「君を愛することはできない」と仰いましたが、正確にその意味を説明してください、公爵様

メカ喜楽直人

文字の大きさ
上 下
7 / 15

7.颯爽と助けてくれた人(過去)

しおりを挟む



「キミ。このお嬢さんは、ちゃんと勉強のためにその本を必要としているようだ。ホラ、机の上にあるのはエットランド語からセナ語への辞書と、セナ語をライトロード語に訳す為の辞書がある。……それと、きちんと学習したノートもね」

 その時、天の声がイボンヌが目の前の司書に伝えたかったことを全部説明してくれたのだ。

 親切な人の手から辞書を奪った司書が、中を見るなり叫ぶ。

「えっ? あ……あぁっ。セナ語の辞書にこんなに落書きを!」
 また違う勘違いをされて、焦りが募る。
 ひとつ誤解が解けそうだと思った途端のその言葉に、落胆する。

「ち、ちがいます」

 辛うじてそれだけは言えたものの、それ以上を言葉にできる前に、大人の男性から居丈高に大きな声で叱られて身が竦んだ。

「どこが違うんだ! こんなの。弁償ものだぞ。おい、親を呼べ。辞書がどれだけ貴重だと思っているんだ、バカ娘」

 あまりの理不尽さに、目が眩みそうだった。
 しかし誤解を放置してそれを取り上げられる訳にはいかないのだ。頑張るしかない。

「っ。わ、わたしのです。返して」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして手を伸ばせば、司書はさらに高く辞書を持ち上げた。

「はぁ?  嘘を吐くんじゃない。子供が外国語の辞書なんか持っている訳がないだろう!」

 取り上げられた辞書を手の届かないように高く持ち上げられてしまい、イボンヌはついに恐怖で泣き出した。

「いや、辞書を返して。おじいさまに戴いた、わたしの宝物なのよ」

「まだいうか」

 カッとなった様子の司書を、先ほどの声が止めてくれた。

「落ち着きたまえ。司書が図書室内で大きな声を上げるな。それと、その辞書は王宮図書の蔵書ではないよ。ちゃんと確認しなさい。ページの最後に蔵書印がない」

 さきほどの青年の指摘に、司書が慌てて辞書の最終ページを確認した。

 パラパラと何度も何度も。最終ページだけでなく、その数ページ前、目次や内拍子や、裏表紙の折り返しまで何度も確認する。
 その手付きがあまりにも乱暴で、イボンヌはハラハラした。

「……ない」

 ようやく納得してくれたのかとホッとして手を出した。
 けれども、素直に返してくれると思ったのに司書は更にイボンヌに問い掛けてきた。
 
「ほんとうに?」

 すっかり青白くなってしまった司書からの問いに、こくりと頷けば、司書は無言のまま、火傷でもしたかのように慌てて辞書から手を離した。

「あっ」

 手離され、床へと勢いよく落ちていく辞書を守ろうとしたイボンヌが、慌てて手を伸ばす。

 祖父から貰っただけあって、古い辞書だ。
 革製の表紙はすこしひび割れており、強い衝撃など受けたら多分ばらばらになってしまう。ならなくとも、角が凹んでしまうに違いなかった。

「ふう、危ない。たとえ図書館の蔵書ではなく個人の蔵書を持ち込んだものであろうとも、本を粗雑に扱う君は司書失格だな。そう館長へ申し立てておく」

 転んでもいいと駆けだしたイボンヌを片手で支え、もう片方の手で辞書を受け止めてくれた青年が、冷たい顔をして司書を見つめていた。

 そうして、その時になってようやく、イボンヌは助けてくれた青年の顔をちゃんと見上げたのだった。

 まるで夜空のように艶めくまっすぐな黒髪に縁取られた貌の美しさに、視線が釘付けになった。
 司書を冷たく睨みつけていた知性を感じさせる黒い瞳が、イボンヌに向けられた一瞬後にやわらかく弛む。

「はい。宝物に傷がつかなくて良かった」
「ありがとう、ございます」

 自分がきちんと御礼を告げられているのかすら、イボンヌにはわからなかった。
 ただ深く、できる限り腰を落として、今の自分にできる最高のカッツィを贈る。

 それを認めた青年は、さきほどよりも一層笑みを深めて頷いてくれた。
 
 その笑顔に、イボンヌの胸がきゅうっと音を立てた気がした。
 次いで、視界の端っこで揺れる自分の、ひっつめ髪にした冴えない赤毛が、途轍もなくつまらないものだと感じる。

「ひぇっ。そんな、だって。こんな子供が自分の辞書を持っているなんて。それも外国語の」

 支離滅裂な文法で言い訳をする司書に、青年の視線がさらに冷たさを増し舌鋒が鋭さを増していく。

「そんな言い訳をする前に、彼女にきちんと謝罪するんだな。それと、どうやら私から申告する必要はなさそうだ」

「え、あっ」

 青年の言葉に振り向けば、そこには、真っ赤な顔をした王宮図書館の主任と真っ青になった館長がふたり並んで立っていた。

「なにを騒いでいるのかと思えば。お前はなにをやっているのだ!」

 激しく主任に責め立てられ、先ほどイボンヌに振りかざした居丈高な態度とは裏腹におどおどと碌に返事もできないでいる司書の様子に吃驚したり、青い顔をしてイボンヌを気遣ってくれる館長に騒がせてしまったことに対するお詫びと状況の説明をしている間に。

「あれ、あの方は?」

 青年は、その場を離れていた。

 まだ礼も告げていなければ名前を訊くこともできていないのに。

 慌てたイボンヌが、まだ話を続けている館長を置きざりにして駆け足で図書館の外まで探しに出る。

 少し離れた渡り廊下の先に、あの青年の後ろ姿を見つけた。

 懸命に走って追いつこうとするイボンヌに気が付くこともなく、青年が、誰かに向かって挨拶するように軽く手を挙げていた。
 
 その先には、青年と釣り合いの取れた美しい令嬢が待っていた。

 その場でふたりはなにやら会話をした後、青年が差し出した手に令嬢がそっと嫋やかな手を乗せ、歩き出し、令嬢が身にまとった美しいドレスが揺れる。

 それは、遠目からでもあまりにお似合いの姿で。

 イボンヌはその場に立ち尽くすしかできなかった。



しおりを挟む
表紙イラスト:ギルバート@小説垢様(@Gillbert1914)より戴きました。
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

王女を好きだと思ったら

夏笆(なつは)
恋愛
 「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。  デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。 「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」   エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。  だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。 「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」  ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。  ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。  と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。 「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」  そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。 小説家になろうにも、掲載しています。  

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

【完結済】侯爵令息様のお飾り妻

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 没落の一途をたどるアップルヤード伯爵家の娘メリナは、とある理由から美しい侯爵令息のザイール・コネリーに“お飾りの妻になって欲しい”と持ちかけられる。期間限定のその白い結婚は互いの都合のための秘密の契約結婚だったが、メリナは過去に優しくしてくれたことのあるザイールに、ひそかにずっと想いを寄せていて─────

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

処理中です...