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本編

第二十八話 出遅れた就職活動

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 学園に戻ったサリは、クラスメイトの誰から婚約の話を聞かれても、何を答えるでもなく黙って笑ってやり過ごした。

「秘密なの?」と聞かれたがそれにも笑って首を振る。
 正直なところ話せることが何もないのだ。

 アーベル侯爵家との顔合わせも父親の体調を口実に日程すら決める事ができていない。
 たぶんこのまま婚姻式の日を迎えるのだろう。
 確かに、サリはアーベル侯爵家に嫁入りするのではなくアーベル=シーラン伯爵家の妻になるので、無理にする必要はない。

 しかし、本当にそれでいいのかと聞かれたとしてもサリにはどうすることもできない。

 曖昧に笑って対応し続けていると、その内、何かを感じたのか周囲からは何も聞かれなくなっていった。



 バタバタと婚姻に向けて決めなくてはいけないことを決め、手配すべきことを手配し、しなくてはいけない段取りを次々とこなしていく中で、ヴォーン商会での父親の仕事を肩代わりする日々を慌ただしく過ごしていく。


 そうこうしている内に、サリは自分が卒業間際にも関わらず、就職先の目当てすらつけていない崖っぷちに立っていることに気が付いた。

 就職戦線はとっくにその口火を切っており、既にクラスメイトのほとんどが複数回の面接を乗り越え、内定を貰っていたのだ。

「迂闊だったわ」

 多分、ヴォーン商会の事情やサリの婚約の件が出回っていたので、忙しく飛び回り就職活動を行おうとしないサリに対してどの様に口出ししていいのか学園側としても躊躇ってしまったのだろう。実際に、寮にすら戻れず出先から特別外泊許可を申請したことも数知れなかったのだから。

 だが勿論、サリ自身は就職するつもりであった。

 こんなことになる前に、父親からはヴォーン商会以外の場所で仕事を憶えてくるよう散々言われていたので、いきなりヴォーン商会で試験も受けずに使用人もしくは経営者一族としての地位を占める気は全くない。それを許す父でもない。
 身内として甘やかす為に意見交換に参加させてくれたのとは全く別の話なのだ。

 今からでも就職を決めるべく活動を開始しなければ、とサリは就職課へ向かった。

 ほとんどの生徒が就職先を決め終えた中で、まだ進路が決まっていないのはサリを残してほんの数名となっていた。

 だが、かなり少なくはあったがまだ募集をしている就職口も無い訳でもなかった。
 少しでもマシな就職先を見つけようと、サリは目一杯背伸びをして、掲示板に貼られているカードを目を皿のようにして眺めた。

 どん。

 後ろから突き飛ばされて、サリは床に手を付いた。

「痛っ」

 突然の衝撃に顔を上げれば、口を利いたこともない文書科の生徒が立っていた。
 憎々し気に顔を歪めたその少女は、サリに向かって口先だけの謝罪をした。

「あーら、ごめんなさい? でもホラ、必要も無いのにこんな所に来てボーっと突っ立ているから悪いんですのよ」

 サリはゆっくりと立ち上がりながら、この歪んだ顔をした生徒が誰だったか思いだそうとしたが、こうして言葉を交わした経験すら記憶にない。
 だから、なぜ絡まれるのかまったく分からなかった。

「あーあ。私も伯爵様のトコロに永久就職したかったわー。ねぇ、どうやってあんなに嫌われていた教授の婚約者に納まったの? あんなに素晴らしい、お似合いの婚約者がいたのよ? それを知らなかった訳じゃないでしょ。それなのに、父親が瀕死の事態になっている時に、教授のベッドにでも忍び込んだの? 最っ低ね」

 バッと顔を上げた。

 ブルネットの吊り目美人がサリを蔑みの目で見ていた。
 唇が歪んでいる。

 その文書科の生徒の名前は……そうだ、ロナ・クロル。淑女科ではなく職業訓練系のコースに進んだ、子爵家の令嬢だった。

 碌に口を利いたこともない相手から受けた突然の批難を、サリは動揺を押し隠してハッキリと否定した。
  
「そのような事実はございません。婚約に関しては教授からの申し出だったとしか、私の口から申し上げる事はございませんわ」

「はっ! 言うわねぇ。正当な婚約者であるマリアンヌ様を泣かせた挙句、強引に後釜についておきながら」

「いいえ。私がそのような真似をしたという事実はございません。もしそれ以上事実無根の悪意ある噂を流すようならば、こちらとしてもそれなりの対処をさせて戴くので覚悟してくださいね」

 すくっと立って、自分よりずっと高い位置にあるロナ・クロル子爵令嬢から視線をずらさず言い切った。

「たかがぽっと出の准男爵家風情が偉そうに。付け焼刃でしかない所作とマナーの伯爵夫人なんて、笑わせないで欲しいわ」

 一歩も引かずに睨み返したサリに向かって、憎々し気にロナは捨て台詞を残して踵を返していった。

「ふう。一体、どうしてあんな噂が廻っているんだろう」

 パンパンとスカートについてしまった埃を払う。

 そうして、自分が周囲から距離を取られていることに、サリはようやく気が付いた。

 周囲からの視線が、冷たい。

 心臓が、軋むように嫌な音を立てた。

 たまにしか顔を出さなくなったから、クラスメイトが傍に来なくなった訳ではないのだ。
 曖昧な笑顔しかできないサリに気を使って、教授の話を聞かなくなった訳でもない。


 自分が婚約の理由について誤魔化し続けている間に、不名誉な、とても不名誉な噂が定着してしまっていたことに、サリはようやく、気が付いた。




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