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第28話

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 おれの言葉に、スレイルは一瞬、目を見開いた。
 そして、大きくため息をつきながら「そうですか……」と残念そうに呟く。

「聞いてもよろしいでしょうか? それは……今回のことが原因でしょうか?」

「……いや……今回のことがきっかけではあるけれど、それだけじゃないかな」

 おれは苦笑いを浮かべる。

「ノインとのことがなくても、おれは『God's Garden』は続けてなかったと思うよ」

「そうなのですか? 差しつかえなければ、理由をお伺いしても」

 スレイルが不思議そうな顔で尋ねてくる。おれは苦笑いを浮かべたまま答えた。

「いや、だって怖いじゃん。ゲームとして考えれば『God's Garden』は魅力的だけれど……おれがゲームを趣味にしてるのは、現実を忘れて息抜きをしたいからだよ。現実を忘れたくてゲームに没頭してるのに、その先が別の世界の現実じゃ息抜きにならないだろ? 世界を救うとか、正直、おれにはちょっと荷が重いっていうか」

「……そうですか、残念です」

「悪いな、ここまで話してくれたのに」

「いえいえ。カナト様のご意見、大変参考になりました。それでは、カナト様の先行体験期間は本日付で終了とさせていただきます。追って、機材類の返却についてメールでご案内をさせていただきますね」

「ああ、分かった」

 しかし、『神様』であるスレイルが、メールとかご案内とかそういう会社員っぽい口調なの、ちょっと面白いな。
 今回で彼に会うのも最後だと思うと、すこし、名残惜しい気分だ。

 そこまで考えて、ふと、おれはノインのことが気にかかった。

 彼については……スレイルのように、名残惜しいとは思ってはいない。実際の俺の身体じゃないとはいえ、あっちの身体には、結構ひどいことをされたと思うし。

 でも――

「あの、スレイル。もしも分かるなら……今、ノインがどうしているかだけ教えてもらえないか?」

 スレイルはおれの質問に目を瞬かせた。だが、すぐににっこりと花開くような笑顔になった。

「ええ、それぐらいはかまいませんよ。それでしたら口頭で説明するよりも、直接、見ていただいた方が分かりやすいでしょうか」

「見る?」

 スレイルの言葉に首を傾げる。

 だが、スレイルはそれに対して答えることはなかった。その代わり、彼とおれの足元がゆらりと揺れた。

 目を凝らして見れば、限りなく透明だった湖面がざわざわと揺れ、何らかの映像を映し始めている。
 最初は滲んだインクのようにぼやけた画像であったが、段々と象を結び、最終的にはハッキリとした映像になった。

「え――」

 だが、そこに映し出されたものは、まったく予想外のものだった。

 場所は、どうやら室内のようだ。周囲には窓のようなものはなく、かなり薄暗い。

 ジメジメとした室内の中で、ノインはぐったりと身体を横たえていた。その横顔は血の気が失われ、唇は青ざめている。

 そして、瞼は紫色の晴れ上がり、頬も黄土色に変色している。身に着けている服もボロボロになっており、その服の破れた間からは、血のにじんだ肌が見えた。

 誰が見ても――明らかに、一方的な暴力を受けた後だ。

「なっ……なんだよこれ! どうなってるんだ!?」

 思わず、傍らにいたスレイルに向かって声を荒げてしまう。だが、スレイルはおれの怒鳴り声に気分を害した様子もなく、平然としたままだった。

「ふむ……場所は彼の属する闇ギルド支部の所有している建物のようですね。どうやら、彼の上司にあたる人物と仲間から一方的にリンチを受けているようです」

「な、なんで? だって、仲間同士じゃないのか?」

「何故と言われましても……それはやはり、カナト様のことが原因ではないでしょうか?」

「え」

 スレイルの言っている意味が分からず、一瞬、頭が真っ白になる。

 だが、ノインが言っていたことを思い出し、おれはこの状況に至る原因に思い当たった。

「そういえば……ノインは、ブラストって人に言われて、おれのことを殺しに来たって言ってた……」

「ええ。そして彼は、貴方を暗殺することに失敗しました。しかも、貴方は酒場で忽然と姿を消してしまいましたからね……どうやら、彼がカナト様を逃がしたと疑われた結果、あのようなことになっているようです」

「ノインがおれを逃がした? なんでそんな」

「カナト様のことを何も知らない他者が見れば、そのように考えるのが当然ではないでしょうか? 最後にカナト様とお会いしたのは彼一人で、その後、カナト様は行方をくらませてしまった。町にいる気配もないとくれば、彼がカナト様の逃亡を手引きしたと疑われてもおかしくないでしょう」

「…………」

 スレイルの言葉を噛みしめ、おれはもう一度、湖面に移る映像を見つめる。
 そこに映ったノインは、相変わらずぐったりと床に倒れ伏したままだ。睫毛が時おり、わずかに震えるため、生きてはいるようだが――それでも酷い怪我だ。

 ポーションで怪我を治さないのは何故だろうか……?
 それとも、治してもキリがないほど、ずっと暴行を受けているのだろうか――

「っ……スレイル」

「はい」

「おれ――おれが今、あそこに行くことは可能か? ノインを助けに行くことは……できるか?」

 おれの質問に対し、スレイルはわずかに目を見開いた。
 そして、いぶかしげな顔でこちらを見つめる。

「はい、可能です」

「なら――」

「ですが、カナト様は先ほど『God's Garden』をやめると仰られました。向かう先が現実であれば、それはもはや『ゲーム』ではないと」

「…………」

 スレイルの言葉は穏やかであったが、返す言葉が見つからず、おれは口をつぐんだ。

「もしもここで彼を救出に向かうと仰られるのであれば――それは、私達との本契約に同意をされたものとみなします。もう、『God's Garden』をやめることは出来ませんよ。それでもよろしいですか?」

 スレイルの言葉は、ひどく重苦しい響きでおれにのしかかった。
 もう一度、おれは湖面に移るノインに視線を向ける。

 おれは――ノインに、一方的にひどいことをされた。
 友達にはなれないと、面と向かってハッキリと言われもした。

 ノインを救うために、今一度『God's Garden』にログインするとなれば、もう『God's Garden』をやめることは出来ないとスレイルはいう。

 ノインに裏切られたおれが……彼を救うために、異世界での生活を抱え込む必要があるのか?
 ここでノインを見捨てたって、きっとスレイルはおれを責めない。ノイン自身だって責めないだろう。おれを責める資格はノインにはない。
 彼だって、おれの助けなんか期待しちゃいないはずだ。

「おれは……」

 ちょうど、その時だった。
 おれがスレイルに対して答えようとした時、湖面の映像のノインが、ゆるゆると瞼を開けた。

 色鮮やかな、オレンジ色の瞳が湖面に映る。かつて、おれが”ヒール”でもって治療した目だ。

「……スレイル、おれをあそこに行かせてくれ。それで『God's Garden』をやめることが出来なくなってもかまわない」

 ノインの目を見つめていたら、自然と、自分の唇からそんな言葉が溢れていた。
 けれども、以外にも心の中は凪いだ海のように落ち着いている。

 スレイルはといえば、驚いたように目を丸くした。おれの顔をしげしげと見つめると、面白がっているかのような表情を浮かべた。

「おや、予想外ですね。彼はカナト様を裏切ったのに、その彼を助けに向かうのですか?」

「確かに、そうだけれど……ノインはおれのことを『嫌い』だとは一度も言わなかった。だから、もう一度話をしてみたいんだ」

「ふむ……私としては、カナト様のような優秀な方が『God's Garden』に復帰してくださるのは大変喜ばしいことです。ですが、本当にいいのですか? 世界を救うのは、荷が重いと言っていたではないですか」

「そうだな。でも……ここでノインを見殺しにするのも、やっぱりおれには重すぎるよ。一度は仲間だったんだしな。それなら、まだ世界を救う方が気が楽だ」

 おれが肩をすくめてそう言うと、スレイルはますます面白がるような表情を浮かべた。

「なるほど、なるほど……やはり、カナト様は面白い御方ですね。オルフェ様が気に入られるわけです」

 そう言うと、スレイルはぱちんと指を鳴らした。
 すると、今までノインが映っていた湖面にざわりと波が立つ。そして、今度は湖面の上に、ブラックホールのように真っ暗な穴が空いた。

「こちらの先が、彼が繋がれている場所になっております。飛び込んで頂ければ、自動的に装備も身に着けた状態になっておりますので、ご安心ください。また、本契約の詳細については、追ってメールにてご案内をさせていただきます」

「色々とありがとう」

 恐る恐る、ブラックホールの縁に足をかける。
 しかし、ここに飛び込むのちょっと怖いなぁと思っていると、スレイルがおれの背中に声をかけた。

「カナト様の実力であれば、ほとんどの人間は叶わないでしょうが……一人だけ、ブラストと名乗る男はなかなかの手練れです。ご注意ください」

「ああ、分かった」

「そして……その、ブラストという男ですが」

 そこで、スレイルはおれの背中にぴったりと身体を密着させるようにして顔を近づけてきた。ひそやかな声で、こっそりと耳打ちをされる。
 その内容に、おれは眉を上げた。

「なるほど。どうりで、おれなんかに暗殺なんて不自然だと思ったよ。でも、どうして……」

「私は神ですから、人の心の機微は貴方の方がお詳しいでしょう」

 スレイルはそう前置きをした上で、言葉を続けた。

「そうですね……確かに今までに彼が受けた扱いは、道義的に考えれば酷いものだったかもしれません。それでも、彼がこの年齢まで生き延びてこれたというのもまた事実です。……たとえ歪んだ形だったとしても、そこには情があったのではないでしょうか?」
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