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ラムリム市編
砲撃
しおりを挟む海賊がラムリム市に現れた事件は、災いの前触れに過ぎなかった。
まず異変に気づいたのは、陸側の砦の外に商売に行ったマンシュン家の長男だった。
月に一度荒野を越えてくる隊商が、全く見当たらない。
今日は市が立つ日のはずなのに、人っ子一人いない。
マンシュン家の扱う物は全てラムリム市内からかき集めた自慢の特産で、オリーブオイル漬けの鰯や、黒ブドウ酒、そしてオリーブ油をたくさん積んだ荷馬車を、城門のすぐ内側まで率いてきていた。
いくら肥えた土を敷き詰めてあるとはいえ、市壁内の土地は狭い。ほとんどの生産物は自給自足に回され、交易品にまでは繋がらない。
それをマンシュン家は、海産物や質のいい黒ワインなどをかき集め、遊牧民たちに売りさばいていた。
代わりに山羊や羊の肉、北方の干鱈、そして新鮮なミルクを買い取り、市内に流通させている。
かつては遊牧民の土地だった荒野は、牧草地を含め、今は帝国のエルンスト領となっている。
しかしエルンスト領主は荒野に興味が無く、遊牧民どころか自領の者たちが、ラムリム市と商売することを黙認していた。
なんであろうと、取引の相手が来てくれないんじゃ、どうしようもない。
「どうなってんだ、いったい」
オビ・マンシュンは毒づきながら市壁の中に戻ってくる。市が立たなければ商いにならない。
それはラムリム市民の寝込みを襲った。
明け方のまだ暗い時間だ。つんざくような音とともに市壁の一部がふっとんだ。
「敵襲だ!」
砦を守っていた自警団や僧兵たちが飛び起き、警鐘を鳴り響かせる。
敵は陸側を狙ってやってきたのだ。
「海賊の復讐じゃあないらしい」
ゲルクは緊張した面持ちで、リンファオに言う。
「外で生活している、天幕で移動してる人たち? 帝国に取られた荒野に変わって、ここを奪いに来たのかしら」
「一昔前は、荒野の遊牧の民が狙ってきたけれど、今はお互い大事な交易の相手だ。それは無いよ」
自信なさげに言う。交易相手の商船に騙されたばかりだからだ。
荒野の連中が武装してやってきても不思議じゃない。半定住の遊牧民は、エルンストの領主に住むところを指定されているという。もちろん、住みにくい地だろう。
「でもあいつらは、大砲で陸側の岩壁が砕けないことを知ってるはず──それにまず、帝国の監視の元で大砲なんて、手に入れられないぞ」
突如騒がしくなった街の様子に、赤子がむずがる。
リンファオが、目を見開いて赤子を見つめた。
「リンガが起きちまったな」
ゲルクが舌打ちした。
「その名前で呼ぶな」
リンファオは腹を立てた。もっといい名前をつけるまで、とりあえずは赤子とでも呼んでおくしかない。
「市壁はともかく、あの自然の砦──岩壁は鉄の玉ぶつけられたってびくともしない。とりあえずは安心して大丈夫だよ」
ゲルクがそれだけ言った時、もっと近くで破壊音がした。
「ばかな、ここまで届くはずは──」
ゲルクとリンファオは外に飛び出していた。港側の城壁の鐘がガンガン打ち鳴らされる。
「敵襲だっ! 帝国の艦隊が来たぞ!」
火が付いたように赤子が泣き出した。禍は、海からも来た。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ゲルクは息を切らせて砲台に登った。
そして目の前の海に広がる大艦隊を目の当たりにし、息を呑んだ。
今まで──治安警備を兼ねた、名ばかりの封鎖艦隊──の規模じゃない。
「陸側の襲撃に気を取られていて、敵影が見えた時にはもうあんな近くに……」
やはり砲塔に登ってきたトゥクチュが咳き込みながらそういい、これまた走ってきたトゥルナンとともに、自分たちの砲の用意をしようとした。
その身体が吹っ飛ぶ。
「砲撃だ!」
飛び込んできたドージェが、青い顔で叫んだ。
仲間のちぎれた身体を見て、うめき声をあげる。トゥクチュが無くなった自分の肩から先を見て絶叫している。
「野郎、何であの細い水路を探り当てたんだ。廃船もうまく避けてくるぞ」
恐れげもなく入江に飛び込んできた一隻の艦は、風上に向かってジグザグに進み、あっという間に港湾内に入ってきたのだ。
錨を降ろし、うまく風を利用して右舷をこちらに向けている。
他の艦隊は、まるで蟻の子一匹逃がす気がないように、湾の外に停止したままだ。
「また来るぞ!」
赤く塗られた砲蓋から殺気のこもった砲口が、こちらに照準を定めている。
突如、連続で砲音が響いた。
皆、硬い岩石でできた自然の砦の方に身を投げ出した。今まで居た場所が派手な音を立てて破壊される。
鉄球が瓦礫の中に転がっていく。
ドージェもゲルクも、飛び散った石片で負傷した。
悲鳴をあげつづけている逃げ遅れたトゥクチュの元に、点々と転がっていく鉄球。
それは、破裂音とともに煙に包まれた。
トゥクチュの悲鳴が途切れ、黒煙で周囲が見えなくなる。
「今までの艦砲じゃない。射程も弾も。どういうわけか鉄球に火薬がたっぷり詰まってる」
咳き込みながら喚くドージェの声を耳にしながらも、ゲルクは壁の内側に沿って移動し、海の方を覗いてみた。
飛び散った仲間の血が目の中に入ってくる。
それをぬぐいながら、さっき見たのが見間違いでないか、もう一度目を細めて旗を確かめる。
「それも分かるよ、だってあれには皇族旗が上がってる。特注の搭載砲ってやつだよきっと」
「皇族旗って?」
か細い女の声に、ドージェとゲルクは愕然となる。砲塔のはしごを登ってきたのはリンファオだ。
「このスケ、危ねーぞっ!」
ドージェの喚き声に重なるように、再び砲撃が始まる。
ゲルクが急いでリンファオを壁の方に押さえつけた。
「リンガは?」
ゲルクが砲弾を用意しながら尋ねると、ドージェがそれを詰め込みながら聞き返した。
「チンチンがなんだって?」
「だからその名前で呼ばないでってば!」
リンファオは怒鳴るり返すと、耳を塞いだ。
こちらの砲門が火を噴いたのだ。なまじ聴力も人より発達しているのでやっかいだ。
「赤ちゃんは部屋にいるよ。ちょっとあやしたら、この騒音でも寝られたから、案外図太い子なのかも」
音に驚いて泣き出した娘が、爆発的な気を発したことには触れなかった。
リンファオ以外は、ここにいる誰も土蜘蛛の気配など分からない。
赤子は音に慣れたのか、再び眠りについた。
その時には、もう何の気力も感じなくなっていた。
(あの子は一体……)
リンファオは不安を振り払うように首を振り、砲台員たちに尋ねた。
「それより皇族旗ってなに?」
その瞬間再び砲撃を受け、身を伏せる。
ほとんどが港に落ちているようだが、いつまたここに飛び込むか分からない。
距離があるのに、なんていう正確さだろう。ゲルクは舌打ちしながら火薬カスを掻き出した。
多くの砦員が陸側に向かっていて、まだこちらに着かない。
向こうの様子が分からないが、こちらほど危機的状況には無いのではないか。
(早くみんな来てくれ)
今まで火薬をけちっていたのか、まったく本気で攻撃していなかったのがよく分かった。たった一隻の斉射で、破滅させられそうだ。
ゲルクが袖でほほの煤を拭うと、べったりと血がついていた。
「ねえ、皇族旗って──」
「だから、そのまんまだよ。皇帝か、おそらくその血族様が乗ってるんだよ」
ドージェがやっと答えてくれた。しかしそれを聞いたとたん、リンファオの顔は真っ青になっていた。
(なんてこと)
「リンファオ、とにかく市内に戻って。出来れば陸側の様子を見てきてくれ。砲兵員が足りない!」
ゲルクが新しい火薬の袋を詰めながら振り返ると、リンファオは既に砲塔から降りようとしていた。顔色に気づく。
「何、どうしたの?」
「ううん、何でもない。行ってくるからがんばって」
とても何でもないとは思えないほど、うろたえた様子だった。が、ゲルクにそれを気にする余裕は無かった。
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