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ヴェスレイ領・ニース
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————ニースの街
冒険者姿の青年は、商店街のでこぼこな石畳の道を全速力で走っていた。
その日は珍しく快晴だったので、住人や冒険者が多く訪れ、大層賑わっている。
そんな混雑した道を走れば、どうなるかは自明の理。
案の定、客を避けようとして、露店に置かれていた果実の箱にぶつかり、中身を派手にぶち撒けてしまう。
「コォラァ!ティム!」
店主が青年を怒鳴りつける。
名前を呼ぶところを見ると、顔見知りのようだが。
「ごめんよ、ボブおじさん!
今日はアイアン・ヴィルに稽古してもらう日なんだ!
寝坊しちまってさ!」
「ったく!分かった分かった!叱るのは夜にしてやるっ!コレ持ってけ」
「わぁ、ありがと!ほんとごめんよっ!」
「怪我だけは気をつけんだぞーっ!」
次いで、隣の肉屋が、青年ティムに呼び掛けた。
「おう、ティム!腹減っちゃ稽古になんねぇだろ。これも、持ってけ」
「ありがとっ!イワンさん!すっげぇ助かるー!」
青年は、肉屋が暴投したホーンラビットの骨付き肉を、踵で蹴り上げると、器用に後ろ手にキャッチし、礼を言いながら駆けていった————。
ここニースは、ボルストン国ヴェスレイ領で二番目に大きい街である。
ヴェスレイ領は、東に王都領があり、西にはアディレイの国境を有し、南にアディレニス領が隣接している。
国境沿いには、広大な河川がある為、アディレイとの交流はあまり現実的ではない。
————————
激しい剣戟が響き続ける。
ギルド地下にある訓練場にて、先程の青年が、老いた戦士風の男と剣を交えているようだ。
お互いの腕には、銅等級冒険者を示す腕章が付いている。
「ふむ、しばらく見ぬ間に腕を上げたようじゃな」
「マジで?やった!アイアン・ヴィルに褒められたぞ!」
「筋がいいのもあるが、やはり若人。成長期かのう」
「もう一本いい?今日は身体が軽いんだ」
「ほっほ、少し休ませてくれんか。教えたい事もあるでのぅ」
老戦士が痛む腰を押さえながら、困ったように笑う。
そんな時、騒がしい大声と共に三人組が訓練場へと入ってきた。
腕章は銀等級冒険者を示している。
「だから言っただろ?おめーじゃ、氷舞に相手されねぇーって」
「ちっ、好き勝手言いやがって」
「あらら、何だよー、人いっぱいじゃねぇか」
「軽く新技試したかったんだけどなぁ。仕方ない、他当たるか」
「いや、待て」
そのうちの一人が、ニヤニヤしながら訓練場の一角へと近寄っていった。
「へい、ティムじゃねぇか!」
青年は素振りの手を止め、声がした方へ振り返った。
「何だ、ダニエルか」
「ヘイヘイヘイ!ダニエルさん、だろ?敬語使えよ銅等級が」
「ダニエルさん、何か用ですか?」
「ヒュー、それでいい!いやね、今日は訓練場六面全部埋まってるからさぁ。お前の場所、譲ってくんね?」
「えっ?やだよ。せっかくアイアン・ヴィルに稽古付けて貰ってんのに。滅多にダンジョンから戻ってこないし」
「ホワッツ?銅等級が、銀等級様に盾突くんかよ?」
「万年銅等級に稽古つけてもらっても、銅等級のままじゃ、意味無くね?」
「それ…………言えてる」
「ギャハハハハ」
連れの二人も会話に割って入り、ティムに絡み出す。
困った青年は老戦士に視線を送るが、彼は全く気にしない様子で、それがとても歯痒かった。
「お前達、いい加減にしないか!
アイアン・ヴィルはこの街を救った英雄なんだぞ!」
「何年前の話をしてんだよ?」
「そもそも、公式な記録残ってねぇのに、そんな与太話信じるわきゃねーだろ!」
「それ……………………言えてる」
「ギャハハハハ」
いつの間に立ち上がったのだろうか、気がつけば老戦士は、既に稽古場の柵に手を掛け、出ようとしていた。
「譲ってやろうじゃないか、ティム。稽古したい気持ちだけは汲んでやろう。
なぁに、稽古はここじゃなくてもできる」
「ヘイヘーイ!話分かる爺さんじゃなぁい!」
「新技!新技ーッ!」
銀等級の三人組は、アイアン・ヴィルの肩を馴れ馴れしく叩きながら、稽古場へと雪崩れ込む。
だが、ティムは木製の剣を構え、彼らの前に立ち塞がった。
「でもっ!俺はっ!貴方を侮辱した言動だけは、絶対に許せないんだっ!」
「おいおい、冗談ならやめとけよ。銀等級相手じゃ、木剣でも死ぬかも知れねぇぞ」
「引いとけって、ティム。クランメンバー殺っちまったら、団長に叱られちまう」
「ウヘェ、怖い事言うなよ」
「実際、死体処理の手続きって時間食うし、意外と面倒なんだよなぁ」
「それ…………言えてる」
三人組は同僚を死なせてしまう事より、死体の後始末を本気で心配しているのだ。
稽古中の事故死は、ここでは日常茶飯事なのだろうか。
「殺れるモンなら殺ってみろよ」
ティムの目付きが変わった。
アイアン・ヴィルは止めようとしない。
青年の性格上、止めても無駄だと分かっているのだ。
ダニーはヘラヘラと笑いながら、木剣をくるくる振り回して、戯けている。
「参ったな。ここで新技披露しちゃいますかぁ?」
態度が悪かろうが、流石は銀等級といったところか。
静から動へ、一瞬で切り替え、ひとっ飛びでティムとの距離を詰め、殺気を込めた一撃を頭上へ振り下ろす。
「悪くない」
老戦士がぼそりと呟く。
殺気に圧されたティムは、眼前に迫る剣を受け止める事に精一杯だった。
だが、殺気自体がフェイク。
ティムの胴体に、強烈な重い一撃が叩き込まれた。
「カハッ!」
「な、何っ!」
ダニエルは、自分の首元にティムの剣先が寸止めされている事に気付いた。
「ティムの奴!どてっ腹に一発貰ってんのに、か、返しやがった」
ダニエルは、よろめくティムに蹴りを入れて、距離を取る。
「…………馬鹿かテメェ。斬られてるのに、斬り返すなんざ、実戦で出来る訳ねぇだろうがよ!」
「寸止め…………しなけりゃ、ゲホッ……先に斬ってたさ」
「っざけんな!銅等級風情が!
【三連速剣】」
「ティム!」
目にも止まらぬ強烈な三連撃をまともに食らい、ティムは意識を失ってしまった。
先程の胴体への一撃で、ティムは既に戦闘不能に陥っていたようだ。
「許…………さない」
独り言のように小さな声だが、冷たく突き刺さるような女性の声が訓練場の階段から聞こえてくる。
「こ、この声は…………?」
「氷舞アリス!」
そこから現れたのは、少女にも見える細身の女剣士。長く綺麗な白髪だが、毛先へ向けて青くなっている。
白銀の軽鎧から青白い手脚がスラリと伸び、金等級の腕章が付いたその腕には、レイピアと呼ばれる刺突剣が握られていた。
無表情だが、どうやら彼女は怒っている。
「何故…………傷付けたの?」
「ま、待てよアリス!稽古だぜ?そりゃ、怪我は付き物だろ!」
「そ…………稽古、だものね」
アリスが木剣を拾い上げると、パリパリと凍る音が鳴り、剣先に尖った氷が伸びていく。
「待て!待ってくれ!銀等級と金等級は、階級が違い過ぎる!稽古になんねぇって!」
「貴方が、それを言うの?」
容赦の無い凍てつく突風が吹き荒ぶ。
銀等級の三人組は、何が起こったかも分からず、重なり合うように気絶していた。
ギルド職員は、今回の一件を、あくまでクランメンバー内の稽古中における些細なアクシデントとして処理。記録には一切残る事は無かった。
————————
その夜。
冒険者クラン【凍てつく永劫】の医務室では、二人の人物が、傷付き眠りにつくティムの看病をしていた。
「ヴィル…………何故、止めなかったの?」
「男にはな、避けて通れない戦いってものもあるんじゃ」
「……分からない。こんな怪我をして。
…………可哀想」
アリスが、ティムの顔の汗を拭いながら呟く。
何度も何度も冷たいタオルを搾ったからか、アリスの指先はひどく赤切れていた。
「アリス、こいつに面と向かって、可哀想などと絶対に言うんじゃ無いぞ」
「…………なんで?」
「どうしてもじゃ。ティムに嫌われたいのか」
「嫌われたく…………無い」
アリスは、その大きくて青い瞳をパチクリと開閉し、困惑しつつも、しっかりと考えてながら応えた。
どうやらこの子は、人の感情といったものに疎いようで、じっくりと考えてから話す癖があるらしい。
その沈黙の間が、会話をギクシャクさせる原因となっていた。
「どうしたら…………好かれるのだろう」
老戦士は、何か言いかけようとしたが、口を噤んだ。
この青年には、まだまだ強くなる素質がある。その原動力は、この少女への憧れであり、強さへの渇望である。
ティムとアリス。
十八歳である二人は、とある村で育った幼馴染で、そして、十年前に悪魔に襲われて滅んだ村の生き残りである。
その二人を引き取り、クランへ招いたのがヴィルだった。
「う、うう…………」
「あ…………目が、開いた」
「ティム、まだ痛むか?【回復魔法】は済んでおる。じゃが、熱が下がらんようだ」
「え?あ、ああ。ありがとうヴィル。あれ?俺、どうしてここに、って、えっ?アリスさん!どうしてここに?」
「心配、…………だったから」
「そんなっ!憧れのアリスさんに気を使わせて申し訳ないっす!」
ティムは、アリスと幼馴染だった記憶や、悪魔に襲われた記憶など、村で過ごした全ての記憶を失っていた。
アリスはその後、天性の才能からか剣の腕をみるみる上達させ、数年で金等級となった。
一方、一生歩けない程の大怪我をしていたティムは、奇跡的な回復力をみせ、街でボランティアをしながらリハビリを重ね、最近ようやく冒険者となったのだった。
落ちたタオルを替えようと、ティムの額に伸ばしたアリスの手を跳ね除け、ティムは慌てて起きあがった。
「俺、もう大丈夫なんでっ!失礼しますっ!」
「待てっ!ティム!まだ休んだ方がいい!」
ヴィルの静止を振り切り、部屋を出て行くティム。
アリスは、自分のかじかんだ指をぼうっと眺めていた。
————————
ニースの街の地下には、危険地帯に認定されたダンジョンと呼ばれる広大な洞窟が広がっている。
ダンジョンから湧き出てくる魔物を討伐する為、ヴェスレイ領主スナイデル公爵は冒険者を派遣した。
その後、多数のクランが集まり、宿屋や露店が増え、ギルドが設立し、街が出来た。
この街の歴史や文化は、ダンジョンと共に築かれてきたのだ。
地質学者でもある金等級冒険者ファン・ニステルローイは、著書にこう記している。
————このダンジョンは、極めて狡猾である。
洞窟に眠る財宝や金品を餌に、冒険者を誘い込み、魔力の糧とする。
主の悪魔は、その魔力で、新たな魔物を生み出し、更に地中深く掘り進め、ダンジョンを広げている。
本来なら、これを放棄、放置する事が、一番の解決策であるが、経済を優先する貴族の身勝手により、危惧すべき厄災危険地帯となってしまったのだ。
どれだけ多くの人間を食べても満足しないこの洞窟を、私は【大食洞窟】と名付けた。
アイアン・ヴィルは、この洞窟に潜む悪魔を討伐する為にニースへとやってきた。
アリスは、ティムの為、村を滅ぼした悪魔を倒す為に、ニースで冒険者となった。
その深夜、夜警を担当した冒険者の一人が、ティムによく似た青年がダンジョンへ入っていったのを目撃している。
冒険者姿の青年は、商店街のでこぼこな石畳の道を全速力で走っていた。
その日は珍しく快晴だったので、住人や冒険者が多く訪れ、大層賑わっている。
そんな混雑した道を走れば、どうなるかは自明の理。
案の定、客を避けようとして、露店に置かれていた果実の箱にぶつかり、中身を派手にぶち撒けてしまう。
「コォラァ!ティム!」
店主が青年を怒鳴りつける。
名前を呼ぶところを見ると、顔見知りのようだが。
「ごめんよ、ボブおじさん!
今日はアイアン・ヴィルに稽古してもらう日なんだ!
寝坊しちまってさ!」
「ったく!分かった分かった!叱るのは夜にしてやるっ!コレ持ってけ」
「わぁ、ありがと!ほんとごめんよっ!」
「怪我だけは気をつけんだぞーっ!」
次いで、隣の肉屋が、青年ティムに呼び掛けた。
「おう、ティム!腹減っちゃ稽古になんねぇだろ。これも、持ってけ」
「ありがとっ!イワンさん!すっげぇ助かるー!」
青年は、肉屋が暴投したホーンラビットの骨付き肉を、踵で蹴り上げると、器用に後ろ手にキャッチし、礼を言いながら駆けていった————。
ここニースは、ボルストン国ヴェスレイ領で二番目に大きい街である。
ヴェスレイ領は、東に王都領があり、西にはアディレイの国境を有し、南にアディレニス領が隣接している。
国境沿いには、広大な河川がある為、アディレイとの交流はあまり現実的ではない。
————————
激しい剣戟が響き続ける。
ギルド地下にある訓練場にて、先程の青年が、老いた戦士風の男と剣を交えているようだ。
お互いの腕には、銅等級冒険者を示す腕章が付いている。
「ふむ、しばらく見ぬ間に腕を上げたようじゃな」
「マジで?やった!アイアン・ヴィルに褒められたぞ!」
「筋がいいのもあるが、やはり若人。成長期かのう」
「もう一本いい?今日は身体が軽いんだ」
「ほっほ、少し休ませてくれんか。教えたい事もあるでのぅ」
老戦士が痛む腰を押さえながら、困ったように笑う。
そんな時、騒がしい大声と共に三人組が訓練場へと入ってきた。
腕章は銀等級冒険者を示している。
「だから言っただろ?おめーじゃ、氷舞に相手されねぇーって」
「ちっ、好き勝手言いやがって」
「あらら、何だよー、人いっぱいじゃねぇか」
「軽く新技試したかったんだけどなぁ。仕方ない、他当たるか」
「いや、待て」
そのうちの一人が、ニヤニヤしながら訓練場の一角へと近寄っていった。
「へい、ティムじゃねぇか!」
青年は素振りの手を止め、声がした方へ振り返った。
「何だ、ダニエルか」
「ヘイヘイヘイ!ダニエルさん、だろ?敬語使えよ銅等級が」
「ダニエルさん、何か用ですか?」
「ヒュー、それでいい!いやね、今日は訓練場六面全部埋まってるからさぁ。お前の場所、譲ってくんね?」
「えっ?やだよ。せっかくアイアン・ヴィルに稽古付けて貰ってんのに。滅多にダンジョンから戻ってこないし」
「ホワッツ?銅等級が、銀等級様に盾突くんかよ?」
「万年銅等級に稽古つけてもらっても、銅等級のままじゃ、意味無くね?」
「それ…………言えてる」
「ギャハハハハ」
連れの二人も会話に割って入り、ティムに絡み出す。
困った青年は老戦士に視線を送るが、彼は全く気にしない様子で、それがとても歯痒かった。
「お前達、いい加減にしないか!
アイアン・ヴィルはこの街を救った英雄なんだぞ!」
「何年前の話をしてんだよ?」
「そもそも、公式な記録残ってねぇのに、そんな与太話信じるわきゃねーだろ!」
「それ……………………言えてる」
「ギャハハハハ」
いつの間に立ち上がったのだろうか、気がつけば老戦士は、既に稽古場の柵に手を掛け、出ようとしていた。
「譲ってやろうじゃないか、ティム。稽古したい気持ちだけは汲んでやろう。
なぁに、稽古はここじゃなくてもできる」
「ヘイヘーイ!話分かる爺さんじゃなぁい!」
「新技!新技ーッ!」
銀等級の三人組は、アイアン・ヴィルの肩を馴れ馴れしく叩きながら、稽古場へと雪崩れ込む。
だが、ティムは木製の剣を構え、彼らの前に立ち塞がった。
「でもっ!俺はっ!貴方を侮辱した言動だけは、絶対に許せないんだっ!」
「おいおい、冗談ならやめとけよ。銀等級相手じゃ、木剣でも死ぬかも知れねぇぞ」
「引いとけって、ティム。クランメンバー殺っちまったら、団長に叱られちまう」
「ウヘェ、怖い事言うなよ」
「実際、死体処理の手続きって時間食うし、意外と面倒なんだよなぁ」
「それ…………言えてる」
三人組は同僚を死なせてしまう事より、死体の後始末を本気で心配しているのだ。
稽古中の事故死は、ここでは日常茶飯事なのだろうか。
「殺れるモンなら殺ってみろよ」
ティムの目付きが変わった。
アイアン・ヴィルは止めようとしない。
青年の性格上、止めても無駄だと分かっているのだ。
ダニーはヘラヘラと笑いながら、木剣をくるくる振り回して、戯けている。
「参ったな。ここで新技披露しちゃいますかぁ?」
態度が悪かろうが、流石は銀等級といったところか。
静から動へ、一瞬で切り替え、ひとっ飛びでティムとの距離を詰め、殺気を込めた一撃を頭上へ振り下ろす。
「悪くない」
老戦士がぼそりと呟く。
殺気に圧されたティムは、眼前に迫る剣を受け止める事に精一杯だった。
だが、殺気自体がフェイク。
ティムの胴体に、強烈な重い一撃が叩き込まれた。
「カハッ!」
「な、何っ!」
ダニエルは、自分の首元にティムの剣先が寸止めされている事に気付いた。
「ティムの奴!どてっ腹に一発貰ってんのに、か、返しやがった」
ダニエルは、よろめくティムに蹴りを入れて、距離を取る。
「…………馬鹿かテメェ。斬られてるのに、斬り返すなんざ、実戦で出来る訳ねぇだろうがよ!」
「寸止め…………しなけりゃ、ゲホッ……先に斬ってたさ」
「っざけんな!銅等級風情が!
【三連速剣】」
「ティム!」
目にも止まらぬ強烈な三連撃をまともに食らい、ティムは意識を失ってしまった。
先程の胴体への一撃で、ティムは既に戦闘不能に陥っていたようだ。
「許…………さない」
独り言のように小さな声だが、冷たく突き刺さるような女性の声が訓練場の階段から聞こえてくる。
「こ、この声は…………?」
「氷舞アリス!」
そこから現れたのは、少女にも見える細身の女剣士。長く綺麗な白髪だが、毛先へ向けて青くなっている。
白銀の軽鎧から青白い手脚がスラリと伸び、金等級の腕章が付いたその腕には、レイピアと呼ばれる刺突剣が握られていた。
無表情だが、どうやら彼女は怒っている。
「何故…………傷付けたの?」
「ま、待てよアリス!稽古だぜ?そりゃ、怪我は付き物だろ!」
「そ…………稽古、だものね」
アリスが木剣を拾い上げると、パリパリと凍る音が鳴り、剣先に尖った氷が伸びていく。
「待て!待ってくれ!銀等級と金等級は、階級が違い過ぎる!稽古になんねぇって!」
「貴方が、それを言うの?」
容赦の無い凍てつく突風が吹き荒ぶ。
銀等級の三人組は、何が起こったかも分からず、重なり合うように気絶していた。
ギルド職員は、今回の一件を、あくまでクランメンバー内の稽古中における些細なアクシデントとして処理。記録には一切残る事は無かった。
————————
その夜。
冒険者クラン【凍てつく永劫】の医務室では、二人の人物が、傷付き眠りにつくティムの看病をしていた。
「ヴィル…………何故、止めなかったの?」
「男にはな、避けて通れない戦いってものもあるんじゃ」
「……分からない。こんな怪我をして。
…………可哀想」
アリスが、ティムの顔の汗を拭いながら呟く。
何度も何度も冷たいタオルを搾ったからか、アリスの指先はひどく赤切れていた。
「アリス、こいつに面と向かって、可哀想などと絶対に言うんじゃ無いぞ」
「…………なんで?」
「どうしてもじゃ。ティムに嫌われたいのか」
「嫌われたく…………無い」
アリスは、その大きくて青い瞳をパチクリと開閉し、困惑しつつも、しっかりと考えてながら応えた。
どうやらこの子は、人の感情といったものに疎いようで、じっくりと考えてから話す癖があるらしい。
その沈黙の間が、会話をギクシャクさせる原因となっていた。
「どうしたら…………好かれるのだろう」
老戦士は、何か言いかけようとしたが、口を噤んだ。
この青年には、まだまだ強くなる素質がある。その原動力は、この少女への憧れであり、強さへの渇望である。
ティムとアリス。
十八歳である二人は、とある村で育った幼馴染で、そして、十年前に悪魔に襲われて滅んだ村の生き残りである。
その二人を引き取り、クランへ招いたのがヴィルだった。
「う、うう…………」
「あ…………目が、開いた」
「ティム、まだ痛むか?【回復魔法】は済んでおる。じゃが、熱が下がらんようだ」
「え?あ、ああ。ありがとうヴィル。あれ?俺、どうしてここに、って、えっ?アリスさん!どうしてここに?」
「心配、…………だったから」
「そんなっ!憧れのアリスさんに気を使わせて申し訳ないっす!」
ティムは、アリスと幼馴染だった記憶や、悪魔に襲われた記憶など、村で過ごした全ての記憶を失っていた。
アリスはその後、天性の才能からか剣の腕をみるみる上達させ、数年で金等級となった。
一方、一生歩けない程の大怪我をしていたティムは、奇跡的な回復力をみせ、街でボランティアをしながらリハビリを重ね、最近ようやく冒険者となったのだった。
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「待てっ!ティム!まだ休んだ方がいい!」
ヴィルの静止を振り切り、部屋を出て行くティム。
アリスは、自分のかじかんだ指をぼうっと眺めていた。
————————
ニースの街の地下には、危険地帯に認定されたダンジョンと呼ばれる広大な洞窟が広がっている。
ダンジョンから湧き出てくる魔物を討伐する為、ヴェスレイ領主スナイデル公爵は冒険者を派遣した。
その後、多数のクランが集まり、宿屋や露店が増え、ギルドが設立し、街が出来た。
この街の歴史や文化は、ダンジョンと共に築かれてきたのだ。
地質学者でもある金等級冒険者ファン・ニステルローイは、著書にこう記している。
————このダンジョンは、極めて狡猾である。
洞窟に眠る財宝や金品を餌に、冒険者を誘い込み、魔力の糧とする。
主の悪魔は、その魔力で、新たな魔物を生み出し、更に地中深く掘り進め、ダンジョンを広げている。
本来なら、これを放棄、放置する事が、一番の解決策であるが、経済を優先する貴族の身勝手により、危惧すべき厄災危険地帯となってしまったのだ。
どれだけ多くの人間を食べても満足しないこの洞窟を、私は【大食洞窟】と名付けた。
アイアン・ヴィルは、この洞窟に潜む悪魔を討伐する為にニースへとやってきた。
アリスは、ティムの為、村を滅ぼした悪魔を倒す為に、ニースで冒険者となった。
その深夜、夜警を担当した冒険者の一人が、ティムによく似た青年がダンジョンへ入っていったのを目撃している。
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