9 / 10
9.この想いは伝えなくちゃ絶対に駄目
しおりを挟む
『泣いてるの?』
『泣いてない』
『嘘。大きくて綺麗な瞳。葡萄みたいで綺麗なのにね』
子供同士の茶会の席。
隣り合わせた令嬢から『怖い』と言われてショックを受けた様子で逃げていった令息の背中を追った。
花の陰で、声を潜めてしゃくりあげる後姿が悲しくて、声を掛けた。
『なにそれ。変なの。葡萄は紫でしょ。僕の瞳みたいに赤くない』
『そういう品種もあるんだよ。すっごく甘くて美味しいのよ。いつか探して食べてみてね』
一緒に食べようとは言えなかった。なんとなく、ここまで追ってきてしまったことが急に気恥ずしくなったから。
だからそれきり、イヴェットはその葡萄のように美味しそうな赤い瞳のあの子を他の茶会で見かけても、近づこうとはしなかった。
「葡萄みたいな、赤い瞳の……」
擦れた声で思い出を囁けば、ずっと硬い表情だった赤い瞳が、まるで花ひらくように綻んで見えた。
今日、初めてイヴェットに見せたユーセフの笑顔に、胸の奥がきゅうっと音を立てる。
「あの後、母に強請って、自分の瞳みたいに赤くて甘いという葡萄を探して貰いました。本当にすっごく甘くて美味しくて。だから、あなたに報告したかったのに。あの後、他のお茶会で会えても、あなたは二度と視界に、この赤い瞳を入れようとしてくれなかった。きっと、思い返して怖くなったんですよね。うん。それは仕方がないです。仕方がない」
けれど、まるで自分に言い聞かせるような言葉を言い終わる頃には、あれほど嬉しそうだった顔は、笑っているのに寂しそうな、まるで泣いているような顔になっていた。
イヴェットは、ユーセフの、そんな顔を見たかった訳ではなかった。
先ほど見せてくれた、花が綻ぶような笑顔が見たかった。
罪悪感で、胸が潰れそうだった。
「ごめんなさい。そうじゃないの、あれは、泣いてるあなたを追いかけて話し掛けたり、あなたの、赤い瞳も、あの甘い葡萄みたいにおいしそうだなって考えてしまった自分とか、そういうの纏めて全部恥ずかしくなってしまって。それで、あなたの瞳を見れなくなってしまった、だけなの」
きっと、今のイヴェットの頭のてっぺんからは、湯気が上がっていることだろう。
それほどに、全身が、熱い。
「あー……だから、その。あの時の殿下は、ずっと好きで、でも遠くから見ていることしかできなかった自分に、ちゃんと振られて来いと鼓舞してくれていただけなんです。殿下ではなかったとしても、あなたに正式な婚約者ができてしまったら、振られることすらできませんでしたから」
「ユーセフ様は、私に、振られたかったのですか?」
あの朝、告白を受けた時の反応を思い出して、顔から血の気が引いた。
道理であんな反応になるはずだ。
プロポーズに相応しい、12本の薔薇の花束。
12本の薔薇それぞれに、愛情、情熱、感謝、希望、幸福、永遠、尊敬、誠実、信頼、努力、真実を込めて捧げる古いセオリーに則った結婚を申し込む為の贈り物だ。
それを捧げて幼い頃の想いをそのまま伝えれば、それまでずっとただのクラスメイトとしてしか付き合いのなかったのだから、無事振られる筈だったのだ。
イヴェットが、勘違いなどしなければ。
あのプロポーズは、幼い思い出に蹴りをつけて、前を向くための儀式でしかなかったのだ。
「つまり、あの日の私は、とんでもない勘違い女だったということですね」
声が震えた。イヴェット自身の声なのに、まるで誰か他人が喋っているようだった。
みっともなかろうが、不敬と言われようが、待たせている王子のことなどもうどうでも良かった。
今すぐ走って逃げだしたかった。
スカートの裾をくしゃくしゃに掴んでいる手を、取られた。
「違います! 嬉しかった! 凄く、凄く嬉しかった。今だって、あなたとこうして会話できて、あなたを苦しませていると分かっていてとても辛いのに、嬉しくて堪らない」
ごめんなさいと謝罪されて、胸が詰まった。
視界が涙で歪んでいく。
あの日の放課後、あの会話を聞いてからずっと、彼に本気で謝罪させたかった。ずっとそう思ってきたけど、今はそんなことちっとも思えなかった。
むしろ謝るのは自分の方だと思っているのに、声が喉に詰まって出てこない。
それでも、想いを伝えたくて、何度も首を横に振った。
涙が、散った。
「泣かないでください、イヴェット様。あなたを泣かせているのが自分だと思うと、死にたくなる。お願いです。私にできることなら、何でもします。二度と視界に入るなというなら、国外に出て行ってもいい。死ねというなら死んでもいい。だから」
それ以上は、もう何も言わせたくなくて、その胸元へ飛び込んだ。
力いっぱい彼の服にしがみつく。
「なら、笑って。笑顔で、わたしの、そばに、いて。わたしと、ずっといっしょに」
「いいの? やっぱり間違いだったなんて言われても、この次は受け入れられない。もう、逃がしてあげられなくなる」
「うん、うん。離さないで。ごめんなさい。わたし、勘違いして、あんなことを言ってしまったのに。それでも、やっぱり、私はあなたの傍に、いたい」
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、抱き着いて。
ふたりで、ずっとそうしていた。
『泣いてない』
『嘘。大きくて綺麗な瞳。葡萄みたいで綺麗なのにね』
子供同士の茶会の席。
隣り合わせた令嬢から『怖い』と言われてショックを受けた様子で逃げていった令息の背中を追った。
花の陰で、声を潜めてしゃくりあげる後姿が悲しくて、声を掛けた。
『なにそれ。変なの。葡萄は紫でしょ。僕の瞳みたいに赤くない』
『そういう品種もあるんだよ。すっごく甘くて美味しいのよ。いつか探して食べてみてね』
一緒に食べようとは言えなかった。なんとなく、ここまで追ってきてしまったことが急に気恥ずしくなったから。
だからそれきり、イヴェットはその葡萄のように美味しそうな赤い瞳のあの子を他の茶会で見かけても、近づこうとはしなかった。
「葡萄みたいな、赤い瞳の……」
擦れた声で思い出を囁けば、ずっと硬い表情だった赤い瞳が、まるで花ひらくように綻んで見えた。
今日、初めてイヴェットに見せたユーセフの笑顔に、胸の奥がきゅうっと音を立てる。
「あの後、母に強請って、自分の瞳みたいに赤くて甘いという葡萄を探して貰いました。本当にすっごく甘くて美味しくて。だから、あなたに報告したかったのに。あの後、他のお茶会で会えても、あなたは二度と視界に、この赤い瞳を入れようとしてくれなかった。きっと、思い返して怖くなったんですよね。うん。それは仕方がないです。仕方がない」
けれど、まるで自分に言い聞かせるような言葉を言い終わる頃には、あれほど嬉しそうだった顔は、笑っているのに寂しそうな、まるで泣いているような顔になっていた。
イヴェットは、ユーセフの、そんな顔を見たかった訳ではなかった。
先ほど見せてくれた、花が綻ぶような笑顔が見たかった。
罪悪感で、胸が潰れそうだった。
「ごめんなさい。そうじゃないの、あれは、泣いてるあなたを追いかけて話し掛けたり、あなたの、赤い瞳も、あの甘い葡萄みたいにおいしそうだなって考えてしまった自分とか、そういうの纏めて全部恥ずかしくなってしまって。それで、あなたの瞳を見れなくなってしまった、だけなの」
きっと、今のイヴェットの頭のてっぺんからは、湯気が上がっていることだろう。
それほどに、全身が、熱い。
「あー……だから、その。あの時の殿下は、ずっと好きで、でも遠くから見ていることしかできなかった自分に、ちゃんと振られて来いと鼓舞してくれていただけなんです。殿下ではなかったとしても、あなたに正式な婚約者ができてしまったら、振られることすらできませんでしたから」
「ユーセフ様は、私に、振られたかったのですか?」
あの朝、告白を受けた時の反応を思い出して、顔から血の気が引いた。
道理であんな反応になるはずだ。
プロポーズに相応しい、12本の薔薇の花束。
12本の薔薇それぞれに、愛情、情熱、感謝、希望、幸福、永遠、尊敬、誠実、信頼、努力、真実を込めて捧げる古いセオリーに則った結婚を申し込む為の贈り物だ。
それを捧げて幼い頃の想いをそのまま伝えれば、それまでずっとただのクラスメイトとしてしか付き合いのなかったのだから、無事振られる筈だったのだ。
イヴェットが、勘違いなどしなければ。
あのプロポーズは、幼い思い出に蹴りをつけて、前を向くための儀式でしかなかったのだ。
「つまり、あの日の私は、とんでもない勘違い女だったということですね」
声が震えた。イヴェット自身の声なのに、まるで誰か他人が喋っているようだった。
みっともなかろうが、不敬と言われようが、待たせている王子のことなどもうどうでも良かった。
今すぐ走って逃げだしたかった。
スカートの裾をくしゃくしゃに掴んでいる手を、取られた。
「違います! 嬉しかった! 凄く、凄く嬉しかった。今だって、あなたとこうして会話できて、あなたを苦しませていると分かっていてとても辛いのに、嬉しくて堪らない」
ごめんなさいと謝罪されて、胸が詰まった。
視界が涙で歪んでいく。
あの日の放課後、あの会話を聞いてからずっと、彼に本気で謝罪させたかった。ずっとそう思ってきたけど、今はそんなことちっとも思えなかった。
むしろ謝るのは自分の方だと思っているのに、声が喉に詰まって出てこない。
それでも、想いを伝えたくて、何度も首を横に振った。
涙が、散った。
「泣かないでください、イヴェット様。あなたを泣かせているのが自分だと思うと、死にたくなる。お願いです。私にできることなら、何でもします。二度と視界に入るなというなら、国外に出て行ってもいい。死ねというなら死んでもいい。だから」
それ以上は、もう何も言わせたくなくて、その胸元へ飛び込んだ。
力いっぱい彼の服にしがみつく。
「なら、笑って。笑顔で、わたしの、そばに、いて。わたしと、ずっといっしょに」
「いいの? やっぱり間違いだったなんて言われても、この次は受け入れられない。もう、逃がしてあげられなくなる」
「うん、うん。離さないで。ごめんなさい。わたし、勘違いして、あんなことを言ってしまったのに。それでも、やっぱり、私はあなたの傍に、いたい」
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、抱き着いて。
ふたりで、ずっとそうしていた。
135
お気に入りに追加
206
あなたにおすすめの小説

王太子の愚行
よーこ
恋愛
学園に入学してきたばかりの男爵令嬢がいる。
彼女は何人もの高位貴族子息たちを誑かし、手玉にとっているという。
婚約者を男爵令嬢に奪われた伯爵令嬢から相談を受けた公爵令嬢アリアンヌは、このまま放ってはおけないと自分の婚約者である王太子に男爵令嬢のことを相談することにした。
さて、男爵令嬢をどうするか。
王太子の判断は?

好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜
ぐう
恋愛
アンジェラ編
幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど…
彼が選んだのは噂の王女様だった。
初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか…
ミラ編
婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか…
ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。
小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。

エデルガルトの幸せ
よーこ
恋愛
よくある婚約破棄もの。
学院の昼休みに幼い頃からの婚約者に呼び出され、婚約破棄を突きつけられたエデルガルト。
彼女が長年の婚約者から離れ、新しい恋をして幸せになるまでのお話。
全5話。


結婚式をボイコットした王女
椿森
恋愛
請われて隣国の王太子の元に嫁ぐこととなった、王女のナルシア。
しかし、婚姻の儀の直前に王太子が不貞とも言える行動をしたためにボイコットすることにした。もちろん、婚約は解消させていただきます。
※初投稿のため生暖か目で見てくださると幸いです※
1/9:一応、本編完結です。今後、このお話に至るまでを書いていこうと思います。
1/17:王太子の名前を修正しました!申し訳ございませんでした···( ´ཫ`)

【完結】忌み子と呼ばれた公爵令嬢
美原風香
恋愛
「ティアフレア・ローズ・フィーン嬢に使節団への同行を命じる」
かつて、忌み子と呼ばれた公爵令嬢がいた。
誰からも嫌われ、疎まれ、生まれてきたことすら祝福されなかった1人の令嬢が、王国から追放され帝国に行った。
そこで彼女はある1人の人物と出会う。
彼のおかげで冷え切った心は温められて、彼女は生まれて初めて心の底から笑みを浮かべた。
ーー蜂蜜みたい。
これは金色の瞳に魅せられた令嬢が幸せになる、そんなお話。

貧乏子爵令嬢ですが、愛人にならないなら家を潰すと脅されました。それは困る!
よーこ
恋愛
図書室での読書が大好きな子爵令嬢。
ところが最近、図書室で騒ぐ令嬢が現れた。
その令嬢の目的は一人の見目の良い伯爵令息で……。
短編です。

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜
ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」
あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。
「セレス様、行きましょう」
「ありがとう、リリ」
私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。
ある日精霊たちはいった。
「あの方が迎えに来る」
カクヨム/なろう様でも連載させていただいております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる