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第1部 憑依しました

第九話 SIDE:ヴィクター

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 ヴィクターは、ソファに腰掛けて本を読んでいる男をじっと見つめた。
 男の名前は、シキ=フォン=フォートリエ。皇国の侯爵家の当主であり、この皇国では『四天王シキ』、『神薬の担い手』という二つ名で知られている。

 先ほどまでこの部屋にいた弟のゼノンは、明日のウルガ族の残党狩りの準備をするため退出をしたばかりだ。そのため、この部屋にいるのは、ヴィクターとシキの二人きりであった。

 視線の先にいるシキは、いつも着ているかっちりとした皇国軍の軍服姿ではなく、ラフな私服姿だ。
 本のページを捲りながら視線を落とす横顔を、窓から差し込む陽の光が縁取っている。

 その穏やかな横顔を見つめながら、ヴィクターはそっと、心の中で独りごちた。

(やはり、最近のシキ様は、雰囲気が変わりましたね……)

 ヴィクターとシキとの付き合いは、今年で九年目になる。

 ヴィクターとゼノンは、もともと子爵家の出身だ。上に兄がおり、二人は次男と三男にあたる。しかし、両親と長男の浪費癖によって、当時の子爵家は破産寸前だった。

 長男は、子爵家の破産を防ぐため、双子を奴隷商に売ることを両親に提案した。
 双子というだけでも珍しいのに、それがさらに珍しいオッドアイ持ちで、なおかつ二人は容姿も整っている。そのため、双子を奴隷商に売れば、かなりの高値がつくだろうと両親に提案したのだ。

 子爵夫妻は、長男の提案を「おお、それはいいアイディアだな!」「あの二人も親孝行ができて、きっと喜ぶでしょうね。産んであげた甲斐があったわ」と褒めたたえ、その翌日には、双子は奴隷商に売り払われた。

 そこでの生活はひどいものだった。

 直接的な暴力こそなかったものの、食事を抜かれたり、無理やりに屋外で裸にされたり、そのまま冷水をかけられたり、複数人の男に囲まれて口汚い言葉で罵倒されるようなことは日常茶飯事だった。
 これらは、反抗心の強い二人の心を折るための行為だったが、むしろ、二人の心の中では憎悪の炎がますます燃え上がるばかりだった。

 自分たちを売り払った両親や兄、自分たちを嘲笑う奴隷商どもが憎かった。
 貴族も平民も、この世に生きる人間すべてが憎くてたまらなかった。

 そのような状態で三か月が過ぎた時――突然、奴隷商が皇国軍に摘発された。

 牢屋から救い出され、突然の事態に呆然とする双子の目の前にあらわれたのが、シキだった。
 当時のシキは、侯爵家当主として皇国内にはびこっていた違法奴隷商を捜査していた。その日、とうとう奴隷商の拠点を突き止めて摘発にいたったのだ。
 
 ヴィクターは驚いた。
 なにせ、シキは自分たちとさほど年齢の変わらない少年だったからだ。

 あとから聞いたところによると、シキが双子の前にあらわれたその日が、ちょうど彼の十二歳の誕生日だったらしい。
 シキは両親を馬車の横転事故で失っており、若くして侯爵家を継いでいた。二人の前にあらわれた当時、彼が侯爵家を継いでから、まだたった一年しか経っていなかったという。

 シキはしばらくの間、無表情で薄汚れた双子をじいっと見つめていた。

『お前たちは、もともとは子爵家の出だと聞いた。本当か?』

『……は、はい。そうです』

 ヴィクターの返答に、シキは舌打ちをした。
 だが、双子に怒っているわけではなさそうだった。

『そうか……平民が貴族を金で買って奴隷にしようとは、なんということだ。このままでは皇国は駄目になる。やはり、ブラッドリー大臣につくのが得策か。今の皇帝の統治では、平民に甘すぎる……』

 ぶつぶつと呟くシキを、ヴィクターは不思議なものを見る思いで見つめた。
 どこか思いつめたような表情で、何事かを呟く少年の横顔は、今でもはっきりと鮮明に思い出せる。

 その後、ヴィクターとゼノンはシキに引き取られ、シキの護衛騎士として彼に仕えることになった。
 あの日から今日に至るまで、ヴィクターはずっとシキのそばにいた。

 とはいえ、シキは世間一般で言うところの「よい主」などでは全然なかった。

 いつも余裕がなくピリピリとしていて、双子に当たり散らすことも少なくなかった。八つ当たりのように無茶な任務を言い渡され、弟もろとも死にかけた回数は数えきれないほどだ。

 だが、そんな生活もぜんぜん苦ではなかった。
 かつての奴隷商での生活に比べれば、シキの八つ当たりなどかわいいものであった。

 それに、ヴィクターにとっては、弟と一緒にいられるのが一番大事なことだった。
 家族に売り飛ばされ、奴隷商でどんなにひどい扱いを受けようとも心が折れずにいられたのは、弟のゼノンが自分を支えてくれたからだ。今までのヴィクターにとって一番大事なことは、ゼノンが愉しい日々を過ごしてくれることだった。

 シキの元にいれば刺激的な日々を過ごせるし、どんな怪我も病気も神薬で治療してもらえる。シキのおかげで、かつて自分たちを売り飛ばした家族や、自分たちを虐げていた奴隷商どもにも復讐をすることができた。
 シキは尊敬に足るような男ではなかったが、それでも、ヴィクターはシキに対して恩義と忠誠心を感じていた。だから、今までずっと彼に仕えていた。

 だが――最近のシキは、すこし変わった。

 まず、人を寄せ付けないピリピリとしたオーラがなくなった。周囲に八つ当たりをするようなこともなくなった。
 その代わりに、どこか遠い眼差しで何かを考え込むことが増えた。そして、隙が増えた。

 今までのシキだったら、自分がこうして隣に腰掛けたらそれとなく距離を置いたり、ソファからすぐに立ち上がっていただろう。
 試しに、左手を伸ばして、シキの髪に触れてみる。
 すると、シキは本から顔をあげてこちらを見た。戸惑ったような表情だ。

「どうかしたか、ヴィクター?」

「いえ、なんでもありませんよ」

「なにも用がないのなら、邪魔をするな」

 そうは言うものの、声に棘はない。ふと見れば、シキの耳の先がわずかに赤くなっているのに気が付いた。
 それに気づいたヴィクターは、彼の赤い耳元に唇を寄せて、からかうような声音で囁いた。

「ふふ、シキ様。もしかして、昨夜の情事を思い出してしまいましたか?」

「なっ……!?」

 一瞬にして、シキの顔はかあっと赤く染まった。
 その顔に、ますますヴィクターの悪戯心が増す。

「そ、そんなわけがないだろう、もう離れろ! ぁ、ちょ、待てっ、舐めるなっ……!」

 思わずシキの身体を無理やりソファに押し倒し、その真っ赤になった耳にべろりと舌を這わす。すると、彼の喉からは甘い悲鳴が零れた。

「ひっ、ぁ、だめだって、齧るな、ヴィクターっ……んっ、ひぅっ!」

 自分の名前を呼ばれるたびに、下腹部がずくんと熱くうずいた。

 だが、今日はシキを抱くのは無理だ。明日の夜明け前にはウルガ族の残党狩りに赴かなければいけないのだから、ここでシキを抱き潰すわけにはいかない。今日の様子だと、シキはたとえ身体が不調でも、それを隠して残党狩りについてくるだろう。

 下腹部の衝動を誤魔化すように、耳に歯を軽く当てて齧る。
 だが、それは悪手だった。シキがすがるような声音で、ますます自分の名前を呼び始めたからだ。

「ひぁ、ヴィクターっ、そこ、もう齧るな……ぁっ、ヴィクターっ!」

「それは、私を煽ってるんですか?」

「な、なに言って……ひゃっ!?」

 この人はどうしてこうも雰囲気が変わったのだろうと、不思議に思わなくもない。

 話をしていると、この人は紛れもなく、今まで仕え続けてきた“シキ様”だと感覚で感じることもあるし、逆に、まったく違う他人のように感じることもある。

 だが、そんなことはどうでもいいのだ。
 纏う空気が変わった理由がどういうものにせよ、今やシキは自分たちの所有物だ。
 あんなにお高く留まっていた男が、今や立場が逆転して、自分と弟にされるがままの玩具なのだ。こんなに愉しいことはない。なら、それでいいではないか。

(それでいい、のですが……昨日、ゼノンに初夜を譲ったことだけは、失敗でしたねぇ)

 それは、初めての後悔であり、初めての嫉妬だった。

 ヴィクターにとって、一番大事な存在は弟のゼノンだった。だから、食事でも服でも玩具でも、ヴィクターは自分の所有物ならなんだって弟に譲ることに躊躇いはなかった。弟に譲ったことを後悔をしたことなんて、今までで一度もなかった。

 しかし、ここにきて――昨夜、シキとの性行為を弟に譲ったことを、ヴィクターは後悔していた。
 生まれて初めて感じる「弟への嫉妬」という感覚を、ヴィクターは新鮮な、そして苦い気持ちでしみじみと味わっていた。

(まあ、いいでしょう。残党狩りから戻ったら、ゼノンとの初夜の記憶が薄れるくらいにシキ様を抱き潰せばいいだけです。ふふ、今から楽しみですね……シキ様を辱めるための玩具や薬もたっぷり用意しておかないと)
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