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第2部 闘技場騒乱
第二十六話
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ローズの言葉に、おれは愕然とした。
パルファン・ドゥ・ローズで操れるのは、人間だけじゃないのか!?
新たに現れた魔獣たちは、先日アダムがコロッセオで戦った魔獣よりも何倍も身体が大きい。どの魔獣も目をらんらんと光らせて、口からだらだらと涎を零している。
「くそっ、魔獣だと……!?」
そんな展開、『ひよレジ』にはなかった。
だが……思えば、確かにパルファン・ドゥ・ローズで操れるものが人間だけだとは断定されてもいなかった気がする。
「ふふっ、本当なら魔獣まで操るつもりはなかったんだけれどぉ……念のため、剣闘士を操って魔獣の檻を開けさせておいてホント良かった~」
どうやらいつの間にか剣闘士たちを操って、闘技場のどこかに収容されていた魔獣たちを解放するように命令しておいたらしい。その後、檻から自由になった魔獣たちも香水を嗅がされ、ローズの支配下に置かれてしまったようだ。
「っ……!」
思ってもみなかった展開に焦る。
どうする? ローズと相対している双子に、退却するように指示を出すべきか?
いや、でもここでローズを逃がしたら……おれが革命軍に協力していることをローズは知っている。ローズは絶対に大臣へ報告するだろう。
だが、あんなに巨大な魔獣三体を相手にしたら、いくらヴィクターとゼノンだって……!
「――おやおや。ずいぶんと自信満々だったので、どんな奥の手があるのかと期待していたのですが」
「まさかこれで終わりか? 四天王のくせに大したことねぇのな~」
「なっ……!」
――が、二人ともおれの心配に反して、余裕のある笑みを浮かべてローズを煽る始末だった。
それどころか、ゼノンは剣を抜くと隣にいるヴィクターへと向かって平然と会話をし始めた。
「なあ兄貴! ちょうど三匹いるから、どっちが先に二体ヤれるか競争しようぜ」
「いいですよ。でも、神造兵器のある私のほうが有利ではありませんか? ハンデを差し上げてもいいですよ」
「へっ、あの程度の犬ッコロ共にハンデなんかいらねェよ」
双子の会話をきいたローズが、顔を真っ赤にしながら肩をぷるぷると震わせる。
「バ、バカにしてっ……! いいわよ、そんなに余裕ならあんたらのご主人サマを守りながら戦ってみなさいよ!」
ローズがぱちんと指を鳴らすと同時に、三頭のうちの一頭が、目を血走らせてこちらへ一目散に駆け出した。残った二頭はそれぞれ、ヴィクターとゼノンへ向かっている。
ヴィクターとゼノンは素早く剣を構えて魔獣の攻撃を打ち払い、あるいは回避して反撃に転じたが、距離があるためこちらへ来るのは間に合いそうにない。
「――っ!」
魔獣が大口を開けて涎を垂らしながら、おれの身体に牙を突き立てんと真っすぐに向かってくる。だが、その牙がおれの身体を切り裂く前に、間に飛び込んできたハルトが剣を振るった。
聖剣バルムンクの一閃により、魔獣の鼻先が大きく切り裂かれる。ギャイン、と大きな悲鳴をあげた魔獣だったが、ハルトは攻めの手を緩めずに次々へと剣戟を繰り出した。
「ハルト……!」
「シ――君は、皆と一緒に逃げて! アメリ、彼を頼む!」
「ちっ、分かったよ! ほら、アンタこっちに来な!」
アメリがここから逃げようとおれの腕をぐいと引っ張ってくる。見れば、アメリはアダムに肩を貸してやっていた。アダムは貧血状態のためか、まだ身体に力が入らないようだ。
しかしおれは、そんなアメリの腕を振り払った。
「ちょ、ちょっと? どうしたのさ」
「おれのことは気にしなくていい、そいつを連れてさっさと行け」
おれがここから逃げようとすれば――恐らくローズの性格的に、魔獣たちにおれを追わせようとするだろう。
おれが一緒に逃げたら、革命軍の人たちを危険にさらす。
「けれど、アンタ……」
「アメリ殿。自分は一人で逃げられる、大丈夫です。ここに残って、どうかこの方をお守りください」
だが、なぜかアメリは逃げようとしない。それどころか、今度はアダムまでもがアメリにここに残れと言い出した。
「おい、おれのことはいいと言ってるだろう? さっさと逃げろ」
「ですが、自分の命を救ってくださったあなたを置いて逃げるわけにはいきません」
「いやいや、だからおれのことはいいと言ってるだろう」
「そんなわけにはいきません。それではアメリ殿、自分はこの方のそばに残りますので、どうか貴殿一人で行ってください」
「い、いや、さすがのアタシもそういうわけにはいかないし……」
頑なな態度で動こうとしないアダムに、おれもアメリも困惑である。
なお、アメリたち以外の革命軍の兵士たちや、剣闘士たちはすでにコロッセオから避難を始めていた。香水の効果が消え自由を取り戻した彼らは、闘技場の破壊された壁や正門以外の通用口から、慌てた様子で脱出を開始している。
ローズも逃げる者たちに気が付いたようで、途端に面白くなさそうな表情へ変わった。
「ちぇっ、香水の効果が切れちゃってたかぁ。ならもう一回……」
「――ローズ、聞きたいことがある!」
おれは慌ててローズへと向き直った。ひとまずアメリとアダムのことは後だ。
再びパルファン・ドゥ・ローズを使われたり、あるいは、逃げる彼らに魔獣を差し向けられてもまずい。ローズの注意を引くため、声を張り上げて彼女へ話しかけた。
「なあに、シキちゃん」
「どうしてお前はこんな回りくどい真似をしたんだ。リリア嬢のメイドを誘拐して、革命軍を騙って脅迫状を出すなんて……そもそも、どうしてそこまでリリア嬢に執着する?」
おれの問いかけに、ローズはにんまりと笑った。
「ふふっ、今さらね。シキちゃんだって、あたしの趣味は知ってるでしょぉ~?」
「女たちを使った剥製作りか」
「そうよ! あたしね……リリアちゃんに初めて会った時から思ってたの! この子を絶対にローズの剥製コレクションにくわえたいって!」
きらきらと目を輝かせて、歌うような調子で告げるローズ。
その台詞に、傍らにいたアメリがげんなりとした表情を浮かべた。詳細を知らないアダムでさえも、剝製作りがどういうものなのか想像がついたらしく嫌悪感に満ちた表情になっている。
「あー……なんだ。つまり一目惚れ、ということか?」
「うん、それに近いかも! だってリリアちゃんって、控えめに言っても皇国一……ううん世界最高峰の美少女じゃない!? 本当にあの大臣の娘なのって感じ!」
「まあ、後半の意見には全面的に同意だが」
「本当ならすぐにでも、リリアちゃんをあたしのものにしたかったけれどぉ……大臣の娘だからさすがに手出しできなくてさぁ。でも、所詮は妾の間にできた子だし、大臣は別にリリアちゃんに愛情はひとかけらも持ってないし? だから、なんとかリリアちゃんの弱みを握れないかと思ってずっと調べてたんだよねぇ」
「ふむ、それで?」
なお、こんな話をしている最中も、ヴィクターとゼノン、ハルトの三人は必死に魔獣と戦っている。
戦闘能力的にはこちらに分があるようで、三頭の魔獣はそれぞれ深手を負っていた。
しかし、魔獣たちは『死ぬまで戦え』とでも命令されているのか、傷から血をだくだくと流しながらもまったく攻撃の手を緩めようとしない。
魔獣相手では、ゼノンがアダムにやったように、関節を外すなどして強制的に戦闘が出来ないようにすることも難しい。恐らく、魔獣との戦いはまだ決着がつかないだろう。
ならば、おれのやることはローズの注意を引き続けることだ。
「そんな時に聞いちゃったんだよね~。リリアちゃんがシキちゃんをお茶会に誘ったって!」
「え、おれ?」
しまった、思わず素で聞き返してしまった。
え? でもおれがリリア嬢にお茶会に誘われたからなんだっていうんだ?
「だって、今までリリアちゃんがシキちゃんと個人的に接触しようとすることなんで一度もなかったでしょ? だから、これは何かあると思って、色々と探りをいれたってわけ!」
胸を張って自慢げにべらべらと喋り出すローズ。
「そうしたらリリアちゃんが、シキちゃんの周囲を嗅ぎまわっていることに気づいたの。しかも同じタイミングで、シキちゃんのウルガ族の生き残りを討伐しに行ったところで、革命軍に待ち伏せされてたっていうじゃない? それで、あたしはリリアちゃんが革命軍に協力してるんじゃないかってピンときたのよ」
「……なるほど」
つまり……あれか?
おれが原作にない行動をしたから、リリア嬢がおれをお茶会に呼んで。その結果、ローズがリリア嬢を疑うきっかけを持つようになって……ちょっと待って。
そうなると、今回の一連の事件の原因って、結局おれの行動が原因か!?
「リリアちゃんが革命軍に協力してるとなれば、さすがの大臣も娘を見限るでしょ? ただ、リリアちゃんだって馬鹿じゃないし、決定的な証拠がなければしらばってくれて終わりにされる。だから、反逆罪の証拠を掴むためにリリアちゃんが大事にしてるメイドを攫ったの」
「それで誘拐事件を起こしたのか」
「うん。ただ、あのメイドに自白剤を無理やり飲ませたんだけど……それでも決定的な証拠はつかめなくってさぁ」
「その後はどうするつもりだったんだ? メイドの身柄と引き換えに、リリア嬢自身に反逆罪の罪を大臣に告白させるつもりだったのか?」
おれの質問に、ローズは突如として甲高い笑い声をあげた。
「アハハッ、そっかその手があったかぁ! そうしても良かったなぁ!」
「……どういうことだ? 何か考えがあって脅迫状を出したわけじゃなかったのか?」
「ああ、脅迫状はただのノリっていうかぁ。単純に、リリアちゃんの苦しむ顔が見たかっただけだもん」
「なっ……それだけの理由で?」
「まあ、この誘拐事件でリリアちゃんが焦ってボロを出して、革命軍に協力してる物証が掴めればなぁと思ったんだけど……結局、リリアちゃんは大臣に軟禁されちゃったでしょ? 物証を掴むどころじゃなくなっちゃって、ちょっと目論見が外れたよね。しょうがないから、今度はリリアちゃんに一日おきにメイドの身体の一部を送ろうかなぁなんて考えてたの」
ローズの言葉を聞いたアメリが、ぽつりと小さく「下衆だねぇ」と呟いたのが聞こえた。
おれもアメリと同意見である。
だが、会話を続けてローズの注意を引いた効果はあったようだ。おれたちが話し終わったのと同じタイミングで、ハルトが聖剣を振るって魔獣の身体を大きく切り裂いた。
ギャイン、と大きな悲鳴を上げた魔獣の左足が吹き飛び、血しぶきが辺り一面に飛び散る。
物理的に行動不能に陥った魔獣の横を駆け抜け、ハルトが一気にローズへと肉薄した。
「四天王ローズ――お前だけは絶対に許さない!」
「アハハッ、ばーか! 近づいたらあたしの香水の餌食になるだけだっつーの!」
だが、ローズは胸元からペンダント型の香水瓶を取り出した。あれがパルファン・ドゥ・ローズだろう。
ローズが素早く香水瓶を操ると、辺り一帯に突然として甘い香りが広がる。
「アメリ、アダム! 香りを吸い込まないようにしろ!」
おれの言葉に慌てて自身の鼻と口を抑えるアメリとアダム。幸い、ここはローズのいる場所の風上にあたるため、香りはさほど届かなかった。
だが、ローズの真正面へと肉薄していたハルトは違った。
突然、ハルトは身体をぴたりと停止させた。あまりに濃い香気が近くで発したため、布で口元を覆っていても香水を吸い込んでしまったようだ。
そして、その両腕をぶるぶると震わせると、握っていた聖剣バルムンクを落としてしまう。
「ぐぅ、ぅうッ……!」
「アハハッ、ばーかばーか!」
ハルトは顔を真っ赤にして必死に抵抗しているものの、ローズの神造兵器には抗えないようだ。
「あたしを散々コケにしたツケを支払わせてあげる! そうね、まずはこの聖剣使いの手であんたちを嬲り殺しに――」
言葉は、途中で奇妙に途切れた。
次の瞬間、げほっという咳き込む音と共にその唇から赤黒い血を吐き出すローズ。
はっとして見れば、いつの間にか、ローズの背後に小さな人影が近づいていたのだ。おれもローズも、ハルトに気を取られていて気が付かなかった。
もしかして……今、ハルトは自分からおとりになったのか?
彼女にローズを倒させるために。だから、あんな風に真正面からローズへ向かっていったんじゃないだろうか。
「一族のみんなの仇よ、ローズ……!」
「げほっ、ごほっ……あ、あんた、よくもこのあたしを……」
そして……鼻と口を布で覆っていて顔がよく見えないが、間違いない。
ローズを討ったのは、ウルガ族の少女ナミカだった。
ローズがハルトに気を取られた隙に、彼女が背後に忍び寄り――その剣でもって背後からローズの身体を刺し貫いていた。
ローズが致命傷を負ったことにより、魔獣たちのコントロールも失われたようだ。ヴィクターとゼノンたちが戦っていた魔獣たちは、とたんにキャインと悲痛な悲鳴を上げて、尻尾を丸めながらコロッセオの壁際へと逃げていった
「げほっ、ごほっ……!」
血反吐を吐きながら、べしゃりと地面に膝をつくローズ。
血を一気に失ったせいか、顔の色は蒼白に変わり、がたがたと身体を震わせている。あれでは……もう長くはもたないだろう。
「シ、シキちゃん……し、神薬をちょうだい……」
ローズは顔を強張らせて、すがるようにおれを見つめた。
「い、今までのことは謝るし、リリアちゃんのことや、シキちゃんのことは、誰にも言わないわ……だからお願い、シキちゃんの神薬なら、どんな怪我でも治るでしょ? ね、お願いよ……?」
「…………」
おれは黙って首を横に振った。
ここでローズを助ければ、絶対に大臣に告げ口されるだろう。
それに……多分、もう手遅れだ。ローズの怪我は、神薬を飲んだところで間に合わない。
すると、そんなローズにゼノンとヴィクターが近づいて行った。
ゼノンは彼女のそばにしゃがみこむと、手を伸ばしてその首にかかった神造兵器を取り外そうとする。だが、ローズは必死にペンダントの鎖を掴んで取られまいとする。
「だめ、だめよ、これだけは……これがないと……」
ローズは赤黒い血をごふりと吐きながら、神造兵器を奪われまいと抵抗をした。
「これがないと、あたし……大臣に拾われる前の、何のとりえもない貧乏貴族の、役立たずのあたしにもどっちゃう……これだけは、だめ……」
「ちっ、知るかよそんなもん」
「これ以上、苦しませるのも酷です。さっさと介錯してしまいましょうか」
ヴィクターとゼノンは、弱弱しい抵抗をするローズに対して、なんの同情もみせなかった。それどころか、ヴィクターは持っていた刀を抜くと、それを彼女の首へ向けて振るおうとする。
ローズはとうとう、もはや自分は助からないと分かったのだろう。すがるような表情を一気にくしゃりと歪めると、今度はその瞳に憎悪の炎を燃やして、憎々しげな表情でおれを睨みつけた。
「シキ、あんたのせいよ……! あんたが革命軍に余計な入れ知恵さえしなければ、きっと、全部うまくいったのに……!」
「っ!」
突然、ローズを中心にしてぶわりと香気が広がった。ローズが、最後の力を振り絞って神造兵器を行使したのだ。
何を操ったのか、考える間もなかった。
おれたちのすぐそばにいた魔獣――先ほど、ハルトが片足を切り飛ばして地面に蹲っていた――が、いきなりがばりと身体を起こすと、おれを目掛けて襲い掛かってきたのだ。
「シキ様!」
「シキ!?」
ぎょっとした表情のヴィクターとハルトがこちらに駆け寄ってこようとするも、間に合わない。おれの一番近くにいたアメリは、おれを助けに行こうと飛び出しかけたアダムを逆に抑えつけていた。
ゼノンは持っていた剣でローズの首ごとペンダントのチェーンを切断し、強引に神造兵器を取り上げた。だが、そうしている間にも、もう魔獣の牙はおれの目前に迫っていた。
「っ……!」
おれの肩に魔獣の爪が食い込み、地面へと押し倒される。
恐怖のあまり、おれはぎゅうっと目をつぶった。心の中には、これから襲い来るであろう死と痛みへの怖れ――そして、“シキ”の命と約束を守れないことの申し訳なさがあった。
「……?」
だが、一向に、おれの想像したような痛みは訪れなかった。
おそるおそる目を開ける。すると、そこにはやっぱり魔獣の口が目の前にあった。思わず、ひっと小さな悲鳴が漏れる。
しかし、魔獣はおれに牙を突き立てることはなく――変わりに、その舌先でペロペロとこちらの顔を舐め始めた。見れば、なぜかその尻尾も嬉しそうにぶんぶんと振られている。
「な、なんだ? いきなりどうして……わっ、ちょっ! へ、変なところを舐めるな……ふぁっ!?」
「シキ様から離れなさい、この駄犬!」
「だ、大丈夫か、シキ?」
困惑していると、ヴィクターとハルトがこちらにやってきて、犬の下敷きになっていたおれを引きずり出して助けてくれた。
しかし、なんだろう、なぜかハルトの顔が赤い。戦いの直後だから?
「大丈夫ですか、シキ様? お怪我はありませんか?」
「お、おれは大丈夫だ。それより、どうして魔獣の態度がいきなり変わったんだ?」
「それがオレたちにもさっぱり……」
あの時ローズは、最後の力を振り絞って神造兵器の力を行使したようだった。恐らく、この魔獣に対して『シキを殺せ』と命じたのだろう。
だが、今や魔獣はくうんと可愛らしい声をあげながら、尻尾をぶんぶんと振っておれをじーっと見つめているだけだ。
どうして、いきなりこんな風に魔獣の態度が変わったんだ?
ローズが死んだからか? いや、でもそれにしたって魔獣のこの態度はおかしい。
いったい何が……
「おい! 大丈夫だったか、シキ様?」
「シ、シキ様、お久しぶりです。ウルガ族のナミカです、私のこと覚えてますか?」
おれが困惑していると、ゼノンと……ウルガ族の少女のナミカがこちらへ近づいてきた。ゼノンの手には、ローズから奪った神造兵器の『パルファン・ドゥ・ローズ』が握られている。
おれはヴィクターに手を貸してもらいながら立ち上がると、まずはナミカへと向き直った。
「ああ、覚えている。久しぶりだな」
「その節は……ありがとうございました。おかげさまで、先ほど妹とも再会することが叶いました」
「そうか、妹と……」
……そっか、本当によかった。
妹さんもちゃんと助けることができたんだ。
とてつもなく嬉しい。気を抜いたら、喜びのあまりに涙が滲んでしまいそうだ。
とはいえ、残念ながら、あまり感動に浸っていてはいけない。なにせ、やらなくてはいけないことが山積みだ。
ひとまず、まず真っ先にやらないといけないことは――
「ゼノン、お前の持っているローズの神造兵器だが……」
「おう、これだろ?」
「試しに、そこの魔獣に伏せをするように念じてみてくれないか?」
「別にいいけどよ……これ、神造兵器だろ? 適正者以外には使えないはずだろ」
ゼノンは不思議そうな顔をしていたが、それでもおれの言葉に従ってくれた。香水瓶を手にした状態で、黙ったままじっと魔獣を見据える。
すると、魔獣は何かを求めるようにゼノンを見つめ返した後、大人しく伏せのポーズをとった。その後はすくっと立ち上がると、その場で三回回り、そして再び伏せのポーズをとる。
まるで忠実な飼い犬のようにゼノンの無言の命令に従う魔獣に、一同が驚きの表情を浮かべた。
「こりゃ面白ぇ。俺の念じた通りに魔獣が動くぜ!」
「シキ様、もしかしてこれは……!?」
「ああ、そうだ。どうやらローズが死んだ後……ゼノンが『パルファン・ドゥ・ローズ』の新たな適正者に選ばれたらしいな」
パルファン・ドゥ・ローズで操れるのは、人間だけじゃないのか!?
新たに現れた魔獣たちは、先日アダムがコロッセオで戦った魔獣よりも何倍も身体が大きい。どの魔獣も目をらんらんと光らせて、口からだらだらと涎を零している。
「くそっ、魔獣だと……!?」
そんな展開、『ひよレジ』にはなかった。
だが……思えば、確かにパルファン・ドゥ・ローズで操れるものが人間だけだとは断定されてもいなかった気がする。
「ふふっ、本当なら魔獣まで操るつもりはなかったんだけれどぉ……念のため、剣闘士を操って魔獣の檻を開けさせておいてホント良かった~」
どうやらいつの間にか剣闘士たちを操って、闘技場のどこかに収容されていた魔獣たちを解放するように命令しておいたらしい。その後、檻から自由になった魔獣たちも香水を嗅がされ、ローズの支配下に置かれてしまったようだ。
「っ……!」
思ってもみなかった展開に焦る。
どうする? ローズと相対している双子に、退却するように指示を出すべきか?
いや、でもここでローズを逃がしたら……おれが革命軍に協力していることをローズは知っている。ローズは絶対に大臣へ報告するだろう。
だが、あんなに巨大な魔獣三体を相手にしたら、いくらヴィクターとゼノンだって……!
「――おやおや。ずいぶんと自信満々だったので、どんな奥の手があるのかと期待していたのですが」
「まさかこれで終わりか? 四天王のくせに大したことねぇのな~」
「なっ……!」
――が、二人ともおれの心配に反して、余裕のある笑みを浮かべてローズを煽る始末だった。
それどころか、ゼノンは剣を抜くと隣にいるヴィクターへと向かって平然と会話をし始めた。
「なあ兄貴! ちょうど三匹いるから、どっちが先に二体ヤれるか競争しようぜ」
「いいですよ。でも、神造兵器のある私のほうが有利ではありませんか? ハンデを差し上げてもいいですよ」
「へっ、あの程度の犬ッコロ共にハンデなんかいらねェよ」
双子の会話をきいたローズが、顔を真っ赤にしながら肩をぷるぷると震わせる。
「バ、バカにしてっ……! いいわよ、そんなに余裕ならあんたらのご主人サマを守りながら戦ってみなさいよ!」
ローズがぱちんと指を鳴らすと同時に、三頭のうちの一頭が、目を血走らせてこちらへ一目散に駆け出した。残った二頭はそれぞれ、ヴィクターとゼノンへ向かっている。
ヴィクターとゼノンは素早く剣を構えて魔獣の攻撃を打ち払い、あるいは回避して反撃に転じたが、距離があるためこちらへ来るのは間に合いそうにない。
「――っ!」
魔獣が大口を開けて涎を垂らしながら、おれの身体に牙を突き立てんと真っすぐに向かってくる。だが、その牙がおれの身体を切り裂く前に、間に飛び込んできたハルトが剣を振るった。
聖剣バルムンクの一閃により、魔獣の鼻先が大きく切り裂かれる。ギャイン、と大きな悲鳴をあげた魔獣だったが、ハルトは攻めの手を緩めずに次々へと剣戟を繰り出した。
「ハルト……!」
「シ――君は、皆と一緒に逃げて! アメリ、彼を頼む!」
「ちっ、分かったよ! ほら、アンタこっちに来な!」
アメリがここから逃げようとおれの腕をぐいと引っ張ってくる。見れば、アメリはアダムに肩を貸してやっていた。アダムは貧血状態のためか、まだ身体に力が入らないようだ。
しかしおれは、そんなアメリの腕を振り払った。
「ちょ、ちょっと? どうしたのさ」
「おれのことは気にしなくていい、そいつを連れてさっさと行け」
おれがここから逃げようとすれば――恐らくローズの性格的に、魔獣たちにおれを追わせようとするだろう。
おれが一緒に逃げたら、革命軍の人たちを危険にさらす。
「けれど、アンタ……」
「アメリ殿。自分は一人で逃げられる、大丈夫です。ここに残って、どうかこの方をお守りください」
だが、なぜかアメリは逃げようとしない。それどころか、今度はアダムまでもがアメリにここに残れと言い出した。
「おい、おれのことはいいと言ってるだろう? さっさと逃げろ」
「ですが、自分の命を救ってくださったあなたを置いて逃げるわけにはいきません」
「いやいや、だからおれのことはいいと言ってるだろう」
「そんなわけにはいきません。それではアメリ殿、自分はこの方のそばに残りますので、どうか貴殿一人で行ってください」
「い、いや、さすがのアタシもそういうわけにはいかないし……」
頑なな態度で動こうとしないアダムに、おれもアメリも困惑である。
なお、アメリたち以外の革命軍の兵士たちや、剣闘士たちはすでにコロッセオから避難を始めていた。香水の効果が消え自由を取り戻した彼らは、闘技場の破壊された壁や正門以外の通用口から、慌てた様子で脱出を開始している。
ローズも逃げる者たちに気が付いたようで、途端に面白くなさそうな表情へ変わった。
「ちぇっ、香水の効果が切れちゃってたかぁ。ならもう一回……」
「――ローズ、聞きたいことがある!」
おれは慌ててローズへと向き直った。ひとまずアメリとアダムのことは後だ。
再びパルファン・ドゥ・ローズを使われたり、あるいは、逃げる彼らに魔獣を差し向けられてもまずい。ローズの注意を引くため、声を張り上げて彼女へ話しかけた。
「なあに、シキちゃん」
「どうしてお前はこんな回りくどい真似をしたんだ。リリア嬢のメイドを誘拐して、革命軍を騙って脅迫状を出すなんて……そもそも、どうしてそこまでリリア嬢に執着する?」
おれの問いかけに、ローズはにんまりと笑った。
「ふふっ、今さらね。シキちゃんだって、あたしの趣味は知ってるでしょぉ~?」
「女たちを使った剥製作りか」
「そうよ! あたしね……リリアちゃんに初めて会った時から思ってたの! この子を絶対にローズの剥製コレクションにくわえたいって!」
きらきらと目を輝かせて、歌うような調子で告げるローズ。
その台詞に、傍らにいたアメリがげんなりとした表情を浮かべた。詳細を知らないアダムでさえも、剝製作りがどういうものなのか想像がついたらしく嫌悪感に満ちた表情になっている。
「あー……なんだ。つまり一目惚れ、ということか?」
「うん、それに近いかも! だってリリアちゃんって、控えめに言っても皇国一……ううん世界最高峰の美少女じゃない!? 本当にあの大臣の娘なのって感じ!」
「まあ、後半の意見には全面的に同意だが」
「本当ならすぐにでも、リリアちゃんをあたしのものにしたかったけれどぉ……大臣の娘だからさすがに手出しできなくてさぁ。でも、所詮は妾の間にできた子だし、大臣は別にリリアちゃんに愛情はひとかけらも持ってないし? だから、なんとかリリアちゃんの弱みを握れないかと思ってずっと調べてたんだよねぇ」
「ふむ、それで?」
なお、こんな話をしている最中も、ヴィクターとゼノン、ハルトの三人は必死に魔獣と戦っている。
戦闘能力的にはこちらに分があるようで、三頭の魔獣はそれぞれ深手を負っていた。
しかし、魔獣たちは『死ぬまで戦え』とでも命令されているのか、傷から血をだくだくと流しながらもまったく攻撃の手を緩めようとしない。
魔獣相手では、ゼノンがアダムにやったように、関節を外すなどして強制的に戦闘が出来ないようにすることも難しい。恐らく、魔獣との戦いはまだ決着がつかないだろう。
ならば、おれのやることはローズの注意を引き続けることだ。
「そんな時に聞いちゃったんだよね~。リリアちゃんがシキちゃんをお茶会に誘ったって!」
「え、おれ?」
しまった、思わず素で聞き返してしまった。
え? でもおれがリリア嬢にお茶会に誘われたからなんだっていうんだ?
「だって、今までリリアちゃんがシキちゃんと個人的に接触しようとすることなんで一度もなかったでしょ? だから、これは何かあると思って、色々と探りをいれたってわけ!」
胸を張って自慢げにべらべらと喋り出すローズ。
「そうしたらリリアちゃんが、シキちゃんの周囲を嗅ぎまわっていることに気づいたの。しかも同じタイミングで、シキちゃんのウルガ族の生き残りを討伐しに行ったところで、革命軍に待ち伏せされてたっていうじゃない? それで、あたしはリリアちゃんが革命軍に協力してるんじゃないかってピンときたのよ」
「……なるほど」
つまり……あれか?
おれが原作にない行動をしたから、リリア嬢がおれをお茶会に呼んで。その結果、ローズがリリア嬢を疑うきっかけを持つようになって……ちょっと待って。
そうなると、今回の一連の事件の原因って、結局おれの行動が原因か!?
「リリアちゃんが革命軍に協力してるとなれば、さすがの大臣も娘を見限るでしょ? ただ、リリアちゃんだって馬鹿じゃないし、決定的な証拠がなければしらばってくれて終わりにされる。だから、反逆罪の証拠を掴むためにリリアちゃんが大事にしてるメイドを攫ったの」
「それで誘拐事件を起こしたのか」
「うん。ただ、あのメイドに自白剤を無理やり飲ませたんだけど……それでも決定的な証拠はつかめなくってさぁ」
「その後はどうするつもりだったんだ? メイドの身柄と引き換えに、リリア嬢自身に反逆罪の罪を大臣に告白させるつもりだったのか?」
おれの質問に、ローズは突如として甲高い笑い声をあげた。
「アハハッ、そっかその手があったかぁ! そうしても良かったなぁ!」
「……どういうことだ? 何か考えがあって脅迫状を出したわけじゃなかったのか?」
「ああ、脅迫状はただのノリっていうかぁ。単純に、リリアちゃんの苦しむ顔が見たかっただけだもん」
「なっ……それだけの理由で?」
「まあ、この誘拐事件でリリアちゃんが焦ってボロを出して、革命軍に協力してる物証が掴めればなぁと思ったんだけど……結局、リリアちゃんは大臣に軟禁されちゃったでしょ? 物証を掴むどころじゃなくなっちゃって、ちょっと目論見が外れたよね。しょうがないから、今度はリリアちゃんに一日おきにメイドの身体の一部を送ろうかなぁなんて考えてたの」
ローズの言葉を聞いたアメリが、ぽつりと小さく「下衆だねぇ」と呟いたのが聞こえた。
おれもアメリと同意見である。
だが、会話を続けてローズの注意を引いた効果はあったようだ。おれたちが話し終わったのと同じタイミングで、ハルトが聖剣を振るって魔獣の身体を大きく切り裂いた。
ギャイン、と大きな悲鳴を上げた魔獣の左足が吹き飛び、血しぶきが辺り一面に飛び散る。
物理的に行動不能に陥った魔獣の横を駆け抜け、ハルトが一気にローズへと肉薄した。
「四天王ローズ――お前だけは絶対に許さない!」
「アハハッ、ばーか! 近づいたらあたしの香水の餌食になるだけだっつーの!」
だが、ローズは胸元からペンダント型の香水瓶を取り出した。あれがパルファン・ドゥ・ローズだろう。
ローズが素早く香水瓶を操ると、辺り一帯に突然として甘い香りが広がる。
「アメリ、アダム! 香りを吸い込まないようにしろ!」
おれの言葉に慌てて自身の鼻と口を抑えるアメリとアダム。幸い、ここはローズのいる場所の風上にあたるため、香りはさほど届かなかった。
だが、ローズの真正面へと肉薄していたハルトは違った。
突然、ハルトは身体をぴたりと停止させた。あまりに濃い香気が近くで発したため、布で口元を覆っていても香水を吸い込んでしまったようだ。
そして、その両腕をぶるぶると震わせると、握っていた聖剣バルムンクを落としてしまう。
「ぐぅ、ぅうッ……!」
「アハハッ、ばーかばーか!」
ハルトは顔を真っ赤にして必死に抵抗しているものの、ローズの神造兵器には抗えないようだ。
「あたしを散々コケにしたツケを支払わせてあげる! そうね、まずはこの聖剣使いの手であんたちを嬲り殺しに――」
言葉は、途中で奇妙に途切れた。
次の瞬間、げほっという咳き込む音と共にその唇から赤黒い血を吐き出すローズ。
はっとして見れば、いつの間にか、ローズの背後に小さな人影が近づいていたのだ。おれもローズも、ハルトに気を取られていて気が付かなかった。
もしかして……今、ハルトは自分からおとりになったのか?
彼女にローズを倒させるために。だから、あんな風に真正面からローズへ向かっていったんじゃないだろうか。
「一族のみんなの仇よ、ローズ……!」
「げほっ、ごほっ……あ、あんた、よくもこのあたしを……」
そして……鼻と口を布で覆っていて顔がよく見えないが、間違いない。
ローズを討ったのは、ウルガ族の少女ナミカだった。
ローズがハルトに気を取られた隙に、彼女が背後に忍び寄り――その剣でもって背後からローズの身体を刺し貫いていた。
ローズが致命傷を負ったことにより、魔獣たちのコントロールも失われたようだ。ヴィクターとゼノンたちが戦っていた魔獣たちは、とたんにキャインと悲痛な悲鳴を上げて、尻尾を丸めながらコロッセオの壁際へと逃げていった
「げほっ、ごほっ……!」
血反吐を吐きながら、べしゃりと地面に膝をつくローズ。
血を一気に失ったせいか、顔の色は蒼白に変わり、がたがたと身体を震わせている。あれでは……もう長くはもたないだろう。
「シ、シキちゃん……し、神薬をちょうだい……」
ローズは顔を強張らせて、すがるようにおれを見つめた。
「い、今までのことは謝るし、リリアちゃんのことや、シキちゃんのことは、誰にも言わないわ……だからお願い、シキちゃんの神薬なら、どんな怪我でも治るでしょ? ね、お願いよ……?」
「…………」
おれは黙って首を横に振った。
ここでローズを助ければ、絶対に大臣に告げ口されるだろう。
それに……多分、もう手遅れだ。ローズの怪我は、神薬を飲んだところで間に合わない。
すると、そんなローズにゼノンとヴィクターが近づいて行った。
ゼノンは彼女のそばにしゃがみこむと、手を伸ばしてその首にかかった神造兵器を取り外そうとする。だが、ローズは必死にペンダントの鎖を掴んで取られまいとする。
「だめ、だめよ、これだけは……これがないと……」
ローズは赤黒い血をごふりと吐きながら、神造兵器を奪われまいと抵抗をした。
「これがないと、あたし……大臣に拾われる前の、何のとりえもない貧乏貴族の、役立たずのあたしにもどっちゃう……これだけは、だめ……」
「ちっ、知るかよそんなもん」
「これ以上、苦しませるのも酷です。さっさと介錯してしまいましょうか」
ヴィクターとゼノンは、弱弱しい抵抗をするローズに対して、なんの同情もみせなかった。それどころか、ヴィクターは持っていた刀を抜くと、それを彼女の首へ向けて振るおうとする。
ローズはとうとう、もはや自分は助からないと分かったのだろう。すがるような表情を一気にくしゃりと歪めると、今度はその瞳に憎悪の炎を燃やして、憎々しげな表情でおれを睨みつけた。
「シキ、あんたのせいよ……! あんたが革命軍に余計な入れ知恵さえしなければ、きっと、全部うまくいったのに……!」
「っ!」
突然、ローズを中心にしてぶわりと香気が広がった。ローズが、最後の力を振り絞って神造兵器を行使したのだ。
何を操ったのか、考える間もなかった。
おれたちのすぐそばにいた魔獣――先ほど、ハルトが片足を切り飛ばして地面に蹲っていた――が、いきなりがばりと身体を起こすと、おれを目掛けて襲い掛かってきたのだ。
「シキ様!」
「シキ!?」
ぎょっとした表情のヴィクターとハルトがこちらに駆け寄ってこようとするも、間に合わない。おれの一番近くにいたアメリは、おれを助けに行こうと飛び出しかけたアダムを逆に抑えつけていた。
ゼノンは持っていた剣でローズの首ごとペンダントのチェーンを切断し、強引に神造兵器を取り上げた。だが、そうしている間にも、もう魔獣の牙はおれの目前に迫っていた。
「っ……!」
おれの肩に魔獣の爪が食い込み、地面へと押し倒される。
恐怖のあまり、おれはぎゅうっと目をつぶった。心の中には、これから襲い来るであろう死と痛みへの怖れ――そして、“シキ”の命と約束を守れないことの申し訳なさがあった。
「……?」
だが、一向に、おれの想像したような痛みは訪れなかった。
おそるおそる目を開ける。すると、そこにはやっぱり魔獣の口が目の前にあった。思わず、ひっと小さな悲鳴が漏れる。
しかし、魔獣はおれに牙を突き立てることはなく――変わりに、その舌先でペロペロとこちらの顔を舐め始めた。見れば、なぜかその尻尾も嬉しそうにぶんぶんと振られている。
「な、なんだ? いきなりどうして……わっ、ちょっ! へ、変なところを舐めるな……ふぁっ!?」
「シキ様から離れなさい、この駄犬!」
「だ、大丈夫か、シキ?」
困惑していると、ヴィクターとハルトがこちらにやってきて、犬の下敷きになっていたおれを引きずり出して助けてくれた。
しかし、なんだろう、なぜかハルトの顔が赤い。戦いの直後だから?
「大丈夫ですか、シキ様? お怪我はありませんか?」
「お、おれは大丈夫だ。それより、どうして魔獣の態度がいきなり変わったんだ?」
「それがオレたちにもさっぱり……」
あの時ローズは、最後の力を振り絞って神造兵器の力を行使したようだった。恐らく、この魔獣に対して『シキを殺せ』と命じたのだろう。
だが、今や魔獣はくうんと可愛らしい声をあげながら、尻尾をぶんぶんと振っておれをじーっと見つめているだけだ。
どうして、いきなりこんな風に魔獣の態度が変わったんだ?
ローズが死んだからか? いや、でもそれにしたって魔獣のこの態度はおかしい。
いったい何が……
「おい! 大丈夫だったか、シキ様?」
「シ、シキ様、お久しぶりです。ウルガ族のナミカです、私のこと覚えてますか?」
おれが困惑していると、ゼノンと……ウルガ族の少女のナミカがこちらへ近づいてきた。ゼノンの手には、ローズから奪った神造兵器の『パルファン・ドゥ・ローズ』が握られている。
おれはヴィクターに手を貸してもらいながら立ち上がると、まずはナミカへと向き直った。
「ああ、覚えている。久しぶりだな」
「その節は……ありがとうございました。おかげさまで、先ほど妹とも再会することが叶いました」
「そうか、妹と……」
……そっか、本当によかった。
妹さんもちゃんと助けることができたんだ。
とてつもなく嬉しい。気を抜いたら、喜びのあまりに涙が滲んでしまいそうだ。
とはいえ、残念ながら、あまり感動に浸っていてはいけない。なにせ、やらなくてはいけないことが山積みだ。
ひとまず、まず真っ先にやらないといけないことは――
「ゼノン、お前の持っているローズの神造兵器だが……」
「おう、これだろ?」
「試しに、そこの魔獣に伏せをするように念じてみてくれないか?」
「別にいいけどよ……これ、神造兵器だろ? 適正者以外には使えないはずだろ」
ゼノンは不思議そうな顔をしていたが、それでもおれの言葉に従ってくれた。香水瓶を手にした状態で、黙ったままじっと魔獣を見据える。
すると、魔獣は何かを求めるようにゼノンを見つめ返した後、大人しく伏せのポーズをとった。その後はすくっと立ち上がると、その場で三回回り、そして再び伏せのポーズをとる。
まるで忠実な飼い犬のようにゼノンの無言の命令に従う魔獣に、一同が驚きの表情を浮かべた。
「こりゃ面白ぇ。俺の念じた通りに魔獣が動くぜ!」
「シキ様、もしかしてこれは……!?」
「ああ、そうだ。どうやらローズが死んだ後……ゼノンが『パルファン・ドゥ・ローズ』の新たな適正者に選ばれたらしいな」
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