没落令嬢は旦那様のメス犬になりたい

世界のボボ誤字王

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第三章

またまた狙われる

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 カイトの利き腕は当然ながら骨折していた。

 そしてクラリスの右腕は脱臼だ。

 ケガに慣れていないクラリスは、その晩高熱を出して寝込み、カイトは自分一人で介抱できないもどかしさに歯噛みした。

「どうかお休みください。お嬢様は私が看ていますから」

 老齢の侍女に言われ、カイトは静かなため息をつく。

 そしてクラリスの枕元から立ちあがった。

 この腕だ。額に乗せる冷たい布を絞ってやることも出来ないなら、居ても邪魔なだけだろう。

「カイト様」

 熱にうかされたような声で、クラリスは呼び止めた。

 ドキッとして妻を見下ろす。

 うっすらと目が開いている。

「なんだよ?」
「こちらの屋敷の主人は、あなたです。宿舎など行かれず、こちらでゆっくり静養してください」
「……ああ」

 静養するのはお前だろ、と頼りない細腕を見つめる。

「それと、先ほどは失礼な口を利き、申し訳ありませんでした」
「どうせ死に損ないですから」

 カイトは思い出してにやりと笑った。

「いえ、くたばりそこないと申し上げ――」
「一緒だろっ」

 カイトは突っ込むと、彼女が休めるように部屋を出た。痛々しくて見てられない。

 階段を途中まで下りたとき、ホールのソファーにやたら背の高い男が座っているのを見つけた。

 リッツ・マルソーはカイトに気づくと、読んでいた日報を執事のリオックに返し、片手をあげる。

「よう、くたばりそこない」

 カイトは階段を降りていくと、その嫌味なくらい整えられた頭に、無言で鉄槌をくらわせた。

「え、なに、いきなり何!?」
「一日に何度も同じこと言われたかねぇんだよ」

 リッツは訳が分からずに頭をさする。

「だって死にかけたんだろ? しかも二回だって? それって明らかに命狙われてるってことだろうが」

 カイトはしっ、と唇に人差し指を当てる。そして階上を指差した。

 リッツはすぐ察すると、すまなそうに頷く。

「ちょいと出ようや」




※ ※ ※ ※ ※



 夕方のシェルツェブルクは人影がまばらだった。乗り合い馬車の中もガラガラだ。

 これから憲兵の姿が増えてくる時間だからだろう。

 闇に紛れて逃げようとする貴族がまだ居るのだ。

 どちらにしろ、港でだいたい捕まるが。

 しかし、都のほぼ真ん中を縦断するように流れるレーヌ側のほとりは相変わらず美しく、二人の軍人はいつの間にかぶらぶらとそこまで歩いてきていた。

 銀細工の店が並ぶ大橋に差し掛かったとき、リッツが胸元から手帳を取り出した。

 点灯夫がガス灯に火を灯し出す時間になったからだ。

 オレンジ色の明かりの下、革の手帳をめくり、書きなぐった文字を探す。

「おまえがクラリス嬢を迎えに行った時の犯人と、同一人物かは分からないぜ」
「何か分かったのかよ?」

 カイトは驚いてリッツを見つめた。昨日の今日で犯人の目星がつくものだろうか。

 リッツは首を振った。

「そうじゃないよ、ただおまえを恨んでもしようがないかなぁ、ってやつが浮上したってだけだ」
「俺を恨んでるやつなんて、掃いて捨てるほどいるだろ」

 うんざりしたように呟く横で、リッツは手帳をチラリと見てから言う。

「肋材に使用したモミ、ナラ、内装のチーク、あと何だこれ、外板の――まぁ、竜骨に使われた木と板金以外のほとんどだな。材木が何処から送られてきたか分かるか?」
「送られてって、けっきょく最初に使われるはずだったのは戻ってこなかったのか?」

 リッツは頷く。

「ああ、そっちはそっちで情報部が調査中。でも北の都市国家からの輸入品だ。ブルゴドルラード辺りが仕組んだんだろ。どちらにしろ、北洋は北の大陸の奴等に封鎖される。今後はサイ国からの木材に頼ることになるだろうな」

 国内は植民地も含め、植林が追い付いていない。リッツは手帳を内ポケットに戻した。

「そっちはお偉方に判断を任せるとして……新しい『東風』はだいぶ完成に近づいていただろ? あれはな、もう削ってある木を別の造船所から運んできたんだ。そこでも艦を増やす予定だったのさ」
「どこだ?」
「南ゲーテ」

 カイトは呻いた。眼帯の無口な男の姿が浮かぶ。

「まさかエルリック・ジュロスが新しい艦に乗る予定だったんじゃないだろうな?」
「そこまでは知らねぇ。自分で何とか聞いてみな。だが……」

 リッツはそこで戦友に向き直った。

「自分の艦隊の艦が取り上げられたようなものだろ?」

 カイトは深々と頷く。

「そりゃー、俺にいい気持ちは抱かないだろうな」
「でもま、それだけだ。動機というにはお粗末だよな……。ただ、狙われてるってのは確かだ。気をつけな」
「ああ、まー自分の身くらいどうにかなるよ」
「だからさ、おまえじゃねーよ。嫁だよ」

 カイトは首をかしげた。

「おまえの嫁ってだけで、立場的に危ないだろ?」

 カイトの顔が青ざめた。

 彼女が狙われたわけではないが、あのお節介な小娘は二度とも危険な目にあっている。

 考えてもみなかったが、今後恨みの矛先がクラリスに行かないと誰が言える?

 カイトの眉間のシワに気づくと、リッツはしたり顔で肩を叩く。

「どうやら、なかなかいい感じらしいな」

 カイトは驚いたように相方を見た。

「は?」
「なんだかんだ言って、お嬢ちゃんといい仲なんだろ? もう十八歳だもんな。そりゃあ、日に日に女っぷりもあがってるだろ」

 いやらしい笑みを浮かべ、肩を組んでくるリッツを睨みつける。

 この男はこの手の話が大好きらしい。

 頭の中で自分とクラリスの睦みあいを想像されてると思うと、反吐が出る。

 思い切り片手でリッツの腕を振り払い、噛み付くように言い返した。

「俺が好きなのは、手ごろで面倒くさくない女だよ。おまえと同じ。女なんてただの肉便器だ」

 リッツはしつこい。

「本当の愛に目覚めちゃったってやつじゃないのぉ? か弱い乙女を守ってやりたいとかさ。そういえば、クラリスちゃん処女でしょ? どうだった、青い果実の味は――ぐっ」

 足を思い切り踏まれてしゃがみこむリッツに、カイトは忌々しげに言った。

「そういうおまえこそ、そろそろ身を固めろよ。お互いもうオッサンなんだから。あの女はどうだ? クレイヴォーンから来たネイロン少佐」

 リッツは首を振った。

「見た目はタイプだが、どうもね」

 実はリッツも不思議だった。

 いつもなら、美人と見れば必ず下半身が疼くはずなのに。

 ここぞとばかりにカイトが反撃する。

「あー、そりゃそろそろ齢なんだろ?」
「マジで!?」

 まだまだ現役だと思っていたが。やりすぎると早く役にたたなくなるものなのだろうか。

 息子よ、もうダメなのか? 真っ白な灰になるのか?

「それか、女に飽きたとか」

 カイトの何気ない一言にリッツの顔が青ざめた。

 カイトはぎょっとして身を引き、我が身を抱き締める。

「おいおい身に覚えあり、ってやつ? おまえ男色に目覚めたんじゃ」
「やめてくれ! そんなんじゃないんだ!」

 やけにうろたえる様子が怪しくて、ますます食い下がるカイト。

「何だよ言えよ」
「いや、それが最近雑用で雇った男の子がやけに可愛くて」
「うわっ、しかもショタ!?」
「大声出すなよ! 違うんだ、ちゃんと女でも勃つんだってば」

 大騒ぎしている二人の間の石橋の手摺が、突然パンッとはじけた。

 二人は同時に横に転がった。

 リッツは素早く銃を抜くと、弁償は経費で頼むぜ、と呟きながら、近くのガス灯を撃って壊す。

 ちらほら歩いていた通行人が、驚いたように伏せた二人を見た。

 そして悲鳴をあげてしゃがみ込む。

 帰宅を急いでいた青果売りの女は、急いで伏せたあまり、籠をひっくり返してしまう。

 売れ残りの果実が橋の上を転がって行く。

「何処から狙ってやがる」
「橋の上の通行人じゃないな。だが、川辺りからだと結構な距離だ。しかもそろそろ暗くなってきてる。今度はなかなか腕がたつやつらしい」

 二人はしばらく伏せていた。第二撃は無い。

 そのうち憲兵が駆けつけてきた。

 すぐに付近を調べにいかせる。

「空薬莢くらい拾えないかな」
「無理だろ、こんな暗さじゃ」

 リッツはもう安心だろうと立ち上がり、軍服の埃を掃う。

 導入されたばかりのガス灯を壊してしまった。えらく高くつくだろう。

 ため息をついて振り返ると、考え込むようにしてまだ座っているカイトのいい方の片腕を取り、立たせてやった。

 カイトは渋い顔をしている。

「別れた方がいいみたいだ」
「え?」
「おまえはいいけど、クラリスは巻き込めない」
「俺はいいのかいっ! って……離婚するってことか?」

 海神教会が廃れ、皇帝が勅令をもってアリビア国教会を新設した辺りから、財産分与のいざこざがあまりない庶民の間で離婚が広がり、今では上流階級でも珍しいことではない。

 リッツにとっては、そもそも結婚自体があまり意味の無いことだが、変なところで律儀なカイトにとっては、なかなかに重い決断ではないのか。

「もともとクラリスにとっては、したくてした結婚じゃないしさ。俺の野心の犠牲になったんだぜ? そんで命まで狙われるようなことになったら――」

(なんだ)

 リッツはにんまり笑う。相手の身を本気で案じるくらい大切に思ってるわけか。

 自分の部下と違い、女はいつもゴミのように扱ってきたカイトにしては珍しい。

 しかし、天邪鬼なカイトのことだ。こんなことを言うと全否定するだろうから黙ってはいたが。

(じゃあ、ちゃんと乗り越えられるだろうな。ヴェルヘルム大佐っていう大きな呪縛から)

 少し羨ましく思った。

 あの女司令官の強烈な印象がなかなか拭えないのは、リッツも同じだったからだ。

 彼女を忘れられるほどの女に出会わなければ、この先の人生なかなかつまらないものになるのは必至だった。

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