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月の加護を失う

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 気づくと、身体中に鎖を巻かれていた。

 生臭くて、揺れる板の上だった。

 ギシギシ軋む音は、セシリアの不安を誘う。

 星空が見下ろしている。大きな月も。

 見下ろされるのは嫌い。まるで、あの女みたいだもの。

 あいつが生きていた? 嘘よ、認めないわ!

 輝く髪の色も、世界を映したような瞳の色も、セシリアが手に入れられなかった物。しかも公爵家グランデだ。そんな女が同じ年頃の従姉であれば、比べられ、嫌な思いをするのは必至。

 しかも、ちょっと綺麗に生まれたぐらいで王太子妃だなんて、ルナ神はとても不公平だとセシリアは思った。



「あの家はおかしいわ」

 と、ある日母カルメンが言った。

 金の無心のため、父エルネストとヴェントゥス家を訪ねた時らしい。

 公爵邸の裏庭で、聞いたこともない言葉をジョセフィーナが発していたと、母は言う。そのあと風が吹き荒れ、まるで、魔術のようだったと……。

「前から思っていたの。公爵家は気味が悪いわ」

 母は父にそう言っていた。

 本当に魔女だったらいいのに。セシリアはそう思った。

 それからジョセフィーナを注意して見るようになった。すると従姉は、母カルメンの言う通り妙な言葉を呟いた。

 まるで呪文のような。

 魔女だわ! セシリアは大喜びで、さっそく王太子に報告したのだ。

 別に魔女じゃなくてもよかった。

 月の加護を受けてきたジョセフィーナを、とにかく貶めたかったのだ。

 彼女の飼っていた犬、猫、カナリヤや亀まで殺したのは、最初は悪戯からだった。ジョセフィーナを悲しませたくて。

 叔父のサミュエルを殺すための毒を試したというよりは──単純にあの女を絶望させたかった。

 家族が死んだらもっと悲しむだろう。そう思った時、そこから子爵家の窮乏を救う小細工を思いついたのだ。

 当主が死ねば、成人前のナタリオの後見人は、体の弱い叔母ではなく、セシリアの父になる。

 ジョセフィーナを不幸に陥れてやりたかった。それなのに、取り乱さず悲しみに耐えるその姿は、よけい周囲からの同情を買い、賞賛され、腹が立って仕方がなかったのだ。

 だから、社交の場で王太子を見かけた時、何としても奪ってやろうと思った。

 ただでさえ恵まれているのに、あんなイケメンの妃が約束されているなんて、ずるい。彼を隣に並べることができたら、ジョセフィーナに勝てる気がしたのである。

 驚いたことに、王太子は簡単に誘惑できた。

 勘違いだったのだ。自分はジョセフィーナより劣っていると、卑屈になってしまっていた。自分の魅力を、分かっていなかった!

 王太子殿下は、私を選んだのよ!

 王太子の愛は、どんなものより価値があった。初めてジョセフィーナに勝ったと──。



「着いたぞ」

 男の声がした。

 鎖を引っ張られ、セシリアは無理やり起こされる。古い騎士の格好をした男が、月を映した水面を見つめていた。

 さざ波が、丸く白い影を歪めている。

 セシリアには、これから何が起こるか分からなかった。

「ちょっと、無礼じゃない!」

 白のサーコートに月の紋章。大兜バレルヘルムはフルフェイスで、男の表情は見えない。

「神託の王太子妃、魔女セシリア」

 無感動な声に、セシリアは震えあがる。

「教皇聖下の神託の通り、レガリア王家を滅ぼそうとした。王太子に刃物を向け、殺そうとした罪は大きい」
「え? なに? なんのこと?」
「……グラディウス王家が断絶の危機に陥ったのだぞ」

 セシリアは喚き散らした。

「知らないわよ! 殿下があの女の帰還を喜んだから、目を覚まさせようとしただけよ! あの女はお高くとまってるだけで、中身はビッチなのよ? 殿下の心をいいように弄んで、惑わせて! だいたいね、ルナ神が不公平だから私は自分で行動するしかなかったんじゃないっ何が全知全能の唯一神よただの役立たずじゃないっそもそも神なんていないのよ!」

 月の騎士はしばらく黙ったまま、喚き散らす女を眺めていた。だがすぐにその罵詈雑言に飽いたのか「月に代わって刑を執行する」と宣言し、彼女を海に突き落とした。
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