8 / 50
本編
第七話 愛おしそうにケーキを頬張る人
しおりを挟む
■
カフェでの騒動を起こしてしまった件について、サリは父や母から怒られることを覚悟していたにも関わらず、誰からも怒られなかった。
むしろ家族と顔を合せる度に無言で抱き寄せられるので、最初こそただ慰められていたその行為がそろそろ気恥ずかしく感じるほどだった。
従業員たちも皆優しいばかりだ。
カフェに顔を出せば、「新作ケーキに意見が欲しいんです」と厨房に連れて味見させて貰ったりする。これまではなかった特別扱いだ。そして工房に顔を出すと「最近の学園での流行りが知りたいんです」と小さな髪留めを渡されそうになった。勿論受け取る事はしないが、サリの青い瞳によく似た石の付いたそれを選んでくれたであろう、その気持ちが嬉しかった。
最初に断わって以来、工房では意見を聞かれるようになった。好きなドレスのデザインや美しい宝石を見せて貰ってデザインを決める場に同席させて貰って、好みのデザインをお互いに主張するだけだ。
けれど、サリも商会の一員なのだと職人たちから認められた気がするのだ。
それだけでピコンと気分が上がる気がした。
「それにしても、なんで教授はあんな風に考えたんだろう」
見上げる先にある、空が青く高くなった。
季節が変わろうとしていたけれど、どうしても、サリの頭の中でその疑問だけが消えてくれなかった。
違う。
美味しそうに、普段しかめっ面しかしない顔に、まるで宝物を見つけた子供の様な表情を浮かべて、ゆっくり、丁寧に、ひと口ひと口を愛おしむようにして、ケーキを味わって食べていた人。
ヴォーン商会のクリームケーキは、王都では誰もが憧れを抱く、とっておきの特別なケーキだ。
その中でも真っ赤な苺がのったケーキは一番人気。
季節によって取り寄せる地方を変えることで、ほぼ一年中食べることができるようになった。
それが可能なのは、この王都でも、ヴォーン商会のみだ。
「あとは、王宮へ納めてもいるから、王族の方たちは王宮のパティシエが作られたゴージャスなクリームケーキやタルトにして食べられているかもしれないけれどね」
でもそれは、売られている訳ではない。
ウチのカフェで食べられるのは、努力次第で手に入る、市販品という企業努力。
情報を繋ぎ、商品を仕入れ、時には人材を送り込んで、その地方の文化が途絶えないように努めてきた。
それが、ヴォーン商会の誇りであり、理念だ。
安く買いたたくのではなく、地方でも暮らしていける収入を。
得られた賃金で、娯楽を手にすることも、薬や綺麗な服や髪飾りを手にする機会を得るお手伝いをする。
勿論、慈善事業ではないので仕入れが高くついた分は、それを支払える方々にお支払い戴く。
王族も貴族の方々も、それを承知した上で、ヴォーン商会から買い上げて下さっている。
地方を切り捨てない商業。その実現に賛同して下さる貴族がいるから、成り立っているともいう。
つまりはこの王国の、すべての貴族がオーナーだ。
そうやって思いを繋いで作られている、奇跡の様なヴォーン商会の苺のクリームケーキ。
誰もが愛したそのケーキを、多分、この王都内で誰よりも、何個も、何十個も食べた人。
学園の食堂内で食べていた時でさえ幸せそうに食べていた。
カフェで父や従業員たちに囲まれて、あんな事になっている席でさえ、最後のひと口を美味しそうに、味わってから帰っていった。
あんな風に食べたのが、最後だなんて。
冷たく見える灰色の瞳を、あんなに甘く蕩けさせてヴォーン商会のケーキを見ていた人が、もうウチの商会のケーキを食べてくれないなんて。
サリはそれが悲しくて仕方がなかった。
「でも。もしかしたら、他に美味しいお店を見つけたのかもしれないわ。そうだったら敵情視察に行かなくちゃいけないけれど……教授に逢ってしまったら困らせてしまうわね」
サリと居合わせた事で、新たな店にも通えなくなったら教授は困るだろう。
あれだけ苺のクリームケーキが好きな人だ。
ヴォーン商会のものでなくとも、他に気に入ったお店ですら食べることが叶わなくなったなら、きっと悲しむ。
悲しませたい訳ではない。教授が美味しそうに苺のクリームケーキを頬張る姿は、とても幸せそうで、できることならば、その姿をいつまでも見ていたかった。
「ん? 何を思っているの、私。ヘンなの。クリームケーキは自分で食べた方が、
絶対に幸せなのに」
そうだ。あれだ。
ヴォーン商会のケーキが美味しいと言われるのが好きなのだ。
食べたくない、食べられなくても構わないと思われるのは癪だ。それだけ。
悲しいと感じる理由は、あれ以来、教授と顔を合せなくなったからなどではない。
そう思っていたかった。
*******
「最近、サリがぼんやりと空を見上げていることが増えた気がするの」
「……」
「もうあれからひと月も経っているというのにねぇ。やっぱり アーベル=シーラン伯爵との事が、心に重いのではないかしら。誰かに誤解されるというのは切ないものだもの。あなた、どう思って?」
「…………」
「何がどうなってあんなに酷い誤解をされたのか知らないけれど、 アーベル=シーラン伯爵はアーベル侯爵家へと繋がる御方というだけでなく王太子殿下の憶えも目出度い御方だわ。お医者様でもあるのだし、きちんと説明したらわかって下さると思うのだけれど」
「…………だって、アイツ、サリを泣かせたんだぞ?!」
「アイツだなんて。英雄と誉れの高い魔法使い様に対して失礼ですよ」
「いいんだ、あんな奴はアイツで十分だ!」
「まったく。もう少しだけ、サリの為に頑張って下さっても宜しいじゃありませんんか」
「…………はぁ。伯爵の御父上、アーベル侯爵様にお会いして下さるようお取次ぎをお願いしてみるか。どなたにお声掛けするべきだろうか。はぁ。あの頑なな態度。上手く行く気が、まったくしないのだがな」
カフェでの騒動を起こしてしまった件について、サリは父や母から怒られることを覚悟していたにも関わらず、誰からも怒られなかった。
むしろ家族と顔を合せる度に無言で抱き寄せられるので、最初こそただ慰められていたその行為がそろそろ気恥ずかしく感じるほどだった。
従業員たちも皆優しいばかりだ。
カフェに顔を出せば、「新作ケーキに意見が欲しいんです」と厨房に連れて味見させて貰ったりする。これまではなかった特別扱いだ。そして工房に顔を出すと「最近の学園での流行りが知りたいんです」と小さな髪留めを渡されそうになった。勿論受け取る事はしないが、サリの青い瞳によく似た石の付いたそれを選んでくれたであろう、その気持ちが嬉しかった。
最初に断わって以来、工房では意見を聞かれるようになった。好きなドレスのデザインや美しい宝石を見せて貰ってデザインを決める場に同席させて貰って、好みのデザインをお互いに主張するだけだ。
けれど、サリも商会の一員なのだと職人たちから認められた気がするのだ。
それだけでピコンと気分が上がる気がした。
「それにしても、なんで教授はあんな風に考えたんだろう」
見上げる先にある、空が青く高くなった。
季節が変わろうとしていたけれど、どうしても、サリの頭の中でその疑問だけが消えてくれなかった。
違う。
美味しそうに、普段しかめっ面しかしない顔に、まるで宝物を見つけた子供の様な表情を浮かべて、ゆっくり、丁寧に、ひと口ひと口を愛おしむようにして、ケーキを味わって食べていた人。
ヴォーン商会のクリームケーキは、王都では誰もが憧れを抱く、とっておきの特別なケーキだ。
その中でも真っ赤な苺がのったケーキは一番人気。
季節によって取り寄せる地方を変えることで、ほぼ一年中食べることができるようになった。
それが可能なのは、この王都でも、ヴォーン商会のみだ。
「あとは、王宮へ納めてもいるから、王族の方たちは王宮のパティシエが作られたゴージャスなクリームケーキやタルトにして食べられているかもしれないけれどね」
でもそれは、売られている訳ではない。
ウチのカフェで食べられるのは、努力次第で手に入る、市販品という企業努力。
情報を繋ぎ、商品を仕入れ、時には人材を送り込んで、その地方の文化が途絶えないように努めてきた。
それが、ヴォーン商会の誇りであり、理念だ。
安く買いたたくのではなく、地方でも暮らしていける収入を。
得られた賃金で、娯楽を手にすることも、薬や綺麗な服や髪飾りを手にする機会を得るお手伝いをする。
勿論、慈善事業ではないので仕入れが高くついた分は、それを支払える方々にお支払い戴く。
王族も貴族の方々も、それを承知した上で、ヴォーン商会から買い上げて下さっている。
地方を切り捨てない商業。その実現に賛同して下さる貴族がいるから、成り立っているともいう。
つまりはこの王国の、すべての貴族がオーナーだ。
そうやって思いを繋いで作られている、奇跡の様なヴォーン商会の苺のクリームケーキ。
誰もが愛したそのケーキを、多分、この王都内で誰よりも、何個も、何十個も食べた人。
学園の食堂内で食べていた時でさえ幸せそうに食べていた。
カフェで父や従業員たちに囲まれて、あんな事になっている席でさえ、最後のひと口を美味しそうに、味わってから帰っていった。
あんな風に食べたのが、最後だなんて。
冷たく見える灰色の瞳を、あんなに甘く蕩けさせてヴォーン商会のケーキを見ていた人が、もうウチの商会のケーキを食べてくれないなんて。
サリはそれが悲しくて仕方がなかった。
「でも。もしかしたら、他に美味しいお店を見つけたのかもしれないわ。そうだったら敵情視察に行かなくちゃいけないけれど……教授に逢ってしまったら困らせてしまうわね」
サリと居合わせた事で、新たな店にも通えなくなったら教授は困るだろう。
あれだけ苺のクリームケーキが好きな人だ。
ヴォーン商会のものでなくとも、他に気に入ったお店ですら食べることが叶わなくなったなら、きっと悲しむ。
悲しませたい訳ではない。教授が美味しそうに苺のクリームケーキを頬張る姿は、とても幸せそうで、できることならば、その姿をいつまでも見ていたかった。
「ん? 何を思っているの、私。ヘンなの。クリームケーキは自分で食べた方が、
絶対に幸せなのに」
そうだ。あれだ。
ヴォーン商会のケーキが美味しいと言われるのが好きなのだ。
食べたくない、食べられなくても構わないと思われるのは癪だ。それだけ。
悲しいと感じる理由は、あれ以来、教授と顔を合せなくなったからなどではない。
そう思っていたかった。
*******
「最近、サリがぼんやりと空を見上げていることが増えた気がするの」
「……」
「もうあれからひと月も経っているというのにねぇ。やっぱり アーベル=シーラン伯爵との事が、心に重いのではないかしら。誰かに誤解されるというのは切ないものだもの。あなた、どう思って?」
「…………」
「何がどうなってあんなに酷い誤解をされたのか知らないけれど、 アーベル=シーラン伯爵はアーベル侯爵家へと繋がる御方というだけでなく王太子殿下の憶えも目出度い御方だわ。お医者様でもあるのだし、きちんと説明したらわかって下さると思うのだけれど」
「…………だって、アイツ、サリを泣かせたんだぞ?!」
「アイツだなんて。英雄と誉れの高い魔法使い様に対して失礼ですよ」
「いいんだ、あんな奴はアイツで十分だ!」
「まったく。もう少しだけ、サリの為に頑張って下さっても宜しいじゃありませんんか」
「…………はぁ。伯爵の御父上、アーベル侯爵様にお会いして下さるようお取次ぎをお願いしてみるか。どなたにお声掛けするべきだろうか。はぁ。あの頑なな態度。上手く行く気が、まったくしないのだがな」
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。
ふまさ
恋愛
楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。
でも。
愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる