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5.そうして聖女は身分を捨てた
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王都で旅に必要な物を揃えて門を出る。
入るのは難しくとも、出るのは意外と簡単だ。特に、冒険者ギルドで発行して貰った身分証を持っていれば。
「いつの間にそんなもの取ったんですか?」
馬上で、キラキラするそのカードを掲げて嬉しそうに笑うイリスに向けて、トールが訊ねる。
「凱旋した時、名誉SSハンターのギルドカードと一緒に、内緒でお忍び用だといってBランクのカードも貰ったの! イリスを捩ってI《アイ》リス名義ですって」
ギルド長も粋なことをしてくれるわよね、と笑うイリスはとても嬉しそうだった。
「あー。あのおっさん、さすが元お貴族様なだけはあるな」
なるほどね、と苦笑したトールは馬の脚を止めてすでに小さくなった王都を振り返った。
「トール? 早くしないと、次の街に着くまでに日が暮れちゃうわ」
トールが馬を止めたことを不審に思ったイリスが声を掛ける。
それでもなかなか馬を動かそうとしないトールの下へとイリスは近寄った。
どうしたの、と声を掛けようと思ったところで、トールが呟くように小さな声で話す。
「聖女様は、元の街で単なるお針子に戻れると、本気で思っているのか?」
「もちろんよ。これでも私の刺繍は人気商品だったんだからね!」
自信ありげに答えるも、実際のところその言葉は虚勢を張ったものでしかなかった。
聖女としてあの街を訪れて結界を張った時、勤めていたドレスメーカーの女主人が聖女をこき使っていたとして扱下ろされていたことを覚えていたからだ。
もしかしたら、あの店はもう無いのかもしれない。その不安から王宮を下がる決心が付かなかったのだから。
でももうあの王城にはいられない。そう決めたことに後悔はない。
それでも、やはり店に戻ることが出来るのかどうか、不安はある。
「なぁ、お針子に戻るとしてもよ。俺の、……俺の国に、来ないか?」
「え?」
トールと出会ったのは、この国の隣の隣の隣。西ノ海に面した小さな国との国境でのことだった。
橋の壊された大河をなんとか渡ろうと急ごしらえの筏に乗って行こうとした時、水の中から現れた魔獣に襲われあわやという聖女一行を救ってくれた冒険者、それがトールだった。
後に、地元のハンターだと自己紹介した彼は水棲魔獣との交戦をものともせずに勝利を手中に収めたのだ。
その後、貧弱な筏で渡ろうとしたことを盛大に叱られ、仕方なしに事情を話すとそのまま護衛団に加わり、そのまま旅に付いてきてくれたのだ。第四騎士団が王都を去り、大切な家族の下へと帰っていっても、そのままイリスの側に残ってくれた。
そうして、今もこうして傍にいてくれる。
「このまま、あの王太子たちが市井に戻った聖女様を放っておいてくれる気がしないんだ。絶対になにかちょっかいを掛けてくる」
ありそうだ、とイリスは表情を暗くした。
自分がその迷惑を蒙るだけではない。きっと傍にいる人達にもその迷惑を被せることになりそうな気がする。そんな容易に想像できる暗澹たる未来を思い描いて、イリスは眉を顰めた。
「だからさ、俺の国に来いよ。あいつらは俺の国がどこか知らないし。第四騎士団の奴等は知ってても、とぼけてくれると思うんだ」
一緒に死線を潜り抜けた仲間だ。
聖女であるイリスを守るために命掛けで旅に付いてきてくれた。
それは大切な愛する人の命を救ったイリスへの恩返しだったり、大切な家族の未来を守る決意による物だったり様々だったけれど。でもどれも尊くて、誰もがイリスにとって信頼を寄せるに足りる同志だった。
彼らが聖女の情報を王太子達に売るなどありえないだろう。
「それでさ、俺の国でさ、俺と……俺の嫁さんになってくれないか? 結婚してくれ」
「……!!!」
トールは歴戦の冒険者とは思えないほど自信なさげに顔を俯けたままその首まで赤く染めて、イリスの返事を待った。
しかし、なかなか返ってこない返事に、だんだんと諦めが入る。
(……やっぱり駄目か。あの美形王太子にすら靡かなかったんだもんな)
ふぅ、と諦めと共に大きく息を吐き、呼吸を整える。
そうしてイリスの顔を振り向き、何でもない風を装って、これ以上気まずくならないよう声を掛けようとした。
その、イリスが真っ赤な顔をして泣いているのを見て、焦りまくった。
(泣くほど、嫌だったのかよ…)
ずどんと地の底までトールの気持ちが落ちる。
視界が昏くなり、眩暈で身体が崩れ落ちそうだ。
そこに、どすんと何かが飛びついてきた。
慌てて目を向ければ、トールの首にしがみついて泣いているのは愛しいイリスで。どうやら強引に馬上から飛び移ってきたらしい。
「おい、危ないだろうが!」
「…にして」
「?」
「わたしを、トールの、およめさんにしてください!」
うわーん嬉しいー! と泣きつかれて、トールは目を白黒させた。
想いを確かめ合い、その幸せを噛み締めていたかったのはお互いに山々だったが、それでもここで野宿するのはよくないだろうという常識も持ち合わせていたので馬を進めながら二人でこれからを話し合う。
「……イリスは、貴族が嫌いか? 貴族になりたいと思わなかったのか?」
「んー? 別に貴族だから嫌いとかはないけど、貴族になりたいとは思わなかったなぁ」
面倒臭そうだしーと、イリスはぺろりと小さく舌を出して笑った。
「……面倒臭そう、か。聖女様がねぇ」
「聖女じゃないでしょ?」
「…イリス」
にっこりと笑う恋人に、トールは自分の人生は恋女房に尻に敷かれるものになるのかと苦笑いする。それでもそれが満更でもなく思える。
「あのね、私はトールと一緒にいられるなら、他はどうでもいいのよ」
きっぱりと告げられた言葉に、思わず抱き寄せたくなったけれどお互いに馬上の人だ。
街に付いたらどうしてくれようと、トールは胃の中で暴れる何か熱いものを必死で抑え込んだ。
そんなトールに気付くことなく、イリスはその瞳を悪戯っぽく煌めかせながら言葉を続ける。
「だって、SS級ハンターの私とS級ハンターのトールが組めばできない事なんて何もないと思わない?」
イリスはそう言うと、トールに向かって、ひと際綺麗な笑みを見せた。
(やっぱ敵う気がしねぇ。まぁ尻に敷かれるのもオツな人生だよな)
入るのは難しくとも、出るのは意外と簡単だ。特に、冒険者ギルドで発行して貰った身分証を持っていれば。
「いつの間にそんなもの取ったんですか?」
馬上で、キラキラするそのカードを掲げて嬉しそうに笑うイリスに向けて、トールが訊ねる。
「凱旋した時、名誉SSハンターのギルドカードと一緒に、内緒でお忍び用だといってBランクのカードも貰ったの! イリスを捩ってI《アイ》リス名義ですって」
ギルド長も粋なことをしてくれるわよね、と笑うイリスはとても嬉しそうだった。
「あー。あのおっさん、さすが元お貴族様なだけはあるな」
なるほどね、と苦笑したトールは馬の脚を止めてすでに小さくなった王都を振り返った。
「トール? 早くしないと、次の街に着くまでに日が暮れちゃうわ」
トールが馬を止めたことを不審に思ったイリスが声を掛ける。
それでもなかなか馬を動かそうとしないトールの下へとイリスは近寄った。
どうしたの、と声を掛けようと思ったところで、トールが呟くように小さな声で話す。
「聖女様は、元の街で単なるお針子に戻れると、本気で思っているのか?」
「もちろんよ。これでも私の刺繍は人気商品だったんだからね!」
自信ありげに答えるも、実際のところその言葉は虚勢を張ったものでしかなかった。
聖女としてあの街を訪れて結界を張った時、勤めていたドレスメーカーの女主人が聖女をこき使っていたとして扱下ろされていたことを覚えていたからだ。
もしかしたら、あの店はもう無いのかもしれない。その不安から王宮を下がる決心が付かなかったのだから。
でももうあの王城にはいられない。そう決めたことに後悔はない。
それでも、やはり店に戻ることが出来るのかどうか、不安はある。
「なぁ、お針子に戻るとしてもよ。俺の、……俺の国に、来ないか?」
「え?」
トールと出会ったのは、この国の隣の隣の隣。西ノ海に面した小さな国との国境でのことだった。
橋の壊された大河をなんとか渡ろうと急ごしらえの筏に乗って行こうとした時、水の中から現れた魔獣に襲われあわやという聖女一行を救ってくれた冒険者、それがトールだった。
後に、地元のハンターだと自己紹介した彼は水棲魔獣との交戦をものともせずに勝利を手中に収めたのだ。
その後、貧弱な筏で渡ろうとしたことを盛大に叱られ、仕方なしに事情を話すとそのまま護衛団に加わり、そのまま旅に付いてきてくれたのだ。第四騎士団が王都を去り、大切な家族の下へと帰っていっても、そのままイリスの側に残ってくれた。
そうして、今もこうして傍にいてくれる。
「このまま、あの王太子たちが市井に戻った聖女様を放っておいてくれる気がしないんだ。絶対になにかちょっかいを掛けてくる」
ありそうだ、とイリスは表情を暗くした。
自分がその迷惑を蒙るだけではない。きっと傍にいる人達にもその迷惑を被せることになりそうな気がする。そんな容易に想像できる暗澹たる未来を思い描いて、イリスは眉を顰めた。
「だからさ、俺の国に来いよ。あいつらは俺の国がどこか知らないし。第四騎士団の奴等は知ってても、とぼけてくれると思うんだ」
一緒に死線を潜り抜けた仲間だ。
聖女であるイリスを守るために命掛けで旅に付いてきてくれた。
それは大切な愛する人の命を救ったイリスへの恩返しだったり、大切な家族の未来を守る決意による物だったり様々だったけれど。でもどれも尊くて、誰もがイリスにとって信頼を寄せるに足りる同志だった。
彼らが聖女の情報を王太子達に売るなどありえないだろう。
「それでさ、俺の国でさ、俺と……俺の嫁さんになってくれないか? 結婚してくれ」
「……!!!」
トールは歴戦の冒険者とは思えないほど自信なさげに顔を俯けたままその首まで赤く染めて、イリスの返事を待った。
しかし、なかなか返ってこない返事に、だんだんと諦めが入る。
(……やっぱり駄目か。あの美形王太子にすら靡かなかったんだもんな)
ふぅ、と諦めと共に大きく息を吐き、呼吸を整える。
そうしてイリスの顔を振り向き、何でもない風を装って、これ以上気まずくならないよう声を掛けようとした。
その、イリスが真っ赤な顔をして泣いているのを見て、焦りまくった。
(泣くほど、嫌だったのかよ…)
ずどんと地の底までトールの気持ちが落ちる。
視界が昏くなり、眩暈で身体が崩れ落ちそうだ。
そこに、どすんと何かが飛びついてきた。
慌てて目を向ければ、トールの首にしがみついて泣いているのは愛しいイリスで。どうやら強引に馬上から飛び移ってきたらしい。
「おい、危ないだろうが!」
「…にして」
「?」
「わたしを、トールの、およめさんにしてください!」
うわーん嬉しいー! と泣きつかれて、トールは目を白黒させた。
想いを確かめ合い、その幸せを噛み締めていたかったのはお互いに山々だったが、それでもここで野宿するのはよくないだろうという常識も持ち合わせていたので馬を進めながら二人でこれからを話し合う。
「……イリスは、貴族が嫌いか? 貴族になりたいと思わなかったのか?」
「んー? 別に貴族だから嫌いとかはないけど、貴族になりたいとは思わなかったなぁ」
面倒臭そうだしーと、イリスはぺろりと小さく舌を出して笑った。
「……面倒臭そう、か。聖女様がねぇ」
「聖女じゃないでしょ?」
「…イリス」
にっこりと笑う恋人に、トールは自分の人生は恋女房に尻に敷かれるものになるのかと苦笑いする。それでもそれが満更でもなく思える。
「あのね、私はトールと一緒にいられるなら、他はどうでもいいのよ」
きっぱりと告げられた言葉に、思わず抱き寄せたくなったけれどお互いに馬上の人だ。
街に付いたらどうしてくれようと、トールは胃の中で暴れる何か熱いものを必死で抑え込んだ。
そんなトールに気付くことなく、イリスはその瞳を悪戯っぽく煌めかせながら言葉を続ける。
「だって、SS級ハンターの私とS級ハンターのトールが組めばできない事なんて何もないと思わない?」
イリスはそう言うと、トールに向かって、ひと際綺麗な笑みを見せた。
(やっぱ敵う気がしねぇ。まぁ尻に敷かれるのもオツな人生だよな)
21
表紙イラスト:遠様(@haku_wen)※禁無断転載・禁無断使用※
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