るための専用の部屋にしましょう。ああ、肖像画家についても、アルファレッタ伯爵家の画家を呼ぶつもりですからご安心ください。決して、貴方の愛らしさを損なうようなものにはいたしません」
「お、おう」

 な、なんか着々とプランが決められていくー!?
 っていうか、ちょっと待とうかフェリクス! 
 おれ、まだ話の主旨がちっとも理解できてないよ!?

「フェ、フェリクス、悪いが、ちょっと話を整理させてくれ。まず、なんでまた、今のおれの肖像画を描いてもらおうなんて思ったんだ?」
「――? 魔法薬の効果が切れてしまえば、この姿のタクミを見ることはもう二度とないでしょう? ならば、今の姿を形あるものにして残しておきたいと思ったのです」
「……えーっと……だから、なんで今のおれの姿を残しておきたいなんて思うんだ? 身長は縮んだけれど、別に残しておくほどのものじゃないだろ?」

 おれがそう言うと、フェリクスは目をまたたかせた。
 そして、ずっと握っていたおれの手を、両手で包み込むようにしてぎゅっと握りしめる。

「ああ……忘れていました。貴方は、自分の魅力に無頓着な人でしたね」
「無頓着?」
「ええ。今のタクミは、とても可愛らしいですよ。元の姿の貴方は、夏に吹く風のように涼やかな空気を身にまとっていましたが……今の貴方は、春の陽気に芽吹く若芽のような愛らしさがあります」
「っ……」

 フェ、フェリクスは、本当に、よくそんな台詞せりふがてらいもなくポンポン出てくるなぁ……
 人から褒められ慣れてないから、こういうの、おれはいつまで経っても慣れないのだ。今もめちゃくちゃ恥ずかしい……!

「今の貴方の貴重な姿を、せめて絵の中に留めておきたいのです。もちろん、リッツハイム一の肖像画家といえど、貴方の魅力をあますことなく写し取るのは難しいでしょう。ですが、せめてその片鱗だけでも留めておきたいのです」

 ……フェリクス、本当におれのことについて話してる?
 あまりにも賛辞が過ぎるから、おれと同姓同名の別人について話してるんじゃないかと、だんだん心配になってくるな!

「え、えーっと……フェリクスの気持ちはよく分かった。その気持ちは嬉しいけれど、でも、肖像画はちょっと大げさじゃないか?」

 言いながら、恐る恐るフェリクスの表情をうかがう。
 フェリクスの気持ちをないがしろにするわけじゃないけど……肖像画とか、さすがに恥ずかしいもんなぁ。
 っていうか、ガゼルの時と同様に、フェリクスが『この姿のおれ』に対して、可愛いとか愛らしいとか言ってるのを見ると、ちょっと複雑な気分に……って、あれ?
 も、もしかしてこの気持ちって、嫉妬なのか!? 
 う、うわぁ……さっきは気付かなかったけれど、おれってば、自分自身に対して嫉妬してたの……?
 やべ、気付いたらめちゃくちゃ恥ずかしい!
 ひょっとして、さっきのお風呂場の時、ガゼルが途中からめちゃくちゃ優しくなったのって……おれが自分自身に対してジェラってたのに気付いてたからか……?
 う、うわぁ……! ど、どうしよう、明日、ガゼルと顔を合わせらんないかもしれない……!
 自分の気持ちに気付いてしまい、こめかみを押さえていると、頭上からフェリクスの照れたような声が響いた。

「その、実を言いますと……かねてより、私は想像していたのです」
「想像?」
「ええ。私とタクミが出会ってから、もう一年以上が経過しましたが……もし、もっと早くに貴方に出会うことができていたら――たとえば、タクミと会ったのが、私が十代の頃だったら……貴方はどんな子どもだったのか、どんな少年時代を送っていたのだろうか、と」
「……おれが、もっと早くフェリクスと出会っていたら……」

 そう言われると、確かにおれも気になる。
 黒翼騎士団に入団する前のフェリクスはどんな人間だったんだろう、とか。
 ガゼルが農村から王都に逃れてきた時には、どんな少年だったんだろう……とか。

「ええ。恥ずかしながら、私は時折、そんな風にして過去の貴方の姿を想像していました。想像というよりは、夢想と言ってもいいかもしれません」

 そう言って、フェリクスが左手を伸ばし、その手の甲でするりとおれの頬を撫でる。
 白い手の甲と、形のいい指先だが、よく見ればその手には剣ダコや、マメの潰れた痕がある。黒翼騎士団の副団長として、今日に至るまで数え切れないほど剣を振るい続けてきた手だ。
 だが、この手も最初からこうだったわけじゃない。
 黒翼騎士団の副団長に就任する前のフェリクスのことを、おれはほとんど知らないのだ。
 だから――

「だから、嬉しいのです。一生知り得なかっただろう、私と出会う以前の貴方の姿を……このような形で実際に目にできるとは思ってもみませんでした。すみません、不謹慎なことだとは分かっているのですが……」
「フェリクス……」

 フェリクスの言葉に、じんと胸が震える。
 彼がそんな風に思っていてくれたなんて、考えてもみなかった。
 そっかー……そういえば、こっちの世界って写真の技術がないもんな。
 これから生み出されるのかもしれないけど、少なくとも、今はまだない。
 だから、おれが、ガゼルやフェリクスの若い頃や、子ども時代の姿を知りたいなぁと思っても、それらを知るすべはないのだ。
 そう考えると、肖像画ってのはつまり、写真撮影の代わりなのかも。
 肖像画を描く、なんて言われて最初はかなりビックリしたけれど……こっちの世界で肖像画を描いてもらうことは、そこまで珍しいことじゃないのかもしれない。
 おれの元の世界でたとえるなら、七五三の記念撮影的な。

「分かった。じゃあ、旅行から戻ってきたら描いてもらおうか」
「っ! いいのですか?」
「ああ。ただ、どうせならおれ一人じゃなくて、ガゼルとフェリクスと三人一緒に描いてもらいたいな」

 肖像画が記念撮影の代わりだっていうのは分かったけれど、でも、やっぱりおれ一人じゃ恥ずかしいしさー。
 っていうか、絵のモデルって一時間くらいじっとしてないといけないんでしょ?
 そんなのおれ一人じゃ絶対飽きちゃいそうだもんなぁ。
 それに、せっかくなら三人一緒に描いてもらいたいよね!
 ……ガゼルとフェリクスのオーラに負けて、おれが背景と同化しないかがちょっと心配だけど……

「私とガゼル団長も、ですか?」

 おれの言葉に、怪訝そうな表情になるフェリクス。
 どうやらフェリクス的には、おれ一人を描いてもらう予定だったらしい。困ったような顔で「うーん……せっかくですし、タクミだけで充分ではないでしょうか……」と呟いている。

「……駄目か?」

 小首を傾げてじっと彼のことを見上げる。
 おれは一人じゃ恥ずかしいし、せっかくなら三人がいいなぁ、という思いを視線に込める。
 すると、フェリクスがうっと言葉に詰まった。

「っ……そ、その顔は反則です、タクミ……」
「え?」
「仕方がないですね。では、私たち三人を描いてもらいましょう。……ああ、どうせならタクミが元に戻った時にも改めて描いてもらいましょうか」

 そうなると、二枚描いてもらうことになるのか。
 おれが小さくなってるバージョンと、元の姿に戻っているバージョンで、それぞれ一枚ずつ。

「……それだと、おれ一人だけ年齢が大きく変わっているのに、ガゼルとフェリクスは全然変わらない絵が出来上がるんじゃないのか?」
「そうなりますね」
「二枚を見比べたら、ちょっと不思議な絵になるな」
「ふふ、それはそれで面白いではないですか。では、約束ですよ、タクミ」

 フェリクスが楽しげに笑いを零すと、両腕をおれに向かって伸ばした。
 なにをするのかと思いきや、彼はおれの身体に腕を回し、そのまま抱きかかえてソファから立ち上がる。おれは慌ててフェリクスの首に腕を回した。

「わっ! フェ、フェリクス……抱き上げるなら言ってくれ」
「ああ、すみません。最初はそのつもりはなかったのですが……貴方があまりにも軽かったので、つい、そのまま抱き上げてしまいました」

 お、おう。
 ……若返って身体が縮んでいるとはいえ、それでもおれの体重は四十キロ以上はあるだろうに……それを「軽い」と断言してしまえるフェリクスは、やっぱり見かけ以上の力持ちだなぁ。さすがは黒翼騎士団の副団長だ。
 あ。でも、よく考えたら、元の姿の時でも、フェリクスはおれを軽々とお姫様だっこしてくれてたな。

「タクミのおかげで、明日からの旅行は、なんのうれいもなく、心穏やかな気持ちで臨めそうです。今夜はありがとうございました」
「いや。おれも、フェリクスの気持ちが知れてよかったよ」

 フェリクスはおれの身体を抱き上げたまま、悠々と歩く。

「明日の出発は早いですし、もうそろそろ寝ましょうか」
「ああ、そうだな」

 にっこりと微笑んだフェリクスに対し、こくりと頷く。
 フェリクスの部屋に来る前に、旅行準備はバッチリ済ませたし、歯だって磨いたからな! 
 あとはもう、明日に備えて眠るだけだ。


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