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ハーゲンティ
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テリーは目の前で繰り広げられる激闘に驚愕していた。
自身が手も足も出なかった悪魔相手に、ヴィルが互角以上に戦っている。
その動きは銅等級に収まるものではない。
町を救った英雄というのは本当だったのだ。
戦いに目を奪われていると、ヴィルの同行者二人が駆けつけ、ポーションで回復してくれた。
一人はクラン所属の青年だ。名前は確かティムだったか。
フィテッセの惨劇で生き残った子供の一人。
彼も銅等級だった筈だが、金等級のエンブレムを付けている。
古来よりフィテッセは英雄が産まれる村だと伝わっていた。
彼に強くなる素質があったとしてもおかしくはない。
もう一人は長身長髪の美しい女戦士。
冒険者の格好をしているが、クランメンバーではない。
彼女からは直視できない程の例えようの無い威圧感が漂っている。
ラズと呼ばれたこの女性は、一体何者なのだろうか。
私が一番驚いているのは、この二人が恐ろしい悪魔の存在を前にして、非常に落ち着き払った佇まいでいる事だ。
私は一向に震えが止まらないというのに!
「テリー、何をしておる!今のうちに早く助けを呼びに行くんじゃ!」
「し、しかしっ!」
「ランパードが持たぬぞ!」
この戦いの行く末が気になるが、人命を優先するヴィルの言葉に逆らう事は出来ない。
「急ぎ戻ってまいる!」
テリーは、震える身体を奮い起こし、【転移の間】へと急いだ。
————————
テリーが【転移の間】に入っていったのを確認して、ティムはようやく口を開いた。
「ふぅ、やっと邪魔者が消えた。
それよりも、思っていたよりやるな爺さん。だが、防戦一方じゃ勝てんぞー」
残念ながらその声は、集中しているヴィルの耳には届いていない。
ハーゲンティの上半身は禍々しい獣と化し、不自然に盛り上がった腕で猛攻を繰り返す。
その爪撃はかするだけでも致命傷になりかねない。
ティムは不思議に思う。これだけ身体能力の差があって、何故ヴィルは戦えているのだろうか、と。
「不思議な顔をしているな。あの悪魔は戦い方というものを知らんらしい。
ひたすら急所だけを狙っておる。あれじゃ躱してくれと言っておるようなものよ」
くっ、ティムは感情が顔に出やすいらしい。
ラズに思っている事が見透かされている。
変身していなければ、表情を読まれないのに。ティムのガキめが!
「だから、防戦一方じゃ勝てんと言ってるだろ!」
「あの戦士は、何か狙っているようだ」
「ぐぬぬ…………」
ハーゲンティの大振りに合わせてヴィルは一気に懐へ飛び込んだ。
「その隙を狙っておった」
どういう原理か分からないが剣が光を帯び、悪魔の胴体に吸い込まれていく。
胸部に大きな裂け目が開き、そこから激しく血が吹き出す。
人間であれば致命的な一撃だろう。
「貴様ーッ!」
「鉄が弱点であるのは変わっておらんかったな」
ヴィルがガクリと膝をつく。
ここまで悪魔の攻撃を完璧に躱していたが、老戦士の体力は既に限界に達していたらしい。
当たれば死という重圧の中、攻撃を躱し続け、ようやく届いた一撃だったのだ。
「勝負アリだ。弱点あるとか、思ったより弱い悪魔だったな」
「いや、悪魔の方が一枚上手のようだ」
「何だとッ!」
「剣を良く見るがいい。あの悪魔には、金属を変化させる能力があったらしいな」
ヴィルの持つ剣が黄金に光っている。
まさか、鉄が金に変わったとでもいうのか。
一命を取り留めた悪魔は背中に翼を生やすと、逃げるように上昇していく。
回復する時間を稼ぐようだ。
ヴィルが悔しそうにそれを見上げている。
既に動く体力すら残っていないらしい。
「マスター、あの人間を助けないのか?」
「マスターと呼ばれるのは久しぶりだな」
「その姿形のテツオに、婿とはとても言えぬ」
「ふっ、そうか。マスターと呼ばれる方がありがたいがな」
「…………見殺しにする性格にはみえぬ」
「覚悟を決めた戦士に手を出すのは野暮というものだが」
ティムは逡巡した後、ヴィルの前に歩み寄る。
「おい、生きてるか?」
「老体に悪魔相手はちときついわい」
「爺さんが望んだ事だろう?
一瞬、勝てるかと思ったが残念だったな」
「手ごたえはあったんじゃがのぅ」
「悪魔に会わせるまでが契約だったがどうする?このまま死ぬか?助けてほしいか?ましてや討伐も追加だとかなり高つくぞ?」
青年は終始ニヤニヤしながら取り引きを持ちかける。
ヴィルはすがるように嘆願した。
「儂は命などとうに捨てておる。助けてほしいとは思っとらん。
だが、奴は儂らの、ティムの仇だ…………
頼む!奴を倒してくれい…………どうか、頼む!」
「ああ、分かった。任せとけ!」
老戦士は思わず目を細めた。
彼から眩しい光が放たれているように錯覚したからだ。
朗らかで生き生きとした返事が、彼の胸を激しく締め付ける。
目の前の青年は、見た目も声も全てがティムそのものだった。
…………彼はもういない。
ティムは、この地下迷宮で死んだのだ。
彼の亡き骸の傍らで悲しみに明け暮れていた時、不思議な雰囲気を持つ男に取り引きを持ち掛けられる。
今思えば受けるべきではなかったかもしれない。
「悪魔に心当たりはないか?
もし、困っているなら力になれるかもしれない。
その代わりと言ってはなんだが、その少年の身体をお借りしてもいいだろうか?」
彼はテツオと名乗り、危険地帯を攻略した事があると云う。
世間の話題というものに疎い為、そんな冒険者の名前も、危険地帯が攻略されたというニュースも聞いた事は無かったが、彼には何か秘めた力があるのではと直感する。
奇妙な提案だったが、仇である悪魔ハーゲンティの手掛かりがどうしても欲しかった私は受諾する事にした。
その後、彼は奇妙な術にてティムに姿形を変え、クラン、そして街に溶け込み、快進撃を続け、そして遂に、ハーゲンティへと辿り着いた。
この好機を逃す訳にはいかない。
————————
「各々方!至急、助力を求むッ!」
【大食洞窟】の入り口である大聖堂に、一人の男が転移装置で戻ってくるなり大声を張り上げた。
その冒険者を見た神官は、著名な剣士だとすぐに気付く。
「テリーさんじゃありませんか!酷い怪我だ!直ちに治療を!」
神官が傷付いたテリーを急ぎ治癒していると、その場にいた聖布の外套を羽織る恰幅の良い男性冒険者が振り返る。
男は薄茶色い口髭を摩りながら、同じく薄茶色い眉を顰めた。
「どうしたんですテリーさん?ランパードさん達と一緒じゃないんですか?」
「クルトワ殿?なにゆえ此方に?いや、それどころでは無いのだ。ランパードに危機が迫っておる。急ぎ救助に向かいたい!」
「落ち着いて周りをよく見てください」
いつもより人が多いのは分かっていたが、テリーは改めて聖堂内を見渡す。
【凍てつく永劫】クランのメンバーが多く集まっている。
現状、二十階層における独占権がある為、それは分かるのだが、殆どが所謂クルトワ派
のメンバーで占められていた。
テリーが最も驚いたのは、人集りの中心には聖女がいた事だった。
聖女がわざわざこの危険地帯に来訪している。
それは、前例の無い事だった。
だが、答えは聖女の前で跪く男性の正体にある。
名をテツオ。俄には信じ難いが、冒険者でありながら、ジョンテ領主に就任し、侯爵の爵位を持つという。そのニュースは王都にまで届いていた。
聖女から聖布の外套を受け取り、ジョンテ領主はそれを覚束ない手つきで羽織る。
冒険者というには細く、貴族というには平凡。
大勢に囲まれるのに慣れていないのか、そわそわと居心地悪そうにしていた。
そんな領主の動向に気を取られていると、クルトワが和かに話を続ける。その内容は到底受け入れられないものだった。
「此度の儀式が無事執行されまして、我々【凍てつく永劫】クルトワ派一同は、テツオ侯爵の庇護下に置かれました。この日を迎えれる事を大変嬉しく思います」
「なっ?ランパードを裏切るのか!」
「ですから、落ち着いて下さいテリー。
彼の求心力は地に落ち、団内には既に新しい勢力が生まれています」
「それはお主の計略であろうが!」
「セーラ女史を問い詰めたところ、ランパードさんは本来クランメンバーに支払われるべき報酬の一部を搾取していたようなのです。
冒険者は危険に見合った対価を受け取る権利があるのにも関わらず!
気付けなかった責任は幹部である私にもあります。苦悩していた私に救いの手を差し伸べて下さったのが、テツオ侯爵様なのです」
「ど、どうも」
クルトワ派メンバーから歓声が上がると、テツオ侯爵が照れ臭そうに片手を上げて応えた。
領主にはとても見えない。
「し、信じられぬ…………」
うろちょろと落ち着かないテツオ侯爵が、テリーの前で立ち止まる。
何か伝えたい事があるのか黙って待っていると、俺と床を何度か交互に見た後、ボソボソと独り言のように喋り始めた。
「クルトワは古い体質に染まったクラン環境を改革しようと尽力していた。俺はその頑張りにほんの少し力を貸しただけだ。
冒険者は危険に見合った報酬を得る。
そんな当たり前の事を守るのがクランじゃないのか?」
再び歓声。
男の声は頼りないが、不思議と惹きつけられる吸引力があった。
「ともかく、ランパード達が危険と言うのなら今すぐ助けにいこう。テリー立てるか?」
「えっと、侯爵自ら赴くと言うのですか?」
クルトワはテツオの発言に驚く。
「俺は【回復魔法】が使える。適任だろう」
「それでは、我々もお供致します」
「いや、来なくていい。危険地帯に関しては任せてくれ」
「分かりました。どうかお気をつけて」
同行を申し出たクルトワだったが、やけにあっさりと引き下がった。
軍門に降ったとはいえ、あくまで貴族の後ろ盾が欲しかっただけなのではという思惑が感じ取れる。
クルトワが損得勘定で動く男だという事は【凍てつく永劫】のメンバーであれば誰もが知っているのだ。
「では行くぞ、テリー」
「…………お願い致す」
テリーは自然と頭を垂れていた。
私だってテツオ侯爵に助けを求めている。つまりは、利用しようとしている。
クルトワとなんら変わりないではないか。
葛藤しながらも、この男の後をついていく。
ふと見ると転移装置に翳す侯爵の手がほんの少し震えていた。
恐怖なのか、武者震いなのか、それは判らないが、所詮彼も人の子なのだと気付かされた。
自分の至らなさに恥いるばかりである。
————————
「ふぁああ、やっと、邪魔者がいなくなったか。
これで、思う存分やれるな」
「ククク…………」
ティムが大きな欠伸をしながら伸びをすると、全快したハーゲンティが翼を消し、不敵に笑いながら空から降りてきた。
「人間は疲弊するが、我らに疲弊など無く、地下迷宮にいる限り、魔力が尽きる事は無い」
「フン、何が言いたいんだ?」
「貴様らは死ぬしか無いと言う事だ」
「急にお喋りになったな。お前レベルの敵は最初から眼中に無いんだ。
泳がせていたのが、分からなかったのか?
来いよ、さっさと終わらせるぞ」
「虫ケラがッ!」
ハーゲンティは漆黒の両翼を大きく開いた。
上位悪魔は、動物とは違い、自らの翼で羽ばたかなくても膨大な魔力を使って自在に飛行出来る。
では何故、ハーゲンティの背中に翼があるのか?旧態然とした造形が退化せず、そのまま残り続けたという説もあるが、悪魔における翼とは、ある種の象徴なのだ。
ハーゲンティの翼は、飛行、そして加速。二つの概念を具現化していた。
翼に魔力が漲り、深紫の光が迸ると、爆発的な急加速と共に、ティム目掛けて高速落下していく。
ハーゲンティの凶悪な爪が、瞬く間にティムの喉元に迫る。
「速い!」
その速度はラズの想像を遥かに上回っていた。
アルドゥヴァインにも引けを取らぬやもしれぬ。
此度は主人の戦闘能力を見る為に同行したが、狡猾な悪魔相手に対応出来るのだろうか?
【時間遅行】
極限まで遅くなった時流の中、女戦士の不安そうな顔を見て、ティムは軽く吹き出した後、嬉しくなり、そして、股間が少し熱くなった。
「ふふ、こいつも一応は心配してくれるのね。可愛いとこあるじゃねぇか」
それにしても、なんでこいつはこんなダサい格好してるんだろう。
ティムは宙に浮いたままの悪魔そっちのけで、隣に立つラズの鎧が気になりはじめた。
ビキニ水着の上に、自分の鱗なのか緑色の胸当て、腰当て、腕当て、脛当てと付けただけの簡素な装備。
背後から見れば、背中も尻も丸出しのただの露出狂だ。
形のいい尻がぷりんと俺を挑発している。
「生意気な尻めっ」
尻をぺしりと叩く。
ふむ、ハリ、弾力、質感と若いねえちゃんそのもの。
残念ながら胸当てが硬すぎて、胸の柔らかさは分からないので、顔に視線を移す。
いつもはキリッと釣り上がった眉がすっかり下がり、その表情からは俺に対する信頼が全く感じ取れない。
まさか俺があんな雑魚に遅れをとると思っているのか?
甚だ心外である。
罰として強制的にイチモツでも突っ込んでやろうかとも考えたが、流石に戦闘中は不謹慎か。
それよりも、こんなに間近でラズの瞳を見続けると吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
キラキラと輝く褐色の肌、神々しい黄金の瞳、魅惑的な唇、唇か、そういえばキスした事ないな。
俺のモンなのに。
キスだけでもと思い顔を近付けると、ラズの目がギョロリと動き、バッチリと視線が合う。
更には、平手打ちをされるような殺気を感じ、思わず後退りする。
まさか、こいつ、遅くなった時流を認識しているのか?
気になる。気になるが、先に悪魔を片付けてしまおう。
————時流が戻る。
ハーゲンティの周囲を百本の【鉄の剣】が取り囲み、時流が戻った瞬間突き刺さっていく。
「で、断末魔だろ?」
「グオオオオオオオオーッ!」
「聞き飽きたって」
断末魔が止み、静寂が訪れる。
地面には大量の血飛沫と悪魔であったものの肉片が飛び散っていた。
ティムが手を翳すと、肉片の中からハーゲンティの核であった魔玉が浮かび上がる。
それを指三本で握りしめると、ラズに見せつけ、声高らかに宣言した。
「ゲームセットォォォ!」
自身が手も足も出なかった悪魔相手に、ヴィルが互角以上に戦っている。
その動きは銅等級に収まるものではない。
町を救った英雄というのは本当だったのだ。
戦いに目を奪われていると、ヴィルの同行者二人が駆けつけ、ポーションで回復してくれた。
一人はクラン所属の青年だ。名前は確かティムだったか。
フィテッセの惨劇で生き残った子供の一人。
彼も銅等級だった筈だが、金等級のエンブレムを付けている。
古来よりフィテッセは英雄が産まれる村だと伝わっていた。
彼に強くなる素質があったとしてもおかしくはない。
もう一人は長身長髪の美しい女戦士。
冒険者の格好をしているが、クランメンバーではない。
彼女からは直視できない程の例えようの無い威圧感が漂っている。
ラズと呼ばれたこの女性は、一体何者なのだろうか。
私が一番驚いているのは、この二人が恐ろしい悪魔の存在を前にして、非常に落ち着き払った佇まいでいる事だ。
私は一向に震えが止まらないというのに!
「テリー、何をしておる!今のうちに早く助けを呼びに行くんじゃ!」
「し、しかしっ!」
「ランパードが持たぬぞ!」
この戦いの行く末が気になるが、人命を優先するヴィルの言葉に逆らう事は出来ない。
「急ぎ戻ってまいる!」
テリーは、震える身体を奮い起こし、【転移の間】へと急いだ。
————————
テリーが【転移の間】に入っていったのを確認して、ティムはようやく口を開いた。
「ふぅ、やっと邪魔者が消えた。
それよりも、思っていたよりやるな爺さん。だが、防戦一方じゃ勝てんぞー」
残念ながらその声は、集中しているヴィルの耳には届いていない。
ハーゲンティの上半身は禍々しい獣と化し、不自然に盛り上がった腕で猛攻を繰り返す。
その爪撃はかするだけでも致命傷になりかねない。
ティムは不思議に思う。これだけ身体能力の差があって、何故ヴィルは戦えているのだろうか、と。
「不思議な顔をしているな。あの悪魔は戦い方というものを知らんらしい。
ひたすら急所だけを狙っておる。あれじゃ躱してくれと言っておるようなものよ」
くっ、ティムは感情が顔に出やすいらしい。
ラズに思っている事が見透かされている。
変身していなければ、表情を読まれないのに。ティムのガキめが!
「だから、防戦一方じゃ勝てんと言ってるだろ!」
「あの戦士は、何か狙っているようだ」
「ぐぬぬ…………」
ハーゲンティの大振りに合わせてヴィルは一気に懐へ飛び込んだ。
「その隙を狙っておった」
どういう原理か分からないが剣が光を帯び、悪魔の胴体に吸い込まれていく。
胸部に大きな裂け目が開き、そこから激しく血が吹き出す。
人間であれば致命的な一撃だろう。
「貴様ーッ!」
「鉄が弱点であるのは変わっておらんかったな」
ヴィルがガクリと膝をつく。
ここまで悪魔の攻撃を完璧に躱していたが、老戦士の体力は既に限界に達していたらしい。
当たれば死という重圧の中、攻撃を躱し続け、ようやく届いた一撃だったのだ。
「勝負アリだ。弱点あるとか、思ったより弱い悪魔だったな」
「いや、悪魔の方が一枚上手のようだ」
「何だとッ!」
「剣を良く見るがいい。あの悪魔には、金属を変化させる能力があったらしいな」
ヴィルの持つ剣が黄金に光っている。
まさか、鉄が金に変わったとでもいうのか。
一命を取り留めた悪魔は背中に翼を生やすと、逃げるように上昇していく。
回復する時間を稼ぐようだ。
ヴィルが悔しそうにそれを見上げている。
既に動く体力すら残っていないらしい。
「マスター、あの人間を助けないのか?」
「マスターと呼ばれるのは久しぶりだな」
「その姿形のテツオに、婿とはとても言えぬ」
「ふっ、そうか。マスターと呼ばれる方がありがたいがな」
「…………見殺しにする性格にはみえぬ」
「覚悟を決めた戦士に手を出すのは野暮というものだが」
ティムは逡巡した後、ヴィルの前に歩み寄る。
「おい、生きてるか?」
「老体に悪魔相手はちときついわい」
「爺さんが望んだ事だろう?
一瞬、勝てるかと思ったが残念だったな」
「手ごたえはあったんじゃがのぅ」
「悪魔に会わせるまでが契約だったがどうする?このまま死ぬか?助けてほしいか?ましてや討伐も追加だとかなり高つくぞ?」
青年は終始ニヤニヤしながら取り引きを持ちかける。
ヴィルはすがるように嘆願した。
「儂は命などとうに捨てておる。助けてほしいとは思っとらん。
だが、奴は儂らの、ティムの仇だ…………
頼む!奴を倒してくれい…………どうか、頼む!」
「ああ、分かった。任せとけ!」
老戦士は思わず目を細めた。
彼から眩しい光が放たれているように錯覚したからだ。
朗らかで生き生きとした返事が、彼の胸を激しく締め付ける。
目の前の青年は、見た目も声も全てがティムそのものだった。
…………彼はもういない。
ティムは、この地下迷宮で死んだのだ。
彼の亡き骸の傍らで悲しみに明け暮れていた時、不思議な雰囲気を持つ男に取り引きを持ち掛けられる。
今思えば受けるべきではなかったかもしれない。
「悪魔に心当たりはないか?
もし、困っているなら力になれるかもしれない。
その代わりと言ってはなんだが、その少年の身体をお借りしてもいいだろうか?」
彼はテツオと名乗り、危険地帯を攻略した事があると云う。
世間の話題というものに疎い為、そんな冒険者の名前も、危険地帯が攻略されたというニュースも聞いた事は無かったが、彼には何か秘めた力があるのではと直感する。
奇妙な提案だったが、仇である悪魔ハーゲンティの手掛かりがどうしても欲しかった私は受諾する事にした。
その後、彼は奇妙な術にてティムに姿形を変え、クラン、そして街に溶け込み、快進撃を続け、そして遂に、ハーゲンティへと辿り着いた。
この好機を逃す訳にはいかない。
————————
「各々方!至急、助力を求むッ!」
【大食洞窟】の入り口である大聖堂に、一人の男が転移装置で戻ってくるなり大声を張り上げた。
その冒険者を見た神官は、著名な剣士だとすぐに気付く。
「テリーさんじゃありませんか!酷い怪我だ!直ちに治療を!」
神官が傷付いたテリーを急ぎ治癒していると、その場にいた聖布の外套を羽織る恰幅の良い男性冒険者が振り返る。
男は薄茶色い口髭を摩りながら、同じく薄茶色い眉を顰めた。
「どうしたんですテリーさん?ランパードさん達と一緒じゃないんですか?」
「クルトワ殿?なにゆえ此方に?いや、それどころでは無いのだ。ランパードに危機が迫っておる。急ぎ救助に向かいたい!」
「落ち着いて周りをよく見てください」
いつもより人が多いのは分かっていたが、テリーは改めて聖堂内を見渡す。
【凍てつく永劫】クランのメンバーが多く集まっている。
現状、二十階層における独占権がある為、それは分かるのだが、殆どが所謂クルトワ派
のメンバーで占められていた。
テリーが最も驚いたのは、人集りの中心には聖女がいた事だった。
聖女がわざわざこの危険地帯に来訪している。
それは、前例の無い事だった。
だが、答えは聖女の前で跪く男性の正体にある。
名をテツオ。俄には信じ難いが、冒険者でありながら、ジョンテ領主に就任し、侯爵の爵位を持つという。そのニュースは王都にまで届いていた。
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冒険者というには細く、貴族というには平凡。
大勢に囲まれるのに慣れていないのか、そわそわと居心地悪そうにしていた。
そんな領主の動向に気を取られていると、クルトワが和かに話を続ける。その内容は到底受け入れられないものだった。
「此度の儀式が無事執行されまして、我々【凍てつく永劫】クルトワ派一同は、テツオ侯爵の庇護下に置かれました。この日を迎えれる事を大変嬉しく思います」
「なっ?ランパードを裏切るのか!」
「ですから、落ち着いて下さいテリー。
彼の求心力は地に落ち、団内には既に新しい勢力が生まれています」
「それはお主の計略であろうが!」
「セーラ女史を問い詰めたところ、ランパードさんは本来クランメンバーに支払われるべき報酬の一部を搾取していたようなのです。
冒険者は危険に見合った対価を受け取る権利があるのにも関わらず!
気付けなかった責任は幹部である私にもあります。苦悩していた私に救いの手を差し伸べて下さったのが、テツオ侯爵様なのです」
「ど、どうも」
クルトワ派メンバーから歓声が上がると、テツオ侯爵が照れ臭そうに片手を上げて応えた。
領主にはとても見えない。
「し、信じられぬ…………」
うろちょろと落ち着かないテツオ侯爵が、テリーの前で立ち止まる。
何か伝えたい事があるのか黙って待っていると、俺と床を何度か交互に見た後、ボソボソと独り言のように喋り始めた。
「クルトワは古い体質に染まったクラン環境を改革しようと尽力していた。俺はその頑張りにほんの少し力を貸しただけだ。
冒険者は危険に見合った報酬を得る。
そんな当たり前の事を守るのがクランじゃないのか?」
再び歓声。
男の声は頼りないが、不思議と惹きつけられる吸引力があった。
「ともかく、ランパード達が危険と言うのなら今すぐ助けにいこう。テリー立てるか?」
「えっと、侯爵自ら赴くと言うのですか?」
クルトワはテツオの発言に驚く。
「俺は【回復魔法】が使える。適任だろう」
「それでは、我々もお供致します」
「いや、来なくていい。危険地帯に関しては任せてくれ」
「分かりました。どうかお気をつけて」
同行を申し出たクルトワだったが、やけにあっさりと引き下がった。
軍門に降ったとはいえ、あくまで貴族の後ろ盾が欲しかっただけなのではという思惑が感じ取れる。
クルトワが損得勘定で動く男だという事は【凍てつく永劫】のメンバーであれば誰もが知っているのだ。
「では行くぞ、テリー」
「…………お願い致す」
テリーは自然と頭を垂れていた。
私だってテツオ侯爵に助けを求めている。つまりは、利用しようとしている。
クルトワとなんら変わりないではないか。
葛藤しながらも、この男の後をついていく。
ふと見ると転移装置に翳す侯爵の手がほんの少し震えていた。
恐怖なのか、武者震いなのか、それは判らないが、所詮彼も人の子なのだと気付かされた。
自分の至らなさに恥いるばかりである。
————————
「ふぁああ、やっと、邪魔者がいなくなったか。
これで、思う存分やれるな」
「ククク…………」
ティムが大きな欠伸をしながら伸びをすると、全快したハーゲンティが翼を消し、不敵に笑いながら空から降りてきた。
「人間は疲弊するが、我らに疲弊など無く、地下迷宮にいる限り、魔力が尽きる事は無い」
「フン、何が言いたいんだ?」
「貴様らは死ぬしか無いと言う事だ」
「急にお喋りになったな。お前レベルの敵は最初から眼中に無いんだ。
泳がせていたのが、分からなかったのか?
来いよ、さっさと終わらせるぞ」
「虫ケラがッ!」
ハーゲンティは漆黒の両翼を大きく開いた。
上位悪魔は、動物とは違い、自らの翼で羽ばたかなくても膨大な魔力を使って自在に飛行出来る。
では何故、ハーゲンティの背中に翼があるのか?旧態然とした造形が退化せず、そのまま残り続けたという説もあるが、悪魔における翼とは、ある種の象徴なのだ。
ハーゲンティの翼は、飛行、そして加速。二つの概念を具現化していた。
翼に魔力が漲り、深紫の光が迸ると、爆発的な急加速と共に、ティム目掛けて高速落下していく。
ハーゲンティの凶悪な爪が、瞬く間にティムの喉元に迫る。
「速い!」
その速度はラズの想像を遥かに上回っていた。
アルドゥヴァインにも引けを取らぬやもしれぬ。
此度は主人の戦闘能力を見る為に同行したが、狡猾な悪魔相手に対応出来るのだろうか?
【時間遅行】
極限まで遅くなった時流の中、女戦士の不安そうな顔を見て、ティムは軽く吹き出した後、嬉しくなり、そして、股間が少し熱くなった。
「ふふ、こいつも一応は心配してくれるのね。可愛いとこあるじゃねぇか」
それにしても、なんでこいつはこんなダサい格好してるんだろう。
ティムは宙に浮いたままの悪魔そっちのけで、隣に立つラズの鎧が気になりはじめた。
ビキニ水着の上に、自分の鱗なのか緑色の胸当て、腰当て、腕当て、脛当てと付けただけの簡素な装備。
背後から見れば、背中も尻も丸出しのただの露出狂だ。
形のいい尻がぷりんと俺を挑発している。
「生意気な尻めっ」
尻をぺしりと叩く。
ふむ、ハリ、弾力、質感と若いねえちゃんそのもの。
残念ながら胸当てが硬すぎて、胸の柔らかさは分からないので、顔に視線を移す。
いつもはキリッと釣り上がった眉がすっかり下がり、その表情からは俺に対する信頼が全く感じ取れない。
まさか俺があんな雑魚に遅れをとると思っているのか?
甚だ心外である。
罰として強制的にイチモツでも突っ込んでやろうかとも考えたが、流石に戦闘中は不謹慎か。
それよりも、こんなに間近でラズの瞳を見続けると吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
キラキラと輝く褐色の肌、神々しい黄金の瞳、魅惑的な唇、唇か、そういえばキスした事ないな。
俺のモンなのに。
キスだけでもと思い顔を近付けると、ラズの目がギョロリと動き、バッチリと視線が合う。
更には、平手打ちをされるような殺気を感じ、思わず後退りする。
まさか、こいつ、遅くなった時流を認識しているのか?
気になる。気になるが、先に悪魔を片付けてしまおう。
————時流が戻る。
ハーゲンティの周囲を百本の【鉄の剣】が取り囲み、時流が戻った瞬間突き刺さっていく。
「で、断末魔だろ?」
「グオオオオオオオオーッ!」
「聞き飽きたって」
断末魔が止み、静寂が訪れる。
地面には大量の血飛沫と悪魔であったものの肉片が飛び散っていた。
ティムが手を翳すと、肉片の中からハーゲンティの核であった魔玉が浮かび上がる。
それを指三本で握りしめると、ラズに見せつけ、声高らかに宣言した。
「ゲームセットォォォ!」
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そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
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