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別れと始まり編

リンファオの決断

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「おまえの里、壊滅させといたから」


 アーヴァイン・ヘルツについでのように言われ、リンファオはその冗談に、笑うべきか怒るべきか迷った。

 何その、おまえの弁当食っといたから、みたいな軽い言い方。

 しかし彼の顔があまりに平然としているので、リンファオは思考停止し、しばらく固まってしまった。

 やがて、おずおずと聞きなおす。

「え?」

 なんだろう、この男。私がウケると思って言っているのだろうか。

「おまえの里、壊滅させといたから」

 同じことをもう一度告げられ、眉を潜める。冗談はその割れた顎だけにしろ、そう返そうとして遮られる。

「冗談で言ってるわけじゃねーぞ」

 リンファオはしばし絶句した。

「か、壊滅?」
「うむ」
「土蜘蛛が、皆殺しにされたってこと?」
「……ああ、そんな感じ?」

 冗談としか思えない。そんなこと絶対に無理だから。

 アーヴァインは、世間話のように語って聞かせた。

 土蜘蛛の巫女目当ての異能者たち全集団に声をかけ、さらにはアリビア軍と装備まで貸し与えた、と言うではないか。

「うちの情報部は有能でな。お前がニコロスの手先になっておイタをし始めた頃、サイ国にすぐ渡ってもらった。古文書や伝承を金に糸目を付けずに閲覧させ、異能者の裏事情を調べさせたのさ」

 具体的な話を聞き、混乱した頭に、もしかして本当なのだろうか、という考えがよぎる。

「なんで……」
「だって、お前みたいな奴らがウジャウジャ居たら、困るだろ?」

 と、やはり軽い調子で応えられた。リンファオは、間抜けな半笑いでもう一度聞いた。

「え? あの……本当のことなの?」

 乾いた声。嘘と言って欲しいのか、本当であってほしいのか。

 アーヴァインは呑気にタバコをふかしている。

「ああ、壊滅させたのが? だから、本当だって。おまえが帝都の土蜘蛛を殺したから踏み切れた」
「できるわけ……ないじゃん」
「信じるか信じないかは、お嬢ちゃん次第です」
「……」

 ──里がもう無い。

 にわかには信じられない。でも、冗談めかして言った彼の目は笑っていない。これは……。じわじわと驚愕が襲ってくる。本当に? 景色が揺れた。気が遠くなった。

「巫女や、稚児たちまで?」

 蒼白な顔で言った途端、今度は吐き気がこみ上げてきた。

 小さな、可愛い稚児たち。貴重な貴重な土蜘蛛の剣士と巫女の卵。柔らかい、小さい、愛すべきものたち。

 メイルンと子供は?

「いんや、女は報酬なんでね。始末させる気はなかった。好きにしろ、と言ったが……あと子供たちは、軍の研究機関に引き渡してもらう約束だったんだ。……ところがだ」

 アーヴァインはタバコを握りつぶすと、まだ少女のような顔立ちの土蜘蛛の剣士に近づき、その顔を覗き込んだ。

「女子供はもちろん赤子も全員、石になったってさ」

 リンファオが目を見開いた。

「俺にはそんなこと信じられんかったが……。しかし、現場には水軍の信頼できる部下も派遣している。俺はね、幽霊とか怪談話とかには興味ない。でも部下は信用する。だから──本当だと思う。辺りがどんどん石化しだして、即座に兵を谷の外に撤退させたらしいぜ。山崩れまで起こって、命からがら逃げ出したって……で、そんなこと可能なのか?」

 リンファオは固く目をつぶった。こっちだって信じられない。すっかりただの伝承だと……。

(巫女の滅びの歌だ)

 巫女たちにのみ伝えられてきた、絶対に歌ってはいけない歌がある。文字により継承され、集団で歌えば周囲に居るものにまで、影響を与える。……おとぎ話程度に、思っていた。

 皆、石になったのか。

「なるほど……お前の顔を見る限り、可能らしい。なんかもう、すごいな、東の大陸の少数民族ってやつらは。服だけ残して塵になるとかさ。妖怪っつーか、神様っつーか。俺がサイの王なら追放なんてせずに、飼い殺しにするんだが」
「無理だよ。繋ぎ止めておくには、国庫が破綻するほどの年俸を約束しなきゃ」
「金だけじゃないだろ。争乱を求めて身売りするマニア集団め」

 アーヴァイン・ヘルツは軽い調子で言いつつも、少女の涙を指で拭ってやった。

 いつの間にか、リンファオの目からポロポロ、涙がこぼれ出していた。リンファオは慌ててその手を振り払い、背中を向ける。

「稚児たちを引き取って、どうする気だったの? まさか、その飼い殺しってやつ? 洗脳して、私みたいに殺しに使うつもりだった?」

 きつい口調で言ったが、アーヴァインは肩をすくめて何でもなさそうに言い返す。

「心外だな。洗脳を解いてやろうってんだ。鉄の神だか何だか知らんが、宗教なんて洗脳だろ? あと子育ても、一種の洗脳だ」
「子供を育てたこともないくせに」

 リンファオは怒った。あ、でも……。

(それは私も同じだ)

 アーヴァインは、後ろから手を伸ばすと、また涙を拭ってくれた。いつになく優しい。

「仕方ないだろ、子育てするつもりだったのに、あいつに殺されちゃったんだからな」

 アーヴァインの言葉に、ちょっと苦痛が宿った。珍しい。

「大人の剣士は根絶やしにさせた。情は無くても、融通が効かない奴らだ。プロ意識が高すぎて、皇帝を倒した俺たちには与しないだろうからな」

 自分達が使えないならば、あのまま生存されていては困る。

 他のどんな勢力にも、彼らの力を利用されたくない。

 滅びるまでいかなくても、異能者どもと同士討ちし、その数を減らしてくれればありがたい。

「そういや、一人赤子を連れて石化から逃れようとした女がいたらしい。リョスクとか言う巫女だ。お前知り合いか?」

 リンファオは首を振った。

「分からない。他の村とは、あまり交流が無いし、各自、絶対に訪れてはならない村もある」
「何で?」
「血が近すぎる者の、交配を防ぐため」

 アーヴァインは肩をすくめた。近親相姦。犬猫と一緒だな。さすがにそれは口にしなかった。

「その女めがけて、蛟が殺到した。近くに居た土蜘蛛の剣士が、奪われるのを恐れて殺したらしい」

 リンファオは目を瞑った。もう聞きたくない。

「石化したり、塵になったり。剣士はほぼ絶滅したわけだろ? お前たち家族にもう危険は無いと思うが、人数を把握していた訳ではない。不安なら、西の新大陸にツテがある。おまえもそこに移住して家族で暮らせよ」

 リンファオは背中を向けたまま、目をぱちくりさせた。

「え?」
「え? って。俺だって約束くらい守るさ」

 どんだけ鬼だと思ってるんだ、とアーヴァイン・ヘルツがにんまり笑う。

「解放してやると言ってるんだ。ヘンリー・アターソンの後継者であるオタクどもは、まだ国内にうじゃうじゃいるし、おまえの旦那の発明は今後一人歩きしていくだろう。おまえの旦那はもうここには不要だ。っていうか、頭が役たたずだしな」

 いちいち言い方が悪い。

「私は役立たずじゃないよ」

 リンファオは振り返ると、咄嗟に言っていた。

「もしよかったら、護衛として雇わない? あんた嫌なやつだし、いろいろ恨まれてるでしょ? 守ってやるよ。まあ、殺しはごめんだけど」

 驚愕して目を見開くアーヴァイン・ヘルツ。リンファオは少し笑ってみせた。

「私は、彼らと一緒には行けないんだ。手がさ……その……血だらけだから」

 彼らの記憶から、自分は消えている。でも、それでいい。妻であり母である自分が暗殺者だったなどと、彼らは知らないですむのだ。

 思い出されない寂しさなど、自分が我慢すればいいだけ。

 また、ポロッと涙がこぼれた。

 アーヴァインは、短く刈り上げた頭をガリガリとかく。

 あれほどのことをさせておきながら、女の……子供の? 涙には弱いらしい。

「まー、俺のところで働けば、色々忘れられるほどこき使ってやるよ。家族は何処に住まいをやろうか? 里は無いんだからもう安全だと思うが──本土に置いて近くで守らせるか?」
「西の大陸に。ぢ、近ぐにいにゃいほうぎゃいっいぐっ」
「そだな。会いたくなっちゃうものな。じゃあ……そこまで送っていく護衛として、お前を使わすよ。最後の別れをしてこい」

 アーヴァインはそう言って、泣きじゃくる少女の頭を撫でた。

(土蜘蛛が泣かないって、誰が言った?)

 彼は片手でハンカチを探しながら、ため息をついた。ずっと泣かなかったやつが泣くのを見るのは辛い。

 こんな子供に同族殺しをさせるなんて、他に方法は無かったのだろうか。

(俺たちはどうしようもないな)
 
 アーヴァイン・ヘルツは宙を仰いだ。反省はしても、後悔はしない主義なのだが……。

 実は、一人、土蜘蛛の赤子を保護した。リョスクとか言う巫女が抱えていたらしい。

 軍の研究機関で育てて諜報員にでもしようかと思ったが、この少女がついてきてくれるなら、一緒に自分の養子にしてもいいかな。

 珍しく情が湧いてしまう、おじさんであった。
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