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セシリアの嘘
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「妊娠してない?」
離宮の侍医からの報告に、国王ヒルベルトは立ち上がる。
「はい。診断を頑なに断るので、おかしいとは思っておりましたが」
「いや……あり得るとは思っていたよ。やはりか。小娘が馬鹿にしよって!」
ヒルベルトは憤慨するも、王妃ベアトリスがそっと「陛下……」と宥める。それでなんとか彼は激昂を抑え込んだ。
テンネガルテ市から来た侍従と侍医も疲れきったように、あるいはあきれ果てたように、やれやれと首を振る。
「確認が遅れ、申し訳ございませんでした」
悲痛な表情に、ますます怒りのやり場が無くなるヒルベルトだった。
事実、侍医や侍従とて必死にセシリアに食い下がった。妊婦の健診は健やかなるお子を産むための義務でございます、と。
しかし王太子妃セシリアは、
「あなたたち、さてはこのわたくしのアソコを見たいのね!? わたくしが王妃になった暁には市中引き回しの上、凌遅刑だからね!」
と脅してくるので、強引な診察には踏み切れなかったのだ。
「ですが、やっと王太子妃付きの侍女に、月の物の有無を確認させることができました」
その侍女は、絶対に私が報告したって言わないでくださいよ! と大層な怯え様で、その後は辞表を叩きつけ、離宮を去ってしまったという。
王太子妃がよほど怖かったのだろう。
「侍女の証言によりますと、月の物は滞りなく来ていたそうです」
侍医が苦々しい表情で続ける。
「セシリア様本人に問い正しましたところ、元々不順だったようで『早とちりで今さら言い出せなかったの、てへっ』だそうです。それで済まされてしまいました……」
「ぐぬぬぬっ、いくら可愛く言ったところで、懐妊を偽って結婚を迫れば詐欺ではないか!」
ヒルベルト王は再び髪を逆立て激怒した。隣のベアトリスが鼻を啜る音が聞こえた。
王妃ベアトリスは一度の出産で無理がたたり、それ以上の子は望めなかった。ジョセフィーナの処刑の話を聞いてから暗い表情しか見せなかったその妻が、懐妊と聞いた時に少し明るくなったのを、ヒルベルトは見逃さなかったのだ。
あの小娘め! 妃を悲しませよって!
……まあ一番悪いのは、息子なので、彼女の罪を責めるなら中出し王太子の方も……。
「して、パトリシオはなんと?」
「殿下は……大変無気力でございますね。最近は室内に引きこもっておられます。謹慎していると言えば聞こえは良いですが」
「なんとか離婚はできぬのか。パトリシオは操作できるが、あのセシリアというのは……。王妃になってからが怖いぞ」
各グランデから寄贈された、流行の上着の裾を引っ張るヒルベルト。王家の懐具合に同情したのだろう、公爵らの私財により、どうにか体裁を保っている有様だ。
侍従が首を振る。
「神の前で誓ったので『神託』でもない限りは……」
それもどうかと思うが……。ヒルベルト王は思った。
もしある日突然「王妃がこれから悪さをする」という神託が降りたら? ベアトリスと別れろなどと命じられれば、教皇庁に軍を率いて攻め込むかもしれない。
離宮をいつまでも空けさせる訳にはいかないため、侍従と侍医を下がらせると、ヒルベルトはヘナヘナと力を失った。思ったより、自分も孫の誕生を楽しみにしていたようである。
新しくドゥクス公爵家から送られた玉座に身を沈め、手すりを握りしめた。
ベアトリスがその手にそっと自分の手を重ねる。いい雰囲気になり、年甲斐もなくイチャつきそうになったその時、ヴェントゥス家のナタリオが飛び込んできた。
きょろきょろ辺りを見渡し、抱き合ったまま固まっていた国王夫妻以外誰もいないのを確認すると、小声で報告した。
「陛下、姉上が見つかりました」
気まずさも忘れ、ガタッと腰を浮かせる国王夫妻。
「無事なのか!? 今いったいどこで何を!」
ナタリオが嬉しそうに告げる。
「ミハス総督の部下を名乗る者から、内々にドゥクス公の方へ連絡が入りました。カルロスおんじぃが、これから密かに会いにいく予定です」
ベアトリス妃が感涙にむせぶ。しかしナタリオは口を引き結んだ。
「殿下の結婚を踏まえた上で、姉上がそのまま島に残ることを視野に入れてほしいと、あちら側から提案があったそうです」
王妃が両手で口を押さえた。
「現ミハス総督は、カルドナ侯ですわ」
「これは、運命なのか」
ヒルベルトは頂き物の玉座に倒れ込むように座る。ナタリオは首を傾げてから、明るい声で宣言した。
「そのまま身を隠して生活できるように、カルロス爺に伝えてもらってよろしいですね!」
国王夫妻は顔を見合せる。諦めたような空気が漂った。
「ああ……そうか。そうだな。もうあの娘は、王太子妃にはなれんのだ。カルドナ侯がそのまま保護してくれるなら安心だ」
「ええ、またね」
微妙な空気に気づかないナタリオは、ニコニコとご機嫌だ。
「よかった。あんなクズ男に嫁がせられなくて、本当に良かった」
「おい」
さすがに言いすぎではないか……。いや、確かにパトリシオはちょっと甘やかしすぎた。しかしベアトリスの複雑そうな表情は、見ていられない。
「失礼します」
侍従長バニュエロス子爵の固い声がした。
「ウルキオラ司教が急な謁見をお望みです」
国王夫妻とナタリオは身構えた。
司教!?
「ウルキオラ司教の元に、教皇庁からの使者が参られたようで、神託について話し合いたいと」
「今度はなんだと言うのだ!」
ナタリオが咆えた。まさかあちらも姉上が生きていることを突き止め、また処刑命令を出すのではなかろうな!
不安に苛まれる三人は、出立前のカルロス爺と、ドゥクス公、イグニス公を慌てて召喚した。
ウルキオラ司教と対峙するとなると、こちらもそれ相応の面子を揃えねばとヒルベルトは思った。もしこれ以上の無理難題を押し付けるなら、斬って捨てさせる。
カルロス爺に。
離宮の侍医からの報告に、国王ヒルベルトは立ち上がる。
「はい。診断を頑なに断るので、おかしいとは思っておりましたが」
「いや……あり得るとは思っていたよ。やはりか。小娘が馬鹿にしよって!」
ヒルベルトは憤慨するも、王妃ベアトリスがそっと「陛下……」と宥める。それでなんとか彼は激昂を抑え込んだ。
テンネガルテ市から来た侍従と侍医も疲れきったように、あるいはあきれ果てたように、やれやれと首を振る。
「確認が遅れ、申し訳ございませんでした」
悲痛な表情に、ますます怒りのやり場が無くなるヒルベルトだった。
事実、侍医や侍従とて必死にセシリアに食い下がった。妊婦の健診は健やかなるお子を産むための義務でございます、と。
しかし王太子妃セシリアは、
「あなたたち、さてはこのわたくしのアソコを見たいのね!? わたくしが王妃になった暁には市中引き回しの上、凌遅刑だからね!」
と脅してくるので、強引な診察には踏み切れなかったのだ。
「ですが、やっと王太子妃付きの侍女に、月の物の有無を確認させることができました」
その侍女は、絶対に私が報告したって言わないでくださいよ! と大層な怯え様で、その後は辞表を叩きつけ、離宮を去ってしまったという。
王太子妃がよほど怖かったのだろう。
「侍女の証言によりますと、月の物は滞りなく来ていたそうです」
侍医が苦々しい表情で続ける。
「セシリア様本人に問い正しましたところ、元々不順だったようで『早とちりで今さら言い出せなかったの、てへっ』だそうです。それで済まされてしまいました……」
「ぐぬぬぬっ、いくら可愛く言ったところで、懐妊を偽って結婚を迫れば詐欺ではないか!」
ヒルベルト王は再び髪を逆立て激怒した。隣のベアトリスが鼻を啜る音が聞こえた。
王妃ベアトリスは一度の出産で無理がたたり、それ以上の子は望めなかった。ジョセフィーナの処刑の話を聞いてから暗い表情しか見せなかったその妻が、懐妊と聞いた時に少し明るくなったのを、ヒルベルトは見逃さなかったのだ。
あの小娘め! 妃を悲しませよって!
……まあ一番悪いのは、息子なので、彼女の罪を責めるなら中出し王太子の方も……。
「して、パトリシオはなんと?」
「殿下は……大変無気力でございますね。最近は室内に引きこもっておられます。謹慎していると言えば聞こえは良いですが」
「なんとか離婚はできぬのか。パトリシオは操作できるが、あのセシリアというのは……。王妃になってからが怖いぞ」
各グランデから寄贈された、流行の上着の裾を引っ張るヒルベルト。王家の懐具合に同情したのだろう、公爵らの私財により、どうにか体裁を保っている有様だ。
侍従が首を振る。
「神の前で誓ったので『神託』でもない限りは……」
それもどうかと思うが……。ヒルベルト王は思った。
もしある日突然「王妃がこれから悪さをする」という神託が降りたら? ベアトリスと別れろなどと命じられれば、教皇庁に軍を率いて攻め込むかもしれない。
離宮をいつまでも空けさせる訳にはいかないため、侍従と侍医を下がらせると、ヒルベルトはヘナヘナと力を失った。思ったより、自分も孫の誕生を楽しみにしていたようである。
新しくドゥクス公爵家から送られた玉座に身を沈め、手すりを握りしめた。
ベアトリスがその手にそっと自分の手を重ねる。いい雰囲気になり、年甲斐もなくイチャつきそうになったその時、ヴェントゥス家のナタリオが飛び込んできた。
きょろきょろ辺りを見渡し、抱き合ったまま固まっていた国王夫妻以外誰もいないのを確認すると、小声で報告した。
「陛下、姉上が見つかりました」
気まずさも忘れ、ガタッと腰を浮かせる国王夫妻。
「無事なのか!? 今いったいどこで何を!」
ナタリオが嬉しそうに告げる。
「ミハス総督の部下を名乗る者から、内々にドゥクス公の方へ連絡が入りました。カルロスおんじぃが、これから密かに会いにいく予定です」
ベアトリス妃が感涙にむせぶ。しかしナタリオは口を引き結んだ。
「殿下の結婚を踏まえた上で、姉上がそのまま島に残ることを視野に入れてほしいと、あちら側から提案があったそうです」
王妃が両手で口を押さえた。
「現ミハス総督は、カルドナ侯ですわ」
「これは、運命なのか」
ヒルベルトは頂き物の玉座に倒れ込むように座る。ナタリオは首を傾げてから、明るい声で宣言した。
「そのまま身を隠して生活できるように、カルロス爺に伝えてもらってよろしいですね!」
国王夫妻は顔を見合せる。諦めたような空気が漂った。
「ああ……そうか。そうだな。もうあの娘は、王太子妃にはなれんのだ。カルドナ侯がそのまま保護してくれるなら安心だ」
「ええ、またね」
微妙な空気に気づかないナタリオは、ニコニコとご機嫌だ。
「よかった。あんなクズ男に嫁がせられなくて、本当に良かった」
「おい」
さすがに言いすぎではないか……。いや、確かにパトリシオはちょっと甘やかしすぎた。しかしベアトリスの複雑そうな表情は、見ていられない。
「失礼します」
侍従長バニュエロス子爵の固い声がした。
「ウルキオラ司教が急な謁見をお望みです」
国王夫妻とナタリオは身構えた。
司教!?
「ウルキオラ司教の元に、教皇庁からの使者が参られたようで、神託について話し合いたいと」
「今度はなんだと言うのだ!」
ナタリオが咆えた。まさかあちらも姉上が生きていることを突き止め、また処刑命令を出すのではなかろうな!
不安に苛まれる三人は、出立前のカルロス爺と、ドゥクス公、イグニス公を慌てて召喚した。
ウルキオラ司教と対峙するとなると、こちらもそれ相応の面子を揃えねばとヒルベルトは思った。もしこれ以上の無理難題を押し付けるなら、斬って捨てさせる。
カルロス爺に。
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