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土蜘蛛の里と北の大陸編
里長
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ロウコは、異様な気配を感じて立ち止まった。
直後、轟音が響き渡る。
振り返ると、ロウコのいる方と反対側──里を囲む山の片面が崩れ落ちていく。
突然の山津波は、辺境の町の人々をパニックに陥れた。
(ああ、もうダメだな)
ロウコは滅びゆく故郷を見ても、何の感慨も浮かばない自分に苦笑した。
(思い残すことは、ひとつだけだ)
──里長は逃げた。
これほど走ったのはいつぐらいだろう。その時も、確か番人に追われた時だ。
なぜ、これほどの敵が迫ってきたのかは分からない。敵は明らかに、手を組んで里を襲撃した。
軍隊に、蛟に、鏡獅子。そして麒麟……。麒麟!!
胸が破れそうになり、やっと谷を降り、焦げ臭いトンネルを走って抜ける。
そのまま街に降りるため、そして港に向かうため斜面を降りようとした。
が、前の方に鏡獅子の紫色の服が見え、森の深い方に逸れた。
このまま麓まで走っていくつもりだった。年齢的にキツイが……。
途中、兵士の格好をした者たちが慌てて山を降りていくのを見て、これまた違う方向に転じる。
しかし今彼が逃げているのは、襲撃者どもからではない。
森深くに入りこむと、谷川からの支流を見つけ、転がるように中に入り込んだ。面をむしり取り、顔をつけて水をガブガブ飲む。
その川面に、年老いた男の顔が映った。
額には、馬と鹿が混ざったような不可思議な獣の痣。
「ふん、混血が許されぬか」
彼は、土蜘蛛と麒麟の混血だった。
追ってきた番人を殺し、自分がその男に成り代わって里に戻った。その番人の「気」を吸って身に纏い、番人の面をつけ、そのまま里長にまで成り上がったのである。
里長も番人も面を外せない。この刺青のような獣の模様に気づかれないはず。
額に獣の痣が現れる前から、何となく気づいてはいた。
子供の頃から、土蜘蛛の剣士が着る、黒の装束がたまらなく嫌だった。
文献を漁り麒麟を知ったとき、初めて自分が何者か知ったのだ。
夢中になって、法陣の秘技の書を探し、東の大陸から取り寄せて調べ、練習した。
でなければ、あの里長候補と言われていた追っ手を、返り討ちには出来なかったであろう。
血の法陣の罠に招き入れ、殺した。
元々自分も神剣の候補者だ。土蜘蛛の「気」にも満ち溢れ、剣技にも優れていた。
ところがだ。
「気」が劣っているつもりがなくても──人間ほどではないが──老化が進んでくるのには参った。
暑い日でも、手袋や襟巻きで老いてくる皮膚を見せないようにしていたが、体もガタが来ている。
明らかに体力が落ちている。
こういうところは、やはり混血ならではなのか。
フラフラになりながら川から這い上がり、再び歩き出すと、その足元の地面にペイントを見つけた。
おおっ、と思わず感嘆の声をあげる。
「これが、本物の法陣というやつか」
なんと、精緻で、美しく、力に溢れているのだろう。
これが巫女の気を練り込んだ結界に匹敵するものなのか。
独学で学んだ自分の法陣など、子供の落書きと一緒だった。
今から探せば、同族に会えるかも知れない。
ここを襲うのに参加するということは、やはり巫女目当て。
ならば、混血の存在が許されるということだ。
……いや、滅びかけ、初めて混血を許すことにしたのだろう。
土蜘蛛もそうあるべきであった。
巫女が必ず異能者を産むなどという噂がたつ前に。実際はまったく逆。血が近すぎて、子が生まれなくなっている。
外部の血をもっと早く取り入れていれば。……そうだ、自分は被害者なのだ。
だが今さらだ。自分はもう老いた。番人に成り代わってから長かった。誰にも本当の自分を知られてはいけない。苦しかった。
ならば、混血は許さない。絶対に。自分がこれだけ苦労したのだ。土蜘蛛など、このまま滅びてしまえ。
「おまえの秘術とは、麒麟と同じ、死者を操るだけだった」
後ろから声がした。
ヒッと喉の奥で空気がなった。
里長がゆっくり振り返ると、ロウコがすぐ傍に立っていた。
交戦したのだろうか、あちこち切り傷があり、その片手に遺体を引きずっていた。
遺体は、水彩画を和紙に写したかのような、美しい衣をまとっている──老人だ。その皺だらけの額には、獣の痣。
「麒麟っ!!」
里長が叫んだ。……つもりだったが、恐怖のあまりひゅっという息しか出なかった。
「法陣の中の者の活力を吸い取る。それ以外に、麒麟には戦う力が無かった。だから遺体を操り、己の身を守らせるそうだ」
よく見ると、老人の美しい衣にはあちこち血が付着している。麒麟の能力を秘匿しようとしたのか、相当なぶられたらしい。
老体に番人の拷問はきつかっただろう。もうすぐ自分も同じ目に遭う。里長はガチガチ歯が鳴るのを止められなかった。
法陣の中に出来てしまった不完全な法陣。動き出した遺体は、外の法力の発動とともに、霧散し、塵と消えた。ロウコの目の前で。
「もう一度、会えると思ったのだ俺は」
唸るようなロウコの語尾が、微かに震えた。おそらく怒りで。
皺だらけの里長の顔をじっと見つめる。ゆっくりと自分も面を外した。
「番人として貴様を殺すわけではない。これはただの恨みだ。俺を騙し、いいようにこき使い、期待させ、絶望させた。お前に対する恨みだけで、殺すんだ」
里長は、本当にただの老人のようなしゃがれた悲鳴を上げたが、ロウコの刃は容赦無かった。
里長は、意識を手放す寸前に、麒麟の遺体を目にした。
ずっと自分が憧れていた、素敵な服を着ている。
その同族を羨みながら、黄泉へと旅立って行った。
(つまらぬ者を斬った)
刀を洗った小川に、鮮血が流れていく。
ロウコは、混血の遺体は塵になるのか気になり、しばらく里長の遺体を見つめていたが、やがては飽きた。
(つまらぬ人生だった)
いつまで生きるか分からないが、長い寿命などうっとおしいだけだ。
ロウコはせっかく綺麗にした剣を、自分の首に押し当てた。
──バサッと羽音がした。
ノロノロと顔をあげると、帝都との連絡用の猛禽が、里長のもとに舞い降りるところだった。
「──?」
ほんの興味本意で、足に縛り付けられた筒を取り外す。
日付が少し前だ。
里の気が乱れ、いつもの場所にたどり着けなかったらしい。
里長の気を辿ってきたのか。
差出人は、帝都組の隊長タオイェンからだった。
直後、轟音が響き渡る。
振り返ると、ロウコのいる方と反対側──里を囲む山の片面が崩れ落ちていく。
突然の山津波は、辺境の町の人々をパニックに陥れた。
(ああ、もうダメだな)
ロウコは滅びゆく故郷を見ても、何の感慨も浮かばない自分に苦笑した。
(思い残すことは、ひとつだけだ)
──里長は逃げた。
これほど走ったのはいつぐらいだろう。その時も、確か番人に追われた時だ。
なぜ、これほどの敵が迫ってきたのかは分からない。敵は明らかに、手を組んで里を襲撃した。
軍隊に、蛟に、鏡獅子。そして麒麟……。麒麟!!
胸が破れそうになり、やっと谷を降り、焦げ臭いトンネルを走って抜ける。
そのまま街に降りるため、そして港に向かうため斜面を降りようとした。
が、前の方に鏡獅子の紫色の服が見え、森の深い方に逸れた。
このまま麓まで走っていくつもりだった。年齢的にキツイが……。
途中、兵士の格好をした者たちが慌てて山を降りていくのを見て、これまた違う方向に転じる。
しかし今彼が逃げているのは、襲撃者どもからではない。
森深くに入りこむと、谷川からの支流を見つけ、転がるように中に入り込んだ。面をむしり取り、顔をつけて水をガブガブ飲む。
その川面に、年老いた男の顔が映った。
額には、馬と鹿が混ざったような不可思議な獣の痣。
「ふん、混血が許されぬか」
彼は、土蜘蛛と麒麟の混血だった。
追ってきた番人を殺し、自分がその男に成り代わって里に戻った。その番人の「気」を吸って身に纏い、番人の面をつけ、そのまま里長にまで成り上がったのである。
里長も番人も面を外せない。この刺青のような獣の模様に気づかれないはず。
額に獣の痣が現れる前から、何となく気づいてはいた。
子供の頃から、土蜘蛛の剣士が着る、黒の装束がたまらなく嫌だった。
文献を漁り麒麟を知ったとき、初めて自分が何者か知ったのだ。
夢中になって、法陣の秘技の書を探し、東の大陸から取り寄せて調べ、練習した。
でなければ、あの里長候補と言われていた追っ手を、返り討ちには出来なかったであろう。
血の法陣の罠に招き入れ、殺した。
元々自分も神剣の候補者だ。土蜘蛛の「気」にも満ち溢れ、剣技にも優れていた。
ところがだ。
「気」が劣っているつもりがなくても──人間ほどではないが──老化が進んでくるのには参った。
暑い日でも、手袋や襟巻きで老いてくる皮膚を見せないようにしていたが、体もガタが来ている。
明らかに体力が落ちている。
こういうところは、やはり混血ならではなのか。
フラフラになりながら川から這い上がり、再び歩き出すと、その足元の地面にペイントを見つけた。
おおっ、と思わず感嘆の声をあげる。
「これが、本物の法陣というやつか」
なんと、精緻で、美しく、力に溢れているのだろう。
これが巫女の気を練り込んだ結界に匹敵するものなのか。
独学で学んだ自分の法陣など、子供の落書きと一緒だった。
今から探せば、同族に会えるかも知れない。
ここを襲うのに参加するということは、やはり巫女目当て。
ならば、混血の存在が許されるということだ。
……いや、滅びかけ、初めて混血を許すことにしたのだろう。
土蜘蛛もそうあるべきであった。
巫女が必ず異能者を産むなどという噂がたつ前に。実際はまったく逆。血が近すぎて、子が生まれなくなっている。
外部の血をもっと早く取り入れていれば。……そうだ、自分は被害者なのだ。
だが今さらだ。自分はもう老いた。番人に成り代わってから長かった。誰にも本当の自分を知られてはいけない。苦しかった。
ならば、混血は許さない。絶対に。自分がこれだけ苦労したのだ。土蜘蛛など、このまま滅びてしまえ。
「おまえの秘術とは、麒麟と同じ、死者を操るだけだった」
後ろから声がした。
ヒッと喉の奥で空気がなった。
里長がゆっくり振り返ると、ロウコがすぐ傍に立っていた。
交戦したのだろうか、あちこち切り傷があり、その片手に遺体を引きずっていた。
遺体は、水彩画を和紙に写したかのような、美しい衣をまとっている──老人だ。その皺だらけの額には、獣の痣。
「麒麟っ!!」
里長が叫んだ。……つもりだったが、恐怖のあまりひゅっという息しか出なかった。
「法陣の中の者の活力を吸い取る。それ以外に、麒麟には戦う力が無かった。だから遺体を操り、己の身を守らせるそうだ」
よく見ると、老人の美しい衣にはあちこち血が付着している。麒麟の能力を秘匿しようとしたのか、相当なぶられたらしい。
老体に番人の拷問はきつかっただろう。もうすぐ自分も同じ目に遭う。里長はガチガチ歯が鳴るのを止められなかった。
法陣の中に出来てしまった不完全な法陣。動き出した遺体は、外の法力の発動とともに、霧散し、塵と消えた。ロウコの目の前で。
「もう一度、会えると思ったのだ俺は」
唸るようなロウコの語尾が、微かに震えた。おそらく怒りで。
皺だらけの里長の顔をじっと見つめる。ゆっくりと自分も面を外した。
「番人として貴様を殺すわけではない。これはただの恨みだ。俺を騙し、いいようにこき使い、期待させ、絶望させた。お前に対する恨みだけで、殺すんだ」
里長は、本当にただの老人のようなしゃがれた悲鳴を上げたが、ロウコの刃は容赦無かった。
里長は、意識を手放す寸前に、麒麟の遺体を目にした。
ずっと自分が憧れていた、素敵な服を着ている。
その同族を羨みながら、黄泉へと旅立って行った。
(つまらぬ者を斬った)
刀を洗った小川に、鮮血が流れていく。
ロウコは、混血の遺体は塵になるのか気になり、しばらく里長の遺体を見つめていたが、やがては飽きた。
(つまらぬ人生だった)
いつまで生きるか分からないが、長い寿命などうっとおしいだけだ。
ロウコはせっかく綺麗にした剣を、自分の首に押し当てた。
──バサッと羽音がした。
ノロノロと顔をあげると、帝都との連絡用の猛禽が、里長のもとに舞い降りるところだった。
「──?」
ほんの興味本意で、足に縛り付けられた筒を取り外す。
日付が少し前だ。
里の気が乱れ、いつもの場所にたどり着けなかったらしい。
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