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第三章
固まるヒューバート【ヒューバート視点1】
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ああ、なんということだ。
淑女が、レディが──僕の可愛い子羊ちゃんが、勃たないとか口にしたぞ……今のは幻聴か? うん、そうだ、幻聴に決まっている。
「クライヴ兄様がわたくしやミラベルに勃起しないのと同じで、ヒューバート様もミラベルとわたくしには勃起しないのです」
幻聴ではなかった……。まさかシンシアのような曇りなき眼の天使から、勃起などという言葉が飛び出してくるとは……。
僕は脱力し、背もたれに身を預けた。
いや……僕がミラベルに勃起しないのは当たり前じゃないか。妹なんだから。
もちろん、クライヴがシンシアに勃起しても変態罪。僕がこの手で射殺している。
だが概ねその説明で、彼女の言いたいことはよく分かった。
「僕が……全部悪い」
腕を組んでため息をつくと、僕はシンシアを見つめた。
「君がご実家から飛び出した後、ミラベルが僕に話してくれたんだ……」
ミラベルが? と涙で潤んだ萌黄色の瞳を僕に向けて小首を傾げるものだから、僕は彼女を抱きしめたくて仕方なくなった。
どうにか堪えたが……くそ。この子のこういうところ……以前から萌えの塊だったんだよな。
しかしながら今となってはもう、彼女を抱きしめたらダメだ。以前のような気持ちで、接することができない自分に気づいてしまってからは……正直、何をするか分からない。
彼女は今の自分を分かっていない。
「シンシア、三年前に君が学院を辞めたのは、農園の経営を学ぶためなどではなく静養が目的だったらしいね。なんでも……体を壊して激痩せして、禿げたとか」
キャッとシンシアが顔を覆う。
……いちいち仕草がきゃわゆぅう。こういうところはちっとも変っていないのだ。
しかし僕はデレッとならないように、眉間に皺を寄せ、がんばって真剣な表情を保ちながら尋ねた。
「それで頑なに、僕と会ってくれなかったんだね?」
シンシアは肩までの髪を押さえ俯いた。ホクロのある耳たぶが剥き出しになり、僕は思わずそのふっくらしたそれに触れたくなって、手を握りしめた。
「それって……もしかして、僕が婚約破棄を君に強要したせいなのか? 僕がキツい言葉で君を怒ったから……心無い態度に傷ついたせいじゃないのかい?」
シンシアはびっくりしたように顔を上げ、フルフルと首を振った。
「それは違います。傷つく権利などわたくしには……あの……どちらかというと、自分のしたことが恥ずかしくなったからです。だって女嫌いなヒューバート様が結婚しようなんて思える女性は、めったに現れないと知っていたのに!」
じわりと、萌黄色の明るい瞳が潤んだ。
「後継者が作れないと侯爵家が困るのに……わたくしは」
元をたどれば、やっぱり僕に振られたことが原因じゃないか。
どれほどのショックを君に与えたのだろうね、僕は。
僕はやっと腫れの引いてきた頬を摩った。
クライヴとミラベルに、彼女の体調不良は僕のせいだったのかもしれないと伝えたところ、全部言い終わる前にクライヴから殴られそうになった。
結果的にクライヴには殴られなかった。僕の胸ぐらを掴まえた彼より先に、走ってきたミラベルが僕に回し蹴りを入れたからだ。
そう言えばミラベルは、近くの公園に出没する東の異人ウォンさんから、武道を習い始めたとか言っていたな。なかなかいいキックだった。
さらには倒れた僕に馬乗りになり、マウントポジションから何度も拳を振り下ろしてきた我が妹である。
背後から「さすがにお前の兄が死んでしまうぞ! 白目を剥いてる、落ち着きたまえ!」とクライヴに羽交い締めにされようやくやめてくれたが、その頃には僕の意識は朦朧としていた。
それでミラベルは「クライヴだって同罪よ、この鈍感男っ!」とその怒りの矛先をクライヴに変えたため、結果的に僕の命は助かった。
だが、いくら妹の鉄拳で殴られても仕方なかったと思う。というか、もっと殴ってほしかった。
もちろん、そういう趣味があるわけではない。
もし僕が原因なら、自分で自分が許せない。誰でもいいから、シンシアのように髪が抜けるほど痛めつけてほしかったのだ。
悪いのは、シンシアの気持ちに気づかなかった僕だ。
僕は、目の前で震えているシンシアに改めて言った。
「三年前の婚約は、僕のことを好きでいてくれた君に対して、誠実ではなかった」
「そ、それは仕方ないことですわ! まさかわたくしめのような醜い豚が、ヒューバート様を男性として好きだなんて思いもよら──」
「すとーっぷ! もう勘弁してくれ、その醜い豚って言うの。悪かった。本当に悪かったから」
居たたまれなくて、僕は深々と頭を下げる。
「あの時、僕も子供だった。ナディーン嬢に振られて、君に八つ当たりしたんだ」
……ていうか僕、豚まで言ったか? シンシアはどちらかと言うと、毛を刈る前の羊のイメージだったしな。
もちろん豚は嫌いじゃない。豚肉だっておいしいし、ポテポテしていて可愛いと思う。情が移ると食用として見られなくなるから、あえて可愛いと思わないようにしている。ミニブタを飼うクライヴが正気とは思えなかったが。
それにしても、女性に豚とか羊なんて言うのは失礼過ぎないか? 僕はなんてことを……いや、あれ? 絶対言わないよな?
「醜いのは、ナディーン嬢に振られたことを認められなかった、ナルシストの自分だったんだ」
この期に及んで人のせいにはしたくないが……思えば、僕がナルシストになったのは、このシンシアが原因だったな。
淑女が、レディが──僕の可愛い子羊ちゃんが、勃たないとか口にしたぞ……今のは幻聴か? うん、そうだ、幻聴に決まっている。
「クライヴ兄様がわたくしやミラベルに勃起しないのと同じで、ヒューバート様もミラベルとわたくしには勃起しないのです」
幻聴ではなかった……。まさかシンシアのような曇りなき眼の天使から、勃起などという言葉が飛び出してくるとは……。
僕は脱力し、背もたれに身を預けた。
いや……僕がミラベルに勃起しないのは当たり前じゃないか。妹なんだから。
もちろん、クライヴがシンシアに勃起しても変態罪。僕がこの手で射殺している。
だが概ねその説明で、彼女の言いたいことはよく分かった。
「僕が……全部悪い」
腕を組んでため息をつくと、僕はシンシアを見つめた。
「君がご実家から飛び出した後、ミラベルが僕に話してくれたんだ……」
ミラベルが? と涙で潤んだ萌黄色の瞳を僕に向けて小首を傾げるものだから、僕は彼女を抱きしめたくて仕方なくなった。
どうにか堪えたが……くそ。この子のこういうところ……以前から萌えの塊だったんだよな。
しかしながら今となってはもう、彼女を抱きしめたらダメだ。以前のような気持ちで、接することができない自分に気づいてしまってからは……正直、何をするか分からない。
彼女は今の自分を分かっていない。
「シンシア、三年前に君が学院を辞めたのは、農園の経営を学ぶためなどではなく静養が目的だったらしいね。なんでも……体を壊して激痩せして、禿げたとか」
キャッとシンシアが顔を覆う。
……いちいち仕草がきゃわゆぅう。こういうところはちっとも変っていないのだ。
しかし僕はデレッとならないように、眉間に皺を寄せ、がんばって真剣な表情を保ちながら尋ねた。
「それで頑なに、僕と会ってくれなかったんだね?」
シンシアは肩までの髪を押さえ俯いた。ホクロのある耳たぶが剥き出しになり、僕は思わずそのふっくらしたそれに触れたくなって、手を握りしめた。
「それって……もしかして、僕が婚約破棄を君に強要したせいなのか? 僕がキツい言葉で君を怒ったから……心無い態度に傷ついたせいじゃないのかい?」
シンシアはびっくりしたように顔を上げ、フルフルと首を振った。
「それは違います。傷つく権利などわたくしには……あの……どちらかというと、自分のしたことが恥ずかしくなったからです。だって女嫌いなヒューバート様が結婚しようなんて思える女性は、めったに現れないと知っていたのに!」
じわりと、萌黄色の明るい瞳が潤んだ。
「後継者が作れないと侯爵家が困るのに……わたくしは」
元をたどれば、やっぱり僕に振られたことが原因じゃないか。
どれほどのショックを君に与えたのだろうね、僕は。
僕はやっと腫れの引いてきた頬を摩った。
クライヴとミラベルに、彼女の体調不良は僕のせいだったのかもしれないと伝えたところ、全部言い終わる前にクライヴから殴られそうになった。
結果的にクライヴには殴られなかった。僕の胸ぐらを掴まえた彼より先に、走ってきたミラベルが僕に回し蹴りを入れたからだ。
そう言えばミラベルは、近くの公園に出没する東の異人ウォンさんから、武道を習い始めたとか言っていたな。なかなかいいキックだった。
さらには倒れた僕に馬乗りになり、マウントポジションから何度も拳を振り下ろしてきた我が妹である。
背後から「さすがにお前の兄が死んでしまうぞ! 白目を剥いてる、落ち着きたまえ!」とクライヴに羽交い締めにされようやくやめてくれたが、その頃には僕の意識は朦朧としていた。
それでミラベルは「クライヴだって同罪よ、この鈍感男っ!」とその怒りの矛先をクライヴに変えたため、結果的に僕の命は助かった。
だが、いくら妹の鉄拳で殴られても仕方なかったと思う。というか、もっと殴ってほしかった。
もちろん、そういう趣味があるわけではない。
もし僕が原因なら、自分で自分が許せない。誰でもいいから、シンシアのように髪が抜けるほど痛めつけてほしかったのだ。
悪いのは、シンシアの気持ちに気づかなかった僕だ。
僕は、目の前で震えているシンシアに改めて言った。
「三年前の婚約は、僕のことを好きでいてくれた君に対して、誠実ではなかった」
「そ、それは仕方ないことですわ! まさかわたくしめのような醜い豚が、ヒューバート様を男性として好きだなんて思いもよら──」
「すとーっぷ! もう勘弁してくれ、その醜い豚って言うの。悪かった。本当に悪かったから」
居たたまれなくて、僕は深々と頭を下げる。
「あの時、僕も子供だった。ナディーン嬢に振られて、君に八つ当たりしたんだ」
……ていうか僕、豚まで言ったか? シンシアはどちらかと言うと、毛を刈る前の羊のイメージだったしな。
もちろん豚は嫌いじゃない。豚肉だっておいしいし、ポテポテしていて可愛いと思う。情が移ると食用として見られなくなるから、あえて可愛いと思わないようにしている。ミニブタを飼うクライヴが正気とは思えなかったが。
それにしても、女性に豚とか羊なんて言うのは失礼過ぎないか? 僕はなんてことを……いや、あれ? 絶対言わないよな?
「醜いのは、ナディーン嬢に振られたことを認められなかった、ナルシストの自分だったんだ」
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