孤独な美少女剣士は暴君の刺客となる~私を孕ませようなんて百年早いわ!~

世界のボボ誤字王

文字の大きさ
上 下
72 / 98
アリビア帝国編 Ⅱ

里帰り

しおりを挟む

 都の郊外に出て、人混みや都会特有の臭いから逃れたヘンリーは、ほっとしていた。

 政の中心となっている王宮、その周辺にある各省庁の建物や、金融通り、貴族の邸宅が立ち並ぶ区域などは別にいい。

 塵ひとつ落ちてないほど綺麗だ。

 だがそこから少し離れた繁華街の煩雑さには、どうしても慣れない。

 レーヌ河沿いの市場がたつ日は特に、行くべきではなかった。

 ヘンリーの乗る馬車にたかってきた物乞いたちを思い返す。

 憲兵の一斉清掃にひっかかれば、たちどころに逮捕される。

 職も家も持たない浮浪者だと分かれば、救貧院に送られ、すぐに仕事を見つけなければ強制労働だ。

 ニコロス治世、浮浪法が改正された。

 貧民街は撤去された。

 捕まった浮浪者たちは問答無用で鉱山や工業地帯に送られ、安い賃金で酷使されることになる。

 ここ数年で、囚人対策はもっと過酷になった。税金を極力使わない、という方針がとられているのだ。

 ──おそろしいことに、盗みなどで捕まった者たちも重犯罪者と同じく牢に入れられ、簡易裁判で処分されてしまうのだ。その家族もろとも。もう、常軌を逸している。めちゃくちゃだ。

 浮浪者たちはその危険を承知で、都市部に渡り、施しを求めてくる。


 特区へ続く、静かな田舎の一本道。この辺りは舗装が甘く、ガタガタと揺れが激しい。

 目を閉じるとまた、やせ細った体にボロをまとった子供たちが浮かぶ。車輪に砕かれそうになりながらも、通り抜ける馬車に群がる様に心を痛めた。

 ウィリアム・アターソンが避妊や堕胎の薬品を作り出してからは、かなりの孤児が減った。それでも、飢えた市民はまだこれほどいる。

 植民地をまねて、羊毛や綿花などの原料を自分の領地で自給しようとする貴族。

 新農法による、少人数で効率良く回せる大規模農地経営。

 それらに巻き込まれ、土地と仕事を無くし、流れてきた自営農民の子が多いと聞く。

 目を背けてはいけない事実に、憂鬱になる。

 新農法は、ウィリアムの弟である叔父が提唱したのである。

 それでも食糧生産は爆発的に増えた。功績だと思う。

(なら僕も、もっとなんとかしなきゃ)

 自分は何も成していない。一族の祖先や親族の作ってきたものより、価値あるものなど産み出していない。

 公衆衛生学と都市工学の権威と言われたウィリアムの従兄弟が、いち早く上下水道を整えたおかげで、ニコロス下は水の汚染によるチフスも、コレラの流行も無くなった。

 死亡率と貧困率を下げることのみに、自分の能力を活かしたかった。

 今の自分はどうだろう。世のため人のためならず、国のためにすらなっていないことをやらされてる気がする。

 ニコロスにしか価値の無いようなものを、作らされている気がするのだ。

 あの皇帝は、どこに向かっているのか。彼の進む先は、破滅しか見えない。国民を道連れに、破滅したいのか。

 法を整える議会の連中も、なぜ黙っているのだろう。所詮は自分が可愛いのか。貧民救済の制度など二の次。嫌気がさしてくる。

(ふんっ、だから特区から出たくないんだ)

 外の世界に触れて、悶々と悩みたくない。

 すぐに、それが引きこもりの発想だと気づき、自嘲する。

 いっそ、この国から出ていって、未開の国を一から変えていき、そこで生活してみたい、と思ってしまう。昔からある、自由への憧れだ。

 物心ついた頃から、権力はヘンリーをがんじがらめにし、苦しめていた。




 馬車は街道を外れ、研究特区に指定された区域に入る。

 施設のある鬱蒼とした森の中に差し掛かった時、突然、ポケットの中の獣が興奮して動き回り始めた。

「え、ちょっとどうした、シマ?」

 ヘンリーは次の瞬間、つんのめりそうになった。先駆けの馬に乗っていた護衛が、手綱を引いたのだ。

 ヘンリーの乗った馬車も、急に停まった。

 馬の興奮した鼻息と、なだめる御者の声。

(強盗か?)

 強盗ならいい。あげるお金があるから、命は助けてくれるかも。乱暴しようとしたら、シマもいるし、試作品の銃がある。

 だけど、顔に入れ墨があるやつらだったらかなりまずい。

 わあ、どうしよう。冷や汗が頬を伝う。

 いや、ロウコが言っていたじゃないか。アターソンの施設を狙ってきていたやつらは、皆殺しにしたと。

「ヘンリー坊ちゃん、女の子が道を塞ぐように立っていると、護衛の者が言っています」

 ヘンリーは怪訝な顔で首をかしげ、窓を開けた。

 小柄な人影が、何も危害は与えない、というように両手をあげて近づいてくる。

 ヘンリーはずり落ちてきた眼鏡を押し上げると、その目を細めた。

 その彼の眼が、だんだん見開かれていく。

 顔はよく見えない。でもあの背格好は──。

 彼は、バンッ、と馬車のドアを開けて飛び降りる。その顔は半泣きだ。

 ヘンリーは信じていたのだ。ずっと待っていた。

「リン──!」

 リンファオ! そう名前を叫ぼうとして、少女が慌てて唇に人差し指を当てたことに気づいた。

 そこでやっと彼も少女の異様さに気づいた。

 仮面をつけていない。

 その代わり、顔の半分を白い包帯で巻いて隠している。もう半分は泥でも塗ったくったように汚れている。

 護衛官が、物乞いと勘違いして剣で追い払おうとしている。

「待って! 僕の知り合いだ。特区の──近くの村の娘だ」

 言いながら護衛に下がるように促し、懐かしい少女に駆け寄る。

 リンファオはだいぶ疲れているかのようだった。

 突然手に持っていた風呂敷づつみを地面に落とすと、背中を見せた。

 すやすや眠っている赤ん坊だ。おんぶされているそれを見て、ヘンリーは仰天した。

「ごめん、ヘンリー」

 リンファオは、おずおずと言った。

「行くあてがなくて……少しの間、身を潜ませたいんだ」

 青虎の喜びようは見ものだった。

 大きくなったり、小さくなったり──あげく雄だったようで、小柄なリンファオに抱きついて腰を振り出す始末。

「ごめんね。置いていって。私の代わりに、ずっとヘンリーを守っていてくれたんだね」

 リンファオは、土蜘蛛の神獣をよく労ってやった。



※ ※ ※ ※ ※ ※



「まさか、そんなことがあったなんて」

 ヘンリーは研究所につくが否や、リンファオに食事を与え、年配の召使いに頼んで赤子の寝床やら、母乳が足りないときのためにミルクやらを用意させた。

 自分では、赤ん坊が何を必要としているかわからない。

 落ち着くとやっと今までの話を聞き、起こったことを我がことのように悲しんだ。

 攫われたのは、もう一人の人格の自分がパシリに使ったせいだ。

 リンファオが、恐ろしい敵にとらわれて、まさか孕まされていたなんて。

 つまりその…つまり…強姦…。

 ヘンリーは崩れ落ちそうになった。

「悲観することじゃない。私にとって、この子は授かり物だもの」

 リンファオは、まだ首も据わってないシャオリーを抱きしめて、そう言った。

 確かに愛らしい赤ん坊だった。

 生まれたては、中年のオッサンのような顔が普通なのに、既にリンファオに似て整った美形だ。

 そう言えば、とリンファオに目をやる。

 面をしていたら逆に土蜘蛛であることがバレてしまうから、今は素顔を晒しているリンファオ。

 どことなく、そこに違和感があった。

「君は相変わらず、怖いくらい綺麗だね。女らしくなったし……」

 リンファオの頬に朱がのぼる。

 突然何を言う。

 自分が今、顔を軽く拭いただけのボロボロの姿だって知ってるし……。

「どど、どうしたの急に」

 ところが、照れているリンファオをよそに、ヘンリーはじっとその顔を観察してくる。

 口説くつもりで褒めたわけではなかったようで、難しい顔で考え込んでいる。

「だけど妙だ。前より美しくない」
「へ?」

 失礼なものの言いようだ。

 むっとしているリンファオに気づかず続ける。

「なんていうか、人外の神々しさが無い」
「神々しさ?」
「エドワードの記憶から、君の顔を初めて見たとき、正直少し怖かったんだ。魔物みたいで。あ、ごめんね。女性に対して失礼だったね」

 リンファオはちょっと考えた。

 そういえば、ラムリム市の市民たちにも、そんなに気味悪がられなかった。人並みの容姿になったのだろうか。

「ひ、人並みじゃないよ、とんでもなく綺麗だよ!! い、色気も出てきたし」

 そこで初めてヘンリーの顔が赤くなる。

 観察結果を述べるのは平気だが、女性を褒めるのには慣れていない。

「色気?」

 リンファオは思わず笑った。

 授乳中のせいで、元から成長していた胸は、今やスーパーカップだ。男の人が巨乳に弱いというのは本当なのだろう。

 ヘンリーの赤い顔を見ていると、男は単純だと思ってしまう。

「きっと所帯じみてきたんだわ。だから薄気味悪くないのよ」

 リンファオは微笑んだ。

「あ、そうだ」

 ヘンリーが、ポンと拳で片手の平を叩いた。

「何ていうか、オーラが無い」
「お、オーラ?」

 科学者であるヘンリーが妙なことを言う。目に見えないものは、信じなさそうな人なのに。

「空気が違うんだ。所帯じみたとかじゃなくてさ」

 リンファオには、理由が分かった気がした。

 やはり、蛟の封印のせいだ。

 今のリンファオには、気功術が使えない。

 だから、同族とニアミスしたとき、彼らに気づかれなかったのだ。

 それに自分にも、同族の気配が分からなかった。

 気力の満ちていないリンファオは、人間と同じオーラしかまとっていない。

 ラムリム市でそれほど気味悪がられなかったのは、オーラのせいだろうか。

 ヘンリーが感じたのは、それなのだろうか。

(そういえば、あの男はなんて言っていた?)

 蛟のケンの言葉を思い出す。

『リラックスした心の隙を突かないと、この「目」の幻影は通じない。捕まっているおまえに幻影術は効かない。そして全てを委ねるほど愛した相手でないと、俺の封印はとけない。残念だったな。土蜘蛛の気功なら、内部から術を解くことが出来たかもしれないのに』

 あの屈辱の日々を思い出すのは嫌だが、あの言葉に真実が隠されていた。

「そうか……」

 リンファオはシショウの幻を見せられ、彼に心と体を開いた。

 そして術を施された。

 この術を解くことが出来るのは、全てを委ねるほど愛している相手。

 つまり、シショウだけなんだ。

「リンファオ?」

 突然泣き出した少女に、ヘンリーはうろたえた。

「おい、どうしたんだ化け物、土蜘蛛は涙なんて出ないはずだろ?」

 ぎょっとして顔を上げる。

 意地悪そうにつり上がった口元。

 でもその目には、焦りの色がある。

「エドワード?」

 リンファオの泣き顔に、動揺してヘンリーが引っ込み、なぜかこいつが出てきたらしい。

 こっちの方も動揺しているみたいだけど。

「ひひ、ひ、久しぶりだな。ガキがガキなんてこさえて、ガキ、ガキガキ。しかもすっかりくたびれちまって。うわ~っ、もう女の子じゃねーな、うん、オバさんだ。いや、見た目は成長してないから、孤児のオバさんだね」

 エドワードは、乞食のような格好のリンファオを見て、鼻の頭にシワを寄せる。

 そしてようやく、どもらずに言った。

「そのきったねーチビと一緒に、俺の泡ぶく風呂にとっとと入ってこい。見てるだけで吐きそうだ」

 懐かしいな、リンファオは毒舌──というより、もうディスっているだけとしか思えない──を聞きながらうっすら笑った。

 シショウにはもう会えない。でも、それでいいのかもしれない。

 土蜘蛛のが戻れば、あいつらに──番人に存在を気づかれてしまうかもしれないから。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

見えるものしか見ないから

mios
恋愛
公爵家で行われた茶会で、一人のご令嬢が倒れた。彼女は、主催者の公爵家の一人娘から婚約者を奪った令嬢として有名だった。一つわかっていることは、彼女の死因。 第二王子ミカエルは、彼女の無念を晴そうとするが……

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

無表情いとこの隠れた欲望

春密まつり
恋愛
大学生で21歳の梓は、6歳年上のいとこの雪哉と一緒に暮らすことになった。 小さい頃よく遊んでくれたお兄さんは社会人になりかっこよく成長していて戸惑いがち。 緊張しながらも仲良く暮らせそうだと思った矢先、転んだ拍子にキスをしてしまう。 それから雪哉の態度が変わり――。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...