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ラムリム市編
リンファオ殺戮後、うだうだ悩む
しおりを挟む久しぶりに持った剣だ。
だが厚手で、手にしっくりこないそれは扱いにくい。
カットラスは鉈のように幅が広く、湾曲していた。おまけに短い。
片刃の神剣とは違うが、リンファオの身長的には神剣より扱いやすそうだ。神剣は長すぎて、背負わないと鞘から抜けない。
それでも、持つ手が悲鳴を上げている。
──これじゃない、と。
分かってる。でも無いよりマシだ。
気にせず、真っ先に飛びかかってきたアイザック・デニを、あっさり袈裟懸けに斬った。
一瞬辺りが静まり返る。
可愛らしい美少女が──顔色も変えずに──あまりに簡単に大男を真っ二つにしたからだ。
自分が葬った屈強な男を見てリンファオは、神剣は必要がないのだと、すとんと納得した。
あの剣で……彼女の神剣不死鳥で、こんな雑魚を斬るのは刀の錆。
そこで気づいた。
巫女のなりそこないでも、神は降りていた。
あの神剣を扱うときの恍惚とした開放感は、きっと神が降りた証だったのだ。
(私は、巫女であり、剣士なんだ)
半眼を閉じ深呼吸する。
驚愕してリンファオを見ていた村人たちや、海賊たちの目前から──その姿が消えた。
正確には、目で追えないスピードで跳躍したのだ。
小柄な少女は、軽業師のように馬上に飛び移り、次々と海賊たちの喉首を掻き切っていく。
実に容赦なく、効率的に、なめらかに。
何人かは、絶命するまで何が起こったのか分からなかっただろう。
少女はトンッと地に降りた。ドサドサ落ちる遺体の音との違い。本当に体重が無いのか。
「ば、化け物っ」
我に返り、怒声を上げながらチョロチョロ走り回る小娘を捕まえようと、海賊たちは馬を操りながら地面を探す。
少女の姿が、どうしても見つけられない。
「いないっ!?」
ならず者たちの口から、恐怖に塗れた女の子のような甲高い悲鳴が漏れる。
「どこっ、どこに消えた!!」
「ここだよ」
首領の耳元に甘い息がかかる。リンファオは、彼のすぐ真後ろにしゃがんでいた。
馬すら、体重を感じた様子がない。
少女がとろけるような笑みを浮かべる。
「一人も逃さない。他の村でもやられたら困るもの。ね?」
僧兵の集団がかけつけた時、リンファオの手は、ちょうど首領の首をへし折るところだった。
僧兵も村人たちも、呆気に取られていた。
ふらりとやってきた謎の美少女の話は、退屈な村ではかなり話題になっていた。
だけどもう、恐怖抜きでは語れないだろう。ただの迷子では片付けられない。
最後の一人の息の根を止めたあと、リンファオは静まり返った村人たちの様子に気がついた。
息一つ乱さず、周囲を見渡す。
シン……と静まり返っている彼らを見て、どっと後悔が押し寄せる。
こんな化物じみた動きを見せてしまった。
リンファオは、返り血もいっさい浴びていなかった。
まるで、たった今起きたことは、村人たちの白昼夢であったかのように、少女は綺麗なままだった。
誰もが口を利けずにいる。
吐息をつき、少女の方からおずおずと村人たちに告げた。
「怖がらせてすみません。遺体の始末はお任せします。……あの、近日中に市内から出ていきますので」
そう言うと、悲しそうに瞬いて、その場を立ち去ろうとした。
「待て」
固まっていた僧兵の一団の中から、近づいてきた者がいる。
僧兵長ムソウだ。
今日は環付き錫杖ではなく、十文字槍を持っていた。
恐い顔のまま、槍を握りしめている。
「私を、悪魔とお疑いでしたね」
リンファオは苦しげに周囲を見渡した。
煙の中に、村の住民たちの遺体。さらに、海賊たちの遺体を見やる。死屍累々たる有り様だ。
ゆっくり目を閉じた。ここにはいられない。
自分は、やはり厄の子なのかもしれない。戦いの中でしか生きられない人間だったのだ。
「君は村を守った」
ムソウは低い声で言った。そしてゆるやかに膨らんだお腹を見る。
「やはり魔女じゃないだろう」
リンファオは目を見開いた。
まじまじとムソウのハゲ頭を見てしまう。てっきり自分を捕らえるか──少なくとも追い出されると、そう覚悟したのに。
「この場合見るのは顔だろ」
ムソウがハゲ頭をさすり、腹を立てたように言う。
すると、村人の間にひきつった笑いが起こる。
金縛りがとけたかのように。
一人が近づいてきた。
頭から血を流した、ヒゲのオヤジだ。娘が彼を支えている。
「ありがとう、遺恨も残さないほど、皆殺しにしてくれて」
リンファオは戸惑った。
「私が……怖くないの?」
もちろん、皆の顔は恐怖で青ざめている。
悪夢のような光景だったことは確かだ。
それでも彼らの目の中に、恐れとともに違う感情が見えた。
──感謝だ。
「君を誇りに思うよ。この村に来てくれたのは、きっと天の神のお導きだな」
別の家族が、海賊の遺体を見渡しながら大声で言った。
「守護者だ」
強引に、自分を納得させようとしている。怖くはないと。
それは周囲に感染し、パラパラとまばらに手を叩く音が賛同する。
やがてそれは大きな拍手と歓声になった。
命を救われた安堵が、人外の動きをした娘に対する畏怖に打ち勝ったのだ。
リンファオは呆気にとられた。
その袖を引っ張るのは小さな子ども。
「羽が生えているみたいに飛んだね! お姉ちゃん、天使みたい」
リンファオの目から、土蜘蛛の生体ではありえないほどの涙がこぼれ落ちた。ボロボロっと。
やがては子供のようにわんわん泣きだした少女に、温かい拍手の音は鳴り止まなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
テレーザは死んだ。
運悪く港の市場に居たのだ。
シグメ・チェモから聞いた話によると、ゲルクは泣き叫びながら、鬼神のように海賊たちを滅多切りにしたらしい。
船に残った海賊たちは、中に侵入した仲間たちが返り討ちにあったことを知り、あっさり逃げていった。
シグメは、ゲルクがここまで腕が立つ少年であることを、まったく知らなかった。
シグメをはじめ、市の戦闘員たちはみな大怪我をしていたが、それで済んだのはゲルクのおかげだと口々に誉めそやした。
しかしそんな賛辞も、ゲルクにはまるで響かなかった。
リンファオは、放心し、血だらけのゲルクを荷台に乗せ、ロバで石灰棚の温泉まで運んだ。
最初に彼がやってくれたことだ。
ゲルクに怪我は無かった。全部返り血だ。
人が変わったようにむっつり黙り込んでいるゲルクに、いい匂いのする石鹸を塗りたくり、せっせと磨いてやった。
血の臭いを落としてあげたかった。
裸を見られているのに、ゲルクは何も言わなかった。
リンファオも嘆き悲しみたかったけれど、ゲルクの前でそれをするのは失礼な気がした。
ゲルクにとっては、本当の母親のようなものなのだから。
(母親を亡くすと、人間はこうなるのか)
ゲルクの変貌は、妙にリンファオの心を打った。
自分が悲しむのは後回しだ。
彼を慰めたかった。
ベッドに横たわり、今日一日のことをずっと考えていた。
自分の娘のため、妻のために命を投げ出して守る。
そして怪しいよそ者でも、警戒しつつも迎え入れてくれた。
今日、リンファオは悪魔のような姿を村人に晒した。
なのに、彼らはリンファオを災厄の子としなかった。
よそ者でも、天教徒じゃなくても、受け入れてもらえるのか?
リンファオの常識を覆す、里の外の多種多様な人々の態度。
ぼんやりと石の天井を見上げて、考えた。
ゲルクは糸が切れたように熟睡している。
(ずっとここに居たいなぁ)
改宗なら簡単に出来る。こだわりがないから。──ある意味、改宗とは言えないけれど……。
ここでなら、うまくやっていける気がする。子供が生まれても。
血の濃さに異常なほど執着する「土蜘蛛」。
自分が土蜘蛛であることを何度強く意識させられても、それでも──ここに居たい。
贅沢だろうか。
例えこの地には宗教が根底にあっても、家族の温かさが無い土蜘蛛の里の人間とは、やはりどこか違う。
同族ですらあっさり殺そうとするなら、あの血の繋がりはなんの意味があるの?
本物の家族が欲しい。
でもこの渇望は、おかしいことではない。
蛟にさえ、ミケーレ諸島のどこかに、彼らの家族がすまう村が点在している。
「滅びゆく一族か」
久しぶりに、自分の里のことを深く考えた。
シショウとメイルンが居なくても、あの故郷に自分は戻りたいと思っただろうか。
あの共同体は、家族と言えるのか?
お腹に手をやった。
出生率がどんどん低下している。
土蜘蛛の男の種が外の女では育たないことを考えると、もしかして男に問題があるのかもしれない。
女が足りなくなれば、血がどんどん濃くなり、やがては──。
それでもこの子は、殺されてしまうだろう。母親ごと。
純粋な血を守るために、承知の上で土蜘蛛は滅びの道を歩んでいる。
メイルンが妊娠したと聞いたとき、羨ましいと思った。神剣に選ばれた自分に、もう繁殖の許可は降りないと思ったから。
シショウが告白してくれた時、夢を見た。そして、天にも昇るような気持ちになった。
だけど──果たして長老会で、厄の子が子供を作ることは許されただろうか。
それにもし許可されても、土蜘蛛の種で子供ができたとは限らない。
巫女の中には、あの長い寿命と若さの中、一度も子供ができないまま死んだものが、けして少なくない。
リンファオは何度も寝返りをうった。
このお腹の子は蛟の血が入っている。だから妊娠したのだろうか。──薄い血だから。
例えばこの子がシショウの子だったとしても、もう里に帰りたいとは思えなくなった。
自分で育てたい。
ついにリンファオは起き上がっていた。膝を抱え込む。
アターソン家のひねくれた父子愛。それも母親が原因でこじれたことだ。家族愛で。
ううん、血の繋がりなんて関係ない。ゲルクとテレーザのような、人としての繋がりが愛おしくなってしまった。
悶々と、うだうだと、とりとめもなく悩みながら、それでもけっきょく一つの結論にたどり着く。
シンプルに変わらない、しかし矛盾した感情。
(会いたい)
ふんわりと優しい笑顔の美少年。初めてリンファオを愛してくれた、土蜘蛛の神剣遣い。
シショウ。
やはり土蜘蛛は土蜘蛛に惹かれるのだろう。
胸が引き裂かれそうに辛い。
里に戻りたくない、ここに居たい。なのに、シショウには会いたくてたまらない。
テレーザを失って、よけいに心が寂しくなっている。
命の儚さを思い知らされたのだ。
ゲルクは寝ているから、少しだけ泣いてもいいだろうか。テレーザのために。今日失った多くの命のために。
命を奪うという、倫理的な教えが無い里で生まれたリンファオにとって、初めて命の重みを知った日だったのだ。それは少女に不安をもたらした。
シショウは土蜘蛛だけど、任務の中にいる。いつ死んでもおかしくないのだ。会いたい。
(この子を産んだら、二度とシショウには会えない)
里に近づくことは出来ないだろうから。
自分が外部の子を宿し、生きていることを知られてはいけないのだから。
そして自分自身は、この子供を必ず産むと決めているのだから。
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