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ラムリム市編
再会
しおりを挟む荒野の騎馬民族などではなかった。
砦から一望できる一帯に、軍隊が駐留していた。
陸側の砲台の連中も炸薬弾の洗礼を受け、為すすべもなく呆然としていた。
高台からの砲撃の方が有利なはず。
それに、この自然の砦を形成する岩石は、裏側の石灰棚と質が異なる。火山性の残留物が混じってダイヤより硬いと言われているのだ。
だが、従来の常識を覆すほど高い場所から降ってくる砲弾は、砦を容易く超えてくる。しかも妙な形の弾は、落ちると同時に爆発した。
これほど帝国の砲の有効射程距離は長いのか、砦員はぞっとした。ましてや、爆発する弾なんて聞いたことも無い。
戦意喪失するレベルだった。
リンファオは城砦司令官を探しに行ったが、既に砲撃で吹っ飛ばされた後だった。
自然の城壁の隙間を埋めるように僧兵たちが待機している。
そこにムソウを見つけ、リンファオは身軽に岩壁を登っていった。
「海からも帝国軍がっ!!」
「しっ、分かっている」
ムソウはじっと城壁の外を見おろしている。
砲弾は数発で止み、すぐに伝令の旗が上がったのだ。
向こうから馬に乗った兵士が一人、城門の方に近づいてきた。
伝令旗は自ら手に持っている。
視力のいい土蜘蛛の目が、彼をじっと見つめた。
ずいぶん立派な軍服だ。将校だろうか。
でも、あの巨漢に髭面。どこかで見たことがあるような……。
「あっ!」
リンファオは、その顔に見覚えがあった。帝都で会っている。
「私が話しに行ってはいけませんか?」
ぎょっとしてムソウが振り返った。しかし少し考えてから頷く。
「今市長が行くところだ。腕に覚えがあるのだったな。護衛として、ついて行ってもらえるなら助かる」
リンファオは急いで城門に降りていくと、僧兵の一人と代わってもらった。
長い髪を外套のフードにたくしこみ、槍を借りて僧侶のふりをする。
軍馬に跨った男は、部下もつけずにどんどん城砦に近づいて来た。豪胆だ。
市長を守るように前を歩いていた僧兵が、その凛とした姿にごくりと唾を飲んだ。
「止まれっ」
命令すると、軍馬が歩みを止めた。
馬上の男はゆっくりと地に降り、軍帽を脱いで優雅に敬礼し、さらに頭を下げる。
「ラムリム市市長とお見受けする。私は帝国軍大尉アルフォンソ・ヴァンダーノと申します」
若いながらも、既に立派な髭を蓄えたその顔は、威風堂々としている。若者にありがちな軽率な印象を抱かせない。
市長は、凍りついたように黙っている。
軍人はまったく気にした様子もなく、綺麗に巻いて持参した公文書を胸元から出した。広げて市長に突きつける。
「アリビア皇帝からの勅令書及び、帝国議会の承諾書です。すでに先月、ラムリム市の無血開城を要請する書簡が届いているはず」
リンファオはそれを聞いて戸惑う。そんなことになっていたなんて……。
市長の強張った背中を黙って見つめた。
「返答がない場合は、実力行使に出る旨もしたためられていたはず。期日はとうの昔に過ぎております。『即刻降伏し、開門しなければ、これより我々の全軍を以て、この砦を攻撃いたす』以上が、皇帝陛下からの最後の通告です」
アルフォンソはきびきび伝えると、また敬礼して馬に飛び乗った。
リンファオは慌てて呼び止めた。
「大尉、砦の総攻撃をした後、ラムリム市の民はどうなる?」
子供のような高い声に驚いて、アルフォンソ・ヴァンダーノが振り返った。
フードを深く被った貧弱そうな小僧に、首をかしげる。年端のいかない小坊主を護衛につけるとは……。
「むろん、投降しなければ死ぬことになる」
きっぱりと言われ、リンファオは唇を噛んだ。
アルフォンソは、子供に向かって優しく微笑んだ。
「降伏すれば何もさせない。君らのような子供は、なるべく安全な場所に隠れていなさい。俺の指揮の下では、子供に手出しはさせないから」
それから、震えている市長を冷たい目で射竦めた。
「我々とて、ラムリム市を火の海にしたいわけではない。そっくりそのまま、この美しく堅固で歴史ある城塞都市を手に入れたかったのだ。それが出来れば皇帝陛下の温情の元、市民の安全も確約されたであろう。だが……」
アルフォンソは歯ぎしりした。独り言のように小さい声で呟く。
「──ならず者を利用した、中からの城門開放は、失敗に終わった。あいつら欲に目がくらんで勝手に時期を早めやがって。もはや、あの野郎──じゃねえ、あの方を止められぬ」
あの海賊は、こいつらの回し者だったのか!
「あの方って──」
「皇子の一人がついてきた。ラムリム市陥落の総司令官を任された皇帝の長男さ。事実上、あの小僧が本隊の指揮官だ。あいつは掠奪好きの虐殺好き。決断を間違えると大変なことになるぞ」
あの小僧──。
皇族の、しかも上官にあたるはずなのに、相当嫌っているようだ。
この軍人の本意ではない侵攻になるかもしれない、そういうことなのだろう。リンファオは、そこに希望を見出した。
「こ、降伏したとして、天教の信仰はどうなる?」
初めて、市長が口を開いた。
「ラムリム市のほぼ全市民が、天教徒だ。教祖はもちろんのこと、市民が降伏を決断するとは思えない」
市長の言うことは尤もだ、とリンファオはテレーザの信仰心を思い出す。
「それを説得するのが、市長の務めだ」
きっぱりとアルフォンソ・ヴァンダーノは言い切った。
「確かにこの自然の要塞は、そう簡単には落ちないかもしれない。自給自足ができているなら籠城も可能だろう。狭いながらも、塩田や牧草地があるようだし」
このクマ男、中の様子を知っているようだ。
「だが、一生この砦から出ないわけには行かないはずだ。我々は本土全てを制圧した。エルンストの領地に兵站を起き、腰を据えることになるだろう。生涯を帝国軍に包囲されてすごすおつもりですか?」
市長は食料の自給率を考えた。海も封鎖されれば、砦内だけで賄えない時が来るのは明白だった。森林は無い。つまり木炭──鉄だって手に入らなくなる。それに、あの大砲。
「教祖と話をさせてくれ。それまで攻撃をやめてほしい」
ついに市長は折れた。
しかしその顔は蒼白で、この場しのぎの言葉にしか過ぎないことを、自覚しているようだった。
「皇族が居ると伺いましたが」
軍人が今度こそ背を向けて陣地に戻ろうとした時、リンファオは追いかけて、彼にしか聞こえない小さな声をかけた。
背後で市長や他の護衛が目を見開いているが、気にしてはいられない。
「なんだ? さっきからお前は?」
怪訝そうに振り返るアルフォンソに、思い切って聞いてみる。
「土蜘蛛は、護衛についてますか?」
軍人の目が鋭さを増す。土蜘蛛の存在を知る者は少ない。
軍関係者ですら、皇帝を守る影の護衛集団を、未だにただの伝説と見なしている者が多いのだ。
「小僧、なぜ貴様が土蜘蛛を知っている?」
アルフォンソが腰のサーベルに手を伸ばす。この巨体で馬上から刃物を振り下ろされたら、リンファオの細い身体など真っ二つだろう。
だがリンファオは、恐れげもなくフードを取った。
「教官を忘れたか、馬鹿者め」
現れた美しい顔に呆然となるアルフォンソ。
しかし、
「え? 誰?」
リンファオは、あ、しまった、と思った。そういやあの時は、面をしていたっけ。
「ほ、ほら、昔、健康体操おしえてやっただろ? 短い期間だが、おまえたちの体術の師を務めた土蜘蛛の子供だよ」
アルフォンソは驚愕のあまり、あんぐりと口をあけた。
「え、かわゆっ!! こんな可愛かったの!?」
※ ※ ※ ※ ※
立ち込めた煙を払うように、腕を何度かふる。
攻撃の止まった艦を見つめ、ゲルクはほっと息を付いた。
仲間たちが次々に駆けつけてくれたが、砦の弱い部分は破壊され、砲台もその係りの人間ごと、何門か吹っ飛ばされてしまっている。
「あの逃がした海賊どもが、入江の切れ目を教えたのかもしれないな。船の奴らも逃すべきじゃなかった」
誰かがそう言ったが、他の誰かが首を振る。
「帝国艦隊が本気を出せば、最初から勝ち目はなかったんだ」
遅かれ早かれこうなった。いつかは。
ゲルクもそれは分かっていた。
強大なアリビア帝国軍が潰そうと思えば、この堅固な城塞都市も簡単に堕ちる。
「おい、ゲルク。鳩が飛んできたぞ」
ドージェが苛々と煙草を吸いながら、顎をしゃくる。
砦のまだ無事な柵に、いつの間にか黒鳩が居る。
「城塞司令官からだろ、寺で字は教えてもらってんだから、おまえ読め」
ゲルクは煤だらけの顔を袖でぬぐうと、言われた通りに目を通した。すぐにその顔がこわばってくる。
「市長が降伏を勧めてる」
「あんだって!? ゲルクてえっめぇ冗談はやめろっ」
ドージェがゲルクの胸ぐらをつかみあげた。しかしその真顔を見て、慌てて書簡を奪った。何度も目を通し、煙草をプッと吐き捨てる。
「マジかよ」
「帝国軍が、本気で潰しに来たってことを悟ったんだろ」
「教祖はなんて言ってるんだ?」
別の仲間が口を挟んだとき、また黒鳩が届いた。封蝋に押された紋を見て、ドージェが暗い顔をする。嫌な予感。
「今度は寺院からだ」
無言で封を破き、目を通したとたん放り投げる。
「ついに来たぜ、内部分裂」
寺院からのそれは、降伏するくらいなら玉砕をと、きっぱり全市民向けに通達されている。
天教徒の誇りを見せろとのことだ。
「相変わらずファンキーな糞坊主だぜ」
ドージェは読み上げてから、宙を仰いだ。ざわっ、とその場が色めき立つ。
「冗談じゃねーぜ、どっちの言うことを聞けばいいんだ」
その時、その場のむさい男たちとはかけ離れた、可愛らしい声がした。
「そんなことは自分で考えろ」
皆、首をかしげる。むさい男たちに混ざり、つくねんと立っている少女を見つけた。
「いつの間に──リンファオ、おまえまた来たのか?」
ゲルクが怒鳴った。
「危ないからここには──」
「攻撃は一時間中止だ。その間に、どうするか考えろとのことだ。帝国軍は市の明け渡しを希望している」
リンファオは、赤ん坊も連れていた。
「悪いが、私はどちらにしろ、この街を去らないといけない」
スリングに入れた赤子を抱き締めながら、そう宣言するリンファオ。
ゲルクは呆気にとられて聞き返した。
「どういうことだ?」
「侵略されるにしろ、解放するにしろ、私は殺される」
「は!?」
唐突な言葉は、しかし怯えを含んでいた。
「皇族が来ているんだ。私の仲間が、そいつについてるんだと思う。わずかだけど感じるの……存在を。私はずっと同族から逃げてきた。見つかれば、私とこの子は殺される」
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