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第一章

暴動

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「嘘よ」

 扉を開けた途端、視界に入ったのは二人分の足。

 梁からぶら下がったロープの先には、きちんと身なりを整えた両親の、変わり果てた姿があった。

 クラリス・レンブランは、部屋に立ち込める悪臭に我に返り、蹲って胃の中のものを吐き出す。

 そしてやっと、目の前の出来事が悪夢では無いということに気づいたのだ。

 帝政の転覆とともに襲ったのは、彼らの治める領地の小作人たちによる暴動に継ぐ暴動。


 皇帝とその一族、さらに彼らが目にかけている有力貴族たちは、よくこの地で鹿や狐狩りの大会を催していた。

 父であるホーンベリー侯爵の苦肉の策である。

 政府主導の重商主義政策の煽りを受け、各地で領主たちが綿花栽培や、羊の飼育のために小作人たちを追い出していた。

 外国からの輸入を抑えるためだ。

 レンブラン家は敢えてその奨励策にのっとらず、所領の半分を狩場とした。

 領地の半分を皇族やその取り巻きの宮廷貴族たちに提供して報酬を得ることにより、領民を守ったつもりでいた。

 土地をすべて取り上げるより、よほどいいと思ったのだ。

 しかしある日、ニコロス四世の悪名高い息子たちと取り巻きの若い貴族たちは、雌鹿狩りと言いながら面白半分に領民の女たちを犯してまわったのである。

 ホーンベリー侯爵イアン・レンブランは、領民たちの苦情を退け、その不届き者たちに何も抗議できなかった。

 できるはずが無い。

 相手は皇族で、狩場として提供する見返りは、耕作地を大幅に減らされた小作人たちを養えるだけの、金貨なのだ。

 いま窓の外に見えるのは、屋敷の柵を囲む領民たち。

 皇帝一家処刑の噂が届いた翌日から、毎日のように罵声を浴びせたり、石を投げたりしに領民たちが来ていたが、今日は特に多い。
 
 使用人たちは一人また一人と屋敷から逃げ出し、今朝で一人も居なくなっていた。

 上級使用人以外は領地からの奉公人がほとんどだったから当たり前だが、まさか家令スチュワードたちまで……。

 クラリスは恐怖のあまり、父母の部屋に助けを求めに来たのだ。それが……。

「ひどい、どうして――」

 ふらつきながらテーブルを支えに立ち上がると、そこには遺書らしきものがしたためてあった。

『我々はもう駄目だ。都に戻り、夫であるカイト殿を頼りなさい』

 クラリスは泣きじゃくりながらその紙をくしゃくしゃにした。

 そんなことが出来る状況では無くなっている。

 外のあの者たちがどこかに行っても、逃亡の手助けをしてくれる使用人は誰もいないのだ。

(それに、夫? 夫ですって?)

 確かに、社交界デビューをしたばかりのクラリスが、凛々しい軍服姿の夫に一目ぼれし、結婚にまでこぎつけたのは事実だ。

 彼女が父親に頼んだのだから。

 結婚は家同士で決めるのが常識である。

 上位貴族のレンブラン家にはもっと釣り合った縁談があったのだが、初めて、クラリスは我が儘を通した。

 断食という、我が身を盾にした脅しで。

 それほど、好きになってしまったのだ。

 しかし夫であるカイトは、レンブラン家の相続だけが目当てだった。

 十六歳での結婚は良家の娘にしても早い方だが、惚れた弱みというか、ロマンチストだったというか、はっきり言って若気の至りだったと思う。

 はじめこそ、クラリスを大事に扱ってくれた彼のことを信じていた。

 結婚式の夜も、指一本触れずにこう言ったのだ。

「貴女はまだ若すぎる。愛おしいからこそ、僕は貴女が成長するまで待ちましょう」

 もう骨までとろけそうな甘い言葉に、恋愛小説ばかり読んでいたクラリスはメロメロだった。

 しかし後で分かった赤面するような事実。

 その日彼は、そのまま仲間たちと明け方まで娼館で飲み明かしていたということだ。

 結婚して初めての夜に娼館!

 さらに、とある貴族の園遊会で、彼が仲間に言っているのを聞いてしまった。

「いくらレンブラン家の娘だからって、あんなガリガリのぶっ細工な小娘抱けるかよ。俺は変態じゃねーんだ」


 両親には恥ずかしくて言えなかった。

 ガリガリなのは断食のせいであって……。まあ、不細工は不細工だけども。

 その後も夫は彼女に礼儀正しく接するが、夫婦らしいやり取りは一つも無いまま、今に至るのだ。

 何よりも夫は、帝国守護を担う艦隊のー艦長で、ほとんど都の館タウンハウスに戻らない。

 彼女が実家に入り浸っていようが、気づきもしなかった。

(それどころか丸二年も、会いに来てさえくれていない!!)

 両親は何も分かってない。

 彼が治安警備艦隊に所属しているからと言って、休暇くらいある。

 妻をこれほどほったらかしだなんて、もう完全に後継ぎを作る気もないに違いない。

(私を助けてくれるわけ、ないじゃない)

 悲しみと恐怖と絶望が押し寄せる。

 クラリスは顔を覆って泣きじゃくった。

 夫を含めた軍人たちは皆、帝政の崩壊をいいことに、私たちを追い出そうとしているに違いないのだ。



――ガシャン!――

 硝子の破壊される音が響いた。クラリスはびくっとして顔を上げる。

 階下の扉が開かれる音がした。

「出て来い、ミハイロヴィッチの犬ども!」

 怒声が屋敷中に響き渡る。

(入ってきた!)

 クラリスは声無き悲鳴をあげる。


 ミハイロヴィッチの犬。

 今弾圧されている貴族たちは、皆そう呼ばれている。

 ニコロス四世から気に入られ、直接お目見えできる上位貴族たちには、公金からたっぷり棒給と年金が与えられる。

 皇室の血縁者はもちろん、皇帝の一存で任命された官僚や、領地を失い皇帝に飼い殺しにされていた宮廷貴族がそれだった。

 実はこの政変後、粛清の対象には線引きがされていた。

 レンブラン家のような、領地からの収入がある地主貴族は、課税を条件に存続する。

 引き続き植民地の統制と徴税を任されている資本家の貴族も対象外のはずなのだ。

 ほとんどの貴族は、特権を廃止されても残る。

 しかし、農民たちにはあまり区別がついていない。

 自分たちの領主が皇族と懇意だったこと、村で好き勝手されたこと、そのことしか彼らは覚えていないし、興味も無かった。


 クラリスは階段を上がってくる足音に怯えながら、半狂乱で部屋の中を見渡す。

 隠れるところが無いと分かると、隣の部屋に駆け込んだ。

 死に物狂いで、どっしりした母親の衣装箪笥の中に身体を滑り込ませた。

 震える手で扉を閉めると、暗く狭い空間で息を殺す。

 すぐに、室内に大勢の足音がなだれ込む音が響いた。

「いないのか?」
「よく探せっ」

 両手で口を押さえても、ガチガチ鳴る歯を止めることができない。

 外に聞こえないように祈るしかなかった。

(……怖い)

 見つかったらきっとひどいことをされる。

 たぶん――殺される。

 自分が死ぬ時のことなんて、考えたことも無かった。

 それが、現実感を持って襲ってくる恐怖。

「隠れても無駄だぞ」
「おまえたちがしたことの、報いを受けてもらう」

 別の衣装箪笥の扉が開かれる音がした。クラリスは悲鳴を押し殺して身を縮めた。

「居るんだろ? 出てこいよぉ」

 ニヤニヤ笑いが目に浮かぶようだ。

 クラリスは恐怖の涙を流しながら身体を抱きしめた。

 彼女の隠れている衣装箪笥の扉が揺れた。

(開けられる!)

 ぎゅっと目を瞑ったその時、

「待て、こっちの部屋に――うわっ、くそ犬どもが首くくってるぞ」
「なにぃ!?」

 足音がクラリスの隠れている場所から遠ざかった。

 ほっと息をついたのもつかの間、男たちの声が再び聞こえてくる。

「俺たちが痛めつけてやるつもりだったのに」
「あっさり死にやがって」
「ロープを切れ!」

 ドサッという音がした。

 クラリスは両親の躯が床に投げ出された気配を察知し、身を凍らせた。

「それで鬱憤がはらせるわけじゃないが、仕方ない。切り刻んでやれ」

 クラリスは一瞬我を忘れた。

 気づいた時には隠れ場所から飛び出して、隣の部屋に転がり込んでいた。

「だめ!」

 領民たちは一斉に振り返った。

 クラリスは彼らを押しのけるようにして、両親の遺体にしがみついていた。

「やめて! お願いだからひどいことしないで」
「おっやぁ、そういや確か娘が一人居たね」

 女の声がした。どうやら暴徒には女まで混じっているらしい。

 もしかして、領民全員がおしかけてきているのだろうか。

 突然髪を掴まれて、両親から引き離された。

「ひどいことしてきたのはどっちだい?」
「皇帝に媚売りやがって、おまえらに領地を治める資格はねーんだよ」

 床上に投げ出され、クラリスは強く背中を打ってうめき声をあげた。

「あたしらが何されたか、お前分かってんの? 小娘」

 女の一人がクラリスを見下ろし、足で小突く。そしていきなり彼女のドレスを引き裂いた。

 クラリスは襟ぐりを押さえて叫び声をあげた。四つん這いで逃げ出す。

 しかし別の部屋に逃げたところですぐに追い付かれ、取り押さえられてしまう。

「こんな綺麗な服着てさ、お高く留まってるあんたに、同じ目をみさせてやるよ。やっちまいな」

 男たちが数人寄ってきて、クラリスをひっくり返し大の字に押さえつけた。

(嘘よ)

 クラリスはスカートをまくりあげられるのを、なすすべも無く見つめた。

 感覚が麻痺してきた。

 今にも気を失いそうなのが自分でも分かる。

「抵抗も出来ないのか。つまんねえ女だな」

 男の一人が、ぽっかり目を見開いたままのクラリスを見て、そう吐き捨てた。

「貴族のお嬢様じゃしょうがない。見てみろ、この足。野良仕事なんてしたことのない綺麗な肌だ。殺す前にたっぷり可愛がってやろうぜ」
「可愛がるんじゃなくて、痛めつけてやってよ。あのニコロスの息子やその悪友どもは、あたしたちをなぶり者にしたんだよっ」

 女の一人が喚き散らす。そしてクラリスの顔を跨ぐように立つと、スカートをたくしあげる。

「見な。見るんだよ。あいつらイカレ野郎どもは、あたしのアソコに煙草の火をおしつけやがった。しかも金なんて払わないんだ」

 クラリスは言葉も無く、ただ涙を流すだけだった。

 彼女たちには同情するが、でも自分にはどうしようも出来なかった。たぶん、両親にも。

 皇子たちに逆らうわけにはいかなかったのだ。私を守るために、領民への横暴を黙認するしかなかった。

「ごめんなさいっごめんなさい」

 泣きじゃくるクラリスのドレスを、男の手がさらに引き裂く。

 胸をまさぐられて、クラリスは凍りついた。

 父以外の男に触れられたことも無いのに、今大勢の目の前で乱暴されようとしている。

 これから何をされるかいまいちよく分からないが、恋愛小説で読んだような素敵なことでは無いのは確かだ。

 無理やり、貞操を奪われるのだから。

 辱められる発想までは無かった。

 死ぬより辛いことがあることを、お嬢様育ちのクラリスは、初めて知ったのである。


(こんなことなら――)

 クラリスは徐々に衣服を破かれながら、気絶寸前の頭で思った。

(あの人に……せめてあの人に奉げたかった)

 だけどどうせ殺されるんだから、もう何も関係ないのかも……。

 そう思ったのを最後に意識を手放そうとしたその時だ。

「はい、そこまで」

 クラリスの意識を現に止めたのは、懐かしい声だった。

(え?)

 泣き濡れた顔を声の方へ向けると、そこには軍服を着た、たんぽぽ色の髪の男が立っていた。

 夫のカイト・レンブランだった。

 まぼろし? 白馬には乗ってないけれど、クラリスの理想そのままの夫が、都合よく現れるなんて……。

 彼の後ろから憲兵がなだれ込んでくる。

「こういう格言がある。おまえらのモノは俺のモノ。俺のモノは俺のモノだ。次期領主のカイト・レンブラン様だ。つーわけで、それ。俺のだから返してね」


    
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