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アリビア帝国編 Ⅱ

幸福な日々と喪失

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 汚していいとは言ったけど、まさか精液を顔面にぶちまけられると思わなかった。

 相手の言い分からしたら、先に顔射──母乳で──したのはリンファオだと言い張るわけだが。

 おかげでしばらく冷戦が続いたが、リンファオの体を知ってしまったヘンリーとエドワードが、いつまでもお預けのまま我慢できるわけもなく……。

 毎日のように朝、昼、晩、三食の後「やらせてくださいお願いします」と土下座を繰り返され、周りの目もあるし、仕方なくリンファオは彼らを許すことにした。



──そして、やっとプロポーズの返事をしたのである。


……そうなのだ。土蜘蛛の分際で、自分はついに結婚なんてしてしまった。

 リンファオは、左薬指のリングを見てドキドキしていた。

 式は何式で行おうか? と二人は相談しあった。

 ヘンリー&エドワードは、海神信仰はもちろん、それを皇帝崇拝にすり替えられたアリビア国教会にも興味が無かったし、リンファオに至っては「鉄の神」に許しをもらわなければならないことになる。

 土蜘蛛の血が薄れることを恐れるなら、鉄の神が許すはずもないのだが、念のため鉄の神っぽい存在である……神剣不死鳥に聞いてみた。

「……」

 無反応。まあ、そうだろう。

 ──剣だし。

 神剣は、リンファオに気功が戻ったことにしか興味が無いようだ。

 仕方なく、今は招き猫くらいの役割しかしていない元「神獣」の青虎に聞いてみると、キャットフードをボリボリやりながら「結婚? 何それ美味しいの?」とのことだ。

 とういうわけで、人前式で結婚式を挙げ、偽名で町役場に届けた。


 二人分の人格を愛するのは多少は疲れるけれど、たいして気にならなかった。

 二人の夫を持っているようで、特した気分だ。何よりも、その二つの人格が近づきつつあるのを感じていた。

 エドワードからは少し険が取れ、ヘンリーからは臆病さが取れた。

 シャオリーは遊んでくれるなら、どちらでも構わないようで、無愛想なエドワードにもなついていた。

 エドワードはモノで釣るタイプだ。


「これだけは話し合っておこう」

 ヘンリーが大真面目な顔で言った。そうするとエドワードと区別がつかない。同じ顔なのだから当たり前だが。

「そうだね、次に顔射したら離婚する」
「いや、そうじゃなくて! ……その、僕たちは子供を作るべきだと思う」

 どきっとした。外部の人間と、子供を作る。

 シャオリーの時と違って、自分からまさに一族の禁忌を犯すということだ。リンファオは怖気づいた。

「君の気力が復活してしまったのは分かるけれど……、ずっと気配を消してなくても、王宮に近づかなければ大丈夫だろう? 現に今までその番人とやらは現れていない。今、君の身はそんなに危険じゃないと思うんだ。シャオリーだって土蜘蛛の「気」を放ってないんだし、僕との子がいたって気づかれないよ」

 ヘンリーは一生懸命説得した。

「蛟も、あれから現れていない。来るのはせいぜい産業スパイみたいなしょぼいやつらだし。僕にはシマがそのまま回収されずにつけられているから、新たな土蜘蛛の護衛なんて派遣されないと思うんだ」

 普段は口下手な癖に、理詰めで言い包めようとするところは、エドワードと一緒だ。

「それは、一度ここを襲った蛟がみんな殺されたからで……またいつ違う刺客が貴方に向けて放たれるか分からない。そうしたら、皇帝は新たな土蜘蛛をここによこすかもしれません」

 不安そうなリンファオを抱き寄せると、口づける。

「その時は気配を消して、君だけ下の町に身を隠せばいい。お忍びで僕が会いに行く。隠業の術ってのがあるんだろ? 君ほど優秀な土蜘蛛はいないんじゃないのか?」
「相手によります」

 隠業術は、スイレン巫女長直伝のものだ。確かに自信はある。

 だけど、ロウコ相手だとどうだろう。

 それに、シショウがここ数年でどれほど成長してしまったか分からない。

 そこまで考えて、シショウに命を狙われるなんて、と心が痛む。

 ずっと会いたかったシショウ。せつない思いは消えないけれど、だけど、それはもう遠い思い出だ。

 今は……。

 ふととなりを見ると、形相が変わっていた。

「てっめぇ、今誰のこと考えてた?」
「エ、エドワード???」

 突然、服の上から乳房を掴まれる。

 それは若さゆえ、授乳期間が終わっても相変わらず張りのある胸だった。

 エドワードはこの前プレゼントしたばかりの、フリッフリのワンピースのボタンを外すと、手を入れて生で揉みしだきだした。

 その間ずっと観察している。リンファオの顔を。

 赤くなって目を閉じると、何も言わずに顔を上向けた。唇が重なる。性欲は、ヘンリーよりエドワードの方が強いらしい。

 だいたい相手から始める時は、エドワードになる。ヘンリーの愛撫より乱暴だけれど、痛みはけして与えない。

「他の男のことは、考える余地なんてないからな。ただでさえ、二人分抱えてるんだから」
「分かってます」

 リンファオは笑いながら横たわった。

 二人は毎日のように愛し合ったが、それでも避妊用の丸薬を飲まないでする勇気はまだ生まれなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※



 施設に戻ってきて、ちょうど二年目に入った頃。

 あまりに平和で、本当にこのまま幸せになるのだと思いかけてきた頃、起こったことだった。

 エドワードが特に力を入れていた、蒸気機関小型化の試験運転場が爆発したのだ。

 ちょうど新妻らしく朝食の支度をしていたリンファオは、何もかも放り出し、絶叫しながら現場に向かった。

 例によって成果を急かされていた夫が、徹夜で篭っていたのを知っているからだ。

 突然走り出したため、母親のスカートに掴まって歩いていたシャオリーが思い切りすっころんだが、かまってはいられない。


「火の回りが早いぞ!」

 可燃性のものが多く集まっていたその建物の屋根は、文字通り吹き飛んでいた。

 リンファオは、火だるまになって飛び出してくる白衣の男たちを見て、ぞっとなる。

 護衛や使用人たちが、布や水を被せて火を消そうとしている。

 必死に探すが、夫の姿は見当たらない。彼らを押し分けるようにして中に飛び込んだ。

「ヘンリー!」

 煙がすごくてどこにいるか分からない。

 外側はレンガでできているが、骨組みと内装は木が使われているところが多く、ところどころが盛大に燃え上がっている。

「エドワード!」

 どっちでもいいから返事をしてっ。咳き込みながら思う。

 生きていれば内気功で治せる。だから、息があるうちに見つけないと。


 その時、煙の切れ間から、重い機材の下敷きになった夫を見つけた。半狂乱になって駆け寄る。

 上半身に乗っかった鉄の塊を一生懸命どける。

 土蜘蛛は馬鹿力があるわけではない。むしろ自分の体重が軽いから、よけい難しいことだった。

 機材を退けるのに手こずりながら、こんな時に自分は役たたずだと思った。

「誰かっ、誰か手伝って!!」

 叫ぶが、燃え盛る室内に残っている人間はいない。

 やっとのことで機材をどけ、夫を引きずって外に出ようとする。

 崩れたレンガや屋根の梁が邪魔で、それすらうまく出来ない。気ばかりが焦る。

 夫はぴくりとも反応しなかった。

 どうしよう。まったく動かない。このままじゃ死んでしまう。いや、もしかしたら死んでいるのかも。リンファオは怖くなった。もし心臓が止まっていたら脳がやられる。科学者にとって一番大事な脳が。

 リンファオは咄嗟に彼に覆いかぶさると、内気功を外気功に転じ一気に注ぎ込んだ。

 その時、頭上で燃え盛る梁が崩れ落ちる。

「気」を癒しに集中していたリンファオには、硬気功をつかって防ぐことが出来なかった。

 背中に受けた衝撃と、熱さ。

 死ぬんだ、そう思ったとき、何かが自分の襟首を掴み引っ張り出した。

 お腹の下に頭を入れ、背中に乗せたのは青虎。

 覚えているのはそこまでだった。

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