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第三章
小さな信者【ヒューバート視点2】
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ステイプルトン一家が隣の屋敷に引っ越してきて、年齢が近かった僕たち四人はよく遊ぶようになった。
幼いシンシアが僕とミラベルを初めて見た時、萌黄色の瞳をこぼれ落ちそうなほどいっぱいに見開き、放心状態で立ち尽くしていたことを今でも覚えている。
「あら、固まっちゃったわね」
僕らの母上はそう言って、おかしそうに笑った。
もしかして、あの子は貴族を間近に見るのが初めてだったのかなと、後でミラベルと話したものだ。
それから僕にすごくなついてくれて、ポテポテと終始付いて回り、まるで僕のことを神か英雄かのように崇め奉ってきた。
貴族の令嬢たちから容姿や気品、家柄について褒めちぎられることは多々あったが、どれも将来的に僕との結婚を目論んでいるがゆえの美辞麗句だと、やたら警戒していた子供時代である。
当時、シンシアは駆け出しの新興貴族の娘。僕と結婚することは身分的に無いだろうと、子供心に思っていた。
そのせいか、彼女からの賛辞は言葉どおり、素直に受け取れた。
僕はそんなシンシアから、もっとカッコいいと思われたかった。
それで常日頃から、カッコいい立ち方や仕草、気品ある言葉遣いなど研究し、彼女の前で披露していた。
ミラベルからは「何回髪をかきあげているの? キモい」とか「いちいち腰に手を当てて斜めに立たないで!」「薔薇を口に咥えて歩くなら、棘くらい抜きなさいよ」「語尾にジュテームって意味不明! いただきジュテームって何!?」等、口やかましく言われたが、シンシアがうっとりしてくれるのが何よりも嬉しかった。
シンシアの口から耳に心地よい言葉を紡がれ、彼女からの賞賛を浴びていくうちに、いつの間にか僕は自分がすごい人間であると思い込むようになっていたんだ。
しかもあろうことか、シンシアは何を言っても怒らない、何を頼んでも断らない、絶対に僕を嫌いにならないと、都合のいいように考えるようになっていった。
それで……あんなことになった。
だけど、シンシアが僕を避けて南部に閉じこもってしまってから、目が覚めた。
彼女から嫌われたと思った途端、僕が築いた僕自身の完璧な人間像はあっさり崩れていた。かっこいい僕など虚構だったと、知ってしまった……。
僕はその時、やっと自分が自分勝手で、デリカシーのない、醜い豚男なのだと気づいたのだ。
シンシアに会えなかった月日は、僕にとんでもない苦痛を与え続けた。
いくら謝罪したいとクライヴに頼んでも「シンシア、他に好きな人が出来たって言ってたぜ?」としか言わないし。
それから「なにヒューバート。君、俺の妹に嫌われるようなことしたの?」と聞かれ、聞いてきたくせに答える前に二、三発殴ってきて、結局、クライヴは煙に巻いて彼女の居場所すら教えてくれなかったのだ。
でもその時は、好きな人が出来たなんて嘘だと思った。あれほど僕のことを好きだったのに。きっと僕から突き放されて怒っているだけなんだと。
ところが三年間、彼女に会うことは叶わなかった。クライヴの僕に対する態度は今までと何も変わらないのに、妹に会わせまいとする意志は固かった。
唯一会う機会があったとしたら、去年のミラベルの誕生日。あれほど姿を見せようとしなかったシンシアが、帰国できない僕に代わり、ついに王都に来てくれることになった。
仕事を投げ出してエロスト王国から戻れば、シンシアに会える……。
しかしクライヴは、僕が来るならシンシアは来ないだろう、と手紙を寄こした。
確かにそうかもしれない。僕がいるから戻ってこないのかも。
エロストの族長が「酒宴じゃあ~」と言って放してくれず、結局帰国できなかったが、ひと目でいいから……もう陰からこっそりでもいいから、見たかった。
あの子羊に会いたい。
領地の羊たちに囲まれていても、やはり満たされることはなかった。
僕のことをもう褒めないでいい。
嫌っていていい。
だからとにかく会わせてください、地母神ギャイア。
そんな僕が正式に領主として独り立ちする二十二の年、遺言状が残されていたことを知った。僕とシンシアの結婚についてだ。
ただ、あまり意味がないように思えた。なぜなら、これほど嫌われてしまえば、遺言に縛られはしないだろうと思ったからだ。拘束力はない。
まずシンシアが嫌がる結婚を、娘を溺愛しているステイプルトン一家が認めるはずがないのだ。いくら恩人の遺言でも。
もちろん、僕だって遺言など興味無かった。なぜなら僕は、シンシアと結婚したいわけではない。
シンシアは相変わらず僕にとっては、俗世間に染まらない天使であり、可愛い子羊である。
妻──女性として見ていい存在などではなかったからだ。
僕はいつか、後継者のことを考えなければならない立場にいる。だがどう考えても、清らかなシンシアにそんな邪な感情を持つことはできない、そう思った。
しかしながら突き詰めればそれは、僕以外でも同じなのだ。
クライヴと共に「いつか最高の夫を見つけてやろう」と言った時、胸がむかついたのを覚えている。
誰であろうと、シンシアを汚すことは許さない。
シンシアは誰とも結婚しない。
それでいい。
僕たちで一生溺愛すれば、寂しくないはずだから。
幼いシンシアが僕とミラベルを初めて見た時、萌黄色の瞳をこぼれ落ちそうなほどいっぱいに見開き、放心状態で立ち尽くしていたことを今でも覚えている。
「あら、固まっちゃったわね」
僕らの母上はそう言って、おかしそうに笑った。
もしかして、あの子は貴族を間近に見るのが初めてだったのかなと、後でミラベルと話したものだ。
それから僕にすごくなついてくれて、ポテポテと終始付いて回り、まるで僕のことを神か英雄かのように崇め奉ってきた。
貴族の令嬢たちから容姿や気品、家柄について褒めちぎられることは多々あったが、どれも将来的に僕との結婚を目論んでいるがゆえの美辞麗句だと、やたら警戒していた子供時代である。
当時、シンシアは駆け出しの新興貴族の娘。僕と結婚することは身分的に無いだろうと、子供心に思っていた。
そのせいか、彼女からの賛辞は言葉どおり、素直に受け取れた。
僕はそんなシンシアから、もっとカッコいいと思われたかった。
それで常日頃から、カッコいい立ち方や仕草、気品ある言葉遣いなど研究し、彼女の前で披露していた。
ミラベルからは「何回髪をかきあげているの? キモい」とか「いちいち腰に手を当てて斜めに立たないで!」「薔薇を口に咥えて歩くなら、棘くらい抜きなさいよ」「語尾にジュテームって意味不明! いただきジュテームって何!?」等、口やかましく言われたが、シンシアがうっとりしてくれるのが何よりも嬉しかった。
シンシアの口から耳に心地よい言葉を紡がれ、彼女からの賞賛を浴びていくうちに、いつの間にか僕は自分がすごい人間であると思い込むようになっていたんだ。
しかもあろうことか、シンシアは何を言っても怒らない、何を頼んでも断らない、絶対に僕を嫌いにならないと、都合のいいように考えるようになっていった。
それで……あんなことになった。
だけど、シンシアが僕を避けて南部に閉じこもってしまってから、目が覚めた。
彼女から嫌われたと思った途端、僕が築いた僕自身の完璧な人間像はあっさり崩れていた。かっこいい僕など虚構だったと、知ってしまった……。
僕はその時、やっと自分が自分勝手で、デリカシーのない、醜い豚男なのだと気づいたのだ。
シンシアに会えなかった月日は、僕にとんでもない苦痛を与え続けた。
いくら謝罪したいとクライヴに頼んでも「シンシア、他に好きな人が出来たって言ってたぜ?」としか言わないし。
それから「なにヒューバート。君、俺の妹に嫌われるようなことしたの?」と聞かれ、聞いてきたくせに答える前に二、三発殴ってきて、結局、クライヴは煙に巻いて彼女の居場所すら教えてくれなかったのだ。
でもその時は、好きな人が出来たなんて嘘だと思った。あれほど僕のことを好きだったのに。きっと僕から突き放されて怒っているだけなんだと。
ところが三年間、彼女に会うことは叶わなかった。クライヴの僕に対する態度は今までと何も変わらないのに、妹に会わせまいとする意志は固かった。
唯一会う機会があったとしたら、去年のミラベルの誕生日。あれほど姿を見せようとしなかったシンシアが、帰国できない僕に代わり、ついに王都に来てくれることになった。
仕事を投げ出してエロスト王国から戻れば、シンシアに会える……。
しかしクライヴは、僕が来るならシンシアは来ないだろう、と手紙を寄こした。
確かにそうかもしれない。僕がいるから戻ってこないのかも。
エロストの族長が「酒宴じゃあ~」と言って放してくれず、結局帰国できなかったが、ひと目でいいから……もう陰からこっそりでもいいから、見たかった。
あの子羊に会いたい。
領地の羊たちに囲まれていても、やはり満たされることはなかった。
僕のことをもう褒めないでいい。
嫌っていていい。
だからとにかく会わせてください、地母神ギャイア。
そんな僕が正式に領主として独り立ちする二十二の年、遺言状が残されていたことを知った。僕とシンシアの結婚についてだ。
ただ、あまり意味がないように思えた。なぜなら、これほど嫌われてしまえば、遺言に縛られはしないだろうと思ったからだ。拘束力はない。
まずシンシアが嫌がる結婚を、娘を溺愛しているステイプルトン一家が認めるはずがないのだ。いくら恩人の遺言でも。
もちろん、僕だって遺言など興味無かった。なぜなら僕は、シンシアと結婚したいわけではない。
シンシアは相変わらず僕にとっては、俗世間に染まらない天使であり、可愛い子羊である。
妻──女性として見ていい存在などではなかったからだ。
僕はいつか、後継者のことを考えなければならない立場にいる。だがどう考えても、清らかなシンシアにそんな邪な感情を持つことはできない、そう思った。
しかしながら突き詰めればそれは、僕以外でも同じなのだ。
クライヴと共に「いつか最高の夫を見つけてやろう」と言った時、胸がむかついたのを覚えている。
誰であろうと、シンシアを汚すことは許さない。
シンシアは誰とも結婚しない。
それでいい。
僕たちで一生溺愛すれば、寂しくないはずだから。
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