現実恋愛短編集

メカ喜楽直人

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「おはようございます。いいお天気ですよ」

3.結婚してから恋をすればいいだけ

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 結婚の顔合わせの席で先方の母親から『あら。車の免許をお持ちでないのね。こちらは田舎だから車に乗れないといろいろ困るわよ』とやんわりと苦言を呈されて、挙式まであと一年もないというのに慌てて教習所へと駆け込むことになった。

 家族内では、父だけは若い時に免許を取って持っているが、母が免許を持っていないせいだろうか。自分で取ることなど考えたことも無かったからか、正直路上教習が始まった今でも気が重い。

 しかも、地元ではない教習所を選んだというのに、その受付に座っているのが、中学時代の元クラスメイトだなんて思いもしなかった。


「はぁあぁぁ。いいなー。結婚決まって教習所通いとか。まじウラヤマー」

 姿勢悪く私語を交わしながらぐちゃっとした文字で書類を書く受付嬢というのは、私の中で最悪の部類だ。

 だがそれも、元クラスメイトというまったく親しくないにもかかわらず妙に近いものを感じさせる相手だと社会では辛うじて許されるものらしい。

 電車とバスを乗り継いで通ってもいいのだが、雨の降る日は厄介だということで、教習所で隣の市まで網羅するほど広く周回している送迎バスを利用しているのだが、毎回次の講習予定日にこうして次回分のバスを予約しなければならない。
 講習自体は機械で受付してくれる癖に、バスの予約だけはこうして窓口受付なのが田舎の教習所らしいといえばらしい片手落ち具合だ。

「そうでもないよ。教習所に来てるのだって、向こうのおかあさんから免許取った方がいいって言われて来てるだけだし」

 面倒臭いし、いいことばっかりじゃないと、なぜ自分はこんなにも必死になっているのかとぼんやり思う。
 別に仲良くしたい相手ではないし、免許を取り終えたら次に顔を合わせることなど無くなるというのに。
 街ですれ違っても声を掛けたい相手ですらない。


「あら。婚約中なのね、おめでとう。いいものよね、結婚て」
 うふふ、と笑う声がして振り向けば、綺麗な奥様が立っていた。

 誰だろう? 記憶を探ってみても一切わからない。
 受付に座っている元クラスメイトに視線を送ってもぽかんとしているだけだ。
 どうやらこの教習所に通っている生徒さんですらなさそう。

「好きな人と一緒に暮らして、毎朝毎晩その顔を見て暮らせるって、本当に素敵よ。そりゃいろいろあるかもしれないけど。でも本当に本当に幸せで素敵な事なの。おめでとう。たくさん幸せになってね」

 ぎゅっと手を取られて祝福された。
 満面の笑顔といきおいに押されて誰ですかと口にすることすらできなかった。

「あ、りがとう、ございます?」

 頭が混乱して、余計な言葉が続いてでた。

「でも、恋愛結婚ではないので。好きな人という訳では」

 そうだ。それも、元をただせば私宛にきた見合い相手ですら、なかった相手だ。
 本来結婚するつもりであった恋人のことを思い出して、胸の奥がぎゅっと痛くなった。

「あら! でも結婚を決めたということは惹かれるものがあったということでしょう? お相手にとってもきっとそうよ。明治や大正時代じゃあるまいし、女性でもひとりで働いて生きていける時代に結婚する気になれるお互いに出会えるなんて、十分特別よ。結婚してから恋をすればいいだけだわ!」 

 笑顔のまま早口で捲し立てられて、「お幸せにね」と手を振り去っていく。

 その先には若くて可愛い女子高生が待っていて、どうやら受講後の娘さんを迎えに来ていた保護者のようだ。
 娘さんに叱られたのか、こちらを向いてふたりでペコペコ頭を下げて玄関口から出ていく。
 その母娘の姿は、愛情が溢れているようで微笑ましい。


 見合いで結婚を決めてから、事あるごとに揶揄されている気分だった。

 恋愛結婚が当たり前になった世の中で、恋愛に失敗して見合いに逃げたのだと後ろで笑われている気がしていた。


 けれどまさか、同期で入社してからずっと三年も付き合ってプロポーズをしてくれた彼が、両親への挨拶の席で同席していた大学生の妹とお互いに一瞬で一目惚れをしてしまうだなんて、誰が予測できたというのだろう。
 
 その日はすべてがぐでぐでで、父は結婚の挨拶をしようとせず妹から視線を動かさなくなってしまった彼に怒り狂い、妹が彼を庇う姿を呆然と見ていた。

 隣の部署にいる筈なのに、その後ぱったりと顔を合わせることがなくなり、自分から連絡を入れるのも躊躇している間にひと月の空白ができて、次に会いたいと連絡を受けて向かった先には、妹が一緒に座っていたのだ。


「まだ、おとうさんに結婚のお願いをした訳でもないんだし」

 セーフだよね、と笑ったのは妹なのか彼なのか、私なのか。



「そうだよ。お見合いが成立するなんて、めちゃくちゃ凄いよ奇跡だよぉ」

 ぽつりと呟いた元クラスメイトの声に振り向けば、事務机に突っ伏して唇を尖らせていた。

「私の婚活失敗記録なんか、五年越し。いまだ連敗中だよぉ」
「五年? 婚活始めたの、早いんだね」

 素直な感想が口から出てしまい慌てて手で押さえた。
 けれども既に出て行ってしまった言葉が口へ戻ってくる訳でもない。

 ギロリと睨む元クラスメイトから怒られた。

「高卒就職組は婚期早いの! 二十歳越えると売れ残り扱い受けるんだよ。高校卒業と同時に結婚なんてクラスメイトだっているんだからね!!」

「そうなんだ、ごめん」

 慌てて謝罪すれば、激昂して見えたその子はすぐに勢いをなくして、そのままへんにゃりと机へと頬をつけた。
 私の母校ではそんなこと聞いたことないと言っても、焼け石に水だろう。

「その辺、大学いった子たちとはやっぱり違うよねぇ。はぁ、私と結婚してもいいって思ってくれる人、どこにいるのかなぁ。てか、いるのかなぁ」

 寂しそうな口調に素直に同調する。

「そうだねぇ。神様が、自分専用って名前書いておいてくれればいいのにね」

 名前が書いてあれば、こんな風に惨めな間違いを起さないで済んだのに、と自嘲した。

「へへっ。頭のいい人でも、そんな冗談、いうんだね」

 知らなかったよ、と腑抜けた顔で笑った彼女を初めて可愛いと思った。

「言いたくもなるよ。……聞いてるんでしょ、私のこと」

 地元で、妹が悲劇のヒロインの如く言いふらしてくれているのは知っている。
 母が気にして「帰ってくるな」と教えてくれた。
 父はカンカンで、妹の結婚を許そうとしていないみたいだが、周囲が反対すればするほど、彼女と彼の恋心は熱く燃えるのだろう。

 妹は家を出て、彼のアパートで同棲していると母が電話口で泣いていた。

 そうして私は、妹の元へきた見合いに替わりに出席させられて、あれよあれよと結婚が決まってしまったのだ。

 決まってしまった、というのは少しずるいかもしれない。
 でも実感としては、そんな感じだ。

 誠実を絵に描いたような、笑うと眉がへんにゃりと下がる見合い相手の顔が思い浮かんだ。
 妹からも、結婚するつもりであった彼氏からも選んで貰えなかった私に『結婚しませんか。あなたと暮らせたら幸せな気がするんです』と言ってくれた人。

 差し出してくれた手に、つい縋ってしまった私は、ずるいのかもしれない。


「ばあっか。私の出た高校なんてどこ向いても元カレ元カノだらけだよ? 兄弟姉妹で恋人を交換しちゃったなんてえのだって、よくあったっつーの」

 ひらひらと手を動かした彼女にあっさりと否定されて、息が止まる。

「そうなの?」
「そうなの! だいたい、恋愛なんて下剋上上等なの。始まり方なんてどうでもいいの。幸せになったもの勝ちなのよ」

 にぃっと悪い顔して笑った彼女に、力が抜けていく。

「そうなんだ。そんなもん、なんだ」

 はぁっと大きく息を吐いた。

 あの日から初めて、息ができた気がした。



『始まり方なんてどうでもいいの』
『結婚してから恋をすればいいだけだわ』


 あのふたりも、幸せになるのだろうか。
 可愛がってきた妹と恋した男性に対して、一生涯不幸になれと心から思えるほど自分が強くないと知っている。

 けれど、幸せを祈れるほど強くもないから。


 返事に詰まる私に、私の声を好きなのだと言葉を探し探し、結婚したい理由を伝え続けてくれた人。
 差し出された手に重ねた手を、嬉しそうに握りしめてくれた人と。

「ねぇ、有本さん。私、しあわせになるね」

「くーっ。嫌味か。ちょっと! 結婚して落ち着いてからでもいいから、旦那さんの友人紹介しなさいよね! 優良物件様じゃないと、許さないから!!」





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